【3-7】ただの先輩のお節介
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扉を開けた先に長身の男性——紫がかった銀髪のアールグレイが立っていた。
彼は眉間に深く皺を刻み、ロミエを見下ろしている。
「ぁ……っぅ」
(弱音を聞かれた……!!)
ロミエは彼と入れ替わりで代表になったのに、こんな状態を晒してしまうだなんて!
きっと失望される。きっと、大きなため息をついて落胆される。こんな弱い姿を見せてしまったら、期待外れだと攻められる誹られる嘲笑されるに違いない。
かつて神界で、ニヒリアがそうだったように……。
「貴女を、そこまで追い詰めた責任は私にある」
「……ぅ、ぇ?」
状況が呑み込めず、涙目でオロオロとするロミエ。そんな彼女の目をちゃんと見て、アールグレイはサッと膝を曲げた。
「……申し訳ない。本当に、申し訳ありませんでした」
彼が片膝をついて頭を垂れて跪く。貴族として最上位の謝辞を、ロミエに向けていた。
「な、なん、で……しゅ、シュメリートさまが頭を下げて……」
「本来、私が背負うべきだったものを、貴女に肩代わりさせてしまっているからだ」
顔を上げたアールグレイの紫色の瞳に、ポカンと呆けたロミエの顔が映される。
「……大会に、出るのは辛いだろう」
「それ、くらい……」
それくらい出来ないと、期待され任された働きをしないと――。
「ま、か、されたっ仕事は……きちんと、しないと……」
そうでないと、きっとわたしは見放される。役立たずだと、期待外れだと言って…………見捨てるんだ。
「だってわたし、は…………出来損ない、だから……」
ロミエは目を伏せてしまう。膝をついているアールグレイを前髪に隠し、ブーツのつま先だけを睨んだ。
こんなにも弱い自分を隠すため、日々綱渡りで取り繕っていたことを彼も分かったはずだ。
「ハルベリィ監査」
名を呼ぶ声が聞こえる。最初はちょっと嬉しかった役職名でさえ、今では重圧に感じて顔を背けた。
(いっそ、いらない。……いらない)
そもそも生徒会に入るのだって嫌だった。元々自分が居ていい場所なんかじゃない。事務作業だって、半ば現実逃避の手段として使っている。
そんな自分勝手なヤツが、生徒会なんかに居ていいはずがない。
ここにロミエの居場所なんて、居る価値なんて――
「ハルベリィ監査は出来損ないじゃない、絶対にだ」
「…………へ……ぇ?」
「出来損ないじゃない」そう言われたロミエはポカンと顔を上げる。
背の高いアールグレイは、膝を付いていても同じくらいの目線にいた。その彼の瞳が、ロミエの緑がかった青い瞳を真っすぐと貫いている。
「第一、貴女ほど仕事が早く正確な生徒会員はいない。監査部に限らず、他部門含めて最も優れた人材だ」
「で、でも、いっぱい、ご迷惑を……」
「あんなの迷惑のうちに入らん。そもそもだ、貴様は後輩なのだからもっと先輩を頼れ! 貴様はどうも一人で抱え込もうとする癖がある。それにどれだけ振り回され、心配したことか……」
「……ごめ、なさい」
「はァ……」とアールグレイがため息をつくので、ロミエは咄嗟に頭を下げる。
だがその先には彼の頭がある。咄嗟に彼が手の甲で防いだので激突はしなかったが、より無礼を働いてしまったとロミエは顔を真っ青にした。
「背筋を正せ、ロミエ・ハルベリィ。貴様は生徒会監査であろう」
そう言い放ったアールグレイは優しく、繊細な飴細工に触れるようにロミエの頭を持ち上げる。
涙に湿気った前髪を優しく分けて、サラリと、その手袋越しにロミエの頭を撫でてやった。
「…………逃げたいなら、荷が重いとそう感じたならばそう言え。貴様が……ハルベリリィ嬢が逃げたとて、アリストリアに優秀な人材は大勢いる」
「…………」
それが出来たら苦労しない。「逃げる」と一口に言っても、そのせいで多くの人に迷惑をかけてしまう。
何より、もう期待はずれだとか出来損ないだとか、思われたくない。蔑まれる視線に晒されたくないのだ。
逃げるなんて選択、放棄するなんて選択、ロミエには取れない。
そんなわたしの気持ちを葛藤を、ただの他人には分からない。分かるはずなんて、ない──。
「だが願わくば」
そう言ってアールグレイは立ち上がる。
咄嗟に見上げるロミエに、彼は手を伸ばした。
「……願わくば、今後も監査として我々を手伝ってはくれまいか」
