閑話 忘れ去られたマイト・ランツの行方
「や、やっと出口だ……!」
大地の揺れが収まった頃、続く水道の先に光を見つけたマイトは駆け出した。
(崩れないでくれよ……っ)
アーチ状に積まれた石畳を睨むも、頑丈な造りのおかげか崩れる様子は無さそうだ。
光の先は町中を一段低く流れる小川だった。小さな橋もあり、その横に階段がある。
マイトは目を細めながら、顔をのぞかせて地上の様子を覗いた。
先程までの揺れのせいで、そこらかしこに花瓶が落ちており、中の土や花を周囲にぶちまけている。
それだけじゃない。いくらか窓ガラスも割れていたり、建物間に吊るされた洗濯物も多くが散らばっていた。
それ以上に、街の人々の混乱は凄まじい。
自体を飲み込めず、右往左往とする人や腰を抜かしてしまう人、幼子は泣き出してしまっている。
(あいつら、何したらこんな事になんだよ……ッ)
白い少女と無口の男を頭に浮かべつつ頭を捻るも、明確な答えは思い浮かばない。
マイトは〈深紅の魔術師〉ルディアスの仕業とも知らず、とりあえずニヒリアと合流するべく動き始めた。
何が出来るかは分からない……それでも、死んだ妹に似たロミエの為に、少しでも力になりたい。マイトはその一心で石畳を踏みしめた。
学園は街の北側に位置している。そのさらに北方から流れる川が通ってきているから、川上に進んで行けば学園付近まで行けるはずだ。
その時、ちょうど進行方向の上空を飛翔し、去っていく二人の人影が見えた。表情までは見えないが、小柄な方――エルベンスが白髪を揺らし、ダクティリオスに抱えられている。
もう事は済んだのだろうか?
だとしたら……なんて自分は足手まといなのだろう。
「……っ」
一度は先輩面をしたのに、死んだ妹と重なる少女にすべてを任せてしまうだなんて、なんてザマだ。
その焦燥を振り払うように、マイトは強く地を蹴り駆ける。
彼は現在「行方不明」という立場だ。見つかると色々面倒だし、これまで人目を避けてきた。
けれど、今はつべこべ言っている場合じゃない。
次の階段で上に行こう――そういを決したその時、足が宙を蹴り、体がクルリと一回転する。
「は、へ?」
「ぎっひひっ、びっくりしたですか?」
体が宙に浮いている……いや、風によって持ち上げられていることに、マイトは呆然と目をパチパチとさせる。
そんな彼に無が着な笑みを向ける少年は、ヒョイと手を一振りした
すると、二人の体は鳥の様に空へと舞い上がる。
「ひ、飛行魔術……!?」
飛行魔術はとても高度な技術だ。刻一刻と変化する風の向きや態勢、座標を計算して、正確に風を送らなければならない。
上級魔術師でも習得できていない人も少なくなく、使えるというだけで一種のステータスになる技術だ。
「ビューんって飛んでいくですので、舌噛まないようにです」
そう言うと、少年の白い髪が揺れた。同時に、学園に背を向けて飛び去ってしまう。
「な、ちょ……っ、どこ連れてくんだ!?」
「人間さん人間さん、あるじの奴隷になってもらうですよ」
「は……?」
「おめでとうです! ぱちぱち!」と能天気に手を叩く少年に、奴隷宣告されたマイトは困惑しつつも問い詰める。
「だ、誰だよそのあるじって……ってか、そもそもお前はなんなんだよ」
短く切った白髪の少年は、有無を言わさずマイトを攫った。飛行魔術の技術もさることながら、「奴隷にする」と宣言したくせ、パチパチと手を鳴らしておちょくってくる。
不満をあらわにするマイトに対し、少年は「ぎっひひ」と特徴的な笑みを浮かべて告げた。
「ボクはボクは、風の上位精霊ラルクロイコ・ケファレンスです」
そう言ってクルリと身を翻すと、少年は灰色の翼を持った白い鳥へと変身する。
「な……っ」
マイトは目を見開き、ポカンと口を開いた。
上位精霊は滅多に見ることができない存在だ。状況次第では、大賢伯ですら凌駕する力を持っている。
それが目の前にいるのだ。
「あるじとは会ってるですよね?」
そう問われたマイトは、慌てて首を横に振る。
上位精霊と契約している人間なんてそういない。そんな大物とあっていたら、流石に覚えている。
