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【3-6】背中を押してくれた人

 ショルトメルニーャが意識を失ってから、ロミエは明らかに落ち込んでいた。

 キルトエがどれだけ話しかけても、彼女は曖昧に素っ気なく返すだけで、どこか余所余所しい態度を貫いている。


 どうにか元気付けたい。また、皆で笑いながら食事をしたい。それに……買い物だって途中だったのだから、みんな揃ってあの日の続きをしたい。

 だからキルトエは諦めない。諦めるわけにはいかなかった。


 その日、生徒会事務室にロミエがあらわれたので、キルトエは笑顔で話しかける。


「そういえばロミたん、食堂に新しいメニューが追加されたらしいぞ!」


「へ、へぇ~……」


「このあと、シアも連れて一緒に行かないか?」


「う、うんっ……わかり、ました」


「あとあと――」


 魔術戦の訓練が早く終わったのだろうか。

 本来は免除されているのにも関わらず来るあたり、ロミエの真面目さに感嘆する。その半面、キルトエは心配で心配で仕方がなかった。


 ロミエはいま、色んなものを背負っている。

 魔術戦の代表もそうだし、魔法書の研究も同時進行で行っているらしい。そのうえで生徒会の仕事まで、彼女は背負おうとしている。


(……いや、憂さ晴らしなのかもしれないな)


 書類と向き合っている時だけ、彼女は別の事を気にしないで済むのだろう。キルトエが目を離すと、すぐに自分の世界へと入り込んでしまう。

 殻に閉じこもるように……外部(キルトエ)からの干渉を、拒絶するように。


 だからキルトエも一歩も退かない。

 どんなに他愛のない話題でも、つまらない話でも、気にもかけない変化だって、ロミエが独りにならないように話し続けた。

 とはいえ、会話には程遠い。適当に相槌を返してくるだけなので、一方的な壁打ちのようだった。


「――あれ?」


 けれど、今日はちょっと違う。

 具体的な変化じゃない。ただ、少しだけ――作業をしている彼女の横顔が、どこか本当の意味で楽しそうに見えたのだ。


 嬉しい。ホッとした。いつまでも虚無を抱えていた彼女が、やっと光を灯したようにも見える。

 だから、つい口に出してしまったのだ。その喜びを。その感動を。



「ロミたん。なんか今日、楽しそうだな!」



「…………え」


 一瞬、ロミエの世界が止まる。何を言われたのか分からなくて、パチパチと瞬いた。


(たのし……そう……。わたしが……ロミエ、が……?)


 キルトエの言葉を何度も反芻させてその意味を汲み取ったロミエは、サアっと顔を青くする。


「……っ」


 ――耐えきれない。


 バッと椅子を後ろに押しのけて立ち上がると、長く被さった前髪に隠れて事務室を抜け出した。


「ろ、ロミエ――!?」


 キルトエ(誰か)が叫んだ。それすら雑音で、ロミエの耳には何も残らない。残らせない。

 ただ必死に足を動かして、誰もいない独りになれる場所へと駆けていく。


(遠くに、遠くに行かなきゃ……)


