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第19話 深層の脅威——溶岩ゴーレム

第21階層。深層。


 階段を降りた瞬間、世界が変わった。


 熱い。肺に入る空気が焼けるように熱い。呼吸するだけで喉の奥が焦げる感覚がある。中層までの「暑い」とは次元が違う。これは「環境そのものが敵」だ。


 耐熱ポーションを飲む。喉を通る冷たい液体が、体の内側から薄い膜を張っていく。環境熱が遮断される。呼吸が楽になった。


『耐熱ポーション効果確認。耐熱マントによる延長を適用シマス。残り時間45分。カウントダウン開始シマス。——環境温度、摂氏120度。ポーションなしでは即死デス。残り時間には常に注意シテクダサイ』


 ゴーグルの視界に情報が表示される。右上にHP。左上にミニマップ。中央下部にポーション残り時間のカウントダウン。44:48。44:47。数字が刻々と減っていく。


 壁が赤い。溶岩が壁面を流れている。天井から溶岩の滴が落ちてくる。滴が床に当たるたびに、ジュッという音と白い蒸気が上がる。床は黒い玄武岩。所々にひび割れがあり、そこから赤い光が漏れている。足元が微かに振動している。地下深くでマグマが流動しているのだ。


「師匠……すごいですね。中層とは全然違う」


 華恋の声が震えている。恐怖ではない。圧倒されている。


「ああ。別世界だ。ここからは一つのミスが死に直結する。中層のように試行錯誤する余裕はない」


 華恋が炎樹の杖を握っている。赤黒い木目の表面が、この環境では微かに発光している。溶岩洞に自生する灼熱樹から削り出された杖だから、高温環境に馴染んでいるのだ。冷気魔法の触媒として機能する。


「進むぞ。最初の敵が来るまでに、環境に慣れておけ。足場に注意しろ。ひび割れを踏むと溶岩が噴き出す可能性がある」


「はい」


 通路を進む。中層の石造りの回廊とは違い、自然の洞窟のような不規則な形状。天井が低い場所では身を屈める必要がある。広い空洞では視界が開けるが、遮蔽物がなく敵に見つかりやすい。狭い隙間では一列でしか進めない。地形が複雑で、戦闘の選択肢が制限される。


 5分ほど進んだところで、ナビが反応した。


『敵反応。前方12メートル。溶岩ゴーレム1体。中層のストーンゴーレムの上位種デス。フレームデータを参照シマス——攻撃パターン3種。拳の叩きつけ、発生0.5秒。溶岩弾、発生0.8秒。突進、発生0.7秒。弱点は胸部の冷却核デス』


「よし。パターンは把握している。華恋、俺が回避して隙を作る。胸部の冷却核を狙え。中層と同じ手順だ」


「はい」


 溶岩ゴーレムが見えた。全長3メートル。溶岩が固まったような体表。赤黒い岩の隙間から、オレンジ色の光が脈動している。胸部に青白い結晶——冷却核。あれを砕けば倒せる。