「そ……その、あるじっていったい……?」
「私です」
不意に、マイトの襟を誰かにガシッと掴まれた。
顔を上げると、特徴的な深い赤髪が見える。短く着られた後ろ髪に対し、前髪の左サイドに長く垂れた三つ編み。
紳士の装いを着こなしたこの人物を、マイトは知っている。
「あんたは……情報屋の……っ!」
忘れもしない。マイトを通じて王子暗殺の場を整えさせ、みかえりとして第一王子とその周辺の情報を調べてくれた人物だ。
彼は慣れた様子で、ラルクロイコと名乗った上位精霊が操る風の中に入る。それと呼応したように、一気に加速した。
「まさか……あんたが、この精霊と契約してんのか?」
「えぇ、それ以外に考えられないでしょう? 私の名はルディアス・リース。〈深紅の魔術師〉と名乗ったほうが分かりやすいでしょうか」
〈深紅の魔術師〉ルディアス・リース。
人類で唯一、異なる属性の適性を持ち、精霊王召喚を使える隣国の天才魔術師だ。魔術を学ぶ以上、突如出現した天才の名を知らないはずがない。
なぜこんなところに――そんなの、第一王子の暗殺に決まっている。
あの地響きも〈深紅の魔術師〉の仕業と考えれば、納得できる説得力があった。
そんな天才が、マイトを雑用係と称して襟をつかみ、奴隷として誘拐しているのだ。
「……ま、まさか、人体実験の被検体に!?」
魔術師としても人としても、平均的な能力しかないマイトが天才の役に立とうと思ったら、それくらいしか思い浮かばない。
ロンド王国でも研究施設でも募集しているし、それが他所の国の人間なら、なおさら危険な実験に付き合わされるのではないか……?
死なない程度に魔術の実験台にされる未来が見え、マイトは顔を真っ青にする。
「そんな非人道的な事、いかにも紳士らしい私がやると思います?」
「ですです。野盗数十人に囲まれても、魔術無しで返り討ちにできるあるじが、わざわざ被検体なんて攫わないですよ」
「……ラル。その言い方だと、まるで倒した悪党共を無理やり実験台にしているようではないですか。誤解を生む発言はやめなさい」
「ゴカイ……見てきたままを言ってるですよ?」
キョトンと鳥頭を傾げる様子から、からかっているわけではないらしい。
魔術師の弱点は接近させることだ。詠唱する時間を与えなければ、たとえ精霊王召喚が扱えてもただの人間と変わりない。
(この人、魔術以外も極めてんのか……?)
人類でただ一人、二つの属性に適性を持ち、それぞれの精霊王召喚を同時に行える天才。それに加えて、接近戦も強いときた。
「一度役所を通しているの事です。私的にやったら、糾弾されるに決まっているではありませんか」
返り討ちにしたことを否定することも無く、さも当たり前かの様に言う。
「弱いくせに、身の程も知らず掛かってくる方が悪いのです。安心しなさい、実験体にするつもりも拷問するつもりもありませんよ」
「なら……なんで、俺なんかを連れてくんだよ」
「これから色々と忙しくなるのです。なので雑務をこなせる奴隷……手駒が欲しい」
「い、いま奴隷って……」
マイトの嘆きに、ルディアスはニコリと黙殺して続ける。
「マイト・ランツ、あなたは既に死んだ身分でしょう? なら勝手に連れて行って手駒にしても文句は言われません」
そこにマイトの意志は無い。
かといって、ここで暴れようものなら地面に真っ逆さまである。そもそもシュヴァルツェン王朝が誇る天才魔術師であるルディアスに反攻できるわけが無い。
「……なんで、わざわざ手駒が必要なんだよ。あんたの目的は第一王子の暗殺だろ? 精霊王召喚で不意打ちすれば、そんなのいくらでも――」
「妨害されたのですよ。おそらく貴方の契約者と……これ以上、説明はいりますか?」
「…………」
マイトの沈黙に、ルディアスは満足そうにうなずいた。
「言う必要はありません。どうせ口止めされているんでしょうし。それに、本題は別にありますからねぇ」
ルディアスはそこまで言うと、ラルと呼ばれた上位精霊に「もっと速度上げなさい」と指示する。
「……本題、っていうのは?」
「私はもうすぐパパになるのですよ」
