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第7話 中層探索——ナビのフリーズ

ナビの換装が完了したのは、浅層踏破から四日後のことだった。


 ジャンク屋の爺さんが「ほれ」と無造作にナビを返してきた。外見は変わらない。相変わらず塗装は剥げているし、プロペラの一枚は微妙に曲がったままだ。それでも、電源を入れた瞬間の起動音が違う。以前のブブブという不健康な音ではなく、ヒュンと鋭い回転音。


『起動完了。演算ユニットver.2.4、正常稼働。処理速度、従来比3.2倍。リアルタイム解析モードが使用可能になりマシタ。……ただし、並列処理の割り当てに最適化が必要デス。稀にフリーズする可能性がありマス』


「フリーズ?」


『新しい演算ユニットと旧型の筐体の相性問題デス。処理負荷が一定値を超えると、0.5秒ほど応答が停止する場合がありマス。使用しながら最適化を進めマス』


「まあいい。使いながら直せ」


 第11階層。中層の入口。


 華恋と二人で階段を降りる。空気が変わる。浅層の湿った洞窟から、古代遺跡のような石造りの空間へ。壁に刻まれた文様が青白く発光し、天井の魔石が冷たい光を落としている。床は滑らかな石畳だが、ところどころに深い亀裂が走っている。


「師匠。なんだか空気が重いですね。息苦しいというか」


「魔力濃度が浅層の倍以上ある。状態異常が発生しやすい環境だ。身体が重く感じるのはそのせいだ。すぐに慣れる」


『補足シマス。中層では環境魔力が高いため、モンスターの状態異常攻撃の成功率が浅層比で約1.5倍に上昇シマス。回避の精度がより重要になりマス。一度の被弾が致命傷になる可能性がありマス』


 通路を進む。足音が石壁に反響する。静かだ。浅層のように、モンスターが通路を徘徊している気配がない。静寂が逆に不気味だった。


「ナビ。敵は」


『前方12メートルに生体反応。1体。……種別解析中。ポイズンスネーク。毒の牙を持つ蛇型モンスターデス。攻撃パターンをリアルタイム解析モードで取得シマス』


 通路の奥、壁の隙間から緑色の鱗が覗いた。体長1.5メートルの蛇が、ゆっくりと這い出てくる。口から紫色の液体が糸を引いている。石畳に落ちた液体が、ジュッと音を立てて煙を上げた。


「リアルタイム解析、起動」


『起動シマシタ。ポイズンスネークの動きを追跡中……牙突き、発生0.4秒。予備動作として頭部が0.1秒先行して後方に引かれマス。毒液吐き、発生0.6秒。口を大きく開く動作が予備動作デス。毒の判定は、牙が対象に接触した瞬間に発生シマス。接触判定は0.05秒デス』


「0.05秒の接触判定か。無敵フレームで消せるな」


 蛇が頭を引いた。牙突き。


 動かない。0.2秒。0.3秒。紫色に光る牙が迫る。


「【微弱加速】」


 牙が身体を通過した。毒の判定なし。無敵フレーム中は、状態異常の付与判定も無効化される。浅層で確認した法則が、中層でも通用する。


「【パリィ】」


 蛇の胴体を横から叩く。硬直。


「華恋」


「はいっ!」


 炎が蛇を焼き尽くした。パキッ。杖が折れる。


『討伐確認。戦闘時間2.1秒。状態異常の付与なし。無敵フレームによる毒判定回避、成功デス』


「よし。中層でも同じ理屈が通る」


 華恋がほっとした顔をした。「毒って聞いて怖かったんですけど、避けられるんですね。もっと恐ろしいものかと思ってました」


「判定が瞬間的なものなら避けられる。問題は、持続型の状態異常だ。毒の霧とか、麻痺のフィールドとか。そういうのは無敵フレームじゃ対処できない。フレームが切れた瞬間に判定を食らうからな」


『マスター。第12階層以降に出現するポイズンスライムは、周囲に毒の霧を常時展開シマス。霧の中にいる間、毎秒毒判定が発生シマス。無敵フレームでは回避不可能デス』


「毎秒判定か。物理的に霧の外から攻撃するしかないな。華恋、お前の魔法の射程は」


「最大で20メートルくらいです。精度が落ちますけど、動かない的なら当てられます」


「十分だ。毒の霧の範囲を計測して、その外から撃つ。俺は近づかない。中層は知恵比べだ」


 第11階層を進みながら、ポイズンスネークを5体撃破した。全て同じパターン。無敵フレームで毒を回避し、パリィで硬直させ、華恋の魔法で仕留める。浅層と同じ流れだ。華恋の杖折りキャンセルも、完全に板についていた。


