第2話 仮説と検証——リアルタイム読みの萌芽
三日目。第3階層。
ゴブリンの短剣は振り下ろしまで0.6秒。横薙ぎは0.45秒。連続攻撃の間隔は1.1秒。全てナビに記録させた数値だ。
四日目。第4階層。
コボルドの槍突きは0.7秒。フェイントを挟む個体がいる。フェイントの場合、予備動作で左足が0.05秒早く動く。その差を見切れば、本命の攻撃タイミングを正確に予測できる。
『マスター。本日の計測結果を報告シマス。第4階層のモンスター8種について、全攻撃モーションの発生フレームを記録完了デス。累計で浅層モンスター23種、攻撃パターン67種のデータベースが構築されマシタ』
「よし。第5階層のデータも欲しい。明日行く」
『バッテリーの件デスが。現在の稼働パターンでは、1日の活動限界が約5時間デス。省電力モードを使えば7時間まで延長可能デスが、計測精度が12パーセント低下シマス』
「精度は落とせない。5時間で十分だ」
アパートに戻り、壁のフロアマップに新しい数値を書き込む。赤ペンのインクが薄くなってきた。買い替えなければ。
五日目。第5階層。
ここは剣崎のパーティが周回していた階層だ。オーク、リザードマン、ガーゴイル。中級者向けのモンスターが出現する。ソロで来る探索者はほとんどいない。
通路の角を曲がると、オークが一体、背中を向けて立っていた。体長2メートル。丸太のような腕に、錆びた戦斧を握っている。
「ナビ。オークの攻撃パターン、既存データとの照合を頼む」
『照合中……第5階層のオークは、第4階層のコボルドと比較して攻撃速度が約1.3倍。戦斧の振り下ろしに0.9秒、横振りに0.6秒。予備動作として、振り下ろし前に右肩が0.15秒先行して持ち上がりマス』
「右肩か。分かった」
足音を殺して近づく。距離5メートル。オークが振り返った。小さな目が、こちらを捉える。
咆哮。戦斧を振りかぶる。右肩が先行して持ち上がった。振り下ろしだ。
0.9秒。
動かない。0.3秒。0.5秒。戦斧が頭上に達する。0.7秒。振り下ろしが始まる。
「【パリィ】」
ショートソードの腹で、戦斧の柄を横から叩く。軌道が逸れ、石畳に叩きつけられる。火花が散った。
オークの身体が硬直した。【パリィ】成功時の硬直、0.5秒。
「【小ステップ】」
背後に回り込む。首の付け根。ショートソードを突き刺す。
オークが膝をつき、光の粒子になって消えた。
『討伐確認。マスターの被ダメージ、ゼロ。戦闘時間、3.2秒デス』
息を整える。心臓は相変わらずうるさいが、三日前よりはましだ。身体が慣れてきている。理屈を信じる覚悟が、少しずつ肉体に染み込んでいく。
その後、第5階層を4時間かけて巡回した。オーク12体、リザードマン8体、ガーゴイル3体。全て無傷で撃破。ナビのデータベースに、第5階層の全モンスターの攻撃フレームが記録された。
『マスター。浅層のモンスターデータベースが実用水準に達シマシタ。第1階層から第5階層まで、全モンスター31種、攻撃パターン89種を網羅シテイマス』
「これで浅層は完成だ」
セーフエリアのベンチに座り、水を飲む。周囲には他の探索者のパーティが数組いた。3人組、5人組。談笑しながら装備を整えている。ソロで座っているのは自分だけだ。
視線を感じた。隣のベンチに座っていた男が、こちらを見ている。
「あんた、さっきのオーク戦……見てたんだけどさ。なんだあれ。攻撃が当たる寸前まで動かないで、最後の最後でパリィって。正気か?」
「効率がいいからそうしている」
「効率……? 普通に避けた方が安全だろ」
「避けると距離が開く。距離が開くと追撃に時間がかかる。パリィなら距離を維持したまま相手を硬直させられる。0.5秒の硬直中に背後に回れば、一撃で終わる」
男は首を傾げて、「変わった奴だな」と呟いて去っていった。
変わっている自覚はある。普通の探索者は、安全マージンを大きく取る。攻撃が来たら早めに避ける。それが常識だ。しかし、常識的な戦い方では、ステータスの低い人間は上の階層に行けない。
数字を信じる。フレームを信じる。0.1秒の隙間を、正確に突く。それが、才能のない人間に残された唯一の道だ。
『マスター。一つ、報告がありマス』
「なんだ」
『過去5日間の戦闘ログを分析シマシタ。マスターの回避成功率は現在98.7パーセント。しかし、失敗した1.3パーセントの全てが、連続戦闘の4時間目以降に集中シテイマス』
「疲労か」
『はい。集中力の低下により、判断速度が平均0.03秒遅延シテイマス。現在のマスターの戦闘スタイルでは、0.03秒の遅延が致命的な被弾に繋がる可能性がありマス』
「つまり、4時間が限界ってことか」
