第二十四章 大塩焼け(伝八)
第二十四章 大塩焼け(伝八)
天保八年二月十九日
夜明け前だった。与力町界隈は寝静まっている。その中で、洗心洞だけが物音が絶えず、ざわついていた。邸内ではこちらに三人、あちらに四人と固まり、ひそひそ声を交わし、準備に勤しんでいる。決起は同日の午後、新任の西町奉行、堀伊賀守利堅の巡行にあわせると予定されていた。巡行の際、堀、跡部両奉行が休息をとる東組与力浅岡助之丞の屋敷を一番に攻撃し、火をかける。それから天満橋を渡り、東町奉行所に大筒を撃ち込み、火をかける。次に北浜から船場方面に進路を取り豪商を襲う。火をかけるのは大坂周辺村への合図でもあった。合図の火の手を見た農民が決起に合流する。また、敵の戦力が鎮火と鎮圧に分散されるのも狙ったものだった。
「格之助様、事前にそれと察知した奉行所の捕り方が、今にも襲ってくるのではないかと噂しておりましたが、どうもその気配は無いようでございます」
既に檄文を周辺の村に配布し終えている。伝八は、捕り方が洗心洞を何時取り囲むかと、身構えていた。しかし、そのような動きは見当たらない。
「捕り方がここを襲撃すれば、尚更都合がよいのです。大筒や鉄砲を見舞わせ、混乱に乗じて手薄になった東町奉行所や城を攻めやすくなります」
返し技を見舞わせると、格之助は目元を和らげたまま答えた。
「奉行所はまだ我我の動きを察知していないのでございましょうか?」
「いや、向こうも重重承知しております。実は先程、瀬田済之助殿が東組奉行所から駆け付けました。済之助殿は昨晩から当直で奉行所に詰めていたのですが、危うく捕捉されるのを逃れてここに戻られたのです」
「それはよろしゅうございました」
と、一瞬格之助の目に複雑な色が走り、平静を装った声音で説明がつづいた。
「済之助殿と一緒に当番だった小泉淵次郎殿が斬殺されました。二人で奉行の跡部殿に呼ばれたので、刀を脱して向かわれたのです。ところが、一足先に行かれた脇差だけの淵次郎殿と多数の者の怒声が聞こえ、同時に斬り結ぶ音が聞こえたらしいです。それから騒音は直ぐに収まったそうです」
淵次郎はまだ十八歳の与力だった。美しい許嫁の妻があった。
「異変を察し、済之助殿は素足で庭へ飛び出されました。闇にまぎれて塀を乗り越え、ここまで駆け戻られたのです」
「さようでございましたか」
「奉行の前では無腰になるのが習いゆえ、相手方はそれを待っていたのでしょう」
「卑怯な、無腰を襲うとは」
「侍の作法は忘れ去られております。最初に忘れたのが他ならぬ侍かも知れません」
「われわれも淵次郎様の後を直ぐに追うことになるのでございましょうね」
「決行は本日の午後の予定でしたが、早めるかも知れません。今から先生と相談することになります。伝八さん、今日はどのような装いでございましょうか?」
伝八が無腰で、普段通りの衣服なのを見て、格之助はいぶかった。
「手前は剣術の方は全く習いませんでした。小筒を持って行くつもりでございます」
言外に甲冑は付けないと仄めかしている。奥の方からパチパチとせわしない音が聞こえだした。
「おや?家宅の奥で火柱が上がっている。先生がお命じなさったのでしょう」
決起の合図として先ずは大塩邸に火を放つことが決まっていた。
「ということは、決行の時が早まったと思われます。伝八さん、かねての手筈通りです。朝岡助之丞殿の住まいに大筒を打ち込み、火を放ち、天満橋から東町奉行所に向かいます。橋を渡れなければ西に向かいます」
摂津や河内の百姓に『その時』が来たのを知らせる狼煙となる。と、向かいから西村利三郎と摂津の五右衛門が近付いてきて格之助に用件を伝えた。
「格之助様、先生がお呼びでございます」
利三郎も五右衛門も大小を腰に差し、鎖帷子を着けていた。
「伝八、お前も用意をした方がええぞ」
伝八の普段着を咎めるように五右衛門は急かせた。
「五右衛門はん、もう準備した積りなのですが」
「何を言うてるのや、冗談にも程があろう。刀や鎖帷子はどうした?鉄兜も役立つぞ」
「刀は使ったことがございません。わてには無用でおま」
