第3話 杖折りキャンセル——0.1秒の武器
杖を折る。
言葉にすれば単純だ。それでも、実際にやってみると想像以上に難しかった。
「詠唱完了から0.3秒以内に折れ。それ以上遅れると、硬直が始まってからの中断になる。意味がない。早すぎれば魔法そのものが発動しない。0.3秒の窓だ。この0.3秒に全てを賭けろ」
「0.3秒」
華恋が木の杖を両手で握り、詠唱を始める。短い呪文。杖の先端に炎が凝縮し、放たれる。壁に着弾。そして——華恋の手が動く。杖を膝に叩きつけようとする。
パキッ、と乾いた音。杖が折れた。
『硬直キャンセル……失敗デス。杖の破壊タイミング、詠唱完了後0.52秒。硬直開始後の破壊のため、キャンセル判定は発生シマセンデシタ』
「遅い。0.2秒遅い」
「すみません。もう一回やります」
二本目の杖を手に取る。詠唱。発射。折る。
『0.48秒。失敗デス』
三本目。
『0.41秒。失敗デス』
四本目。
『0.38秒。失敗デス』
五本目。華恋の額に汗が浮いている。手のひらが赤くなっていた。木の杖を素手で折る衝撃が、繰り返し掌に蓄積している。
「休憩するか」
「いえ、続けます。あと五本あります」
六本目。詠唱。発射。折る。
『0.33秒。失敗デス。あと0.03秒デス』
華恋が唇を噛んだ。あと0.03秒。指先の感覚と、詠唱完了の瞬間を正確に一致させる必要がある。人間の反応速度の限界に近い精度を、意図的に再現しなければならない。
七本目。
『0.29秒——キャンセル成功デス!』
華恋の身体が硬直しなかった。魔法を放った直後に杖が折れ、そのまま自由に動ける状態が維持されている。
「やった!」
「一回成功しただけだ。再現性を確認する。残り三本、全部成功させろ」
「はいっ!」
八本目。成功。九本目。失敗。十本目。成功。
成功率は40パーセント。実戦で使うには低すぎる。しかし、仮説は証明された。杖折りキャンセルは機能する。
「明日、杖を五十本買ってこい」
「五十本……!?」
「成功率を90パーセント以上に上げる。それまで実戦には出さない。40パーセントの確率で硬直する魔法使いを、前衛で庇いきれるほど俺の腕は良くない」
華恋が目を丸くして、それから真剣な顔で頷いた。
「分かりました。五十本、買ってきます」
翌日から、第3階層の安全区画で反復訓練が始まった。朝から夕方まで、ひたすら杖を折り続ける。ナビが毎回タイミングを計測し、0.01秒単位でフィードバックを返す。
二日目。成功率52パーセント。
三日目。成功率68パーセント。華恋の手のひらには絆創膏が何枚も貼られていた。木の破片が刺さった跡もある。爪の間に木屑が入り込み、指先が紫色に変色している。
「手、大丈夫か」
「大丈夫です。痛いのは慣れました。前のパーティで『役立たず』って言われた時の心の痛みに比べたら、こんなの全然平気です」
嘘だろうと思った。手は赤く腫れ上がり、指先は微かに震えている。ところが、追及はしなかった。華恋の目には、痛みよりも強い何かが燃えていた。自分の力を、自分で制御する。その一点だけを見つめている目だ。
四日目。成功率81パーセント。華恋は折る動作を改良していた。膝に叩きつけるのではなく、両手で一気にへし折る。衝撃が分散され、手への負担が減る。自分で工夫している。教えていないのに。
五日目。成功率93パーセント。
『報告デス。桜庭華恋の杖折りキャンセル成功率が90パーセントを超えマシタ。実戦投入の基準を満たシテイマス』
「よし。明日から実戦だ」
華恋が杖の破片だらけの地面を見下ろして、小さく笑った。五日間で折った杖の数、合計127本。地面には木の破片が散乱し、まるで製材所の跡地のようだった。
「師匠。これ、実戦だと杖を何本持ち歩けばいいですか」
「一回の探索で使う魔法の回数を計算する。第5階層なら、遭遇するモンスターは平均15体。一体あたり魔法1発で倒せるとして、15本。予備を含めて20本」
「20本背中に背負って歩くんですか」
「そうだ。問題あるか」
