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【3-24】愛した家族の元へ——さようなら

 〈全能の魔女〉ライラック・アシス・ツヴァイリムは、北の高原一帯を治めるシェード大公爵家の末娘である。


 魔力はそれなりにあったものの、それ以外には何もない。

 忙しい父や兄弟達は相手をしてくれず、幼少期は病床に伏した母親と日々を過ごした。

 内向的な性格で、外に出ることも少ない箱入り娘。彼女に向けられる期待はどれも、大公令嬢として誰に嫁ぐのか——そればかり。

 唯一ライラックを真っすぐ見てくれた母親も、5歳になる前に死んでしまった。


「お母さま、どうして……ニヒリアさまは、助けてくれないの……?」


 一人残されたライラックは、何もできない。生来の人見知り気質によって、侍従やメイドにすら上手く話せなかった。

 厳格な父や、煌びやかで誠実な兄たちに対しても、いつも足元に視線を彷徨わせてしまう。

 密かに信仰される神に祈りをささげ、ひたすらに縋ることしかできない。


 それじゃダメだと、何かしないと、できないと——


 強迫観念にも似た焦りに突き動かされるがまま、魔術に没頭するようになる。

 ライラックは魔術が好きだった。勉強すればするほど成果が出るし、上手くいった時には在りし日の母親も褒めてくれたから。


 屋敷の奥で、初等学園に入学してからは図書館の最奥で、勉強すればするほど身についていくことに、一種の快感を覚えながら勉強する。

 元々魔力量が多いのに加え、家柄的に適正が〈光〉でもあったことから、図らずして注目を集めるようになった。


 しかし、それらの能力も彼女が人見知りであるがゆえに、正当に評価されない。

 魔術詠唱も、長すぎると緊張で噛んで失敗してしまう。

 新しい魔術が出来ても、疎まれるんじゃないかと勘ぐって言い出せない。


 それなのに、ライラックに付け寄ろうとやってくる人間は後を絶たなかった。


「人前で、話すの……こわい、やだ……やだ……」


 どれだけ勉強しても、練習しても、自分に自信なんて持てない。努力して力をつけても、結局は誰かの言いなりになるしかない自分に、絶望感すら抱く。

 彼女の美しいエメラルドグリーンの瞳は常に陰り、いつも雫が浮かんでいた。


「……ゃ、だ」


 上手く話せない、顔も直視できない自分が嫌だ。


「や……だ……」


 母親との死別を引きずり続け、伝承伝えの神に縋ることしかできない自分が嫌だ。


「……いやだ」


 このまま、他の人の便利な道具になりたくない。婚姻の為の手札じゃなく、自分で未来を切り開きたい。


 たとえば——そう。母親が遺してくれた本に描かれた物語の主人公のように。



「——()()()()



 ライラック・アシス・ツヴァイリムの名が王国に広がり始めたのは、彼女が10歳の秋を迎える頃であった。



――――――――――




 ゆっくり立ち上がろうとするライラック。

 しかし、焼けるように痛みと凍てつくような寒さに凍え、上手く力が入らなかった。

 力を抜きたい、突っ伏して楽になりたい。それではダメだと分かっているのに、今にも力が抜けてしまいそうだった。


 ──さあ、立って。

 

 ふと、背中が軽くなり、ドサッと本が落下する。


(あぁ……そんな……)


 俯きそうになる顔を、軽くなった背中を伸ばして前を向く。


(……お母様。妾は……わたし、ちゃんと出来てます。あんまり褒められるようなやり方じゃ、無かったけれど……)


 詠唱は止めない。小さくても、回り道だって、進みさえすればいつかは辿り着くのだから。


「――光の矢」


「……ッ!?」

「なにッ!?」


 いち早く察知したジェリーが、レイピアで弾こうと構えた。しかし、アイリシカを通り抜けた光の矢は、一切の抵抗なくレイピアを打ち砕き、彼の心臓を射抜いた。

 光属性魔術は直接人体に作用しない。多少の熱を感じるだけで、人間に害は無かった。


 しかし、精神生命体である悪魔には特効である。

 

 同化していた悪魔の核を射抜かれたに等しいジェリー・ホークは、膝と手を付き、心臓を押さえた。

 あと、なぜかアイリシカも倒れるが、気にかける余裕なない。


「う、ぐ……なぜ、生きている。あれには、強化魔術を施していたはずだ……ッ!」


 ジェリーの言葉に、ライラックはサッと目を伏せると、中心が抉れてしまった本がある。

 魔力を含んだ本が、毎日使い込んだこの本が、傷を浅くしてくれた。


「……運、ですわ」


 ライラックは噛み締めるように呟く。


 生きていると言っても、喉はカラカラで呼吸も浅く、息を吸うたびに背中の刺し傷が赤く痛んだ。

 眩暈で視界は歪むし、ガンガンと打ち付けるような頭痛で上手く思考が回らない。立っているのがやっとの状態でも、ライラックは背筋を伸ばし続けた。


「降参する、つもりは……なくって?」


 その方が嬉しいのだけれども――という本音は隠す。


「今なら、命だけは助けましょう」


「…………命だけ。命だけ? 命だけ残して何になる。命だけ、命だけ……この平凡で凡才な私の命以外の全てを奪ってきたというの今さら……生き残ったところで意味がないのだッ‼‼」