「だが、身に付けているだけで、敵は近寄り難いやろう。無防備では狙われるだけやぞ」
五右衛門は声を荒げて着用を促した。邸内の各所に火は放たれ、出陣までに時間がない。混雑が増す中、五右衛門は
「面倒を掛ける奴や、せめて鎖帷子は着けるのだ」
と顔をしかめながら伝八の支度を手伝った。
「でも、役立たずのわてが狙われると言うことは、その分、先生や五右衛門はんが狙われないということになりませんか?」
「そりゃ、伝八、屁理屈や。怪我をした伝八が足手纏いになっても手助けする暇はないぞ」
たすき掛けの紐を脇で結びながら五右衛門はニッコリ笑った。
「出陣のときは兜も被るのだ。鎖帷子はつけた。これでよし。伝八、われら今日がこの世の最後かも知れん。また、あの世で会おう。そやそや、それからな、あの世に引っ越しするかと思うと、本当のことが言いとうなった」
「何でございま、改まって?」
「うん、実はな、わしは百姓の中でも一番古い塾生の一人やが、先生の講義の内容がさっぱり分かれへんかった。一生懸命学びはしたけど、知ったかぶりすることが多くてな、それが後ろめたかった。ご郎党の中でわしは一番出来の悪い塾生やった。嘘を付いたままでは、あの世に着いた途端に閻魔様に舌を抜かれる。ちとそれは不味い。だからいま白状したのや。だが、今、『救民』の旗を掲げていると、本当に決起してよかったと思うようになった。ここに居れて幸せ者だよ」
「五右衛門はん、それではわても一つ白状しま。実は決起が恐ろしくて、体が震えて防具も一人じゃ身に付けられなかったのでおま。わては臆病者だす」
「伝八、命が惜しいのか?」
と、五右衛門はまじまじと伝八を覗き込んだ。
「結局、根っからの臆病ものでおま。さっきから体の震えが止まらへんのやから」
「ほんじゃ、ついでにわしももう一つ白状しよう。実はわしも震えが止まらへんかった。今の今までな、決起と決まった途端に脅えが走ったんや」
「五右衛門はんまでが!」
五右衛門の豪胆は自他ともに認めていた、その五右衛門には全く相応しくない話である。
「そうなんや、ところが伝八の身繕いを手伝うとおる内に落ち着いた」
「どうしたんでっしゃろうか?」
「うむ、訳は分からんが、わしのような臆病もんは、ひとの手助けをしている方が落ち着くのかな」
そう答えて五右衛門はニッコリと笑った。
「わても落ち着きました。次第に力がみなぎりま。『その義にあたるや、その身の禍福生死をかえりみずして、果敢にこれを行う』でおま。わてらはとうとう知行合一を実践できる機会に巡り合えたのでおま。さあ、出発の時間でしょうか」
「伝八、われらには皆、同じ血が流れとおる。我らの命が尽きても、義は永遠や」
「そんな、今日死んでしまうと限ったわけやありまへん。天も必ず味方しま。わてのような臆病で非力な者すら決起に加わったのでおま。そろそろここを出発して、東照宮に集合する時間でおま」
「よし、伝八、出発や」
「この火柱を見て、近郷の同志も参集してくれる筈でおま」
「伝八、同志の参集が間に合うかとか、今日の決起の成否がどうかとか、そんなことは問題でもなかろう。檄文も近郷に配り終えた。この火柱にわれらの魂が乗って、空高く舞い上がり、天下に広がって行くのや」
「なんだか平八郎先生の仰いそうなことを聞いたような気がしま」
「あっはっはっ、それは最後の最後になってわしに少しは知恵が付いたからやろう。さあ、行こうか」
二人はがっしりと手を取り合った。
今や、火勢は勢いを増しごーごーと唸っている。全体が大きな一つの火柱となって黒煙と共に天空を突くようになった。半鐘だけが騒騒しく鳴り止まぬ中、隊列は格之助を先方隊長として洗心洞を出発した。
まず、救民と大書した四半の旗を前面に立て、隊列を組んで順次大塩邸の外に出たが、表通りには捕り手はおろか人っ子一人いなかった。
