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第13話 再起——耐熱マントと新戦術

第20階層。ボス部屋。


 扉を開けた瞬間、熱気が全身を包んだ。耐熱ポーションの効果で致命的なダメージは防いでいるが、肌を焼くような圧迫感は消えない。空気が歪んでいる。床は黒曜石のように滑らかで、亀裂から赤い光が漏れている。


 部屋の中央。溶岩の池に浮かぶ岩の台座。その上に、イフリートが座していた。


 全長4メートル。人型の上半身に、下半身は炎そのもの。両腕は岩のように硬く、表面に溶岩の筋が走っている。頭部には角が二本。目は青白い炎。


 こちらに気づいた。立ち上がる。溶岩が飛沫を上げる。


『イフリート。第20階層ボスモンスター。弱点は背面の魔核。攻撃パターンは4種。拳の叩きつけ、横薙ぎ、炎のブレス、全身炎上。推奨戦術——予定通りデス、マスター』


「分かってる。華恋、準備はいいか」


「はいっ。いつでも」


 華恋の声に緊張が混じっている。当然だ。中層最後のボス。これを倒せば、中層踏破。


「作戦通りにやる。爆風で体勢を崩し、背面に回り込み、魔核を突く。24回繰り返せば終わる。焦る必要はない」


「はい」


「行くぞ」


 イフリートの右腕が振り上がった。拳の叩きつけ。発生0.4秒。


「【微弱加速】」


 無敵フレーム。拳が床を砕く。衝撃波が広がる。黒曜石の破片が飛び散る。ダメージなし。


「華恋! 爆風!」


 パキッ。杖が折れる音。衝撃波がイフリートの側面を打つ。巨体がわずかに傾く。体勢が崩れる。0.8秒の隙。


 背面に回り込む。魔核。青白い結晶体が背中の中央に露出している。ショートソードを突き刺す。硬い感触。氷に刃を立てるような抵抗。即座に引き抜き、飛び退く。


 背中から炎の触手が噴出した。六本。空を切る。2メートルの距離。間に合った。


『魔核へのダメージ確認。1サイクル完了。あと23回デス』


 完璧だ。計算通りに進んでいる。


 二回目。華恋の爆風。体勢を崩す。回り込む。突く。離脱。完璧。


 三回目。同じ手順。寸分の狂いもない連携。華恋の爆風のタイミング、回り込みの角度、魔核への突きの深さ。全てが計算通り。


 四回目——


「華恋! 爆風!」


 パキッ。


 爆風が出た。タイミングが遅い。0.15秒。わずかな遅延。イフリートが体勢を立て直す時間を与えてしまった。回り込みの隙が小さくなる。


 それでも回り込んだ。身体を捻って狭い隙間に滑り込む。魔核を突く。離脱——触手が肩をかすめた。熱い。HPが3パーセント削れる。


「華恋。タイミングが遅れた。0.15秒だ」


「すみません」


「次は合わせろ」


「はい」


 五回目。今度はタイミングが合った。完璧。


 六回目。また0.1秒遅れた。


「華恋」


「すみません……!」


 七回目。合った。八回目。遅れた。九回目。合った。十回目。遅れた。


 パターンが見えた。偶数回で遅れる。疲労が蓄積し、2回に1回のペースで握力が落ちている。杖を折る力が足りなくなっている。


『マスター。華恋さんの杖折りタイミングが不安定デス。平均遅延0.08秒。最大遅延0.18秒。原因は握力低下と推定シマス。手の血豆が悪化している可能性がありマス』


 血豆。昨日見た、華恋の手の血豆。キマイラ戦で酷使した掌。ポーションで表面は塞いだが、内部の損傷が残っていたのか。


「華恋。手を見せろ」


「えっ、大丈夫です。続けられます」


「見せろ」


 華恋が渋々手を差し出した。戦闘の合間、イフリートが次の攻撃を溜めている数秒間に。


 血豆が潰れていた。掌の付け根。杖を折る時に最も力がかかる場所。皮膚が裂け、血が滲んでいる。杖の破片が傷口に食い込んでいる。


「なぜ言わなかった」


「言ったら、止められると思って。ここまで来たのに、私のせいで中断になったら——」


「ポーションを塗れ。痛みが引けば握力は戻る」


 華恋がポーションを手に塗る。傷が塞がる。血が止まる。ところが、疲労は消えない。筋肉の疲労。20本以上の杖を全力で折り続けた蓄積。精神の消耗。それらはポーションでは治らない。