「…………なん、で……」
震える声を飲み込むロミエは、すぐに視線を下げる。
「わたし、より……凄い人、いっぱいいるんです、よね」
「……事務以外の点で見れば、そうであろう」
「わたしじゃなくても、いい、です」
確かにロミエは事務作業に関しては秀でている。使おうと思えば魔法や魔術だって使えるし、創世神ニヒリアと同程度には権限も行使できるので、亀裂や欠陥の対処も可能だ。
しかしそれらはすべて中途半端。どこかで絶対に綻びや不備が生じるし、それを直すことが出来ない。その原因がわからない。……どうやっても、分からない。
事務作業だって、替えがきく仕事だ。
(……そもそも、誰かに期待されたりしたから、ダメなんだ)
そうだ。これからはもっと、もっとダメを取り繕おう。
魔法も禁止にして、事務の作業もワザと失敗して……そうだ、無駄に多い魔力量も減らしてしまおう! そうすれば、この学園に残り続ける理由も資格もなくなる。
「……これは、ただの先輩のお節介だと思って聞き逃せ」
俯いて不細工に微笑んでいるロミエに、アールグレイは静かに語り掛ける。
「自分の部下が……後輩が困っているのだ。助けたいと、後輩の力になりたいと思わないわけが無い」
「後、輩……?」
「まだ貴様は1年生、入学したばかりであろう?」
「で、も……でも……」
「はァ……」とアールグレイが溜息をつく。
また、気を損なわせてしまったのだろうか。返答を間違えたのだろうか。
ビクビクと震えるロミエに、アールグレイは少しだけ語彙を強める。
「……言い方を変えよう。先輩を頼れ、これは命令だ。自分を出来損ないという自覚があるならば、なんでも貴様一人で抱え込もうとするな!」
「うっ……」
「それに、だな…………先輩として、私では頼りないのだろうか」
「そ、そんな、ことは……」
ロミエは小さく首を振る。
アールグレイは凄い人だ。監査長として役目を完璧に全うしているし、揉め事やアクシデントにも即座に対応し、学園の治安維持に貢献している。
だからといって、頼る頼らないは別だ。頼ることで迷惑をかけるなんて、ロミエはしたくない。
歯切れ悪く言い淀むロミエに、アールグレイは小さく息を吐いて、視線を逸らす。
「……正直に言おう。私は逃げるのが嫌いだ。一度任された仕事は完遂すべきであるし、代表から外されたのも……悔しい」
「そ、それはっ欠陥が再発した、せいで……シュメリート様のせいじゃ、ない……です」
この世界に存在する欠陥は、すべてニヒリアの創り出した世界が不完全だった影響による。正しく完璧に創れていたら、こうして欠陥に悩む人も出なかったはずなのに。
「欠陥は……どうしようもないこと、なんです。だからっ、選ばれなかったのも……仕方なくって……」
私のせいなんです――真実をひた隠しながらも、ロミエは自責の念に駆られ、心が刺されたような心地だった。
だが、アールグレイは首を横に振る。
「ハルベリィ監査。私は己の実力不足を〈神の失敗〉などという外的要因のせいにはしない。欠陥があったとてやりくりは可能だ。……それに、今だってこんなに喋れている」
欠陥持ちは人にもよるが、連続して発症すればするほど、その頻度は増えていく。
アールグレイが持っていた声の欠陥は、前に直していたはずなので、現状発症の頻度は低い。
「私が今回選ばれなかったのは、単純に実力と実績が足らなかったからだ。来年の代表に選ばれるため、一層修練を積まねばならん」
だが彼は知っているはずだ。魔術戦の会場となる場所は、欠陥持ちの立ち入りが禁止されている街であると。
いかに魔術に長けていたとしても、彼が選ばれることなんて微塵もないことくらい、|〈叡智の家系〉である彼が、知らないはずがない。
「……とはいえ、これは己に課している信念に過ぎん。貴様が大会から逃げようとする気持ちを、責めたり否定したりはせん」
「…………」
なんて、強い人なんだろう。
自身には厳しい信念をかしていながら、他の人に向けてかしたりしない。それどころか、目を背けて逃げることを許してくれる。認めてくれる。
「だからな、大会を棄権しても文句は言わさん。逃げてもいいのだ、ハルベリィ嬢。手続きや調整は私が引き受けよう」
「え……ぁ、でも……」
「貴様が棄権したところで誰も攻めやしない。枠が一つ空いて喜ぶ者もいるだろうしな」
「た、大会まで時間も少なくて……いっぱい迷惑を……」