 垂れてきた鼻水を啜り、伝う涙で袖を濡らしながら校舎を出た。

 トイレの個室ならば簡単に一人になれる。けれど、それではキルトエが追ってくるかもしれない。


 向かう先は学園の隣。アリストリア魔術師団の本部建物。

 あそこならば唯一、誰にも邪魔されず一人になれる場所を……ロミエは、知っている。

 話せるヒト……声に出しても誰にも聞かれない。師団本部は頑丈な造りなので、壁越しに声は通らないだろう。


 ロミエは走る。ダドッダドっと拙い足取りで何人もの人影を追い越し、すれ違いながら。上げた右腕で顔を隠したまま、左手だけはブンブンと一生懸命に振って。

 走る走る。走って駆けて、拭って啜って――逃げるんだ。


 しばらくすると、レンガ造りの本部建物が見えて来た。

 忙しいのだろうか。巡回している魔術師は見当たらず、容易に近づくことが出来る。

 建物に侵入したロミエは、〈透明化の魔法〉で誰にも見られず目的の部屋へと向かい、たどり着いた。


 そして、ゆっくりと扉を開き、踏み入る。

 部屋の中はとても暖かい。最新の魔道具により心地よい暖かさに保たれているのだ。

 だが、内装はとても淡白で無機質。簡素な椅子と机が置かれ、ベットが横たわるだけ。そして、微かな息遣いだけが静かに揺らいでいる。


 そのベットに横たわるのは、長く金髪を広げた少女。小さく安らかな息遣いを繰り返す彼女の肌は青色で、今はより血の気が引いたように白く見えた。

 横の椅子に座ったロミエは溜まった雫を拭ってから、へにゃりと笑いかける。


「ショル……さん。……来た、よ」


 ロミエの言葉は虚しく壁に吸われていく。


「わた、し……楽しそう…………なんだ、って」


 上手く力が入らない。言葉の節々が小刻みに震えて、ヒックと嗚咽が湧き出し漏れる。


「たのしい……たのしそうに、なんかっ……する資格、わたしには……ない」


 一言零すたびに、抑え込み押しとどめていた感情が、一気に決壊して溢れ出ていく。

 ホロホロと流れる雫を拭っても、何度何度も拭っても止まらない。止められない。


「わたしに、ぁ……ない、ないっ、ないないない……ないのにぃぃ……ぃぅぁっ、うわぁぁ……ぁぁっぅ、ひぃっ、うぅん──」


 ロミエはシーツに顔を埋める。そうしないと、爆発してしまいそうだったのだ。



***



 その日、アールグレイは師団本部へと来ていた。声の欠陥の検診である。


 詠唱が必要な魔術師にとって、声にノイズがかかってしまう彼の欠陥は致命的。

 しかし、直せないとしても、その頻度と傾向を算出することが出来れば、多少のやりくりは可能であった。


 一通りの検診を終え、医務室を出たアールグレイは、静かな廊下を一瞥する。 


(……人が少ないな)


 医務室や病棟に面しているため、あたり前と言えばあたり前である。けれど、来た時もほとんど人とすれ違わなかった。

 おそらく、街の復興のために多くの団員が出払っているのだろう。自分がこうしている間にも、いろんな人たちが役目を遂行するために働いているのだ。


「……はぁ」


 思わずため息がこぼれるアールグレイ。

 力になりたくても、欠陥持ちである自分では足手まといになるだけだ──と、彼は理解している。だからこそ、彼は余計に歯がゆかった。悔しかった。


(……侯爵の次期当主でありながら、なんと情けない)


 完璧でなければならないと言うのに、この有様はなんだ!

 そう苦虫を噛み潰したような顔で歩くアールグレイ。


 そして、ある部屋の前を通りかがったとき、ふと、啜り泣くような音が聞こえた。


(泣き声……か?)


 一瞬立ち止まったものの、すぐに頭を振る。

 幻聴だろう。たとえ誰かが泣いていたとして、事情を知らぬ他人が踏み入るべきじゃ――


「――なんで、わたしなんにみんな……期待、するんだろぅ……」


「……っ」


 少し開いたままの扉の先。そこから、弱弱しい少女の声が聞こえてくる。


(この、声は……)


 気弱で今にも散ってしまいそうな可憐な声音。いつもアールグレイに仕事を求める声だ。

 そんな彼女がいる部屋は、ある女子生徒の為に設けられた個室。そこでロミエは一人、ベットに縋って泣いていた。


 ――耳を閉ざせ。これは彼女たちの問題だ。欠陥持ちの自分には何も出来ないのだから。


 しかしアールグレイはその場から離れられなかった。そうしている間にも、少女の啜り泣く声が聞こえてくる。


「――わたし、何も出来なかった出来損ないなのに、みんなの期待、裏切っちゃうのに……たのしそう、楽しそう……楽しめる資格なんて、ないのに……」


「――期待させて、出来なくて、期待外れで出来損ないで何もできないわたしなんか、わたしなんか……わたし、なんか――」



――わたしなんか、消えちゃえばいいのに、ね。



「……っ」


 「ふへへっ」と乾いた笑いが響く。心からの笑いじゃない。けど、心の底から出た笑いだ。


「……そうだそうだ、消えちゃえばいいわたしなんか、居なくなれば迷惑かけないしそれ以上期待させないで済むんだ。…………ね、そう、思うよね。……そう、思ってる、よね…………ショル、さん」