一党はかねての予定通り、朝岡助之丞の邸に大筒を一発ぶち込み、火も数カ所に放った。家宅はめらめらと燃え始めた。だが、門は固く閉ざされたままで、邸内からは何ら反撃は無かった。粛粛と隊列をなし洗心洞から西に向かい、一つ目の角を南に曲がり、川崎東照宮に到着した。その頃には隊列は五十名を優に超える人数となった。また、群衆が遠巻きに隊列を取り囲むようになった。中には隊列に恐る恐る加わる者も出て来た。いまだ奉行所の捕り方は見かけなかった。
「五右衛門さん、伝八さん、捕り方が天満橋の南詰で待ち構えているようなので、西に向かうことになりました。檄文の配布を宜しくお願いします」
格之助は普段通りの落ち着いた声で指示を出した。
「承知いたしました。おい、伝八、お前は向こうの方を頼んだぞ」
と応じた五右衛門の声は大きく朗らかである。最初は四、五名で手渡ししたが、あとでは行進しながらばらまいた。町民らが先を争って檄文を拾うのが見えた。天神橋北詰まで進んだが、まだ捕り手は現れない。が、橋の一部は壊されており、大筒を運ぶことは出来なくなっていた。橋の向かい側には役人らしきものや作業員が数名動き回るのが見えた。隊列は既に二百名を越しており、更に出会い頭に加わって、難波橋のたもとに到着した時には三百名近くになっていた。おりしも木材職人が橋板を剥がそうとしていた。
「難波橋は是非とも渡らねばなりません。橋の向こうは北浜。豪商の住まう船場は目と鼻の先ですから」
言うが早いか、格之助は抜刀し難波橋に走り寄った。五右衛門や十名ほどの隊員も抜身の槍を掲げて走った。後続部隊から怒声と銃弾の音も聞こえた。人足達や背後の役人は、それを見てばらばらと逃げた。
大塩平八郎は、自身が難波橋を渡った後も、後続列が通過するのを橋のたもとで見つめていた。確かに勢力は増えるには増えた。しかし火の手を合図に近郷から駆け付ける手筈だった百姓の援軍が見当たらない。風は強くなかったが、大川の北側は火の粉が漂っており、あちこちで新たな火の手が舞いあがっていた。南側でも既に飛び火による火焔が見え始めた。
「次は両替屋や」
「天誅や、天誅を加えろ」
「米屋も襲え」
誰が指揮を執るでもなく、隊列は北浜から船場の方へと移動して行った。鴻池屋善右衛門、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等をはじめ、豪商の家屋にも次次と火柱が立った。打ち壊しが始まると、周りの群集もどっと店内に雪崩れ込み始めた。隊列を離れ打ち壊しに合流するものも出て来る。
「五右衛門はん、これでは単なる物盗りと変わりまへん。取決めとは異なった様相でおま」
伝八は統制が取れない群れを見渡しながら心配げに呟いた。
「そうかも知れん。が、相手は豪商や。遠慮は要らんやろう」
五右衛門にも戸惑いの色が走った。が、もう引けない。
「子女にお構いなく暴力を振るっている輩もいるようだす」
と伝八は付け加えた。腕の方は不案内だが観察力はある。
「伝八、檄文より金や米に興味を持たれても、困った話やな。しかし、やつらはガキを抱えている。みな飢え切っているのや。飯に不自由せんかったわれらと違う。憤るのも分かるが、檄文を撒け」
「はい、先程の角で捕り手の集団がこちらの行き先を探っているようでおました。次の角で待ち伏せに遭うかも知れまへん」
と伝八も話題を変えた。
「格之助様にそれを伝えて欲しい。これだけ分散していると攻撃を防ぎきれへん」
最後まで聞かず、伝八は格之助を探し始めた。
「伝八、はぐれた場合は、西町奉行所の方に行くのやぞ。これ以上南には下れへん」
五右衛門の声が背中から追いかけてきた。実際、隊列は乱れ分散し、物盗りと洗心洞一派が混在していた。ようやく、格之助を見つけ出し、伝八は用心を喚起した。
「伝八さん、その通りです。この前の辻でも敵方から射撃を受けました。隊列に加わった浪人が落命したのですが、誰も気付きませんでした。また、大筒を引っ張る手勢が不足して、やむなく放擲致しました。予想以上に統制がとれなくなっております。先ずは体制を調えねばなりませんが、伝令がいません。伝八さん、檄文を撒くと同時にご一同に東へ進むように伝えて下さい」
「はい、出来るだけ多くのものに伝えま」
