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【2-26】灰色の世界

 チチチ――


 東の果てに連なる山々の縁から陽が昇り、窓辺に茂る街路樹に留まる小鳥たちを照らす。その囀りが、ロミエに朝を告げた。


「……ん」


 ここはどこだろう――触れる服の感触はサラサラとしていて、身をゆだねるクッションの反発はとても柔らかかった。

 これは留置場で渡された簡素なシャツじゃない。キルトエがくれた、おさがりのパジャマだ。良いウールを使っているのかサラサラと肌触りがよくて、熱を留めてくれるので温かい。


 目を開けると、オーク板の天井が見える。少し顔を横に動かせば、落下防止用の低い柵があった。ここは二段ベットの上。手すりのような柵の隙間から、向かい側にも同じ二段ベットが見える。


(そっか、許されたんだ)


 ここは寮の四人部屋。留置場の狭い一室じゃない。

 二段ベットが四隅に置かれ、勉強机や本棚、真ん中には緑色のカーペットが敷かれている学生寮である。


 ロミエは帰ってきたのだ。


 未だに実感が湧かず、ロミエはぼんやりと天井を見上げたまま、事の推移を反芻させていく。



***



 ロミエはショルトメルニーャを助けるために、禁術の一つにあたる〈再生魔法〉を行使したため、つい一昨日まで師団本部の留置場にて捕らえられていた。


 事が事だったとはいえ、禁術の使用は死刑もしくは無期懲役――そう覚悟していたのに、一週間後くだされたのは無罪放免。

 釈放されたロミエを待っていたのはキルトエ。彼女は、ずっと俯いているロミエに、沢山励ましの言葉をかけてくれた。


 気にしていない――という意思表示なのか、キルトエは異様に明るく元気よく接してくれるし、救出されていたらしいアナスタシアをも巻き込みながら、積極的に話しかけてくれた。

 シアと共に服を着替えさせられたり、食堂でごはんを食べたり、湯浴みに連行されたりして、その日は終わる。


 翌日、ロミエは色んな人に頭を下げに行った。


 まず生徒会。

 生徒会は人員の多くが魔力中毒で未だ寝込んでおり、一般会員はともかく各部門長たる役員のうち二名も欠席しているということで、色々と手が回らない状態だったのだ。


 なのに、監査部の上司たるアールグレイは頑なに仕事復帰を認めない。

 曰く「心身共に疲弊している状態では、出来る仕事もままならんだろう」とのこと。


 そんな事ないです――と言っても、目元に深い隈を刻んでいて、尚且つビクビクといつにもまして挙動不審なロミエに、アールグレイとしても仕事をさせる気にはならなかった。

 それでも粘り強く頭を下げた結果、翌日からの復帰で折り合いがつく。


 その後、研究棟にいるハイドセージの所に行った。

 相変わらず研究を続けているハイドセージから、生徒会の先輩でもあり研究室の先輩にもなる三年のニコ・リシュリューも、先の黒霧で魔力中毒になっていた話を聞いた。

 とはいえ、ここ数日で意識は戻って体調も回復傾向らしいので、ハイドセージは特に心配していなかったらしい。図太いのか興味がないのか、いまいち分からない老人である。


 そしてロミエは、再び師団本部へと向かう。

 着替えたときに回収されていた私服を返してもらうのもそうだが、何より――ロミエは一直線に医務室へと向かい、そこで眠るショルトメルニーャと対面する。


 彼女の意識は、あれから一度も戻っていなかった。


 帝国出身者であり、その象徴とも言える青い肌を持つ人々は、総じて魔力吸収速度が速い。

 魔力量が勝負の戦闘では重宝されるが、今のように魔力を減らさなければならない状態において、その特質は邪魔にしかならないのだ。


 なにより、ロミエ(ニヒリア)は扱いきれるほとんどの魔力を付与して、エルベンスの氷で傷ついたショルの体を癒した。傷は癒えても、その魔力や魔素に普通の人間が耐えられるわけがない。

 今や、器から溢れた魔素が周囲に放出されていて、結晶化させる魔道具を部屋に置いていないと、魔素濃度が危険な域に達してしまう。


 もちろん、ショルトメルニーャが目覚める気配は微塵もない。

 彼女は一定間隔で小さな呼吸を繰り返すだけ。ロミエがどれだけ触っても、話しかけても、縋っても……その、アメジストを彷彿とさせる紫色の瞳を開くことは、ついぞ無かった。


 いっそ、魔法で強制的に体内の魔力量を調節してしまおうか――そんな事を考えている矢先、病室にライラックがやってくる。

 大賢伯でもある彼女はロミエが創生神ニヒリアであることを知っていて、今回ロミエが罪に問われなかったのも、彼女が説得してくれていたらしい。


『再生魔術の特訓……です、か……? でも――』


『言いたいことは分かりますわ。突然そんな事を告げられても、困惑してしまうのは仕方がない』


 ライラックは扇子を広げて、言葉を色々ぼかしつつ事情を説明した。


 どうやら、ロミエに〈再生魔術〉の専門家になってもらいたいらしい。

 確かに〈再生魔術〉の使い手がいれば、死んでしまうような怪我でも直すことができる。


 二度とミスせず、専門に研究を行って国に貢献することで、今回の〈禁術〉使用の罪については目をつぶるそうだ。

 そのため、これからはライラックがより面倒を見てくれるらしい。魔術についても教えてくれるそうなのだが、魔法が使えるロミエには必要が無いので、すぐに魔法書作成に移行するだろう――とのこと。


