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【2-27】そのコーヒーは逃げるため

 一人の朝を堪能した後、ロミエはキルトエと共に二人で食堂へ行く(アナスタシアは起きなかった)。

 けれど、正直ロミエは食欲が無かった。キルトエは何でも奢ると言ってくれたけれど、そもそも食べたい物が無い。


「うーむ……ならば、勝手に選んできても良いか?」


 首を横に振ろうか――とも考えたけれど、これ以上気を遣わせるわけにはいかない。フンフンと頷き、ロミエは適当に端っこの席を見つけて座る。


 朝一という事もあって、食堂に人影は少ない。

 そもそも、王都出身の生徒たちは一時的に帰省させられているので、残っている生徒の多くは地方出身の者ばかりだ。


 だが、そんなのロミエには関係ない。灰色の世界に、そんな情報なんて必要ないのだから。


「お待たせなのだ!」


 空いているからか、意外と早くキルトエがやって来た。


(……あれ、キルトエさんにしては、少ない)


 持ってきた木製のトレイには、水以外にサンドウィッチが5つほどしか乗っていない。


(いつもはもっと食べているのに、どうしてなんだろう……?)


 ロミエが目をパチパチさせていると、キルトエは一瞬困ったように黒曜石のような瞳をクルリと回して曖昧に笑う。


「実はな、我もそんなにお腹が空いてないのだ」


「……はあ」


 なら食べなくていいんじゃ――という言葉を、ロミエは飲み込む。

 「好きなの取っていいぞ!」と言うので、適当に一番近くのサンドウィッチを取った。

 四角形の白いパンの間に緑と赤の野菜が挟まれていて、その端を小さく齧る。


(……味がしない)


 モソモソと虚無に食らいつく。シャキシャキプチプチとした食感が広がって美味しいのに……美味しい、はずなのに……はずだったのに。


 半分ほど食べて、あとは水で無理やり押し込んだ。

 これ以上はいいかな――なんて思っていると、三つ目のサンドウィッチに手を伸ばしたキルトエが、不意にポツリと言葉を零す。


「……無理には、聞かないのだ。でも、ボクはいつでもロミエの味方だぞ」


「……へ」


 ポカンと口を開くロミエに、キルトエは優しく眉を下げて微笑んだ。


「友達、だからな!」


 キルトエだって、聞きたい事や知りたい事、疑問に思うことだってあるはずだ。

 筆記が出来ても実技が全くできなかったロミエが、いきなり実戦で魔法書を使いこなしたのだ。疑問に思わない方がおかしいし、微笑みを浮かべるキルトエに、多少ぎこちなさがあることくらいロミエには分かる。


 なのに、「友達だから」と言い切る彼女はどこか吹っ切れたようで、清々しい。


 ロミエは……自分には、その〈ともだち〉に含まれる資格があるのだろうか。シアもずっとベットから出てこないし、ショルは意識を失ったままなのだ。他でもない、ロミエのミスのせいで。

 自然とロミエの視線が落ちてしまう。キルトエの言葉に正面から答えるのが怖かった。色んな事情を省いてまで受け入れようとしてくれる彼女の姿が、とてもとても眩しく見える。


「…………はい」


 彼女の善意に、ロミエは俯いた呟きで返すしかできない。

 そんな自分が嫌だ、嫌いだ、惨めで醜くて不甲斐なくて……さらに首の角度が深く落ち込んでいく。


「……ちょいっ」


 不意にキルトエがロミエの跳ねた髪に触れた。

 そういえば、結局櫛を買っていなかったし、ショルもいないので寝起きそのままの髪だ。長く伸びた黒っぽい灰色の髪はいたる箇所が跳ねていて、特につむじの辺りからピョコリとアホ毛が生えている。


