第3話 きも。まじで死ねよクソババア
なんでもない、普通の、よく眠れなかった朝の出来事だった。
「マイカ、学校から連絡があったわよ。進路調査書出してないんだってね」
「迷ってるだけ。ちゃんと出すから」
「提出期限超えてるって言ってたわよ。早く出しなさい」
寝不足だったマイカはうるさいと思った。母親の言葉にイライラした。だから無視した。
「ねえ、聞いてるの? ちゃんとした進路を考えるのよ。大人になって困らない、ちゃんとした人生送りなさい。後悔のない人生を送りなさい」
ちゃんとした人生。後悔のない人生。それらはお母さんの口癖だった。小さい頃から言われてきた。
マイカはちゃんとした人生などないと思っていた。後悔のない人生もないと思っていた。何度もそう言ってきたが、お母さんは聞いてくれなかった。
「もううるさいなあ。私の人生なんだから、私が決めるよ。お母さんみたいな間違いは犯しません」
「またひどいこと言うのね」
お母さんは心理カウンセラーをやっていた。お母さん曰く、カウンセラーは稼げないと言っていた。優秀なカウンセラーならともかく、非常勤で働いているようなお母さんのようなカウンセラーはあまり稼げないとのことだった。
「そんなんでよくカウンセラーやれてるよね。子供にはちゃんとした人生を送りなさいとか言って、私の選択を尊重してくれないくせに、よく悩んでる人の話聞く仕事してるよね」
「あんたは親になったことがないから、そんなことが言えるのよ。自分の子供と話すときと、相談者をカウンセリングする時ではわけが違います」
「まじでうるさいな。自分の人生は自分で責任取るから、もう黙っててよ。首突っ込んでこないで」
「あんた、自分じゃ何もできないじゃない。勉強もできない。部活もすぐやめる。高校生なのにバイトだってできないから、お金も稼げない。何ができるっていうの?」
正直、心に刺さった。
自分でも自分は何もできないと悩んでいたからだった。
私が母親に嫌味をたくさん言ったから、母親だって言ったということはわかっている。ただ言い返しただけなのだ。
だけど、それは私の心に深く刺さった。コンプレックスを深く抉られたようだった。
「きも。まじで死ねよ」
ぼそっと言った。だけど確実に母親の耳に届くように言った。聞こえるように言ったのだ。
「あんた、今なんてこと......」
母親の言葉を無視して、家から出て行った。
学校に着いた。朝のホームルームをさぼって、こっそりヨウタと会った。校舎裏でキスをした。
イライラが一気に吹き飛んだ。ヨウタのことで何もかも忘れられた。
ヨウタとは高校2年の時に出会った。付き合ってまだ1年だ。
お互いがお互いのことを気にしていて、どちらからというわけでもなく話したりすることが増えて、あとは告白するだけという感じだった。
告白してきたのはヨウタだ。ヨウタの性格なら、告白することなど容易かった。そのおかげで私はなんだか優位に立てた。
ヨウタのことは大好きだ。唯一好きじゃないところと言えば、すぐヤリたがるところだ。大好きだから我慢もできるけど。
その日はいつも通り適当に授業を受けていた。大学に行くために勉強しなくちゃいけないということはわかってる。だけどそんなやる気は湧いてこず、結局サボっていた。
午前中の授業が終わって、ヨウタと一緒にお昼ご飯を食べて、午後の授業を受けた。昼食の後だから、授業は当然寝ていた。
チャイムの音で目が覚めた。休み時間になった。いい目覚めだった。
のんきに背を伸ばしていると、教室のドアが勢いよく開いた。
学年主任の先生だった。顔を見れば焦っていることは予想できた。
誰かが何かやらかしたのだろう。自分には関係のないことだ。トイレにでも行ってこよう、そう思っていると、
「セトさん!」
私の名前が呼ばれた。
なんか偉い人が通されるような部屋に入れられて、お母さんの死を告げられた。
死んだら悲しいんだと思ってた。
ドラマで大事な人の死を告げられた時、役者は泣いていた。
だから母の死を告げられたら、泣くと思っていた。
だけど泣けなかった。ただ理解が追いつかなかった。お母さんがこの世にいないという真実を信じることができなかった。
学校にお父さんがやってきて、一緒に病院に向かうことになった。
私も泣いていなかったし、お父さんも泣いていなかった。
家の近所の病院だと思っていた。だけど、あまり見覚えない場所に連れて行かれた。
東京駅に行って、新幹線に乗った。のぞみに乗って、名古屋で降りた。
そこからは知らない。知らない土地だから、どこからどこに移動したのかもわからない。気づいたら病院だったというだけだった。
お母さんは車に轢かれて、飛んでいって、転がって行ったらしい。その時に頭を強く打ったのだ。
痛かっただろう。病院で頭を包帯でぐるぐるされている母親を見て、そう思った。
その時、涙が出てきた。たくさん出てきた。止まらなかった。看護師さんやお父さんに慰められた。そんな私を見て、お父さんも泣いた。
お父さんのことは毛嫌いしていたけど、一緒に涙をしてなんだか心がつながったような気がした。
死を知った直後はバタバタしていた。落ち着いてきた頃にいろんなことを思った。
どうしてお母さんに死ねなんて言ってしまったのだろう。
お母さんに嫌味はたくさん言ってきた。だけど死ねはたまにしか言ったことがない。確かに言ってしまったこともあったけど、その度に激怒されて泣きながら、ごめんなさいと謝っていた。だけど今回は違った。
死ね。それがお母さんに言った最後の言葉だったのだ。
そして、どうしてお母さんは名古屋で死んでしまったのだろう。
名古屋なんて旅行でも行ったことがなかった。親戚がいたわけでもなかった。
何で縁もゆかりもない名古屋なのか理解できなかった。
お父さんに聞いたけどお父さんも知らなかった。
「お母さんはお父さんたちに何か隠し事をしてたのかもしれないな」
寂しそうな顔でそう言った。遠くを見ていた。
お母さんが何を隠していたのかはわからない。隠したいような悪いことで、知ったら悲しむようなことかもしれない。
お母さんが話したくなかったのだから、知らなくていいことなのかもしれない。
だけど、知りたかった。
最後に何をしたのか知りたかった。
どういうわけか、お母さんを知ることがお母さんへの償いになるような気がした。
お母さんのことを嫌いになることになっても、知らなくてはいけないと思った。
「こんな思い詰めて、ただの旅行とかだったら笑っちゃうけど」
パウロに思いを全て話したマイカは最後にそう言って、笑った。会話の空気を悪くしないような、笑い方だった。