伝八は隊列の後方にもどった。檄文を撒きながら、『伝令、伝令、東に進んで下さい』と声を限りに叫んだ。だが、金や米を強奪したものはもはや若輩の伝令の言うことなどに耳を貸さなかった。用済みとばかりに隊列を離れて行った。
「伝八さん」
群衆の中から、はっきりと『伝八』と言う声をとらえた。そちらの方を向くと煙の奥から清兵衛が現れた。腰に大小を纏い、白木綿の襷がけに鉢巻をしていた。
「清兵衛はん、その恰好はどうしやはったのです?さあ、この檄文をあとで読んで下さい。われらは今から西町奉行所から東町奉行所の方に向かいま。手助けは無用でおま」
「いや、暫し待たれ。牧野小次郎、申し上げたいことがござる」
と伝八に近づき、小声で続けた。
「決起されながら、手助け無用には驚きました。今度はわたしが驚かす番です。わたしの本当の名前は、今も申し上げた通りです。牧野小次郎と申します。古河藩より俸禄を賜っている侍の端くれです。大塩平八郎殿の謀議を探る目的で内偵を続けていたのです」
「さようでございましたか。いずこかのお侍様ではないかと、感じておりました。矢張りそうでおましたな。手前をお縄にかけるのは少しお待ちなさって下さい。この檄文を市中に撒き終わるまでお待ちください」
見通しも悪くなるほどの煙に目を瞬かせながら清兵衛は囁いた。
「何を仰るんですか。捕えたりしません。伝八さん、先程高津屋でおしのさんに会いましたよ。それで、伝八さんにお会いしたかったのです」
それを聞くと流石に伝八も顔色を変え、清兵衛に懇願するのだった。
「しのとは離縁いたしました。何の関わりもございまへん。どうか、清兵衛はん、いや、牧野小次郎様、お察しください」
「それは何度もお聞きして存じ上げております。ご懸念には及びません。だが、おしのさんは伝八さんの子供を授かったのですよ」
伝八は目を丸め口をあんぐりと開けた。
「しのに子供ですと!」
「時間がありません。みごもったとなると、ずばり、身に覚えがあるのは伝八さんだけでしょう。わたしは『三途の川岸で伝八さんを待たずともよし。この世で新しい命を育てよ』と諭しました。おしのさんは涙ながらに同意しましたよ。さいわい高津屋信次郎殿は、全幅の信頼がおけるお人柄。お孫さんが大きくなるまで親子二人を護ってくれるでしょう」
「ああ、手前は何という罰当たりなことをしでかしたのでしょうか!いくら悔いても余りがございます」
「いや、おしのさんは心底喜んでいましたよ。伝八さんの一粒種なのですから。そんなことより、伝八さん、洗心洞を内偵したわたしだが、ここでお互いに争うのは止めましょう。その代り、今からご城代、土井利位様に会った時、万が一にもおしのさんや高津屋殿に累が及ばぬようお頼みし、必ずご承諾をいただきます。あの時、わたしの裏長屋を一晩お貸ししたのだから、わたしにも責めの一端があります」
「ああ、清兵衛はん、いや、牧野様には結局お世話になりっ放しで」
「いや、そうではありません。洗心洞ご一党は、本来なら侍のわれらがなすべきことを、命を賭けてやってくださったのです。われわれの間に貸し借りがあるとすれば、借りがあるのは侍だったわたしの方です。ああ、もう時間がない。この場はわたしにお任せください」
捕り手の一群を目の端に認め、清兵衛はすっくと立ち阻んだ。
「伝八殿、この小次郎、しかと承った。拙者からご城代にお伝え申す。早く行かれい」
清兵衛は捕り手の一隊に聞こえるように大音声を張り上げた。と、次には小声で伝八に伝えた。
「最後の最後に伝八さんに会えてよかった。おしのさんの気持ちをお伝えでき、肩の荷が下りました。さあ、本当に時間が無くなった。命を粗末にされませんよう」
涙ながらの伝八が消え去るのと入れ違いに、反対側から七、八名の捕り方が現れた。あるものは刺股や突棒を構え、あるものは抜刀している。後ろの方には与力栗林隼人や同心がいた。さらに十手持ちの吾平、吾平を守るように手下の熊もいた。
「貴公、いずこのご家中か?」
不審の面持ちで清兵衛を睨みつけ、隼人は太刀の柄に手を掛けていた。