 キルトエは、そのアホ毛を猫じゃらしに見立てて「ちょいちょいっ」とつついていたのだ。


「へ……?」


 意味が分からず、ポカンとロミエが顔を上げると、手を伸ばしたままのキルトエと目が合った。


「あ、あのぅ……」


「あーっと~……面白くってつい、な。……もうちょっと、遊んでもいいか?」


「……は、はあ……」


 ロミエは言われるがまま頭を下げて、キルトエにつむじを向ける。

 ツンツンと触れるたびにアホ毛は揺れて、指に優しく絡めて見たり、押して倒して反発したり……想像以上にアホ毛は手ごわい。


「…………」


「…………」


 食堂の端っこで、頭を下げた女子生徒のアホ毛をつついて遊ぶ光景が繰り広げられる。


 キルトエが飽きるまで、その珍妙な状態は続いた。

 首筋が痛くなりはじめた辺りで、そろそろ顔を上げたい――と、ロミエは心の底から願うことになるのであった。



***



 ロミエはサンドウィッチをもう一つ食べたあと、キルトエと共に生徒会事務室に向かった。

 朝早いから、まだ空いてないかも――なんて思いながらノックをすると、「どうぞ」と声が返ってくる。


「……失礼、します」


 恐る恐る扉を開けると、事務室には既にアールグレイがいた。彼もついさっき来たようで、部屋の鍵を壁にかけているところだった。

 席についたロミエは、すぐさま書類に目を通していく。


 どうやら会計資料の監査らしい。二度手間にはなるが、間違えていたら問題になるので必要な仕事である。

 この世界を創り出しただけあって、ロミエ(ニヒリア)の計算能力は抜群だ。魔術や魔法を構築する際にも、座標計算などで暗算が必須である。


 一つ一つの資料の数字を計算し照合させていくが、会計資料にはほとんどミスが無かった。

 アリストリア学園は優れた魔術師を多く輩出してきた名門とだけあって、会計を任される生徒はそうそう計算ミスなんてしない。


 それでも、ロミエは真剣に一つ残さず会計結果を再計算して記録していく。

 休憩なんていらない。作業をしている間だけは他の事を考えなくて済むのだ。この時間だけ、他の事を忘れられる。


(これは――――合ってる。これ――あ、ここ違うから直して次——合ってる。次これは――――)


 終わったら次、終わったら次、とにかく何かしていないと落ち着かない。そうでないと、もう気が狂ってしまいそうだった。

 そんな調子で作業を続けていると、ロミエはものの数時間でその日任されていた書類を全て終わらしてしまうのであった。



──────────



「なにか仕事……ありません、でしょうかっ」


「……もう、終わったのか?」


 アールグレイが怪訝そうな顔で問うと、ロミエはコクコクと頷く。


(普段より少なめだったとはいえ、一日分をこの時間で終わらせるとは……)


 正直とてもありがたい。庶務や会計の仕事が一段落し始めた今、監査の仕事は増えるばかりなのだ。

 元より、マイト・ランツが行方不明になって一人少なくなっている監査部では、慢性的に人手不足。さらに、先の黒霧で半数以上の生徒が復帰できていない。


 そんな中、仕事が早くミスも殆ど無いロミエの復帰は吉報である。事実ロミエは、昼前までに1日分の仕事を終えたのだ。


「か、会計の方々が、とても正確だったので……他の仕事、したいです」


「…………わかった」


 アーリグレイも、本音では「ダメだ」と言いたい。しかし、言っても聞かないのは知っている。

 彼女はいつものようにオドオドと目を合わせられず泳いでいるが、心なしか伏せられていた。


 帰って休むべきだ──そう伝えるべきだと頭では分かっているのに、ロミエに告げることが出来ない。


「では……この束を頼む。魔力濃度に関する報告書と、実測値の資料と照合してもらいたい」


「はい……っ」


 ロミエは書類を受け取ると、すこし顔を明るくする。しかし、青みがかった緑色の瞳に差している虹彩は、静かに揺らいでいた。


「ぁ────」


 去っていく小さな背中に声をかけようとして、アールグレイは口を閉じる。


(いやいや、たかがいち生徒を気にかけすぎるのはいかん。不公平だ)


 首を振るアールグレイ。

 しかし……それは、この選択は先輩としてあるべき姿なのだろうか? 先輩として、かけられる言葉くらい持ち合わせていないのか?


