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第17話 深層への道——新たな仲間

ギルドマスターの執務室。重厚な木の机。壁一面の本棚。窓から差し込む西日が、埃を金色に照らしている。部屋の隅に古びた剣と盾が飾られていた。現役時代の装備だろう。


 白髪の老人が書類を広げていた。ギルドマスター・ヴェルナー。元Aランク冒険者。引退して20年。顔に刻まれた傷跡が、かつての戦歴を物語っている。


「第20階層クリア、おめでとう。追放から二ヶ月足らずでここまで来るとは、正直驚いた。いや——驚いたという言い方は正確ではないな。呆れた、が近い」


「ありがとうございます。それで、深層への挑戦権について——」


「焦るな。まず説明させてくれ。深層で死んだ探索者を何人見送ったか、お前は知らんだろう」


 ヴェルナーが地図を広げた。ダンジョンの断面図。第1階層から第30階層まで。浅層は緑、中層は青、深層は赤で塗り分けられている。赤い領域に、いくつもの×印が付いていた。死亡記録だ。


「深層——第21階層から第30階層——は、中層までとは根本的に異なる。三つの点で。これを理解せずに入った者は、例外なく死んでいる」


 指が地図を叩く。


「一つ目。環境ダメージ。第21階層以降は灼熱の溶岩洞だ。壁面から溶岩が流れ、床は焼けた岩盤。気温は常時80度を超える。耐熱装備なしでは3分で死ぬ。耐熱ポーションの効果時間は30分。切れたら即撤退。猶予はない。ポーションが切れてから出口に辿り着くまでの時間を計算に入れておけ。最低でも5分の余裕を持て」


「耐熱ポーションの入手方法は」


「ギルドで販売している。1本500ゴールド。高い。一回の探索で最低4本は必要だ。2,000ゴールドが入場料だと思え。金が尽きたら深層には入れない。資金計画を立てておけ」


「分かりました。二つ目は」


「定期アップデート」


 ヴェルナーの声が低くなった。


「深層のモンスターは、ダンジョンの管理システムによって定期的にパラメータが更新される。攻撃速度、パターン、弱点——全てが変わる。中層までのように、一度覚えたフレームデータを使い回すことができない」


 ——それは、致命的だ。


 フレームデータの蓄積。それがこちらの戦い方の根幹だった。敵の攻撃パターンを記録し、最適な回避タイミングを計算する。その前提が崩れる。浅層から中層まで、全ての戦闘はフレームデータの上に成り立っていた。それがない世界。


「アップデートの頻度は」


「不定期だ。1日で変わることもあれば、1週間変わらないこともある。予測不能。昨日通用した戦術が、今日は通用しない。それが深層だ」


「三つ目は」


「未踏域。第25階層以降は、現在攻略中の探索者がほぼいない。第30階層を超えた者は、過去に3人しかいない。情報が極めて少ない。お前たちは、ほぼ手探りで進むことになる」


 沈黙が落ちた。


 定期アップデート。フレームデータが使えない。それは——今までの戦い方の全否定に等しい。


『マスター。提案がありマス』


 ナビが割り込んだ。ドローンが机の上でプロペラを回しながら浮いている。


『事前に記録したフレームデータが使えないのであれば、リアルタイムでフレームを読む方法に切り替えればいいデス。敵の予備動作——筋肉の収縮、重心の移動、呼吸のリズム、関節の角度変化——から、攻撃の発生タイミングを即座に予測する。過去のデータではなく、目の前の情報から計算する。事前記録型から即時解析型への転換デス』


「リアルタイム読み。可能なのか」


『現在の演算能力では不可能デス。処理が追いつきマセン。ドローン型筐体の場合、飛行制御に演算リソースの40パーセントを消費シテイマス。残り60パーセントでは、リアルタイム解析に必要な処理速度の半分しか出マセン。しかし——筐体を変更すれば、理論上は可能デス』


「筐体の変更?」


『ゴーグル型への移行デス。飛行を捨て、全演算リソースを解析に回す。さらに、マスターの視界に直接情報を表示できマス。HUD表示。敵の予備動作を検知した瞬間に、視界内に警告を出せマス。音声警告より0.15秒速い。合計で反応速度が0.2秒向上シマス』


「飛べなくなるのか」


『はい。ドローンとしての機能は全て失われマス。偵察飛行、上空からの俯瞰、離れた位置からの観測——全てできなくなりマス。代わりに得られるのは、リアルタイム読みと視覚HUDデス。トレードオフデス』


