【4-2】来年/ちんぷんかんぷん
その日、ライラックに呼ばれたロミエは、彼女の部屋へと向かっていた。
街は常闇の欠陥によって昼夜の区別が曖昧である。なので、時間帯によって照明の明るさが決められていた。
(今は……昼前、かな)
照明用の魔道具がサンサンと白く、廊下を照らしている。
アリストリア学園には第一王子リフィルや高位貴族の子息が多くいるため、一人一部屋の個室が用意されていたり、毎日の清掃とベットメイクまでしてくれていた。
建物自体も旧王族の別荘兼庁舎だった過去もあり、三階建ての建物には大理石でできた壁や大きなガラス窓が張られ、大きな中庭には渡り廊下が架けられている。設置された防御結界も一級品だ。
しかし、一般庶民のロミエとしてはものすごく肩身が狭い。
なるべく存在面積を減らし、かつ汚さないよう猫背になりながら、敷かれたカーペットの隅っこを歩いてライラックの部屋へと向かう。
背中の丸まった彼女の背中に、パッと眉を上げる人物がいた。
「――失礼、そこのご令嬢。グレーの髪のあなたです。ロミエ・ハルベリィ嬢」
「ひぅっ!?」
ビクリと肩を震わしながら振り返ると、トランクを片手に旅装姿の少年がいた。
丁度部屋を出て来たところの彼は、制服でもラフな私服でもない。シワ一つないフロックコートに動きやすいキュロット、シンプルなシルクハットを被っている。
「よかった、帰る前にこれだけは言いたかったんです」
「え、えと……」
ロミエがモゴモゴと口ごもっていると、少年は「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」と、被っていたシルクハットを手にとり、プラチナブロンドの髪をあらわにして会釈する。
「僕はクロード・エルモント。いずれ大賢伯になる者です」
「は、はぁ……」
適当に相槌を返しながら、ロミエは一歩後ずさる。
悪魔が街に放たれたあの時、クロードの目の前でニヒリアとして振舞ってしまった。
ハルヤを助ける為には仕方なかったし、記憶改竄で覚えていないはずだが、完璧に施せた自信が無い。
そもそも、ロミエとは一言二言の付き合いだ。わざわざ話しかけられる理由が思いつかなかった。
(ばっ、バレた!? バレたっていうか、わたし、上手く改竄できてなかったんだ……)
嫌な汗が背中を伝う。
どうしよう、もう1回記憶弄るしか無いのかな──なんて身構えるロミエに対し、クロードは両手を向けて賞賛するように語り出す。
「今回の魔術戦、あなたの魔術は実にお見事でした。ジェリー元教諭の件で有耶無耶になってしまいましたが……次こそ、正々堂々と戦って倒してみせます」
「……へ、えっ…………あっ」
(そういえばこの人、倒せてなかったんだ)
ミハエルが身体を張って動きを止めたことでロミエの集中攻撃が炸裂したものの、小柄なクロードには上手く命中しなかったのだ。
後の状況がどうあれ、魔術戦だけを見れば結構なやらかしである。
ロミエの意識が戻ったあと、何度かミハエルと話したが何も触れていない。彼なりの配慮だったのだろうか。
しかし幸い、ニヒリアの記憶改竄は上手く出来ていたらしい。
スタスタと近づいた彼はトランクを置き、空になった右手を差し出した。
「来年の魔術戦、楽しみにしていますよ」
「ら……らいっ、ねん?」
(シュメリート様の代わりなのに、ら、来年もだなんて……っ)
握手を求められている手前、素直に「出ません」とも言えない。
うやむやに後ずさったロミエに、「何か問題が?」とクロードが首を傾げる。
「えと、その、わたし……元々出る予定じゃなくって……。あのっ……棄権した人の代わりで、来たんですっ」
「あなたほどの実力者が?」
「わ、わたしなんか全然……。来年は、シュメリート様が出るので、わたしはちょっと……」
「……わかりました」
そう言うクロードに、ロミエはホッと胸を撫でおろす。
(来年こそ、シュメリート様に出てもらわないとっ)
アールグレイ・シュメリートは勤勉で実直な人物だ。何に対しても真面目かつ全力で取り掛かる彼の姿は、ロミエも尊敬していた。
その努力が報われて欲しい。報われるべきだと、ロミエは思う。
「では、そのシュメリート様とやらも一緒に倒します」
「……へ」
予想だにしない言葉に、ロミエの目が点になる。
「来年、会場で会いましょう」
「握手はその時に」とだけ言ってトランクを持ち、彼は背を向けて行ってしまった。
「来年……」
来年となると四年生のミハエルはいないし、リーンハルトも居ない。となれば、必然的にアールグレイが団長になるのだろうか。
しかし生徒会の仕事もある。彼の事なので生徒会長になっているかもしれない。そうなると、魔術戦に出るのは難しいのでは……。
(……リーンハルト会長来てたし、シュメリート様も出られるかも)
だったら、わたしは学園に残ろう。
アールグレイが居なくなった分、自分が生徒会の仕事を負担するのだ。クロードには申し訳ないけれど、ロミエは魔術戦をしたいわけじゃない。
「……ごめんなさい」
ポツリと独り言のように呟き、ロミエはくるりと反転してライラックの元へ向かうのだった。
――――――――――
ライラックの部屋は建物の最奥付近、第一王子リフィルがいる貴賓室のすぐ隣にあった。
ロミエの部屋も相当に豪華であったが、大賢伯が泊まるとだけあり、ライトブルーの花瓶ひとつとっても、繊細なガラスに様々な花の装飾が彩られている。