(……何もしない。そんな先輩で良いのか? アールグレイ・シュメリート)


「…………」


 アールグレイは腰を浮かせる。だが、かけるべき言葉が見つからない。


 事情は聞いている。助けるためだったとはいえ、ロミエは自らの手で友人の意識を失わせてしまったのだ。


 どんな言葉をかけたとしても、それは表面を優しく撫でるだけ。たかが他人、たかが先輩後輩の間柄。友人でもなければ何も知らないし、興味もない。

 そんな人間の言葉で、いったい何が変わるというのだろう。


 そうこうしているうちに、書類を受け取ったロミエは机に戻って、黙々と作業を開始する。キルトエが話しかけるものの、ぎこちなく笑いを返して作業を続行した。


(私は……先輩として、彼女に何ができるだろうか)


 そうだ――席を立ったアールグレイは、そのまま生徒会事務室を後にする。


 向かった先は、貴族の使用人たちが扱う厨房。慣れた手つきでポットのお湯を沸かし、カップを用意した。

 アールグレイ・シュメリートは由緒正しきノレッジ侯爵家の直系だ。そんな高貴な人間が、わざわざここに来ることは無い。


 しかし、彼は個人の趣味としてコーヒーを嗜んでいる。

 忙しい時は使用人に頼むことはあるが、自分好みの淹れ方にこだわりがあるので、極力自分で淹れるようにしていた。

 置かせてもらっている鍵付き棚から、専用のドリッパーや紙のフィルターを取ると、一度湯通ししてからカップに乗せる。


(あぁ、先の事件では王朝の魔術師も居たらしいな……)


 アールグレイが行っている淹れ方は、シュヴァルツェン連合王朝で開発された方式だ。これらの道具も、多くが輸入品である。


(……道具に罪はなかろう)


 アールグレイは粉末状に砕いたコーヒー豆を紙のフィルターに乗せて、お湯を注いで2分ほど濾す。そしたら黒い液体がカップに溜まるので、いまだ水滴が落ちるドリッパーを別のカップへ離す。

 最後に、温めておいたミルクを注げば、誰でも飲みやすいミルクコーヒーの出来上がりだ。


「…………」


 一杯のコーヒーが乗ったトレイを見て、アールグレイは思案する。


 まだ陽も登りきっていない時間帯だが、生徒会室には何名か作業に来ていた。

 そんな中で、ロミエ1人にだけ持っていくのは不平等ではないだろうか?


「……人数分作るか」


 アールグレイは大きなトレイを用意して、人数分のカップを用意するのであった。



──────────



 ロミエは渡された書類と資料を見比べながら、地点ごとの魔力濃度について照合していた。


(やっぱり、重症化するギリギリ手前まで魔力濃度が上がってる。けど、それ以上には上がってない……)


 うっすらとは聞いていたけれど、本当にギリギリだったんだ──と、ロミエは固唾を飲み込む。〈黒霧〉という魔素の塊がそのまま直撃していたら、意識を失う程度では済まなかったかもしれない。

 しかし、記録されている魔力濃度は致死量をなんとか下回っている。

 とはいえ、それでも被害は甚大だ。


(街での騒動に出くわしていた間に、こんな事が起こってただなんて!)


 学園は再開できるのかな……そんな不安に駆られながらも、手だけは素早く動かして、ロミエは確認作業を続ける。


「────、──?」


 後ろで誰かが話しているようだけれど、ロミエは「わたしには関係ない」と切り捨てて、黙々と数値の照合し続けた。


 そうしていると──不意に、嗅いだことのある甘い香りが鼻腔をつつく。

 スンスンと鼻を揺らして、「金木犀かな……?」なんて思案していると、右側にカチャリとカップが置かれる。

 カップに揺れる水面は温かみのある黄土色で、うっすらとコーヒーの香りがした。


「……?」


 ロミエは目をパチパチさせ、引いていく腕の軌跡を辿っていき──その目を見開いた。

 そこに居たのは紫がかった銀髪の青年。見上げるほどの長身で、左目にかかった前髪が特徴の、監査長のアールグレイだ。


 彼はビックリして固まるロミエをよそに、隣に座るキルトエの元にもカップを置いた。


「コーヒー! わざわざありがとうございますなのだ!」


「うむ、程々に頑張るように」


 キルトエにそう告げると、彼は一瞬ロミエに振り返ったと思ったら、すぐに視線を戻す。

 どうやら、事務室にいる全員にコーヒーを淹れてきたらしい。


(て、手伝った方がいい……のかな……)


