表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/88

プロローグ 苦い紅茶は目覚めの一杯

 〈全能の魔女〉ライラック・アシス・ツヴァイリムは、若くして上級魔術師となり、様々な魔術を使いこなせる天才少女である。

 その実力は15歳にして大賢伯に選ばれるほどの逸材。

 第一王子の護衛を任されていることから、国王からの信頼も厚いとされている。


 しかし、彼女もまた人間。

 〈全能〉の二つ名を持っているライラックだが、明確な弱点があった。


「ライラ様、もうすぐ朝食の時間になりますよ」


「んん……もぉ、ちょっぉぁけぇ……」


 もぞもぞ……とシーツに包まろうとするライラック。

 大賢伯としての威厳はどこへ行ったのやら。とはいえ、優秀な侍女であるハルヤにとっては毎日のこと。


「ダメです。起きてください」


 有無を言わさず力ずくでシーツを引っぺがすと、ライラックは「むにゃむにゃ……」と目擦りながら体を起こす。

 そしてボンヤリと垂れた瞳をハルヤに向けると、ハッと目を見開いて視線を左右に彷徨わせた。


「ぉ、おっ、おはよう……ハルヤ」


「おはようございます。ライラ様」


 モジモジと指をこねる少女こそ、ハルヤの主人。ライラックは朝が弱い。ヨワヨワなのだ。

 ハルヤは優しく笑いかけながら、用意していた紅茶をカップに注ぐ。もちろん、ハルヤお気に入りの苦い茶葉だ。

 これにはライラックも口をへの字にする。朝イチから苦っが紅茶を飲まされるなんて!

 しかし、その不満を声に出すことは無い。


「目覚めの一杯です」


「……ぅ、ん」


 ニコリと差し出すと、ライラックは渋々と言った様子で受け取る。昼間なら「砂糖を持って来なさい」と言うだろうに……。

 寝起きの彼女は、苦そうに顔を歪めながらも飲み切った。


「お味はどうでした?」


「に、にがい……でしゅっ……」


 まだ朝で呂律が回らないのだろう。顔を赤くするライラックからカップを受け取ると、ハルヤはベットの脇に置いている本を取る。

 それをライラックに手渡すと、すぐにベットから離れた。


「では」


 一礼し、備え付けられてある厨房で食器を洗う。

 もう慣れたが、やはり水道というものは便利だ。近年では大公領でも敷設が進んでいるらしいが、完全普及にはまだ遠い。

 故郷に残してきた弟妹達を懐かしんでいると、隣の部屋から控えめなライラックの声が聞こえる。


 ハルヤを呼ぶ声ではない。小さく、小声で紡ぐようなその(うた)は魔術の詠唱。

 長い長い詠唱だ。圧縮や短縮無しの、長大な魔術式を途切れることなく唱えていく。


 ハルヤには理解できないが、きっと途轍もなく難しい魔術なのだろう。

 その声が聞こえなくなった頃合いを見計らい、ハルヤは部屋へと戻る。


 つい先ほどとは打って変わり、堂々と背筋を伸ばして本を片付けるライラック。


「それでは、お着替えをはじめますね」


「えぇ。あ、その前に、この髪をどうにかしたいわ」


 「変に寝癖がついてしまいましたの……」と手櫛で軽く流してみるも、そこらかしこでクルリンと弧を描いた髪は直らない。

 ライラックは真っすぐとハルヤを見て、貴族令嬢らしく堂々とした口調で言う。


「ハルヤ、櫛を持っているかしら?」


「もちろんです。それと、別の茶葉を用意して入れてきました」


「……苦い茶葉じゃないでしょうね」


 ジロリとジト目で睨んでくるライラックに、ハルヤは威勢よく返事をしながら椅子を用意する。

 促されるまま、ライラックはそこに腰掛けながら紅茶を口にした。

 すると――舌がギュッとなるような刺激と共に、強い紅茶の香りが口いっぱいに広がった。朝一で飲んだものよりはマシだが、苦いものは苦い。


「…………ハルヤ、砂糖を」


「髪を梳いていますので、少々お待ちください」


 なるほど、それが狙いだったか。思えば、毎日似たような手法で紅茶を飲まされている気がする。

 ライラックはこれ以上飲む気にもなれず、手を下ろした。そして、視線だけ後ろのハルヤに向ける。


「なんで毎日、まいッにち……苦い紅茶を勧めるのかしら??」


「苦い紅茶を飲むと早く目が覚めますので、ハルヤのお気に入りの一杯なのです」


「好みの強制は逆効果に……というか、妾が甘党なのを知ってるでしょう? 嫌がらせのつもりなら――」


「違います」


 ハルヤはそう言うと、一瞬手を止める。

 本当に一瞬だ。すぐに櫛を動かし、ライラックの髪を優しく梳かしていく。


「目覚めの一杯。早く目を覚ますための、一杯です」


「……そう」


 やっぱり、ハルヤは譲る気が無いらしい。

 ライラック自身も朝が弱いことは自覚している。


 だがそれは一瞬だ。

 《《ちゃんとトレースし終われば》》、ライラックは大賢伯〈全能の魔女〉として無様な姿は晒さない。


(苦い紅茶なんて、必要ないのに)


 まったく頑固な侍女だ。

 けれど、それはそれとして彼女はハルヤの事を信用している。信頼しているのだ。


 そうしているうちに、クルクルの寝癖を整え切ったらしい。


「では、砂糖を持ってまいります」


「……えぇ」


 そう言って背を向けるハルヤを見送り、ライラックは手元の紅茶をもう一口。


「にがっ……」


 深い赤色の液体が下に触れた途端、ギュッとなるような刺激。同時に強い紅茶の香りが口いっぱいに広がり、喉にこびり付いた。

 こんなの、なにが好きで飲みたくなるのだろう。朝一でこんなものを飲んでしまったら、一日の始まりが最悪な味覚でいっぱいに満たされてしまう。


(……けど)


 再び、手元のカップを覗く。

 いくらか飲んだものの紅茶の赤い水面は張っていて、まだ半分以上残っている。


「…………っ」


 ふっと意を決し、思い切って飲んでみる。


 ――苦い。


 けれど吐き出す程じゃない。

 それに確かに、いくらか残っていた眠気は、紅茶の苦さと共に飲み込まれていった。


「砂糖をお持ちしました」


 その時、砂糖の箱を持って戻ってきたハルヤは、水滴が残るカップを見て目を見開く。


「っ! ライラ様、ついに苦い紅茶の良さがお分かりに……っ?」


「えぇ……眠気なんて、無くなるくらい苦かったわ」


「それでは明日はもっと苦い茶葉を使って……」


「ぜったいッ、やめなさ――いッ!!!」


 早朝、女子寮の最上階にある一室にて、少女の嘆きが響く。彼女にはもう眠気なんて微塵も残っていないのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