第5話 いってらっしゃい
ドアを開けると、そこにはお母さんがいた。マイカは怒っていたせいで、家を出る時に玄関の靴を散らかしていったのだが、お母さんはその靴を並べていた。
「あら? なんで帰ってきたの?」と不思議そうな顔をしたが、すぐに怒ったような表情をして、
「あんた、お母さんにまた死ねって言ったわね。謝りなさい!」と言ってきた。
マイカは母親の言葉に反応するよりも先に、そこにお母さんがいるということに驚いた。別にタイムスリップを疑っていたわけでもない。だけど、生きているお母さんが本当に目の前にいるということにどうしても感動してしまうのだった。
「お母さん! ごめん」
マイカは泣きながら、かがんで靴を並べている母親を抱きしめた。
「まあ、あんたどうしたの?」
さっきまで怒って家から出ていったと思っていた自分の子供が数十秒後に泣いて抱きしめてくるのだ。理解が追いつかないだろう。
「お母さんに死ねとか言ってごめん。私は本当に死んでほしいわけじゃなかったの!」マイカは泣きながら訴えた。
「本当にどうしたのよ、もう。わかったから」そう言って、抱きしめているマイカの背中をさすり「もう言わないって約束しなさい」と言った。
「わかった。約束する」
「喧嘩して怒ってるからって、言っていいことと悪いことがあるの。もう二度と言わないのよ。この先ずっと。誰にも。わかった?」
「うん」そう言いながら、母のこの先ずっとという言葉がうまく飲み込めなかった。だってこの先の未来には母はいないのだから。
「わかったら、早く学校行ってきなさいね」
「ちょっと待って、その前に言いたいことがまだあるの」
お母さんに言いたいことは、まだまだたくさんあった。
「私はお母さんには本当に感謝してる。いろんな相談もいっぱい乗ってもらったし、お母さんには何度も助けられた。ありがとう」
お母さんが亡くなってしまうことのように、未来が変わる可能性のあること以外なら、話してもいいとパウロから許可をもらっていた。
「カウンセラーの仕事のことも馬鹿にしてごめん。でも本当は心からお母さんの仕事のことは尊敬してるよ。お母さん。一番大好きだよ。誰よりも大事に思ってるからね」
これが最後の別れなのだ。どうしても言いたかったのだ。
「あんた、本当にどうしたの?」お母さんは突然の出来事にただひたすら驚いているようだったが「まあ、嬉しいけどね。なんだか分からないけど」と言って、少し頬を赤らめていた。
「もう、8時10分よ。そろそろ行かないと遅刻しちゃうんじゃない?」
お母さんとはまだ一緒にいたかった。だけど、ここまでだった。
「じゃあ、私もそろそろ行くね。お母さん、本当に大好きだよ」
大好きだと最後の最後まで伝えていたかった。言わないと後悔してしまうような気がした。
ドアを開けて、家から出た。その時、
「いってらっしゃい」
お母さんにそう言われた。
最後に言ってもらってよかった。お母さんが亡くなったあの日は喧嘩して言ってもらうことができなかったから。
お母さんに見られないようにドアを閉めて、泣き崩れた。
マンションの床のタイルが膝に当たって、冷たかった。
パウロと一緒にまた家の近くの公園のベンチで休んでいた。この頃にはもう泣き止んでいた。
「いっぱい話せましたか?」
「うん。話せたよ。本当にありがとう。でもね、なんか家を出てから色々考えたんだ」
マイカは心のうちをパウロに話すことにした。
「私ね、思うんだけど、これって意味あったのかな?」
「どうしてそう思うのですか?」
「だってお母さんは自分が死ぬってことはわかっていなかったでしょ? だから私から急に感謝されたり、謝られたりしても意味がわからないわけだし、私が本当に伝えたかった気持ちは伝わらない。それでも話す意味はあったのかな」
「意味はあるに決まっています」
「どうして?」
「人間は死ぬ直前に走馬灯というものを見ると聞いたことがあります。大切な記憶が、死ぬ瞬間に蘇るというものです。マイカ様のお母様は交通事故に遭う瞬間にまるで夢でも見るように、さまざまな事が蘇ってきたはずです」
「そうだね」
「その走馬灯の中には今日の出来事も含まれていると思うのです。自分の娘と抱き合って、感謝され、愛されていたという記憶が蘇っていると思うのです。だから今回のことは無意味ではなかったのです。それに、マイカ様も最後に別れが言えてよかったのではないですか?」
「それは本当にそう。どうしても謝りたいって気持ちはあったからさ」
「でしたら、それだけで十分ですよ。それだけで意味はあります」
「あんたやっぱりいいやつだね。まっすぐだし」
「ありがとうございます」
お母さんとはこの後亡くなってしまうんだ。だからこの過去の時間帯から現在に戻ったら、そこにはもうお母さんはいない。会うことはもう二度とない。今のが最後の別れだったのだ。
でもこれでよかった。満足いくほど自分の気持ちを伝えられた。パウロの言う通りそれだけで十分なのだ。
マイカはそう思い、ベンチから立ち上がった。
お母さんのことで辛かったけど、これからはどうにか前を向いてやっていけるような気がした。
「パウロ、次はどうするの?」
「今、私のことをパウロと呼びましたか? これまではあんたと呼んでいたのに、どうしてですか」
「そんなのどうだっていいの。私がパウロって呼びたくなったからパウロって呼ぶの。次はお母さんが名古屋に行った理由を調べるんでしょ? それで次は何したらいいの? って聞いてんの」
「次は今日の13時にタイムスリップをして、名古屋に転移します」
「東京から名古屋に行くのは、1時間以上かかるけど13時にタイムスリップでいいの?」
「構いません。私の高速移動では5分以内に到着できますから」
「そう......。パウロってやっぱり化け物ね」
やっぱりパウロに驚かされるマイカであった。マイカの方も、そろそろ驚くのに飽きてきた頃だった。
「でも、あんたは超高速で移動できるのかもしれないけど、私はどうするの?」
「私が担ぎます」
「そんなスピードで移動したら私死んじゃうんじゃない?」
「急に全速力で移動すれば体に衝撃がきますが、徐々に加速して移動すれば、問題ありません。急に加速したり急に減速したりするから、体にダメージを与えてしまうのです」
「まあ、大丈夫ならいいんだけど」
「それでは、数時間後にタイムスリップして、名古屋に行きましょうか」
二人はまず、13時頃にタイムスリップをした。日が高く昇っていた。
次にパウロに抱きかかえられて、名古屋に移動することにした。
びゅんとパウロは飛んで行った。
徐々に加速していることは景色を見ればわかった。景色の移り変わりがだんだんと早くなっていったからであった。
移動してる最中、飛んでる鳩を見かけたが、自分よりも早く飛ぶパウロに気づいた鳩はどこかへ消えていった。
そして気づいたら静岡の辺りを飛んでいた。富士山が近かったから分かった。
新幹線も見かけたが、新幹線を追い越していったところで、冗談では済まないスピードだと思って、恐怖を感じた。
だけどパウロの言う通り、痛みは感じなかった。ゆっくり移動したからだろう。
名古屋駅に到着した。
ホームでお母さんが来るのを待っていると、新幹線が到着して、大勢の人が降りてきた。
見つけた。
人混みの中にお母さんの姿があった。




