第八話 クリスタライズド・ミモザ 5
遅くなりました。今もレポートが山積み状態で、今後も更新遅れます。読んで下さっている方、申し訳ありませんm(__)m
「庭がおかしいね」
肇が言った。食事をしていた瑠璃子と英恵は、祖父を見つめた。
「どこがおかしいの?」
「花を植えても植えても枯れてしまう。土が悪いわけでもないし……」
「病気か何かじゃない?」
「一日で枯れてしまうのは、おかしいよ」
「きっと何か虫がいるのよ。土を換えてみたらどう?」
肇は首をひねりながら、そうするか、と言った。
瑠璃子は、庭を見るのが怖くなった。
暗いのだ。
なぜだかわからない。祖父が一所懸命に花を植えている土は、ちゃんとしているように見える。でも、花は小さくなり、ひょろひょろとした姿しか見せなくなった。
そうして、庭は暗い……。
夜になると、黒いものが時折うろつく。祖父も、祖母も、父も。誰も気がつかない。けれどそれは、庭や家の周囲をうろついて、花を枯らした。
瑠璃子は毎晩、ミモザの花の手提げ袋を抱いて眠った。
「汚れてきたわね、その袋」
ある日、英恵が言った。朝御飯の途中だった。瑠璃子はいつも通り、ミモザの花の手提げ袋を持っていこうと、ランドセルの横に置いていた。
「洗濯して綺麗にしないと」
「やだ」
首を振ったが、そのままじゃ汚いよ、と言われ、何となく不安になった。汚れていたら、妖精さんのお兄さんも困るかな。
「洗って干しておけば、すぐに乾くよ」
じきに小学校に行く時刻だった。置いて行きなさい、と英恵は言った。
不安だったが、瑠璃子は手提げ袋を祖母に渡した。別の手提げに体操服を入れ換えて、学校に行った。
その日は学校が終わるまでが、いつもより長く感じた。大好きな音楽の時間も上の空で、瑠璃子は先生に注意された。
「るりちゃん、今日は、お花の手提げじゃないの?」
休み時間に、奈々ちゃんが言った。
「うん。おばあちゃんが、お洗濯してるの」
「そうなんだ。だいじょうぶ?」
あの手提げが妖精さんからの贈り物だと知っている奈々ちゃんは、心配そうに言った。奈々ちゃんは、瑠璃子の所にお化けが来ると知っていて、妖精さんの魔法が守ってくれているとも知っている。
「明るいうちは、……たぶん、だいじょぶ」
「そうだね。奈々のそばに、いたら良いよ。奈々、持ってるもん」
奈々ちゃんは、ハンカチを取り出した。
「奈々ね、これ、大事なのって言ったの。そしたらママが、自分で洗いなさいって。何度か自分でお洗濯したのよ」
「そうなんだ」
「るりちゃんも、お洗濯、覚えたら良いよ」
「そうだね」
奈々ちゃんと話していると、少し元気になれた気がした。ハンカチを自分で洗うなんて、奈々ちゃんはすごい。
「帰ったら、おばあちゃんに言ってみる」
「それが良いよ」
奈々ちゃんは、学校にいる間、できるだけ瑠璃子の側にいてくれた。
家に帰ると、瑠璃子は玄関の前で立ちすくんだ。
変だ。
どうしてこんなに、暗いの……?
家全体がなぜか薄暗く、重苦しく感じる。
はっとして、瑠璃子は庭に回った。庭には物干し竿がある。おばあちゃんが朝、洗濯をしたのなら、ミモザの手提げ袋は今、そこに干してあるはずだ。
庭は、薄暗かった。何か良くないものが、そこかしこで息をひそめている。そんな気がした。
物干し竿にかかっている洗濯物。
タオル。シーツ。肌着。靴下やシャツ。スカート。ズボン。
手提げがない。
「どこ……」
慌てて洗濯物を見て回る。けれど、ない。
風で落ちたのだろうか?
