【4-1】甘めな剣/特注紅茶
ジェリー・ホークによる反逆から五日が経った。
街中にばら撒かれた悪魔は掃討され、主犯のホーク男爵自身もまた、宿していた悪魔に身体を乗っ取られた挙句、白竜に食べられて死亡。リフィル含め、広場へ集まった人々に死者は出なかった。
しかし、街の各所では犠牲者が出ている。
〈理の魔法使い〉ステラの結界によって多少抑えられたものの、闇属性を扱う悪魔の手は届いてしまった。加えて、悪魔に取り憑かれてしまった人々の意識は依然戻らず、今もなお特殊結界内に隔離されている。
「尊厳を守る為に殺そう」という案も出たが、研究所まで移送して精密検査を行う手筈となり、援軍が来るまで街で待つことになった。
街では今、亡くなった人々へ向けた慰霊祭の準備が急ピッチで進められている。
元々、白竜を讃える祭事が近く行われる予定だったらしく、早くて今晩にも慰霊祭が執り行われる予定だった。
そこで弔辞を述べる事になったのは、〈全能の魔女〉ライラック。
かつてこの一帯も勢力下に収めていたツヴァイリム家の令嬢であり、白竜の発言によって交流があったことも示されている。
第一王子を護衛するのみならず、自身も傷を負いながらも人々を守ろうとした彼女の姿は、あの場にいた誰もが見ていた。
しかし、リフィルは出席できない。
警護上の理由もあり、部屋から出る事すら渋い顔をされるので、リフィルは大人しく本を読んでいる事しかできない。
開かれた本のタイトルは〈英雄ロンドの建国譚〉。
神の弟子だった英雄ロンドが様々な苦難を乗り越え、不完全な神に代わって人々を纏め上げる伝記小説だ。
最終的に、ロンドは道半ばで神に見限られ殺されてしまうのだが、ロンドの意思を受け継いだ親族や仲間が協力し、今の王国の礎となったとされている。
(……僕は、英雄ロンドみたいに皆から信頼されて、愛されるような王様になれるのかな……)
パタン……本を閉じ、リフィルは窓の外を眺める。
大小の魔道具が星のようにキラめいていて、死者の魂を明るくも厳かに送り出す準備がなされていた。
(三日も経ってるのに、まだ黒い魔力が漂ってるんだ……)
それが駆逐された悪魔の残滓なのか、はたまた亡くなった人々の怨念なのかは分からない。
ただ、星空のようにキラキラと街灯が輝き瞬くこの街には、常闇よりもさらに重く、静かで厳かな空気が漂っているように感じた。
そういえばアイリシカが居ない──部屋を見渡していると、「トントン」とノックの音と共に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「殿下、紅茶をいれて参りました」
フレバーな紅茶の香りとともに、青を基調とした騎士服姿のアイリシカが戻ってきた。
「ありがとう、アイリシカ」
カップを受け取り、そっと一口含んでみる。スッと鼻の奥に抜けていくようなスッキリとした茶葉の香りに、ほんのり甘いリンゴの甘みが口いっぱいに広がった。
流石はアイリシカ。剣術もさる事ながら、紅茶の入れ方までマスターしている。
(すごいなぁ……なんでも、出来るんだ)
ほぅ……と余韻を零し、カチャリとソーサーに戻す。
「やっぱり、君が入れてくれる紅茶がいちばん美味しいや」
「殿下……っ!」
彼女はぱぁっと花開いたように頬を緩め、「〜〜〜〜!」と声にならない感動を零した。
「飲みたくなったらいつでもっ、いつでもお申し付けください。このアイリシカ、殿下のご期待に添えるよう全身全霊でご用意いたします!」
「そ、そんなに張り切らなくっても……」
「大丈夫です。護衛も茶入れも、完璧にこなして見せます!」
フッフン! と胸を張る彼女に、リフィルは薄く微笑む。
「……? 浮かないお顔ですが、どうかされましたか?」
