【3-25】白翼の竜/精霊
悪魔らしからず、白いポロシャツにオーバーオールを着こなした少年。
それは片眉を上げて蔑むように人々を見下ろしていた。薄く照らされた常闇の中で、人ならざる白銀の瞳がギラリと輝いている。
悪魔は、矢が刺さっていた額をポンポンと手の平で叩いてみせた。
「ちょっとチクッてしたけどね、不愉快にも。……あぁそう、不愉快ってやつだ——不愉快だよ、人間」
「……ッ、展開!」
悪魔が無造作に手を振り、漆黒の刃を飛ばした。間一髪のところでステラの魔法結界が防ぐ。
しかし、双方が触れた瞬間、結界はガラスのように砕け散り、刃もまたサラサラと闇の中へと霧散した。
「……ぜ、全能。あれ……ほ、本気でヤバいッ!」
研究ばかりしているステラも、悪魔討伐には何度か駆り出されている。
だが、彼の魔法結界が一撃で破壊された事なんて一度もない。それも、なんてことない腕の一振り。精霊王召喚でもなければ、無造作に振られた攻撃である。
姿もそうだが、この素朴な少年は明らかに他の悪魔と違った。
捕食者のように縦長の瞳孔に睨まれて、ステラの背中に冷たい汗が滴る。
ライラックもまた、出血で朦朧とする意識のなかで、浅い息を繰り返しながら立ち続けていた。
既に足や指先の感覚は遠く、唇はパサパサとしていて、魔力を編む力も残っていない。
「ライラ、ライラ、大丈夫? 魔力がカラカラ」
白狐――キャリアが心配そうに足元へと摺り寄ってきた。
「あいつ、倒す? 氷でビュウって、仕返し。だめ?」
「……だめ」
ライラックは首を横に振る。
いくら上位精霊でも、契約者である自分が満身創痍なうえに、悪魔の能力が未知数。正面から戦わせるのはあまりにも危険だった。
かといって、ロミエに助けて貰うわけにはいかなかった。
(……キャリア。お母様を呼べる?)
あまり頼りたくはなかったけれど──。
負い目を感じながらも伝えると、キャリアはキツネ顔をキョトンと傾げる。
「ママ? ママならもう──」
返って来た言葉にライラックは目を見開き、空を仰いだ。
広場を覆う水面は揺らぎ、ポタポタと雫が落ちてきているものの、辛うじて維持されていた。
ライラックは重い瞼を細め、その揺らぎの先に見えるであろう白いシルエットを探し──。
「へぇ、そっちの人間は魔法使ってるんだ、凄いね。……ウザイや」
悪魔の目がギラリと光る。
今にも攻撃魔術を放とうと、悪魔が手を振り上げた。
次も防ぎきれるか……? ステラはギュッと杖を握り、短縮詠唱で魔法結界を展開していると——。
「――み、みんな、水が降ってくるわよ~……溺れないように、ね?」
〈水面の魔女〉アクアリスの魔力が底を尽きた。
広場の天井には、そこそこ分厚い水の層が張っていて、水を嫌う下級悪魔たちの攻撃を防いでいたのだ。
それが崩れ落ちるという事はつまり——。
「……そんなに急かさなくても、誰一人逃さずその魂を引き裂いてあげるよ、あげるからね」
広場中が水浸しになるのは必然。ビショビショの服に、俯いた前髪からポタポタと雫を滴らせる悪魔が低く笑った。
もちろん、人々や建物にも水が押し寄せた。だが、悪魔の攻撃で削られていたのか、街を飲み込むほどの水量は無かったし、建物自体も魔法戦結界で維持されている。
しかし、悪魔にって精霊王の魔力が含まれている水は、端的に言うと〈不快〉そのものであった。
「さあ! 頼りない雑魚共も揃った。揃ったから、木っ端どもは余さず食い尽くそう、食い尽くすんだ!」
悪魔の口が三日月形に裂け、上空で待機していた悪魔へ告げた。
「えっ……?」
見上げたリフィルがポツリと零す。
彼だけでない。水面が晴れた空を見上げた全員、その目を大きく見開き、ポカンと口を開いていた。
「あれあれ? たかが下級悪魔に言葉も出ない? 出ないんだ。でもさ、それでいいよ、いいさ。ワタシは不協和音が嫌いだからね」
勝利を確信……いや、勝つのが当たり前といった様子で気にもとめない。
悪魔は殺意に目をギラつかせ、複数の魔法陣を展開させる。
「さあ、食事の時間だ!」
『そうね。救いようのない悪魔さん』
突然の声に、悪魔の笑顔がピタリと硬直する。
空を飛ぶ少年悪魔の頭上から、頭に直接響くような声が発せられた。
そこに居たのは、この広場を覆いつくさんとする翼を広げた白翼の竜。
「え、なッ――!?」
少年悪魔は目を見開きながらも、白竜へ向けて黒槍やら黒雷やらを雨あられと浴びせた。
しかし――眉間を正確かつ効果力で叩き込まねば、竜を倒すことは難しい。
ありったけの闇属性魔術を浴びた白竜は、変わらず悪魔の目の前に聳えていた。
『さようなら』
慈悲は微塵もない。獰猛に開かれた白竜の口が悪魔を丸ごと飲み込んだ。
『――その魂、二度と帰れぬ胃袋の底へと還しましょう』
竜は災害だ。