なんにせよ、庶民であるロミエにとって居心地良いものではない。
ハルヤに促されるままソファへ座ったロミエは、向かいの席で縮こまる少女に問いかける。
「え、えと、キャリア……さんは?」
「お、お、お母さま……白竜さまのっ、とっ、ところに……」
「そう、なんですね。……あの、答えられたらで良いんですけど……白竜とは、どうやって交流をもったんです、か?」
「ま、まえにっ……い、家から逃げてきて……その、たっ、助けてっ、もらいまぃたっ!」
「なる、ほど……」
「…………」
「……え、えぇっと」
「ライラ様、ロミエ様に来ていただいた理由をお話しましょう」
お互いに会話が続かず微妙な時間が流れる。見かねたハルヤが話題を振ってくれた。
「あっ、そうっ……うっ、でもっ、その……。に、ニヒリア様に、こんな……」
「ライラ様、ロミエ様が困っておられますよ。それに、簡単なお使いを頼むだけなのですから、きっと快諾してくださいます」
「でっ、でっ、でもっ……ニヒリア様に……」
「ライラ様」
「え……あっ! わ、わわわたしっ……ご、ごめ、なさ……」
「あ、頭を上げてくださいっ。わたしの事は、大丈夫なので……防音結界、張りました」
あわあわと宥め、顔を上げたクリーム色の髪をした少女。彼女は今にも泣いてしまいそうに声を震わせ、その瞳に薄く涙の膜が張っている。
涙目の少女こそ、ロンド王国が誇る魔術師達の頂点、大賢伯が一人〈全能の魔女〉ライラック・アシス・ツヴァイリムだった。
ライラックは遠慮がちに、言葉を選びながら口を開く。
「ろ、ロミエ……さん。あのっ、おっお願いしたいことがっ、あり、ございまして……その、ほ、本を……」
「本、ですか?」
「ミウ・ブレイン作の名作〈淑女ルミナスの事件簿〉という物語本で、ライラ様の愛読書になります」
ハルヤによると、伯爵令嬢である主人公ルミナスが、性悪な悪役令嬢スカーレットと共に相棒に宮廷内で起きる問題を解決していくお話らしい。
30年ほど前、印刷技術が出始めた頃に有名だったそうだ。しかし、この手の話に疎いロミエはちんぷんかんぷんである。
「天然気質で抜け目があるルミナスに、グチグチと悪口を言いながらも可憐に事件解決への糸口を導き出すスカーレットが実にカッコ良いのです!」
「うんうん……っ! 終盤ピンチになったルミナスを助けるために、全力で悪役令嬢を遂行する姿がもうっ、もぉっ、凄いのっ!」
熱の篭った力説に、ロミエは「はぁ」と相槌を入れるしかない。
ライラックはライラックで、好きなことにはとことん饒舌になれるようだった。だが、すかさずハルヤが止めに入る。
「お待ちくださいライラ様。ネタバレは厳禁ですよ!」
「はっ……わたし、また……!」
「き、気にしないでください。その……わたし、たぶん読まない、ので……」
「「…………」」
気を使わせまいと言ったつもりが、かえって2人をションボリさせてしまった。しかし、ロミエは物語というものに対して、本当に一切興味が無いのである。
それをハルヤも察したのか、「無理に進めるものではありませんね」と理解を示してくれる。
「あの、もしかして、以前使ってた本の代わりって事ですか?」
「はい……もう、使えなくなっちゃった……ので」
ライラックはぎゅむっと手を握りしめ、浮かびそうになった涙を噛み殺す。
生来彼女は内気で人見知りな性格だった。〈全能の魔女〉として振舞う為、物語に出てくる登場人物の人格を、精神干渉魔術で自身にインストールしていたのである。
その元となる本が破損して使えなくなってしまえば、ライラックは以前のように堂々と振る舞えない。
人体に魔力を付与する行為は全面的に禁止されていて、最悪魔術師資格が剥奪されてしまう。
それでも、貴族社会で生き抜くために必要な道具であった。
「こ、今晩行われる慰霊祭で……弔辞、を、言わなくちゃ、いけなくて……」
しかし本が破損してしまっているので、精神干渉魔術で誤魔化すことは出来ない。かといって今の調子で行っても、大勢の人の前で長々読み上げるなんて酷だった。
最悪、あまりの違いに精神干渉魔術の使用を疑われる。そうなったら、誤魔化すことは不可能であろう。
「あの本が、ないと……ないと……わたしっ、ちゃんとしっかり者になれない……」
「本当は私が出向ければ良かったのですが……殿下の護衛に加え、ライラ様を1人には出来ず……。誠に自分勝手なのは存じていますし、命の恩人であるあなた様にお願いするようなことでは無いと分かっております。ですがどうか、どうか頼まれてはくださらないでしょうか」
「お願いします」と頭を下げるハルヤに、ライラックも慌てて続く。
(買い出し……そういえば、大会でしか行ってなかったな)
実はロミエも、ちょっとだけ街のお店が気になっていた。
(キルさんやショルさん、生徒会の先輩にもお土産、買わなくちゃ)
生徒会の仕事でお金は稼いでいる。出費する機会が無く溜まる一方だったので、こういう時に使うべきだろう。
日頃の感謝を伝えるためにも、街に出て買い物をしてみるのも良いかもしれない。
「……わかりました。本、買ってきますっ!」
快諾したロミエは知らない。アリストリア学園は魔術の名門として有名であり、その制服は大会の影響もあって、住民の多くが知っていることを。
そして、ロミエは髪はおろか身嗜みにもとことん無頓着である。私服なんて、持って来ているわけがなかった。