「えっ」
顔に出てしまっただろうか。
サッと顔に手をやるリフィルに、アイリシカは心配そうに目尻を下げた。
「殿下」
「…………」
「慰霊祭に呼ばれなかったこと、気にしておられるのですね」
「…………やっぱり、アイリシカはすごいや」
リフィルは力なく笑いかけ、机の本に目を落としながらポツリポツリと語り出す。
ホーク男爵が反旗を翻し、悪魔の集団が迫る中、リフィルは皆の後ろで見ている事しかできなかったこと。
自分が来たせいで、この街の人々や学生たちに被害を与えてしまったこと。
今回だけじゃない。前も、その前も、リフィルは何の力にもなれず、ただ守られるだけの存在であった。
次期国王というプレッシャーに耐えられるほど、リフィルは能力も無いし実績も無い。
「逃げたい……なんて言わない。けど……僕は、皆から愛され信頼されるような、英雄ロンドみたいな王子様に……なれるのかな」
「殿下……」
「……ごめん。こんな……こんな、不甲斐ない王子で」
言うたび喉が震え、首の角度が深くなっていく。金緑の木漏れ日が散った薄氷の瞳に、小さな雫が浮かんでしまう。
「うっ……ぁっ……」と漏れ出る嗚咽がウザったい。
肩を震わせるリフィルに、アイリシカはゆっくりと睫毛を上下させた。
「……私はこれまで、剣だけを極める生活を送ってきました。子爵家を継ぐことはできないし、どこかに嫁ぐか、実力で道を切り開くしかない。だから私は、剣で生きていく道を選んだのです」
右腰に帯びた短剣を愛おしそうになぞりながら、左手を胸に置く。
「ですが、殿下へ仕えるようになってから、色々な事を学びました。紅茶を淹れれるようになったもの、つい最近なのです」
「えっ……!?」
あんなに美味しかったのに!?
やっぱり、アイリシカは凄い――どうしても自分と比べてしまって、紅茶のカップを見続けることしかできないリフィル。
そんな不甲斐ない王子様に、アイリシカは膝を付いて、深いピンク色をした瞳に映した。
「私は、自力で生きるために剣を極め、殿下の為に紅茶の淹れ方を身につけました。その都度、やるべき事から目を背けていたら、私は今ここにいないでしょう」
「やるべき、こと……」
「それにです、リフィル殿下はとてもお優しいで、は……ありません、か……っ。……た、度重なる無作法と言いますか、ご、護衛とはいえ少々やりすぎたと、い、言いますか。そ、その…………私、処罰されませんでしたし……」
無作法といえば、護衛を口実に寝食を共にしたり、なんなら同じベットへ入り込んできたのである。
それを今さら思い出して、顔を赤らめたアイリシカはブンブンと頭を振り、「とっ、ともかくですっ!」と声を荒げて誤魔化した。
「優しく、気取らず、変に威張ろうとしない。そんな王子様を嫌いになる国民なんていません! 少なくとも、私が好きなのは心優しき王子様なのですよ」
そう宣言する彼女は一周回って晴れやかで、弟を見守るよう。
普段キリリと立っている目尻も、優しく垂れて微笑んでいた。
「迷うのも、回り道だって構いません。進み続ける意思と行動が大切です。それに、殿下にはこのアイリシカがいます。頼って良いのです。私は殿下の、殿下だけの剣ですから」
「僕の……剣?」
「えぇ、殿下を守る最強の剣です!」
キリっと星を散らしながらドヤ顔なアイリシカ。
「殿下が今やるべき事、やりたい事はありますか? 正しい正しくないは関係ありません。どんなことでも、このアイリシカが全力でお助けします!」
そう笑顔で言い切れるアイリシカの顔が眩しい。眩しいけれど、リフィルは目を背けたくなかった。
行ったところで何かが変わるわけじゃない。まして、己の身を危険に晒して、さらなる迷惑を生む可能性があった。
それでも……。