 でも、邪魔って思われるんじゃ──なんて思っているうちに、アールグレイは全ての席を周っていく。

 副会長席に座るキャンディへ何かを伝えたあと、出口へと向かいたい出する。その扉が閉じる寸前、アールグレイの深い紫色の瞳と目が合った────ような気がした。


(も、ももっ、もしかして怒ってる!? 言うこと聞かなかったから……だよね、絶対そうだよぉぉぉ……ぅっ)


 ロミエは頭を抱える。先輩にコーヒーを淹れてもらったのに、ロミエは半ば無視してしまったのだ。

 彼は由緒正しき貴族、それも侯爵家の嫡男だ。規律や礼儀に厳しい彼が、ロミエの無礼に憤っているのかもしれない。


 だからあんなに視線を向けてきてたんだ──机に突っ伏したくなるのをどうにか堪え、置かれたカップを見る。

 青いアイリスの装飾が施されたカップには、黄土色のミルクコーヒーが入っていた。ちろちろと揺らめく湯気。街のカフェで嗅いだ匂いが優しく広がる。


(飲まないのも……失礼、だよね)


 ロミエは恐る恐る取っ手を掴み、口に含む。


「あちっ……」


 ミルクティーは想像以上に熱かった。ロミエは猫舌ではないけれど、火傷しそうな熱さでは流石に飲めない。


(とりあえず、冷めるまで仕事をしよう)


 邪魔にならないように机の奥に移動させて、再びペンを手に取り作業を開始する。

 いくつか紙の束を処理して、頃合いを見て再び口に運んでみた。


(っ、おいしい……っ!)


 少しぬるくなってしまったけれど、それでもコーヒーとミルクの風味が綺麗に折り重なって、まろやかな味わいが口いっぱいに広がった。同時に、頭がふわっとサッパリして鮮明になる。


 コーヒーを飲むと人の意識を覚醒させる──なんて与太話があるのはロミエも知っているが、この事を言っているのかも……。

 事実、次に取り掛かった書類は今までよりも早く片付いたし、心なしか集中力も増して没頭しやすくなった気がする。


(楽しい……な。うん、楽しいっ)


 事務作業をしている間だけ、ロミエは現実を忘れられる。

 辛い現実から目を背けるのは悪いことだとは分かっているけれど……対峙するのはもう疲れたのだ。


 少しくらい現実逃避したっていいじゃないか。その過程で作業が進み、みんなの役に立てるなら──期待に応えられるなら、なんて幸せなことだろう。


(……そうだ、期待されてるんだ。シュメリート監査長もコーヒー持ってきてくれたし)


 アールグレイは、落ち込むロミエに同情も否定もしなかった。ただ、仕事(逃げ道)を与えてコーヒーを持ってきてくれただけに過ぎない。

 だけれど、ロミエはそれが嬉しかった。


(お仕事……してもいいんだっ)


 現実から目を背け、ロミエは仕事へさらに没頭する。

 他の人なんて見えない。目の前にある書類と、ぬるくなったコーヒーカップだけを視界に入れて作業にのめり込む。


 ふとした時にコーヒーを飲めば、まろやかな味わいが口いっぱいに広がった。そうすれば、さらに集中力が増していく。

 それで良いと、仕事にのめり込んでしまっていいんだと……逃げてもいいんだ──と。そのコーヒーが教えてくれたのだ。


(あとでお礼、言わないとっ)


 ロミエはずっと誰かから貰ってばっかり。

 この世界を創ったニヒリアで魔法も無詠唱で扱えるのに、一人じゃ何も出来ない。

 世界に欠陥が無かったら、亀裂に怯えることも悪魔に怯えることも、身体の障害に悩まされることもなかっただろう。


 それに……もし最初の襲撃の時に刺客の二人を殺しておけば、ショルが傷つくこともなかった。

 神界から追放された元創世神なんて、何も出来ない役立ず。


 そんな出来損ないな自分は、皆にいったい何を返せるというのだろう……?


「……っ」


 駆られた焦燥を、ロミエはカップの底に少しだけ残ったコーヒーと共に飲み干した。


(……がんばろっ)


 そのコーヒーに背中を押されるようにして、ロミエはまた作業に集中するのであった。



【ただのロミエの世直しごと――だってわたしは出来損ない――】

〈第2章 学園生活編 完 〉

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