『現時点では、そう結論シマス。マスター。いつか0.1秒を外す日が来マス。その時のために、代替手段を検討することを推奨シマス』
ナビの警告を、頭の隅に留めておく。正しい指摘だ。人間は機械ではない。集中力には限界がある。いつか必ず、タイミングを外す日が来る。
が、今はまだ考えない。まずは浅層を完全に攻略する。第6階層から第10階層のデータを集め、フロアボスに挑む。
「明日は第6階層だ。新しいモンスターが出る。データを取るぞ」
『了解デス。バッテリーは満充電にしておきマス』
六日目、七日目と、同じ日々が続いた。朝起きて、ダンジョンに潜り、モンスターの攻撃フレームを計測し、戦い、記録し、帰る。おにぎりを食べて、フロアマップに数値を書き込んで、眠る。
地味な作業だ。華やかさは欠片もない。剣崎のように一振りで敵を両断する爽快感もなければ、パーティメンバーと笑い合う楽しさもない。
けれど、壁のフロアマップに書き込まれた数値が日に日に増えていくのを見ると、胸の奥が静かに熱くなる。世界の法則が、少しずつ明らかになっていく。その感覚だけで、十分だった。
八日目の朝。第5階層のセーフエリアで装備を確認していると、背後から声がかかった。
「あの……すみません」
振り返る。若い女性が立っていた。赤い髪を短く切り揃え、背中に木の杖を背負っている。魔法使いの装備だ。年齢は十代後半か。大きな目が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「さっき、オークを倒してるの見ました。あの……すごく変な戦い方でした」
「……褒めてるのか、けなしてるのか」
「褒めてます! あの、私、桜庭華恋って言います。魔法使いです。その……弟子にしてもらえませんか」
唐突な申し出に、言葉が出なかった。ナビが横で『心拍数、正常範囲デス』と余計な報告をしている。
「弟子って俺はパーティを組む気はない」
「パーティじゃなくていいです。教えてほしいんです。あの、攻撃が来る瞬間まで動かないで、最後の最後で避けるあれ、どうやってるんですか」
「フレームを数えてるだけだ。モンスターの攻撃には決まったタイミングがある。それを計測して、合わせてる」
華恋の目が大きく見開かれた。
「計測。そんなこと、考えたこともなかったです」
「普通は考えない。俺が変なだけだ。悪いが、弟子は取らない」
立ち上がって歩き出そうとした。華恋が慌てて追いかけてくる。
「待ってください! 私、前のパーティでただ魔法を撃つだけの人形みたいに扱われてました。『派手な魔法を撃て、それだけでいい』って。でも、私は自分の力を自分で制御したいんです。あなたみたいに、理屈で、正確に」
足が止まった。
振り返る。華恋の目には、涙こそ浮かんでいないけれど、切実な何かが宿っていた。操り人形ではなく、自分の意志で戦いたい。その願いの形が、少しだけ自分と重なって見えた。
「……お前の魔法、見せてみろ」
華恋の顔が輝いた。杖を構え、短い詠唱を唱える。杖の先端に炎が凝縮し——放たれた。壁に着弾。石壁が赤熱して、小さなクレーターができる。
威力は十分だ。問題は、その後。華恋の身体が1.5秒ほど完全に硬直していた。詠唱後の硬直。その間、一切の行動ができない。
「ナビ。今の硬直時間」
『1.48秒デス。魔法スキル【爆炎魔法】の仕様上の硬直と推定シマス』
1.48秒。戦闘中に1.5秒も動けなくなるのは致命的だ。前のパーティでは、仲間が守っている間に撃つだけだったのだろう。だから「人形」だと感じた。
けれど。
「その硬直キャンセルできるかもしれない」
「え?」
「スキルの処理は、特定の条件で中断できる場合がある。お前の杖、予備はあるか」
「杖……ですか? これ一本ですけど」
「明日、安い木の杖を十本買ってこい。折る練習をする」
「折る……?」
「詠唱完了の直後に杖を物理的に折れば、システムが『スキル媒体の喪失』と判定して処理を中断する可能性がある。中断されれば、硬直もキャンセルされる。仮説だが、試す価値はある」
華恋が呆然とした顔で、自分の杖を見下ろした。それから、ゆっくりと顔を上げて笑った。
「分かりました。明日、杖を十本買ってきます。師匠」
「師匠はやめろ」
「師匠!」
聞いていない。まあいい。
ナビが『パーティメンバーの追加を検討シテイマスカ?』と聞いてきた。
「弟子だ。パーティメンバーじゃない」
『了解シマシタ。弟子として登録シマス。……該当カテゴリが存在シマセン。「その他」に分類シマス』
翌朝。華恋は約束通り、木の杖を十本抱えてセーフエリアに現れた。安物の杖が束になって、まるで薪を運んでいるように見える。
第3階層の安全な区画で、訓練を始めた。