(……どう、すればいい)


 先輩として何か声をかけるべきだ。

 否、そうしないと、きっとあの少女はどこか遠い所に行ってしまう。行き着いてしまう。そんな確信があった。

 なのに、目の前の扉を開くことが出来ない。ドアノブに手を伸ばしたまま、膠着してしまう。


(こういう時、どうするのが正解だ……どうすればいい……ッ)


 どれだけ考えても正解(答え)は見つからない。

 そんな自分が憎い。完璧であるには、なんでも完璧にこなさなければならないというのに!


(リーンハルト会長だったら……)


 きっとあの人ならば、優しい言葉で包み込み、安心させてあげられるのだろう。

 それに比べて自分は――アールグレイは開きかけた口を閉じ、手を放す。

 何もできない無力な自分が嫌だ。同時に、自分が無力だと理解している。それすら憎かった。


「……わたし、ね……魔術戦大会、行くんだ」


(……っ!)


 立ち尽くしていたアールグレイは目を見開く。


 まさかそれで――。

 棄権したアールグレイの代わりにロミエが選ばれたのは知っている。知っているし、それをリーンハルトに提案された時、アールグレイは何も言えなかった。


 棄権した手前というのはある。それに実際、ロミエの能力は一年生ながらずば抜けていた。

 生徒会の仕事一つにとっても、彼女は他の誰よりも早く正確。それでいて意欲もあった。

 そのうえ魔法書の研究や、全能の魔女と共に再生魔法の研究も行っているらしい。


 だが彼女はまだ一年生。そのうえ気が弱く、まだまともに目を見て話せないようなか弱い少女だ。

 心配。不安。彼女でいいのだろうか。ロミエはそれでいいのだろうか……と、心の中では思っていたのだ。


(それを私は言うべきだったのだ……ッ!)


 扉の先で一人の少女が泣いている。

 背負って背負って悩み悲しみ失敗し、それでも進もうと笑って、省みた自分を責め立てて……辿り着いた先が、同室の友達(ともだち)だったのだ。


「……ごめん、なさい。わたしばかっかり……ショルさん、また――じゃあ、ね」


 自分の失敗が、選択が、逃げが、不完全さが、今の彼女の絶望を生み出してしまったのだ――。


 コツ、コツ――と足音が近づいてくる。

 だがアールグレイは扉の前から動く気になれない。

 扉が開かれて、俯いていたロミエは前に佇む足を見つけて、ハッと顔を上げた。


「……へ。……えっ?」


「…………」


 目元を赤く腫らした少女がポカンと見上げ立ち尽くす。髪は乱れ、前髪も袖も湿っている。声の節々も揺らいでいた。


「ぁ……っぅ」


 サッと青ざめた表情で、青とエメラルドグリーンが織り交ぜられたその瞳に、薄く水面が張られる。

 放っておけるわけがない。自分よりも頭一つ二つ小さな少女が、こんなになるまで追い詰められているのだ。

 なにより、この後輩をここまで追い詰めさせた一端を、自分は担っているのだから。


「貴女を、そこまで追い詰めた責任は私にある」


「……ぅ、ぇ?」


「……申し訳ない。本当に──申し訳、ありませんでした」


 アールグレイが片膝をついて跪いた。灰色の髪の少女、ロミエを前にして。

 貴族として、ノレッジ侯爵家の嫡男として、〈叡智の家系〉アールグレイ・シュメリートとして……ロミエ・ハルベリィという少女に対する、最大限の謝意を示すために。

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