「……慰霊祭に、行きたいんだ。公的じゃなくていい、巻き込まれた人達に少しでも、少しでも……」
何かしたい。何かがしたい。一人安全な場所で眺めるしか出来ない王子にはなりたくなかった。
しっかりと目を見て宣言するリフィルに、アイリシカは小さく頷いた。
「分かりました! でしたら、さっそく抜け出すための計画を練るとしましょう」
「ひとまず剣を取ってきます」と言い出したアイリシカを止められぬまま、彼女の背中を見送った。
ふと、カップに残った紅茶が目につく。しばらく経ったから、もう湯気も香りも立っていない。
しかし口に含めば一転、アップルティーの甘い風味が口いっぱいに広がった。
「……甘いなぁ」
王族という立場上、みんながリフィルの為に動いてくれる。我儘を言えば、可能な限り聞いて実現してくれた。
だからこそ、自分で自分を律さなければならない。
甘やかされるだけの王様なんて、カッコ悪いから。
――――――――――
常闇の街ヴァイセルには、空間に欠陥があって日光が差さない。ゆえに、どうしても昼と夜の感覚が曖昧になってしまう。
時間を知るためには、時計を見るのが一番手っ取り早い。しかし、視覚的にも分かりやすくするために、街では時間帯によって照明の明るさに規定があった。
魔法伯が一人〈理の魔法使い〉ステラはフードを外し、無相応にキラキラとした銀髪が、朝を告げるオレンジ色の照明により淡く照らされていた。
彼は王都から送られてきた書状を持って、宿の廊下で待ち合わせていた侍女に渡した。
「一週間後に増援が到着する。それまで、ここでリフィル殿下を護衛して待機せよ……って、全能に伝えてくれ」
「承りました。理の魔法使い殿」
恭しく頭を下げる侍女に、ステラは遠慮気味に問う。
「そ、それで……お前の主人は、いつ復活するんだ……? 今日の慰霊祭、呼ばれてるんだろ?」
ホーク男爵の一件から五日が経った。
大賢伯が一人〈全能の魔女〉ライラックは、あの日以来一度も公の場に顔を出さず、自室に引きこもってしまっていた。
その理由を、ステラはなんとなく察している。
(あの本、魔力を帯びていた)
いわゆる魔導書の類。強化魔術が付与されたナイフを多少食い止めていただけあって、相当緻密で濃い魔力が施されているのだろう。
本が破損してしまった事も、ライラックの現状に大きく関係しているのではないか。
侍女もそれを分かっているのか、「そうですね……」と深刻そうな表情を浮かべる。
「ライラ様の侍女として、全力でサポートしているのですが……」
「……?」
不意に言葉を区切った侍女は、眉間に皺を刻み、より深刻そうに肩を落としながら言った。
「もう、苦い紅茶葉がきれてしまいました」
「……こ、紅茶?」
この文脈でなぜ紅茶の話になる。そもそも、無くなったのなら買いに行けばいいじゃないか。
突然の脱線に追いつけないステラを置いて、ライラックの侍女は淡々と語り出す。
「ライラ様の侍女として、早く目を覚まして頂けるよう特注の苦い紅茶をご用意しているのですが……」
「え、は? 紅茶? 特注、苦い……は??」
「ここ数日飲んでいただいても、一向に調子が戻らないのです」
「…………」
「毎朝苦い紅茶を飲めば、頭がシャキッとして元気になるのですが……どうも、上手くいきません」
「…………」
侍女の言いたい事を理解すると同時に、何の効果も無い事が理解できたステラ。
(全能の魔女が内気なのは元からで、それを魔導書で強引に取り繕ってるんだろ……? 目覚めがどうとか、そういう問題じゃ……)
不憫だ──。
ステラは遠い目をしながら、毎日毎日苦い紅茶を飲まされ続けたライラックに同情した。
ちなみに彼は、多くの魔術師・魔法使いと同様にゴリッゴリの甘党である。