「……生きていれば、いずれ何か——」


「いずれ? それはいつですか? 何かとは? 私は君の三倍以上の人生を魔術に掛けて来た。それでも天才であるあなた(大賢伯)には敵わない……努力は、報われない」


 心臓を押さえていたジェリーは、項垂れるように両手で顔を覆った。

 そこに悪魔を率いていた余裕も、教師としての威厳もない。背中を丸め、何もかも失った男の姿だけがあった。


「そう、さっきあなたが言ったように運だ。世界は運だ。才能も、家柄も、機会も、命運も全て、全てすべて運。不運な私に世界は微笑まない。幸運だけの貴様に、小娘風情に……私の絶望が、空虚が……理解、できるか?」


 殺気だった言葉の覇気に、ライラックはウルっと喉がつっかえてしまう。

 しかし、彼の心臓には光の矢が刺さっている。内に秘めた悪魔の魔力は浄化されているだろうし、反撃の余力は残っていないだろう。


 それを本人も理解しているのか、俯きと脱力の後に天を仰いだ。


「貴様ら天才に、凡才の私が敵うはずがなかった……バケモノには分かるまい。掴もうとしても零れ落ち、足掻いて足掻いて藻掻いた先には何も残らない……所詮、凡才の努力は、決意、覚悟は……犠牲は、意味なんて、なかったのだ」


「──そう自分を卑下するな、人間」


 不意に、ジェリーの口がグニャリと引き攣った。

 同じ声だというのに、ノイズが入ったような耳障り悪い声音で、彼は独り言のように呟く。


「——お前の努力や覚悟を知る存在がいるよ、いるじゃないか」


「あぁ……お前だけは、お前だけが私を認めるのか……私の、人生を……」


「——そうだよ、そうだとも。今の今まで、このワタシを抑えていたんだから、愚かにもね?」


「愚か……そうだ、私は愚かだ……何もかも、中途半端で……壊すことすら、叶わない……」


「——大丈夫、大丈夫だとも。愚かなお前に代わって、ワタシが代わりに世界を壊そう。お前の何もかもを奪って行った、この理不尽な世界なんぞ、あっても仕方が無いんだから、いらないよね」


 そう言うと、己に刺さった光の矢を引き抜き——


「——愛した家族の元(連れ去られた魔界の先)に、いま送るよ、送るね——さようなら」


「うそ、矢が……っ」


 眉間に矢を突き立てる。その頬に一筋の雫が流れ落ちて——音もなく地に消える。

 次の瞬間、割けるように口角を上げ、凶暴な笑みを浮かべた。


「——うーん、あんまり美味しくなかったなぁ。動きにくいし、素体だけあればいいや」


 不意に背中から翼を出して地を蹴り、体中から黒い霧が滲み出て姿を隠す。


「そん、な……魔は払われているはずなのに……」


 意識を取り戻したアイリシカが、まだ覚束ない体で起き上がろうとする。

 しかし力が入りにくいのか、手を付いて上体を持ち上げるのが限界らしい。


「あ、アイリシカ!」


「殿下お待ちを、まだ悪魔が——」


「——どうしたの人間?」


 駆けだそうとするリフィルをリーンハルトが制止すると、上空から若く少年らしい声が聞こえた。

 成人男性ほどあった黒霧は小さくなり、けれど内に秘める濃度は高く、見てしまったリフィルは「ひっ……」と後ずさった。


「あぁ、さっきので倒せたと思ったんだ、思ったんだろう? でも残念、この通り!」


 クルリと回って霧を晴らせば、10代前半くらいの少年があらわれる。

 光沢のある黒髪に白銀の瞳を持ち、服は白いポロシャツにオーバーオールを身につけていた。

 しかし、少年の背中からは漆黒の翼が伸びていて、瞳孔は獲物を睨むが如く細められている。


「光属性だからって、(悪魔)を払えるなってとんだ勘違いだね、勘違いだよ」


 他の悪魔とは違う。それこそ、アールグレイに取り憑いた悪魔とも違う。

 素朴な少年の姿をした悪魔が、蔑むように片眉を上げて見下ろしていた。

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