第18話 ゴードン——6年の経験
深層突入の前日。訓練場を借りた。
ギルド地下の模擬戦闘室。壁と床が特殊素材で覆われ、魔法を使っても損傷しない。中央に木製の標的人形が5体並んでいる。天井が高く、声が反響する。他の探索者の姿はない。早朝に予約を入れて、貸し切りにした。
「華恋。炎樹の杖の練習だ。まず叩きつけの感覚を掴め」
「はい」
華恋が炎樹の杖を構えた。赤黒い木目。通常の杖より太く、重い。折る杖とは根本的に扱いが違う。折る杖は消耗品だった。一発撃ったら捨てる。狙いも大雑把でよかった。炎樹の杖は違う。繰り返し使える代わりに、正確な動作が要求される。
華恋が杖を振り下ろした。床に叩きつける。
ドン、と鈍い音。衝撃波が足元から広がる。標的人形が揺れた。しかし——
「……あれ。炎が出ない」
『華恋さん。叩きつけの角度が浅いデス。45度以上の角度で、かつ魔力を杖に込めながら振り下ろす必要がありマス。折る杖のように「破壊の瞬間」に魔力が解放されるのではなく、「衝撃の瞬間」に魔力が放出される仕組みデス。タイミングが異なりマス』
「衝撃の瞬間。折る時は、パキッて折れた瞬間に出てたけど」
「そうだ。折る杖は折れる瞬間が魔力の解放点。炎樹の杖は叩きつけた瞬間が解放点。0.1秒ほどタイミングが早い。魔力を込め始めるのは振りかぶった時点。込めながら振り下ろし、衝撃と同時に放出する。三つの動作を一つに繋げろ」
「込めて、振って、叩くを同時に。はい。もう一回」
華恋が杖を振り上げる。目を閉じて集中する。魔力を込める。目を開ける。今度は角度を意識して——振り下ろす。
ドン。床に衝撃。そして——赤い炎が杖の先端から噴き出した。標的人形に直撃。木製の胴体が黒く焦げる。炎が渦を巻いて広がり、隣の標的人形にも延焼した。
「出た! 出ました師匠!」
華恋が飛び跳ねた。杖を掲げて笑っている。
「角度はいい。威力も十分だ。ただ、魔力の込め方にムラがある。今のは成功したが、5回に1回は不発になるだろう。安定するまで繰り返せ。最低でも8割の成功率を目標にしろ」
「はい!」
華恋が繰り返し杖を振り下ろす。ドン。ドン。ドン。3回に1回は炎が出る。2回に1回。徐々に成功率が上がっていく。華恋の額に汗が浮かぶ。腕が震え始める。それでも止めない。
「師匠。腕がちょっと重くなってきました」
「炎樹の杖は折る杖より重い。腕の筋力が足りない。本番では連続使用を10回までに制限しろ。それ以上は精度が落ちる」
「10回。分かりました」
華恋が練習を続ける間に、ゴーグル型ナビのテストを行う。
模擬戦闘室の壁面に設置された射出装置。ゴム弾を不規則なタイミングで発射する。訓練用の装置だ。速度と間隔を調整できる。深層のモンスターの攻撃速度に合わせて設定する。
「ナビ。リアルタイム読みのテストを始める。射出装置の予備動作を読んで、発射タイミングを予測しろ」
『了解デス。射出装置の機構を解析中——バネの圧縮音が発射0.3秒前に発生シマス。また、射出口のカバーが開く動作が0.2秒前に検知可能デス。これらを複合して警告を出シマス』
「0.3秒前か。十分だ。始めろ」
射出装置が動き出す。
パシュッ。ゴム弾が飛んでくる。
——遅い。ゴーグルの視界に赤い枠が表示された瞬間、体が動いていた。ゴム弾が横を通過する。風圧が頬を撫でる。
「見えた。これは——今までと全然違う」
ドローン型の時は、ナビが音声で「右から攻撃」と警告していた。音声を聞いて、意味を理解して、体を動かす。3段階の処理が必要だった。ゴーグル型は違う。視界に直接、赤い枠と矢印が表示される。見た瞬間に体が動く。2段階。1段階分の時間が短縮される。
『音声警告より0.15秒速く情報が届いていマス。視覚情報は聴覚情報より脳の処理が速いデス。さらに、回避方向も矢印で表示シテイマスので、回避方向の判断が不要になりマス。認知負荷が大幅に軽減されマス』
「回避方向の判断が不要。つまり、考えなくていい。見えた方向に体を動かすだけでいい」
『その通りデス。深層のモンスターが未知のパターンで攻撃してきても、予備動作さえ検知できれば対応可能デス。フレームデータに依存しない、真の意味でのリアルタイム回避デス』
パシュッ。パシュッ。パシュッ。連続射出。3発同時。異なる方向から。
視界に3つの赤い枠。左上、正面、右下。矢印が示す安全地帯——右斜め前。
左に跳びながら身を屈める。3発全てが空を切る。かすりもしない。
「3発同時でも避けられる。これなら——」
パシュッパシュッパシュッパシュッパシュッ。5発連続。間隔0.2秒。
視界が赤い枠で埋まる。矢印が錯綜する。安全地帯が存在しない。