ニコやヴィンセント先輩方にも手伝ってもらって、代表団の団長ミハエルには「頼りにしている」なんて言われた。
今逃げたら、いっぱいいっぱい迷惑をかけてしまう。
それをアールグレイに任せてしまうなんて……。
視線を下げて俯くロミエに、彼は小さくため息を吐く。
「……何度言わせる。さっき言ったではないか、貴様は後輩で、先輩に頼れと命令したはずだ」
命令──そうやって強制して、ロミエが気負わないように彼は気遣ってくれている。
それが分かるから余計に、余計に分からなかった。
「……なんで、そんなに……わたしなんかに、親切にしてくれるんですか」
「わたしなんか」ロミエの肩が震え、嗚咽が漏れそうになる。
そんな彼女に、口を開きかけたアールグレイは1度閉じ、呼吸を整えた。
「…………消えていい人間なんぞ、この世に一人たりと存在しない。不要な人間なんていないのだ! だから、だな……死ぬな、生きていて欲しい。……それだけだ」
「────」
生きていて欲しい──生きるなんて、本人の勝手だ。死のうが生きようが、他の人には関係ない。
まして、生きている価値なんてない自分なんかが生きていても、迷惑をかけ続けるだけだ。
(そう、思ってたのに……)
うんともすんとも言わないロミエに、アールグレイは「……長話が過ぎたな」と体の向きを変えた。
「私は先に戻っておく。ハルベリィ監査は寮へ戻っているように」
「あ、あの……っ!」
その大きな背中を、ロミエは咄嗟に呼び止める。
「わたし……も、逃げたくない、です。だから……そのっ、頼りますっ。そのっ……お言葉に、甘えます」
大会に出るのは怖い。それに、ともだちが生と死を彷徨っているのに、自分だけ楽しい思いをしてしまう自分が嫌いになりそうだ。
でも、生きて欲しいと、頼って欲しいと言ってくれる人がいる。ロミエを一人にさせないともだちが、親切にしてくれる先輩がいる。
その善意を無下にするなんて、それこそ失礼だ。
ペコリと頭を下げるロミエを、アールグレイは肩越しに振り返る。
「……それでいい。だが無理はするな。こっちが困る」
「はい……っ!」
彼はそれ以上は何も言わず、この場を去っていった。
その先輩の背中を、ロミエはぼんやりと見つめる。
(……やっぱり、シュメリート様はすごい人だ)
誰かに頼るなんて、ロミエにはまだ難しい。無理しないと何もできないのが今のロミエだ。
だけれど、一人じゃない。前だけじゃない。後ろに下がっても誰かがいる。曲がってしまう背中を押してくれたともだちのように、アールグレイは優しく支えてくれた。
それに彼は言ってくれた。認めてくれた。消えていい人間なんて、不要な人なんていないんだって。
「……生きてて、いいんだ」
生きるって簡単で難しい。
神界から堕とされ、ただのロミエとして生まれた自分が生きる理由は何なのだろう。なにもかも中途半端な出来で、人に迷惑かけてばかりな自分が生きていて、良いんだろうか。
「……生きて欲しいって、思われてる、から」
アールグレイが言ってくれた。もしかしたら、キルトエもそう思っているのかもしれないし、ライラックだってロミエの事を想ってくれている。
「生きて欲しい」という期待に、ロミエは応えよう。
そしていつか、「生きる理由」を「意味」を見つけるんだ。
……いつか、ショルさんが目覚めたときに、自分の罪を償うために。
そう気づかせてくれた先輩の背中が、とても大きく見える。
猫背のロミエじゃない。しっかりと姿勢を伸ばし、自信に満ちた真っ直ぐな姿。
大きくて遠くて、眩しい。それでいて、とても頼れる先輩なんだ。
***
アリストリア学園の寮は、基本的に寮生によって運営されている。
清掃や整備やら、寮生たちが主体となって管理するのも、学園の教育目標の一つである。
とはいえ、大人の寮監もおり、それらは郵便物や預かった金銭の管理などをしていた。
寮に戻ったロミエに声をかけたのも、その寮監の一人。白髪が目立ちながらも、キリリと鋭い眉の女性だ。
「ロミエ・ハルベリィさん宛に手紙が来ています」
「は、はいっ。もらい、ますっ」
いそいそと受け取ったロミエ。その声は少し弾んでいた。
(そっか、そっか……あの人達だけじゃなかった!)
なにせ、彼女に手紙を送る人物なんて一人しかいない。大切そうに抱えて、自室へと駆けていく。
その手紙の封に書かれた名前は〈ロミア・ハルベリィ〉。ロミアの母親である。