そう思って周囲を見回す。草の陰にちらりと黄色い色が見えた気がして、瑠璃子はそちらに駆け寄った。そうして悲鳴をあげた。
「や、やああ……っ!」
そこには、手提げがあった。鋭利な何かでズタズタに引き裂かれ、刺繍をほどかれ、ボロ布と化した、ミモザの手提げ袋が。
「野良猫かねえ……気味が悪い」
泣き続ける瑠璃子を見やり、英恵はふうと息をついた。
「ほら、瑠璃子。もう諦めなさい。それは捨てないと」
「いやっ!」
ズタズタにされても、刺繍の部分は少し残っていた。瑠璃子はそれをかき集め、胸に抱いていた。
「新しいの、買ってあげるから」
「これじゃないとダメなの!」
胸に抱きしめ、首を振る。英恵は困った顔になった。
「わがままもいい加減にしなさい! 新しいのがもらえるんだ。何が不満なんだ!」
囲碁を打ちに行っていた肇だったが、帰ってくるとこの事態で、最初は眉をひそめていた。けれど瑠璃子があんまり泣くので、苛立ったらしい。そう叱りつけた。
瑠璃子は泣きながら、ちぎれた布地を抱きしめた。絶対に離さないという意志を見せながら。
暗い。
目を上げると、家の中のあちこちに、黒っぽい何かが見えた。どんよりとした何か。
怖い。
ただ、怖くてたまらなかった。
夜。手提げの切れ端をしっかりとにぎって、瑠璃子は布団をかぶっていた。
静かだった。
るりが、いけないんだ。
切れ端になってしまった手提げの、ミモザの花の部分をそっとなでて、瑠璃子は思った。
離したり、したから。ずっと、持ってなきゃいけなかったのに。るりが、置いてったから。だから。
また、涙が出てきた。
その時、どこかで時計がぼーん、ぼーん、と大きな音を立てて時を知らせた。瑠璃子たちの家には、古い時計があった。大きな音で時を知らせるそれが、瑠璃子は何となく好きだった。
でも、その時には。ぼーん、という音がなぜか、怖いもののように聞こえた。
眠らなきゃ。
そう思って、布団の中で丸くなったとき。
ひそひそ。
ひそひそ。
ささやき声がした。どこか遠くの方で、誰かが何か言っている。
ひそひそ。
ひそひそ。
ひそひそ。
一人ではなく、何人かが。何を言っているのかはわからない。けれど。
ぱたぱたぱたっ。
足音がして、瑠璃子は変だと思った。おじいちゃんや、おばあちゃんは、あんな足音じゃない。二人とも、もっとゆっくり歩くし、もっと重い音がする。
ぱたぱたぱたっ。
足音はまた聞こえた。家の中を走り回っているようだ。軽い足音は、大人ではなく、子どものもののように聞こえた。そしてまた、ひそひそとささやく声。
ぱたぱたっ。
ぱたぱたぱたっ。
誰だろう。そう思った時。足音がふと、止まった。
それから、音が。こちらに向かって来た。
ぱたぱたぱたっ。
ぱたぱたぱたぱたっ。
ばたん、ばたばた、がたん、ばたん……っ!
がたん、ごとん、と何かを蹴飛ばしたり、ぶつけたりする音をひびかせながら、足音はこちらにやってくる。
そうして、瑠璃子の寝ている部屋の前までくると、ぴたりと止まった。
しん、と静かになる。
けれど、部屋の外に誰かがいることは確かで。瑠璃子は怖くて、何だか怖くてたまらなくて、ぶるぶる震えながら、手提げの切れ端を握った。
あっちへ行って。
あっちへ行って。こっちに来ないで!
そう念じていると、ひそひそとささやく声がした。さっきより、近くで。はっきりと聞こえた。
いるかあ。
いないよう。
いるかあ。
いないよう。
ささやき声は、そう言い合っていた。
どこだあ。
どこかなあ。
さがさないと。
ああ、さがさないと。
ひそひそと言う声は、そう続けた。
見つけたら、どうする。
見つけたら。
つかまえよう。
連れて行こう。
食べてしまおう。
そうだ、食べてしまおう。
ぱた、と足音がした。
あれは人の子だ。
いらない子だよ。
人の子だが、いらない子だ。
だからもらって行こう。
そうだ、もらっていこう。
(妖精さん……、妖精さん、妖精さん!)
瑠璃子は必死になって、手提げの切れ端を握りしめた。怖い。怖い。
怖い……!
ふ、と、切れ端が暖かくなった。はっとなって、握りしめていた手を開く。ばんやりとした小さな光が、花の部分からさしていた。
暖かく、優しい光が。
いるかあ。
いないなあ。
また、声がした。
いないなあ。
見つからないなあ。
匂いはするのに。
ああ、匂いはするのになあ。
ぱたん、と足音。
また来よう。
ああ、また来よう。
げらげらげら、と大きな笑い声。それから足音は、大きな音を立てて遠ざかって行った。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん……。
やがて再び、静寂が訪れた。
「……ぅく、ひっく、」
涙がこぼれた。瑠璃子は声を殺して泣いた。
怖かった。
早く、朝になってほしかった。