 それでも、これからは〈再生魔術〉について研究していかなくてはならない。

 特に、魔力付与できる量については細心の注意を払う必要がある。……人間は、とても脆いのだから。


 もう二度と、同じ失敗を繰り返さないように。



***



「――っ」


 ロミエは大きく息を吸って、込みあがる濁流を抑えこんだ。

 もぞもぞっと温かみの残るシーツの中から這い出て、のっそりと体を起こす。


 薄暗い部屋を見渡すも、まだ誰も起きていない。

 朝を告げる鐘の音も鳴らないような時間帯だ。窓から差し込み始めた朝焼けだけが、灰色の部屋を照らしていく。


 ロミエは早朝が好きだ。世界にちゃんと今日が来る。世界がちゃんと動いている証拠なのだから。

 それに何より、まだ誰も起きていない静かな空間。人見知りなロミエにとって、唯一一人になれるこの時間はとても貴重だ。


 他に誰もいない。静かな息遣いが聞こえてくるけれど、それすら調和している凪の世界がここにある。

 なのに――


(……ショル、さん)


 チラリと、ロミエは対角にある二段ベットへと視線を向ける。

 申し訳程度に設置されたカーテンは開かれたまま。その場所で、いつも朝早くから髪の手入れを始めている彼女の姿が無い。


 当たり前が無い。彩りの無い世界が、灰色の世界がロミエの視界に広がっていた。


「ふわぁぁ……ほはよぉーろみえたんん……」


「ひょぇ……っ!?」


 全くの意識外から声をかけられて、ロミエは珍妙な声を挙げてしまう。

 しかし、話しかけてきた黒髪の少女は大して気にもせず「ふわわぁ……」と大きな欠伸をかいて、対面のベットから起き上がった。


(ま、ままっ、まさかキルトエさんが起きてるだなんて……!)


 いつもは起こしても起きないのに……まして、学園が再開されるのは明後日。生徒会の仕事はあるとはいえ、キルトエが早起きするほどの理由にはならないだろう。

 それに……。


「…………」


 ロミエは視線を下げ、黙々と服を着替え始める。


「んぁ、もうお見舞いに行くのか? まだ入れないと……ふぁ……ぉもうのだぞ……ぉぅ」


「うぐっ……」


 図星を突かれて、ロミエは口をバツにする。

 まだ日が差し込み始めて薄暗い時間帯だ。魔術師団の団員達もほとんど起きていないだろうし、こんな早朝に行っても入れてはくれないだろう。

 それでも――ロミエは少しぎこちなくなりながらもボタンを留めて、最後に制服のケープを羽織った。


「…………朝ごはん、一緒に食べないか?」


 外に出ていこうとするロミエの背中を、キルトエは止めない。

 ロミエの気持ちを尊重してくれているのだ。無理だと分かっているのに──自分勝手で、どうしようも無いロミエの意志を、キルトエは否定しない。


「……はい」


 背を向け、ロミエは唇を噛み締める。

 「うん」なんて、軽々しく言えない。言いたくなかった。


(一緒にいたら、気を使わせちゃう)


 いつも通りを取り繕えたらいいのに、しようと思えば──心を消せば、出来るのに……その境地に、ロミエは踏み込めなかった。

 このまま暗い感情を抱いていたい。前を向くのが怖い。みんなを巻き込むのが怖い。自分が一緒にいるだけで、周りの人に迷惑を掛けてしまうのだから……。


 一人になればいい。自分には孤独がお似合いなのだ。


(……だって、わたしは出来損ない……だから)


 部屋をでたロミエは、寮監にバレないよう足音を殺しながら寮をあとにした。


 寮棟が並ぶ通りに人影はない。

 風の音と小鳥の囀りが木魂するのみで、他は静寂に包まれたロミエ一人だけの朝だ。

 ふと、空をオレンジ色の朝日が照らしていく。満点の青空に差し込む朝日はとても幻想的で、見る人がいればうっとりと安らかな気持ちになれるだろう。


 なのにロミエにはその情景すら灰色に見えて、とても味気ないものだと思えてしまう。

 でも、それがいい。それでいい。それが自分には丁度いいのだから――


 華やかさなんて、彩りなんて……ニヒリア(ロミエ)にはいらないんだから。


「……ふふ……ぇへ、えへへっ……ふふふっ……」


 思わず零れた笑い声。

 不協和音の様に醜い声で、不細工な笑みを浮かべながらロミエは笑う。


 頬を伝っていく涙すら、目元に皺を刻む材料に過ぎない。

 なんだか、今の自分がとってもとっても可笑しくて、笑い飛ばしたい気分だったのだ。


 晴天の空が眩しい。美しい世界が眩しい。鳥の囀りや揺れる木々の葉音すら雑音のよう。


 膝を抱え、喉を殺しながら笑みを咲かせる少女の姿がそこにはあった。

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