 第12階層に降りると、空気に甘い腐敗臭が混じった。通路の壁が紫色に変色している。


「ナビ。この臭い」


『毒の霧の前兆デス。前方にポイズンスライムの反応あり。距離25メートル。霧の展開範囲は推定半径8メートルデス』


 通路の奥に、紫色のゼリー状の物体が見えた。周囲に薄紫の霧が漂っている。霧の中の石壁が、ゆっくりと腐食している。


「華恋。ここから撃てるか」


「25メートル……ギリギリです。当たるかどうか」


「当てろ。外したら杖がもったいない。お前の魔法なら届く」


「プレッシャーかけないでください」


 華恋が杖を構え、目を細める。距離25メートル。動かない標的。呼吸を整え、詠唱。


 炎がまっすぐに飛び、ポイズンスライムに直撃した。スライムが膨張し、破裂するように消滅する。霧が薄れていく。


 パキッ。杖が折れる。


「当たりました!」


「いい射撃だ。この距離で当てられるなら、毒の霧は問題にならない」


 しかし、次の瞬間、ナビの警告が鳴った。


『マスター。後方から接近する反応あり。3体。ポイズンスネーク2体、パラライズスパイダー1体。距離8メートル。挟まれマシタ』


 振り返る。通路の後方から、蛇が二匹と巨大な蜘蛛が迫ってきていた。前方にはまだ毒の霧が残っている。前にも後ろにも行けない。


「華恋。後ろの三体を任せる。俺が前の霧が晴れるまで時間を稼ぐ」


「はい!」


 蛇の一匹が牙突きを仕掛けてきた。


「【パリィ】」


 弾く。硬直。もう一匹が毒液を吐く。


「【微弱加速】」


 毒液が通過する。無敵。


 蜘蛛が糸を射出した。白い糸が飛んでくる。


『パラライズスパイダーの糸。発生0.3秒。麻痺判定は接触時0.05秒デス。回避可能——』


 ナビの声が途切れた。


『ガ——……』


 フリーズ。0.5秒の応答停止。


 糸が腕に巻きついた。ピリッと電気が走るような感覚。身体が硬直する。麻痺。


「師匠!」


 華恋の声が聞こえる。動けない。3秒間の麻痺。蛇が牙を剥いて飛びかかってくる。視界が暗転する。


 炎が蛇を焼いた。華恋が二匹の蛇を連続で撃ち落とす。パキッ、パキッ。杖が二本折れる。見事な連続詠唱とキャンセル。


 蜘蛛が再び糸を射出する。華恋に向かって。


「華恋、避けろ!」


 声は出た。麻痺は声帯には及ばない。華恋が横に飛ぶ。糸が空を切る。


 三発目の炎が蜘蛛を焼き尽くした。パキッ。


 麻痺が解けた。身体が自由になる。膝をつく。冷や汗が背中を伝う。


「師匠、大丈夫ですか!」


「ああ……。ナビ」


『……復帰シマシタ。申し訳ありマセン。並列処理の負荷が閾値を超え、0.5秒間フリーズシマシタ。蜘蛛の糸の回避タイミングを伝達できマセンデシタ』


「原因は」


『リアルタイム解析で3体同時に追跡した際、演算リソースが枯渇シマシタ。現在の筐体では、同時追跡は2体が限界デス。3体以上の場合、優先順位を設定する必要がありマス』


 ナビの弱点が露呈した。新しい演算ユニットは速いけれど、旧型の筐体との相性問題で、高負荷時にフリーズする。実戦でフリーズされたら、命に関わる。


「華恋。助かった。お前がいなかったら、確実に死んでた」


「いえ……。でも師匠、さっきのフリーズ、怖かったです。急に動かなくなったから」


「ああ。対策を考える。ナビ、同時追跡の上限を2体に制限しろ。3体以上の場合は、最も脅威度の高い2体だけを追跡して、残りは俺が自分で見る。視覚で補う」


『了解デス。優先度設定を実装シマス。……マスター。申し訳ありマセン』


「謝るな。お前のせいじゃない。筐体の問題だ。いずれ換装する。それまでは、工夫で乗り切る」


 けれど、今は金がない。ナビの筐体を新型に換えるには、金貨50枚以上かかる。今の所持金では到底足りない。


 中層を進みながら稼ぐしかない。一歩ずつ。


「行くぞ。第12階層の残りを片付ける」


「はいっ」


 華恋が新しい杖を背中の束から引き抜いた。残り14本。今日中に第12階層を抜けられるか。


 通路の奥から、また甘い腐敗臭が漂ってきた。

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