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第10話 剣崎の罠——キマイラ遭遇

翌日。肩の傷はポーションで塞がったものの、鈍い痛みがまだ残っている。皮膚の下で筋肉が引きつるような感覚。


 セーフエリアのベンチで、ナビのログを確認する。昨日のトレインの全記録。群れの移動経路、速度、構成。


『トレインの詳細解析結果デス。群れの構成はゴブリン12体、オーク8体、リザードマン6体、コボルド5体、その他2体。合計33体。移動起点は第16階層北東区画のB-7地点。起点から接触まで40秒。群れの先頭と最後尾の距離は約20メートルデシタ。自然発生の群れとしては、種族の混在率が異常デス』


「B-7地点か。ギルドの探索届では、昨日その区画にいたのは」


『剣崎蓮パーティのみデス。探索届の提出時刻は午前9時。トレインの発生時刻は午後2時。5時間の探索中に、意図的にモンスターを集めて誘導することは十分可能デス。ヘイトを稼ぐスキルを持つ盾役がいれば、容易に群れを牽引できマス』


 華恋が隣に座っていた。昨夜はほとんど眠れなかったらしい。目の下に隈がある。膝の上で両手を強く握りしめている。


「師匠。ギルドに報告しないんですか」


「しても無駄だ。『たまたまモンスターが流れてきた』で終わる。トレインの証明は難しい。意図的にやったという物的証拠がない限り、ギルドは動かない。ダンジョン内での事故として処理されるだけだ」


「じゃあ……泣き寝入りですか」


「違う。対策を立てる。二度と同じ手は食わない」


 立ち上がる。肩が痛むが、動ける。剣を振るのに支障はない。


「ナビ。索敵範囲を最大に広げろ。半径50メートル以内の生体反応を常時監視。10体以上の群れが同一方向から接近した場合、即座に警告を出せ」


『了解デス。索敵範囲を拡大シマス。ただし、索敵に演算リソースを割くため、リアルタイム解析の精度が8パーセント低下シマス。回避タイミングの誤差が最大0.02秒発生する可能性がありマス』


「許容範囲だ。命の方が大事だ。群れに囲まれれば、0.02秒の精度なんて意味がない」


「師匠。なぜ剣崎さんはそこまでするんですか。追放しただけじゃ足りないんですか。私たち、もう彼らとは何の関係もないのに」


 華恋の声は静かだった。怒りよりも、困惑が勝っている。理解できない他者の悪意に怯えるような響き。


 足を止めた。華恋に向き直る。


「剣崎にとって、才能のない人間が理屈で勝つのは、世界の秩序を壊す行為なんだ」


「……世界の秩序?」


「あいつは才能で全てを手に入れてきた。S級スキル【黄金斬撃】。生まれつきの高ステータス。周囲の尊敬。パーティメンバーの服従。その全てが『才能こそが正義』という前提の上に成り立っている。才能がある者が勝ち、ない者が負ける。それが彼にとっての正しい世界だ」


「……世界の秩序」


「俺みたいな奴が、ハズレスキルとポンコツAIで中層を攻略してるのは、剣崎にとっては自分の存在意義を否定されてるのと同じなんだ。才能がなくても勝てるなら、才能に何の価値がある? そう感じてる。だから、俺が失敗して死ぬことで、自分の正しさを証明したいんだよ」


 華恋が唇を噛んだ。血が滲むほど強く。


「私も……才能がないから、分かります。前のパーティでも、『お前は魔力量だけは多いけど制御が下手だ。才能がない』って言われ続けました。才能がない人間は、才能がある人間の引き立て役でしかないって」


「お前は違う。杖折りキャンセルを習得した。それは才能じゃない。反復と精度の問題だ。お前は自分の力で、才能の壁を越えたんだ」


「はい。だから——負けたくないです。剣崎さんにも、『才能がなきゃ無理だ』って言う人たちにも。私も、師匠と同じ側にいたい。理屈と努力で、理不尽に勝ちたいです」


 華恋の目に、静かな決意が灯っていた。怯えは消え、代わりに強い意志の光が宿っている。


「負けない。対策を立てて、先に進む。剣崎の手が届かない場所まで行く。あいつらが二度と見下ろせない高さまで」


 第16階層の探索を再開した。今度は、トレインへの対策を講じてから。


 索敵範囲の拡大。逃走経路の常時確保。杖の予備5本を「逃走用」として確保。華恋の【炎壁】で通路を3秒間塞ぐ戦術。


「華恋。今日から、探索中は常に最寄りのセーフエリアまでの距離を把握しろ。30秒以内に逃げ込める位置を維持する。マップの記憶を戦闘より優先しろ」


「分かりました」


 三日間で第16階層と第17階層を抜けた。トレインは二度目は来なかった。索敵が常時稼働しているため、群れの接近を事前に察知し、一度だけ回避行動を取った。それが自然発生の群れなのか意図的なトレインなのかは判別できなかったが、どちらであっても対処できる体制が整った。