「…………は?」
「育児で忙しくなりますから、国からの雑事なんてやってられないでしょう?」
超絶個人的な事情である。
呆れ半分、「そんな事で誘拐されんの、俺……?」という気持ち半分で唖然とするマイト。
「安心してください。私にしか出来ない事案までは任せませんし、短期間で使えるようにしますので」
「使えるようにする」それは言わずもがな、マイトのことである。
「育児の片手間、特訓メニューを組みます。深紅の魔術師が直々に指導するのですから、心の底から感謝なさい」
「……ま、まさか、今向かってんのって……連合王朝……?」
マイトが口端をピクピクと痙攣させながら問うと、ルディアスは心からの笑顔を、その整った顔に張り付けた。
「マイト・ランツ。貴方はこれから私の奴隷……おっと、弟子としてよろしくお願いいたします」
「……拒否権は」
「おやおや、私は弟子をそんな愚か者に育てた覚えはありませんがねぇ?」
ニコリと笑うルディアス。どうやら、マイトに拒否権は無いらしい。
それどころか、人権……あるのかな。なさそうだ。
(すまねぇ、ハルベリィさん……)
力になると言ったのに、マイトは何も出来ないまま役立たずだった。
ロミエの友達を助けたかったのに迷子になった挙句、何も伝えられず国外に連れていかれている。
何もできない、出来損ないだ。
マイトはチラリと、顔を後ろに向ける。もう王都の外縁を囲う城壁が見え、遠ざかっていくところだ。
――もう、こんなところまで来たのかよ……。
上位精霊の底なしの魔力量。そして三人を同時に飛ばせる魔力操作技術に戦慄していると、彼の襟がグイッと引っ張られた。
ルディアスがマイトを覗き込むように、その赤い瞳を細めている。
「マイト・ランツ。お前は役立たずの無能でいてぇのか? あぁん?」
「……っ」
丁寧な口調はどこへ行ったのか。ルディアスは喧嘩腰で胸倉を掴み、マイトを睨み込む。
「妹を守れず、契約者の役にも立てねぇ今のお前なんかに、価値なんて無ぇんですよ。そのままずっと地に這いつくばっていたいのですか? 何も成せない何もできない、口先だけの愚か者のままでいたいのかと聞いている」
「……嫌だ…………です」
フルフルと首を横に振る。その答えにルディアスは、「そうですか」と掴んだ腕を下ろした。
「ならば前を、前だけを向きなさい。何もしてこなかった愚か者風情が、振り返る時間ほど無駄なことはありませんからねぇ」
そう言ってルディアスは手を放す。
「落ちたければ落ちなさい。もし付いてきたいのなら、風に乗ったまま前を向いてジッとしていろ」
「……わかった…………っす」
マイトは恐る恐る姿勢を整え、ラルの操る風をその身に受けながら、顔を上げる。
陽に向けて連なる山脈が右手に見える。所々雪化粧をしていることから、王都の北方にある山脈だろうか。
シュヴァルツェン王朝は、ロンド王国の北方――大公領がある高原のさらに先に連立する北の山脈の向こう側に位置している。
北の大地は氷の精霊新ボレアーネの影響により極寒であり、緑が少ない。そして、ロンド王国よりも精霊神信仰が深く深くに根付いた、複数国家の連合王朝である。
山脈を超えるべく、三人はさらに高度を上げていった。
(……もう、帰って来れないのかもしれないのか)
一瞬の恭順がマイトに突き抜けて、ビクリと体を震わせる。
マイトに家族は居ない。
両親は幼い時に事故で亡くし、情けで孤児院から引き取られた妹のマイカも、亀裂に飲まれて死んでしまった。
天蓋孤独の身。ロンド王国に残してきた未練は無い。
……いや。1つ、心残りがあるとすれば……。
脳裏に浮かぶのは、黒っぽい灰色の髪の少女。
彼女なら──それこそ、〈深紅の魔術師〉を退けられるくらい強いなら、マイトが気にかける必要も無いだろう。
「っ…………」
振り返りそうになるのを堪えて、マイトは前を見る。
ロミエの心配よりも、マイトは自分の事だけでさえ手一杯なのだから。
マイトはギリリと奥歯を噛み締める。
それでも振り返ることは許されない。前を向いて進むしか、深紅の魔術師の命令に従うしかないのだから。