「ありゃ、こやつは炭屋の清兵衛や、お前、こんなところで何しているんや?」
まむしと熊が清兵衛と認め、威丈高な物言いをした。
「控えい」
と一喝し、二人を睨みつけ、清兵衛は言葉を続けた。
「栗林隼人殿、お役目ご苦労にござる。拙者、ご城代土井大炊頭利位様のご命で、洗心洞の探査の任を仕った牧野小次郎と申す」
「はっ、はっ?」
「貴公が東組の立入与力であることも存じ上げておる。天満のまむし大親分のこともな。これからご城代にご報告に上がる途上ゆえ、詮議は無用とされたい」
「はっ、心得ましてございます」
清兵衛の勢いに気圧され隼人は素直に応じた。
「なお、この先に拙者が間諜として使うた者がおる。洗心洞の隊列におるが、危害を加えることはまかりならぬ。白鉢巻の隊列を発見しても攻撃は控えられよ」
大小を帯びているが、面識もない、町人風に髷を結った男から指示まで受けて、さすがに隼人も戸惑った。と、その奇妙な男は近寄って隼人を見据えながら小声で付け加えた。
「平山助次郎殿は一昨日江戸へ立った。返り忠をそそのかせた貴公も、用心召され。洗心洞一派から一番に狙われますぞ。無理をせず、遠巻きにゆるりと構えておればよいのだ。間諜役が、戦の正面に立つ必要などござらぬ」
「牧野様、お城までわれらで警護いたしましょうか?拙者に出来ることは何なりとお申し付けくだされ」
隼人はまるで直属の上役に接しているかのように下知を仰いだ。
「なーに、ご配慮はご無用でござる。まず南の方に下って、城に向かいまする」
清兵衛こと牧野小次郎にも油断があったのだろう、敵味方が入り乱れ、分別を失った捕り方も多い。亀井屋伝八や栗林隼人と話している内に、敵も味方も僚輩であるかのように錯覚した。奇妙な姿で帯刀し、無防備に一人歩きは危険極まりない。そしてこの後、西町奉行所の東手で京橋組(大坂城代指揮下の武士団)捕り手の射撃を見舞わされ、一命を落とした。
伝八は、他方、火勢が強くなってきた船場から平野町へと格之助たちのあとを追いかけた。先程まで隊列に加わっていたものが、銭を懐一杯に抱え、四方に逃げ去ってゆく。ひとの奪った金品の上前を撥ねるものもいる。中には一度手にした檄文を捨てて、米俵を担ぐのに必死なものもいた。これが救民かと暗澹たる気持ちに誘われた。ようやく本隊に追いついた時だった。突然横殴りの風が体を洗い、目の前の濃い煙が吹き飛ばされた。冬の弱弱しい陽光が伝八の頭から体全体を浮き上がらせた。視界が開けた前方に捕り手の本隊が現れている。二十名近い鉄砲隊が驚いたように伝八らを見ていた。
「鉄砲隊、撃て、撃て」
と慌てて下知を出す声が響いた。
「伝八、危ない、伏せ」
という五右衛門の声をかき消すかのように、ぱっぱっと一斉に銃口が閃光を放ち、耳をつんざく轟音が重なった。周りで土煙が立ち、伝八はその場でぐるりと一回転し、仰向けに倒れた。体に激痛が走ったが、すぐに痛みの感覚も失せた。こらあ、と鬼のような形相で五右衛門たちが刀を振り上げると、捕り方は蜘蛛の子を散らすように逃げた。
夥しい量の生ぬるい液体が皮膚を洗うが、これは血だろう。ああ、どうしたのだ?周りが暗くなった。静かだ。よかった、鉄砲も刀も使わなくて済んだ。舌先はか弱く揺らいだが、唇が動かない。これが死ぬということか。子供が出来たと聞いた日に俺は死ぬのか。しの、わが子よ、達者でな。目の前が霞んでしまったが、格之助と五右衛門の二人が傍にいるようだった。立ち去る前に、
「伝八、わしもすぐに行くからな」
と五右衛門の涙声が聞こえたようだった。
しばらくして、同心らしき捕り方らが抜刀し、腰を屈めて身構えたまま、じわりじわりと近付いた。
「誰か倒れているぞ」
「油断するな」
「気をつけろ」
「ご奉行跡部良弼様が謀反人の首級を市中引き回せと御達しだ」
と口口にがなり合っている。仰向けに倒れて手足を伸ばしたそれは、鎖帷子以外に具足は着用していない。
「雑人だな」
と、首を刎ねる前に吟味したが、もはや伝八には聞こえていなかった。当年、二十二歳、十六になったばかりの許嫁とその腹の子供を残して落命した