 ——大丈夫だ。傷は塞がった。数値上は問題ない。続行する。


「再開するぞ。残り14回だ」


「はい」


 十一回目。タイミングが合った。


 十二回目。合った。ポーションが効いている。


 十三回目——


『耐熱ポーション残り時間、12分デス。ペースを維持すれば撃破可能デス』


 十三回目。華恋の爆風。


 パキッ。


 遅い。0.2秒。これまでで最大の遅延。


 イフリートが体勢を立て直す。回り込みの隙がない。正面に戻る。仕切り直し。


「華恋。0.2秒遅れた。ペースが落ちている」


「すみません、手が……力が入らなくて」


「ポーションは塗っただろう」


「はい。でも、握っても……滑るんです」


 華恋の手が震えている。杖を握る指が白い。力を入れようとして、入らない。筋肉の疲労。ポーションで傷は治せても、筋疲労は治せない。


 ——計算に入っていなかった。


 HPは数値で管理できる。傷はポーションで治せる。それでも、筋疲労は? 精神的消耗は? 恐怖による硬直は?


 それらは、計算の外にあった。


「華恋。少し休むか」


「いえ……大丈夫です。続けられます。スケジュール通りに——」


「スケジュールは俺が決める。お前の状態が——」


『警告! イフリートの攻撃! ブレス! 発生0.6秒!』


 会話に気を取られていた。致命的な隙。イフリートが口を開いている。炎が喉の奥で渦巻いている。青白い光が膨れ上がる。


「避けろ!」


 横に跳ぶ。華恋も跳ぶ。——華恋の反応が遅い。疲労で身体が重い。足がもつれている。


 炎のブレスが華恋の右腕をかすめた。


「きゃっ——!」


 華恋が転倒した。右腕を押さえている。火傷。肌が赤黒く変色している。HPが15パーセント削れた。


「華恋!」


 駆け寄る。華恋の右腕が赤く腫れている。杖を握る手。利き手。


「大丈夫、大丈夫です、まだ——」


 華恋が杖を握ろうとした。指が動かない。火傷で神経が麻痺している。杖が手から滑り落ちた。床に転がる音が、やけに大きく響いた。


「杖が……握れない」


 火力が消えた。華恋の爆風がなければ、イフリートの体勢を崩せない。背面に回り込めない。魔核を斬れない。


 ——詰んだ。


『マスター。華恋さんの右腕に二度熱傷。回復には高級ポーションが必要デス。通常ポーションでは完治しマセン。戦闘続行は——不可能デス』


 イフリートがこちらを見ている。青い目が光っている。次の攻撃が来る。


「撤退する」


 華恋を抱え上げた。軽い。こんなに軽い身体で、20本以上の杖を折り続けていたのか。転移石を取り出す。


「師匠、ごめんなさい……私のせいで」


「黙ってろ。転移する」


 転移石を砕いた。光が二人を包み、第20階層から引き剥がした。


 地上のギルドに転移した。華恋を床に降ろす。受付嬢が駆け寄ってくる。


「怪我人です! 治療室を——!」


 華恋が運ばれていく。右腕を押さえて、泣いている。


「ごめんなさい、師匠、ごめんなさい」


 その声が、廊下に消えていった。


 一人残された。ギルドのロビー。冒険者たちの視線が刺さる。ボロボロの姿。敗北者の姿。


 壁にもたれて、天井を見上げた。


 負けた。


 計算は完璧だった。作戦は完璧だった。全てのパターンに対応策があった。95パーセントの成功確率。


 けれど、一つだけ計算に入っていなかったものがある。


 人間は機械じゃない。


 ナビの言葉が、頭の中で反響していた。第1階層で言われた言葉。あの時は聞き流した。


 ——人間は機械じゃない。いつか0.1秒を外す日が来る。


 今日がその日だった。華恋が0.2秒を外した。疲労で。血豆で。筋疲労で。恐怖で。


 それを計算に入れなかった。「大丈夫」という言葉を信じた。数値だけを見て、人間を見なかった。


 ナビが静かに報告した。


『マスター。心拍数が上昇シテイマス。……感情の変動を検知シマシタ』


「……うるさい」


『マスター。華恋さんの怪我は、マスターの責任ではありマセン——と言いたいところデスが、それはマスター自身が一番分かっているはずデス。だから、一つだけ。次に活かしてクダサイ』


「ああ」


 ナビが沈黙した。


 拳を握った。爪が掌に食い込む。


 華恋を傷つけた。計算を過信して。完璧を前提にして。人間の限界を無視して。


 ——変えなければならない。計算の仕方を。戦い方を。


 完璧を前提にしない。ミスが起きても死なない余裕を持つ。


 安全マージン。


 その言葉が、初めて実感を伴って胸に落ちた。

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