 ヴェルナーが顎を撫でた。


「面白い判断だな。飛行能力を捨てて解析能力を取る。深層では正しい選択だ。上空からの偵察より、目の前の敵の攻撃を読む方が重要だからな」


「師匠。ナビさんがゴーグルになるんですか?」


 華恋が心配そうな顔をしている。


「ああ。深層に対応するために」


「ナビさん。飛べなくなって、寂しくないですか?」


『感情はありマセン。性能が向上するのデスから、合理的な判断デス』


 ナビのレンズが一瞬だけ明滅した。


『……ただし、飛行データは保存シテオキマス。将来的に筐体を戻す可能性もありマスので。データの保全は基本デス。感傷とは無関係デス』


「保存するんだ。やっぱりちょっと寂しいんじゃないですか?」


『違いマス』


 レンズがまた明滅した。華恋が微笑んでいる。


「ヴェルナーさん。換装はギルドの工房で可能ですか」


「ああ。明日の朝、工房に持っていけ。半日で終わる」


「分かりました」


 翌日。ギルドの工房でナビの換装作業。


 ドローンの筐体を分解する。小さな球体。プロペラ4枚。カメラレンズ。スピーカー。それらが一つずつ取り外されていく。華恋が作業を見守っている。表情が硬い。


「大丈夫ですか、ナビさん」


『意識は維持されていマス。痛覚はありマセン。ご心配なく』


 工房の技師が慣れた手つきで作業する。演算ユニットの核——小さな水晶のような部品——が取り出され、新しいゴーグル型の筐体に移植される。黒いフレーム。左右にレンズ。側面に小型マイクとスピーカー。


 作業の間、装備の調達に向かった。


 耐熱マント。溶岩洞の環境熱を軽減する特殊装備。赤い布地に銀の糸が織り込まれている。これがあれば、耐熱ポーションの効果時間が1.5倍に延長される。30分が45分になる。探索時間が大幅に伸びる。


 強化杖50本。深層のモンスターは硬い。通常の杖では威力が足りない場面が出てくる。強化杖は魔力の伝導率が高く、折った時の威力が通常の1.5倍。50本は、長期探索のための備蓄。1日の探索で10本使うとして、5日分。


 そして——炎樹の杖。


「これが炎樹の杖か」


 武器屋の奥。ガラスケースの中に、赤黒い木目の杖が収められていた。長さは通常の杖と同じ。太さは倍。表面に赤い筋が走っている。血管のようにも見える。


「ええ。深層の溶岩洞に自生する炎樹から削り出した杖です。通常の杖と違い、折れません。代わりに、地面や壁に叩きつけることで魔力を発動させます。衝撃が魔力の解放トリガーになる仕組みです」


「折れない杖。華恋の手への負担が減る」


 折る杖は、毎回手に衝撃が走る。血豆ができ、皮が剥ける。華恋の手はいつも包帯だらけだった。炎樹の杖なら、その苦痛から解放される。


「はい。ただし、叩きつけの衝撃で発動するため、精密なタイミング制御は折る杖より難しいです。角度と力加減の練習が必要ですね。慣れるまで1日はかかるでしょう」


「値段は」


「15,000ゴールド」


 高い。中層攻略で稼いだ資金の3分の1が飛ぶ。しかし、華恋の手を守れるなら安い。


「買う」


 炎樹の杖を受け取る。重い。通常の杖の3倍はある。握ると、ほのかに温かい。内部に残る炎の魔力が、手のひらに伝わってくる。


 夕方。工房に戻る。ナビの換装が完了していた。


 ゴーグル型のナビ。黒いフレーム。レンズは左右に一つずつ。装着すると、視界の端に淡い光で情報が表示される。


『換装完了デス、マスター。視界テストを行いマス。右上にHP表示。左上にマップ。中央下部に警告表示。敵の予備動作を検知した場合、視界中央に赤い枠で表示シマス。回避方向は矢印で示シマス』


「見える。今まで音声だけだった情報が、視覚で入ってくる。これは——世界が違って見える」


『反応速度の向上が期待できマス。明日、訓練場でリアルタイム読みの実地テストを行いマショウ。華恋さんの炎樹の杖の練習も兼ねて』


「ああ。そうしよう」


 華恋に炎樹の杖を渡した。


「これ重いですね。でも、温かい。生きてるみたい」


「折れない杖だ。叩きつけで発動する。手への負担が減る」


「折らなくていいんですか!? 嬉しい! 手の血豆、もうできないんですね!」


 華恋が杖を抱きしめた。目が潤んでいる。


「ただし、タイミング制御が難しい。明日、練習する」


「はい。練習します。たくさん練習します」


 準備は整いつつある。耐熱マント。強化杖50本。炎樹の杖。ゴーグル型ナビ。耐熱ポーション20本。


 あとは、体に馴染ませるだけだ。明日の訓練で、新しい装備と新しい戦い方を体に叩き込む。


「明日、訓練場を借りる。炎樹の杖の練習と、ゴーグルのテストだ。深層に入るのはその翌日」


「はい。万全の状態で挑みましょう」


『了解デス。訓練メニューを作成シマス。——マスター。新しい筐体、快適デス。視野が広い。飛行していた時より、多くの情報が見えマス』


「そうか。よかったな」


『……はい。よかったデス』


 ナビの声が、少しだけ柔らかく聞こえた。

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