「ないです。ちょっと格好悪いなって思っただけです」
「格好は関係ない。生き残ることが最優先だ。見栄を張って死ぬくらいなら、泥臭く生き残る方がマシだ」
翌朝。華恋は背中に木の杖を20本束ねて背負い、セーフエリアに現れた。他の探索者たちが奇異な目で見ていたけれど、華恋は気にしていない様子だった。むしろ、どこか誇らしげですらあった。
「行くぞ。第5階層だ」
「はいっ!」
第5階層。通路の奥からオークが現れた。戦斧を握り、こちらに向かって歩いてくる。
「華恋。俺が先に出る。オークの攻撃を引きつけて、パリィで硬直させる。硬直した瞬間に撃て。硬直時間は0.5秒。お前の詠唱時間は0.4秒。杖折りキャンセルを入れれば、硬直が解ける前に離脱できる」
「分かりました」
前に出る。オークが咆哮した。戦斧を振りかぶる。右肩が先行して持ち上がる。振り下ろし。
「【パリィ】」
戦斧の軌道を逸らす。オークが硬直した。
「今だ」
背後から華恋の詠唱が聞こえる。短い呪文。杖の先端に炎が凝縮し——オークの胸部に直撃。
パキッ。杖が折れる音。華恋の身体は硬直しない。そのまま後方に下がる。
オークが光の粒子になって消えた。
『討伐確認。戦闘時間2.8秒。両名の被ダメージ、ゼロデス』
「……できた」
華恋の声が震えていた。振り返ると、折れた杖の半分を握りしめたまま、目を見開いている。
「できました、師匠。私、自分で撃って、自分で止めて、自分で下がれました」
「ああ。完璧なタイミングだった。練習通りだ」
華恋の目から涙が一筋流れた。慌てて袖で拭う。
「すみません、泣くつもりじゃ。嬉しくて。前のパーティでは、ただ言われた通りに撃つだけで。いつ撃つか、どこに撃つか、全部人に決められてて。でも今、自分で判断して、自分で動けて」
「泣くのは後にしろ。まだ14体残ってる。涙で視界がぼやけたら、0.3秒のタイミングを外すぞ」
「はいっ!」
涙を拭いて、次の杖を背中の束から引き抜く。その動作がもう手慣れていた。
第5階層を4時間かけて巡回した。オーク12体、リザードマン8体、ガーゴイル3体。全て二人の連携で撃破。華恋の杖折りキャンセル成功率は実戦で91パーセント。失敗した2回は、ナビの警告通り4時間目以降に集中していた。疲労が精度を蝕む。
「疲労で精度が落ちてる。今日はここまでだ」
「はい。師匠、明日も来ていいですか」
「当然だ。明日は第6階層に行く。新しいモンスターが出る。お前の魔法のフレームデータも計測し直す必要がある」
セーフエリアに戻る途中、華恋が小さな声で言った。
「師匠。私、初めてです。戦闘が楽しいって思ったの」
返事はしなかった。けれど、少しだけ分かる気がした。法則を見つけ、それを実行し、結果が出る。その過程には、才能の有無は関係ない。理屈と努力だけが物を言う。
それが楽しいと感じられるなら、華恋は向いている。
『マスター。本日の戦闘ログを保存シマシタ。桜庭華恋の戦闘データも記録シテイマス。明日以降の連携最適化に使用シマスカ?』
「ああ。使う。華恋の魔法の発生フレーム、硬直時間、キャンセルタイミング。全部記録しておけ」
『了解デス。マスター、一つ確認デス。桜庭華恋は「弟子」デスカ、「パーティメンバー」デスカ?』
「弟子だと言っただろ」
『しかし、本日の行動パターンは、パーティとしての共同戦闘に該当シマス。分類を修正シマスカ?』
「好きにしろ」
『「パーティメンバー(暫定)」に修正シマス』
ナビのプロペラが、少しだけ得意げに回転した気がした。気のせいだろう。AIに感情はない。
帰り道、ギルドの掲示板の前を通りかかった。新しい張り紙が一枚、目に入る。
『剣崎蓮パーティ 第15階層到達 新記録更新』
第15階層。中層の半ば。剣崎は着実に先に進んでいる。才能と、圧倒的なステータスで。
目を逸らして、出口に向かった。競争するつもりはない。自分の道を行くだけだ。
けれど、いつか追いつく。いや、追い越す。理屈で。
その確信だけが、胸の奥で静かに燃えていた。