——無理だ。体が追いつかない。2発目を避けた瞬間に3発目が当たった。ゴム弾が肩に当たる。鈍い痛み。4発目が腹に。5発目が太腿に。
「くっ——」
『マスター。連続5発の場合、3発目以降は回避が物理的に不可能デス。人体の反応速度と移動速度の限界を超えていマス。対策としては——華恋さんの援護で弾幕を減らすか、事前に射線から外れた位置取りをするか、のどちらかデス』
「位置取りか。つまり、攻撃が来る前に安全な場所にいる必要がある」
『はい。リアルタイム読みは万能ではありマセン。あくまで「予備動作が見えた攻撃」にしか対応できマセン。予備動作のない攻撃——例えば環境ダメージや、複数体からの同時攻撃——には、事前の位置取りと戦術で対応する必要がありマス。リアルタイム読みを過信すると、イフリート戦の二の舞になりマス』
「分かった。リアルタイム読みに頼りすぎるな、ということだな」
『その通りデス。リアルタイム読みは補助デス。主軸はあくまでマスターの判断と華恋さんとの連携デス。道具に使われるのではなく、道具を使いこなすこと。それがマスターの強みデス』
頷いた。道具を使いこなす。フレームデータに依存していた過去の自分と同じ轍を踏まない。
華恋がこちらに駆け寄ってきた。額に汗。手に炎樹の杖。息が弾んでいる。
「師匠。10回中8回、炎が出るようになりました。あと、角度を変えると炎の飛ぶ方向も変えられることに気づきました。斜めに叩くと斜めに飛びます」
「8割か。合格ラインだ。方向の制御は応用技だな。明日の実戦で9割に上げろ。実戦の緊張感で精度が落ちる分を計算に入れておけ」
「はい。……師匠、ゴーグル、すごいですね。さっきの避け方、今までと全然違いました。なんか、攻撃が来る前に動いてるみたいに見えました」
「ああ。視界に直接情報が出る。反応が段違いに速くなった。——ただし、万能じゃない。連続攻撃には対応できない。お前の援護が必要だ。複数の敵が同時に攻撃してきた時、お前が一体を止めてくれれば、残りは避けられる」
「任せてください。炎樹の杖、もう使いこなせます。……たぶん」
「たぶん、は要らない」
「使いこなせます!」
華恋が胸を張った。杖を握る手に力が入っている。目が輝いている。
訓練を終えて、宿に戻る。夕暮れの街を歩く。ギルドの前を通りかかると、掲示板に新しい張り紙が出ていた。
『深層探索者募集——第25階層以降の情報を共有できる方を求む。報酬あり。連絡先:ゴードン』
ゴードン。深層の先輩。経験と勘で戦う旧世代の探索者。明日、会うことになるかもしれない。
宿に戻る。夜。窓の外に星が見える。明日から深層。第21階層。溶岩洞。未踏の領域。
装備を確認する。ショートソード。耐熱マント。耐熱ポーション20本。強化杖50本。炎樹の杖。ゴーグル型ナビ。
全て揃っている。準備は万全。
——本当に万全か?
イフリート戦の敗北を思い出す。あの時も「万全」だと思っていた。計算は完璧だった。しかし、華恋の疲労という変数を見落としていた。
今回は違う。安全マージンを組み込んでいる。撤退の判断基準も明確にしてある。耐熱ポーションの残り時間が10分を切ったら即撤退。HPが5割を切ったら即撤退。華恋の杖が残り5本になったら即撤退。
それでも——未知の領域だ。何が起こるか分からない。
『マスター。就寝を推奨シマス。明日の探索に備えて、最低6時間の睡眠が必要デス。心拍数が通常より12パーセント高いデス。緊張シテイマスか?』
「……少しな」
『正常な反応デス。未知への恐怖は、生存本能デス。恐怖を感じない者は、深層で死にマス』
「慰めてるのか脅してるのか分からないな」
『事実を述べていマス。おやすみなサイ、マスター』
目を閉じる。
追放から二ヶ月。浅層を15日で踏破し、中層を一ヶ月半で踏破した。深層は——どれだけかかるか分からない。
分からない。それが、怖い。
計算できない領域に踏み込む。フレームデータが通用しない世界。リアルタイム読みという新しい武器はある。ゴーグル型ナビという新しい目がある。炎樹の杖という新しい火力がある。安全マージンという新しい思想がある。しかし、それが本当に通用するかは、やってみなければ分からない。
——やる。
ここまで来たのは、計算と理屈の力だ。才能がなくても、考えることを止めなければ、道は開ける。それを証明してきた。追放された日から、一日も休まず考え続けてきた。
深層でも同じだ。考え続ける。計算し続ける。華恋と一緒に。ナビと一緒に。
目を閉じた。心拍が落ち着いていく。
明日、深層が始まる。
第3部、完。