 第17階層のモンスターは、第16階層のシャドウウルフより一段厄介だった。ストーンゴーレム。岩石の身体を持つ人型で、物理攻撃が通りにくい。ショートソードの刃が弾かれる。


「ナビ。弱点は」


『関節部の隙間デス。肩、肘、膝の接合部に0.3秒の隙が生じマス。そこを突けば内部の核にダメージが通りマス。ただし、外殻の硬度は鋼鉄並みデス』


 関節の隙間。0.3秒。パリィで腕を弾き、硬直中に関節を突く。二撃で核に到達。三撃で砕ける。


 華恋の炎魔法は、ゴーレムには効果が薄い。岩石は燃えない。しかし、関節部を加熱すれば膨張して隙間が広がる。


「華恋。関節を狙って炎を当てろ。砕くんじゃなくて、温めるだけでいい」


「温める……? あ、膨張させるんですね!」


「そうだ。隙間が広がれば、俺の剣が通りやすくなる。熱膨張で岩石を脆くする」


 連携が噛み合い始めた。華恋が関節を加熱し、隙間が広がったところに剣を差し込む。ゴーレムの処理速度が倍になった。


 第17階層を三日目の夕方に踏破し、第18階層に降りた。


 空気が変わった。通路の構造が、坑道型から古代遺跡型に戻った。壁に刻まれた文様が赤く発光している。温度が上がっている。第20階層のイフリートに近づいているのだ。


『環境温度、摂氏38度。第20階層に近づくにつれ上昇する傾向がありマス。第19階層では推定45度、第20階層のボス部屋では80度を超えるとの報告がありマス』


「80度か。耐熱装備が必要になるな。ポーションだけでは持たないかもしれない」


「師匠。暑いです」


「水を多めに飲め。今日は第18階層の入口だけ確認して戻る。深追いはしない」


 第18階層の最初の広間に出た。天井が高い。壁の文様が脈打つように明滅している。


 ナビの索敵が反応した。赤い警告光が点滅する。


『前方に生体反応。1体。……サイズが異常デス。推定体長5メートル以上。第18階層のモンスターとしては規格外デス。解析中——』


 通路の奥から、重い足音が響いた。地面が揺れる。ズシン、ズシンという振動が、足の裏から伝わってくる。


 三つの頭が暗闇から現れた。獅子。山羊。蛇。体長5メートルの合成獣。全身を覆う黄金の体毛が、壁の赤い光を反射して不気味に輝いている。


『——キマイラ。第20階層のフロアボスに匹敵する個体デス。通常生息域は第20階層。第18階層に出現するのは異常デス。誘導された可能性が極めて高いデス』


 振り返る。来た道を戻ろうとした。


 背後で轟音が響いた。天井から岩が崩落し、通路を完全に塞いだ。土煙が舞い上がる。


「退路が——」


『崩落デス。天井の岩盤に爆裂石が仕掛けられていた痕跡がありマス。計画的な罠デス。退路は完全に遮断されマシタ』


 前にキマイラ。後ろは崩落。逃げ場がない。


 華恋の顔が青ざめた。杖を握る手が震えている。呼吸が浅く、早くなっている。


「師匠」


「落ち着け。考える時間はある。あいつはまだ動いていない」


 キマイラはこちらを見ている。三つの頭が、それぞれ別の方向を向いて獲物を観察している。まだ攻撃態勢に入っていない。距離は20メートル。


 頭を回転させる。通路の幅は2.5メートル。天井の高さは3メートル。キマイラの体長は5メートルだが、通路に入れば動きは制限される。突進の軌道が限定される。跳躍もできない。


「ナビ。キマイラの攻撃パターンを解析しろ。今すぐ」


『解析開始シマス。キマイラの攻撃パターン——獅子頭の噛みつき、発生0.5秒。山羊頭の突進、発生0.7秒。蛇尾の毒牙、発生0.3秒。そして——全頭同時ブレス、発生1.0秒。予備動作として三つの頭が同時に後方に引かれマス』


 四種の攻撃。最速は蛇尾の0.3秒。パリィの限界ギリギリだ。全頭同時ブレスは回避不能の範囲攻撃。


「華恋。杖は何本ある」


「12本です」


「十分だ。作戦を伝える。聞け」


 華恋が頷いた。震えは止まっていない。しかし、目は逸らさなかった。恐怖を抱えたまま、それでも前を見据えている。その強さがあれば、勝てる。

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