 距離を詰める。ゴーレムがこちらに気づいた。二つの空洞のような目が赤く光る。右腕を振り上げる。拳の叩きつけ。


 発生0.5秒。タイミングを合わせて——


「【微弱加速】」


 無敵フレーム——


 拳が当たった。


「——っ!?」


 吹き飛ばされた。壁に叩きつけられる。背中に衝撃。岩が砕ける音。HPが22パーセント削れた。視界が一瞬白くなる。


『マスター! HP残り78パーセント!』


 地面に転がる。痛い。背中が焼けるように痛い。壁面の溶岩に触れたのか、耐熱ポーションの膜が一部焼け焦げている。


「なんだ今の——フレームデータでは0.5秒のはずだ——」


 起き上がる。ゴーレムがこちらに向かってくる。


『解析中——攻撃発生タイミング、0.3秒。フレームデータと0.2秒のズレがありマス。データが——古いデス。更新されテイマス』


「更新……?」


『定期アップデートデス。ギルドマスターが警告した通りデス。深層のモンスターは、パラメータが定期的に更新されマス。記録済みのフレームデータは——無効デス』


 無効。


 全てのフレームデータが。中層までの20階層分の蓄積が。リアルタイム読みのテストで使うはずだった基準値が。全て無効。


「師匠! 大丈夫ですか!?」


「来るな! 距離を取れ!」


 華恋が駆け寄ろうとしていた。止める。ゴーレムの攻撃範囲に入らせるわけにはいかない。


 ゴーレムが追撃してくる。右腕を引く。溶岩弾。赤い塊が飛んでくる。


 横に転がる。溶岩弾が壁に着弾し、飛沫が散る。耐熱ポーションの膜が飛沫を弾いた。膜が薄くなっている感覚がある。何度も被弾すれば、膜が持たなくなる。


「ナビ! 今の攻撃のタイミングは!」


『溶岩弾、発生0.5秒。フレームデータでは0.8秒デシタ。0.3秒速くなっテイマス。突進は——未確認デスが、同様に速くなっている可能性が高いデス』


 全てが速くなっている。0.2から0.3秒。無敵フレームを合わせるタイミングが全て狂う。0.2秒のズレは、人間の反応速度では補正できない。


 ゴーレムが突進してきた。地面を蹴る振動が伝わってくる。


「【微弱加速】」


 今度は早めに発動する。0.3秒早く。勘で。


 ——通過。無敵。当たらなかった。


 助かった。しかし、タイミングが合っていない。勘で避けただけ。計算ではない。次も同じように避けられる保証はない。


「華恋! 撃て! 胸部!」


 華恋が炎樹の杖を地面に叩きつけた。ドンッ。衝撃波が杖を通じて魔力に変換され、冷気の弾丸がゴーレムの胸部に直撃した。冷却核にひびが入る。ゴーレムの動きが一瞬止まる。


 もう一度。ドンッ。二発目。冷却核が砕けた。青白い破片が飛び散り、ゴーレムの体表の光が消えていく。巨体がゆっくりと前のめりに崩れ落ちた。地面が揺れる。


『溶岩ゴーレム、討伐確認。——マスター。このまま従来のフレームデータに頼る戦い方は、深層では通用シマセン。早急にリアルタイム読みへの移行が必要デス』


「分かってる」


 壁にもたれた。背中が痛む。22パーセントのダメージ。たかがゴーレム1体に。中層なら無傷で倒せた相手に。


 ポーションを飲む。HPが回復していく。しかし、消費したポーションは戻らない。深層では回復アイテムの管理が生死を分ける。


「師匠……どうしますか」


 華恋が心配そうにこちらを見ている。


「一旦、セーフエリアに戻る。考える時間が要る」


 セーフエリア。溶岩洞の中に点在する、環境熱が遮断された安全地帯。青い結晶が壁面に埋め込まれ、冷気を放っている。結晶の光が洞窟を青白く照らし、溶岩の赤とは対照的な空間を作り出している。


 岩に座る。考える。


 フレームデータが使えない。これまでの戦い方の根幹が崩れた。


 事前に敵の攻撃パターンを記録し、最適な回避タイミングを計算する。それが全てだった。20階層分の蓄積。何百体ものモンスターの記録。それらが全て——紙屑になった。


 先日テストしたリアルタイム読み。あの時は精度が低かった。しかし今、それしか手段がない。


「ナビ。リアルタイム読みの精度は、テスト時からどれくらい改善している」


『テスト時の精度は62パーセントデシタ。その後のアルゴリズム調整で、現在の推定精度は68パーセントデス。ただし、深層のモンスターは中層とは動きの質が異なるため、実際の精度はさらに低下する可能性がありマス』


「68パーセント。10回中3回は外れる」


「師匠。68パーセントでも、0パーセントよりはましですよ。フレームデータが全部無効なら、今は0パーセントなんですから」


 華恋が言った。正しい。0と68なら、68を選ぶしかない。


「そうだな。68パーセントから始めて、戦いながら精度を上げていく。それしかない。——ナビ。リアルタイム読みシステムを本格起動しろ」


『了解デス。リアルタイム読みシステム、起動シマス。——マスター。このシステムは、敵の予備動作から攻撃発生タイミングを予測シマス。筋肉の収縮、重心の移動、魔力の流れ。それらの微細な変化をゴーグルのセンサーで検知し、攻撃が発生する前に警告を出シマス。ただし——』


「ただし?」


『予測が外れた場合、誤った回避タイミングを指示する可能性がありマス。安全マージンを大きく取る必要がありマス。具体的には、従来の2倍の距離を保つことを推奨シマス』


「2倍の距離。つまり攻撃チャンスが半減する。効率が落ちる」


「でも、死なないですよね。効率が落ちても、死なない方がいいです」


 華恋の言葉。イフリート戦の敗北から学んだ教訓。安全マージンを削って効率を求めた結果が、あの大敗だった。


「ああ。その通りだ。安全マージン優先。効率は後から上げる」


 立ち上がる。背中の痛みは引いた。


「行くぞ。次の敵で試す。リアルタイム読みの初陣だ」


「はい」


 セーフエリアを出る。溶岩洞の熱気が再び身体を包む。ゴーグルのカウントダウンが進んでいる。残り37分。


 ここから先は、手探りだ。蓄積した記録は使えない。目の前の敵を、目の前の情報だけで読む。


 新しい戦い方。リアルタイム読み。


 その最初の一歩を、今から踏み出す。

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