【閑話】無邪気な虚無
【閑話】無邪気な虚無
街はずれにある、針葉樹林が茂った森に身を伏せる男女が居た。
常闇から外れているものの、高地だからかそれほど日差しは強くない。木漏れ日が幾筋もの光芒となって、青々とした土壌のカーペットを彩っている。
フードを被った男は切り株に背を預け、手元の本を黙読していた。
「ねーねー、ダクティダクティ。あれ、こうなるって分かってたの〜?」
「……」
「あれ」じゃ分からない。
木々の合間に目を向けると、暗い街の中心にキラめく水面の上で、巨大な白竜が悪魔を蹂躙していた。
「……街は、あの竜が守っている。下手に動けば、二の舞だ」
ダクティリオスはそれだけ言うと、フードを目深く被り直して、読みかけのページへと視線を戻す。
イスベルク王国から派遣された暗殺者であるダクティリオスは、相方のエルベンスと共に、第一王子リフィル達のアリストリア学園の一行を尾行していた。
しかし街に入ったダクティリオスは、すぐに異変に気付く。
なにせ住民が誰も出歩いていない。それに加え、妙な空気が街全体を覆っていた。前者はともかく、後者は心当たりがあったのだ。
木々の木漏れ日で斑点になったページを、光なき瞳を細めながら進めていく。
「ねーねー、最近ずっと読んでるけど何読んでるの〜?」
「……魔術戦結界。最初、我々の攻撃が、通じなかった理由だ」
「へぇ〜?」
エルベンスの適当な相槌にチラリと目をやると、興味なんて無いと言いたげに丸太へ腰掛け、プラプラとブーツの踵を打ち付けている。
「勉強熱心だね~。そんなの、答えだけ読めばいーのに〜」
「……読むか?」
「え~めんどくさーい」
「…………そうか」
残酷だ——そんな追憶を振り払うように視線を戻して、文字列に目を通していく。
魔術先進国であるロンド王国では、その辺の本屋に行けば魔術書が売っているし、図書館まで足を運べば、それこそ魔術戦結界なんて軍事利用可能な魔術についても学ぶことが出来る。
使えるかは別問題だとしても、一般庶民まで最新の魔術を学べる土壌があるというのは、あまりにも贅沢に感じた。
「……む」
ふと、眉間にシワを刻む。ページを捲る手が強張って、見開き1ページ飛ばしてしまったのだ。
その動揺を知ってか知らずか、エルベンスは冷たく真剣な瞳をダクティリオスに向けた。
「それで〜、どうやって殺し行くの~?」
「…………本気か?」
「え、違うの?」
足を止め、キョトンと首を傾げるエルベンス。
こいつは何を見ていたんだ――ダクティリオスは溜息を噛み殺しながら、街に目を向ける。
「あれが、見えないのか?」
「竜でしょ? 邪魔するならさ、殺せばいーじゃ〜ん」
「……ただの竜ではない、白竜だ」
一口に竜と言っても、種類によって明確な序列が存在する。
中でも色の名を冠する竜は太古から存在し、ダクティリオスの地元では「知恵を持った個体の存在」を仄めかす伝承も伝わっていた。
一介の魔術師であった頃に聞いた竜の咆哮は、忘れたくても忘れられない
「……竜の眉間に、一撃当てるのも、容易ではない」
それを聞いたエルベンスは、「ふんふふ〜んっ」と変わらぬ様子で地面に落書きをしている。
「眉間って頭でしょ? 殺せるまで攻撃すれば殺せるし〜? 自分なら、氷でズッタズタに出来るし~」
「……白竜は、魔法を使う」
「ならさならさ、呪えばいいんじゃん! ダクティなら簡単でしょ?」
「…………呪いは、万能ではない」
「でもでもっ、魔力切れでも動けるようにしてくれたじゃ~ん。もっと自信持てばいーのに~」
「……竜には、手出ししない」
「じゃーさ〜、どうやって殺すの? 第一王子」
「…………」
「ま、さ、か~──ダクティはさ、国王様の命令破ったり……しないよね?」
キラキラと光の無い瞳を向けてくるエルベンスに、「…………当然だ」と言葉を絞り出す。
「その間はなーに〜?」
「……共通語に、慣れていない」
「え~、ずっと使ってるのに~?」
「頭いいのに~」という言葉から目を逸らし、魔術書を読み進めようとするダクティリオス。
そんな彼に立ち上がったエルベンスは、小さな両手で文字を遮った。
「読みたい? 読みたいでしょ。だったら、国王様の言う通りにしなきゃ。じゃないと~――死んじゃうよ?」
「…………分かった」
小さく答えるも、エルベンスの氷河のように冷たい瞳は、ダクティリオスの虚無の瞳を覗き込むように目を離さない。
無邪気だが恐ろしい。……いや、だからこそ、彼女の瞳に輝く虚無の深さを、ダクティリオスは直視できなかった。
「……ここで、第一王子を殺す」
「でも白竜が邪魔してくるんでしょ~? そっちはどーする~?」
「……呪う。傀儡にしてしまえば、いい」
「できるの?」
「…………やるしか、ないのだろう」
「そ! やる気出てきた~?」
無邪気に笑うエルベンスに「あぁ」と頷けば、彼女はパッと花開いたように笑う。
「ちゃ~んと王子殺して、一緒に国王様から褒めてもらお~ね!」
年相応な反応をする少女を、ダクティリオスは無機質に眺める。
その瞳に灯った一片の輝きは、揺れる木漏れ日の残滓の如く消えて行った。