明確な自我は存在せず、ただ生存本能に従って家畜や人を襲い、時に街一つを壊滅させることすらある。大陸からその殆どが駆逐されたとはいえ、未だに東海岸では海を渡って来た竜が人々を襲っていた。
だからこそ、常闇の街ヴァイセルを守護する白竜と人々は、一定の距離を保ちながら共存していたのだ。
その怒りの琴線に、自然の暴威に触れないように。
「……しゃ、喋ってる、のか? 白竜が……?」
ステラは詠唱も止めて、一歩二歩と後ずさる。
他の者たちも同様で、恐怖に顔が引き攣っている生徒もいた。
しかし、街の住民たちは違う。
「白竜様、白竜様だ!」
「おぉ、なんと直々に我々を助けてくれるとは……!」
「ありがたや……ありがたや……」
「伝承は本当だったんだ! 白竜様!!」
それらの声に白竜が『こんにちは、人間さん』と声を掛ければ、油を注いだようにワッと歓喜に包まれる。
悪魔に蹂躙されそうだったところを助けてくれたのだ。命の恩人であることに変わりはない。
しかし竜は災害……いや、厄災そのものである。
人との共存など不可能というのは、この大陸に住む人類すべての共通認識であった。
意思疎通ができるなんて、どの文献にも載っていない。
(い、一応詠唱を……)
『魔法使いさん』
「えうあぅえっ!?」
悟られぬように小声で詠唱を始めたステラは、降りてきた白竜に語り掛けられ、危うく腰が抜けかけた。
……実際、尻餅をついて後ずさるステラに、白竜は優しく目尻を下げて話しかける。
『素晴らしい魔法をお使いね。創世の時代にも、あなたの様な人間さんがいました』
「な、そっ、えっ……」
『お名前は?』
「え、う、ぁ……す、ステラ。……ステラ・ラスティ、インヴィクタ……」
『ステラ、ステラ。いいお名前。ステラの使う綺麗な魔法に合った、美しい名前ね』
竜に名前を褒められ、ステラは嬉しいやら恐ろしいやらで、しきりに目が泳いでしまう。
「……?」
ふとライラックに目をやると、彼女は白竜を見上げながら、目尻を下げて口元を綻ばせていた。
(りゅ、竜だぞ? 白竜だぞ!? コイツ、なんで笑っていられるんだ?)
竜を前にして笑うライラックに、ステラは正気を疑った。
ライラックの実家、シェード大公家はかつてニヒリアを信仰していた過去があるものの、竜信仰の痕跡は存在しない。
『私はエイマ。エイマ・ヴァイセリアル。古き命約に従い、この空間を守護する竜種。そして——』
エイマと名乗った白竜は、その視線を白いキツネへ——ライラックの契約精霊キャリアスノーテンに向け、優しく目尻を下げた。
『そこの可愛らしい子狐さん。キャリアスノーテンのママよ』
――――――――――
「――っ! ――――……」
ロミエの氷から解放され、地に伏したアルウェルの周りを飛び回る〈少女〉がいた。
若く魔力も弱い彼女の力では、アルウェルの意識を蘇らせることはできない。
「…………」
濃い灰色の少女に目が行ったが、すぐに逸らす。
人を連れて来たくても、意識を失った三人を放置しておくわけにはいかない。
かといって、街を闊歩しているらしい悪魔から守りきれるほどの力もなく……。
「おい、こっちで3人倒れてるぞ!」
ダッダッダッと、剣を担いだ衛兵達が駆けつけて来た。
少女は気持ちトットトッと、慌てて物陰に隠れる。
「……死んでしまったか?」
「いや、生きてる、生きてるぞ! だが体温が低い。毛布はあるか?」
「近くの住民にお願いしてきます!」
「なる早で頼む。いつ悪魔が来るか分からんからな」
三人は調達してきた毛布で、手際よくロミエ達をくるんでいく。
その間も、常に周囲を警戒していた。
曲がり角の先。屋根の上。やって来た通路の先――。
小柄な人なら身を隠せそうな物陰に目をやった一人が、「ん?」と眉を上げる。
「どうした?」
「あの物陰に何か……キラキラした靄みたいな、丸く固まった煙みたいなのがあって」
「あー、あれは微精霊ですよ。この青い人の制服がフェルマー学園の物っぽいので、この子の契約精霊かと」
よかった、精霊だと認知できる人が居て。
微精霊がチマチマっと近づくと、衛兵達は快くアルウェルの元へ案内してくれる。
「この精霊、なついているな」
「隊長、精霊をペット扱いしないでください……。そもそも、彼らに感情とか無いんですから」
「え、そうなの? その割に、ご主人から離れそうにないし、僕らにも友好的だけど」
「……確かに。習った時より研究が進んだんでしょうか?」
「そんなことより、早く本部まで向かうぞ。死なせるわけにはいかん」
「「了解」」
雑談もほどほどに、毛布に包まれた三人を広場へと運んでいく。
(あ……危なかった……)
存在しない心臓がバクバクと鳴っていそうで、微精霊は静かについて行くのだった。
【第三章 魔術戦大会】完結
閑話と登場人物紹介を挟み、第四章へと入ります。




