第十六章 町同心
第十六章 町同心
大坂東町奉行所与力、栗林隼人は先ほどから洗心洞一門の名簿に目を凝らしていた。隼人の前にはまむしの吾平がかしこまっている。名簿には吾平が集めたネタが詰まっていた。
「へえ、そりゃ、苦労しましたわ。朝から晩まで見張りを立てて、大勢の手下を張り付けて、あいつ等の小遣銭だけでも馬鹿にならん額で。他の儲け話は放ったらかし」
と吾平は勿体を付け、ギラギラした目を隼人に向けた。
「吾平、お前の調べに漏れは無いな?ましてや間違っていたでは済まんぞ」
このまむしは『ひかりもの』がないと指一本すら動かさない。それは隼人も先刻承知である。用意していた十両を袂から出しながら隼人は釘を刺した。
「念には念を入れて確かめることだ。探りを入れ続けておけ」
「へえ、これはどうも。そんなつもりやおまへんでしたが、これは助かりま。ちょうど熊のところに五人目のガキが出来たんで」
と子分の名前を出した。
「ふん、お前の手下はどいつもこいつもよく子供を作るな。大飢饉というのにまた子供か。これでは豊作になっても追いつかんぞ。まさか来月には空堀の女まで双子を授かったりしないだろうな」
隼人は吾平が谷町筋の空堀通りに女を囲っているのを知っていた。それを言葉の端にほのめかした。
「いや、これは参りました。そりゃ疑えばキリがおまへん。確かめれば怪しい話もおまっしゃろ。が、あいつ等に騙されてやるのもわての役割だす。そう割り切ってま」
実際、まむしの手下は間抜けぞろい、頼りないことこの上なかった。この前も一番の子分の熊五郎がしくじった。洗心洞に出入りする番頭の後を付けたところまでは良かった。ところが、その米屋「高津屋」の店構えの立派なのにそそられて、見かじめ料を揺すり取ろうとしたのだ。天満の洗心洞は「まむし親分の縄張り」とドスの利いた声で啖呵を切った。普通は挨拶代わりに紙捻りが差し出される筈だった。ところが偶然帳場にいた主人、信次郎の耳に届き、本人が出てきたのだった。
「何か、手前どもに粗相でもございましたやろか」
小柄な主人はいんぎんに問いかけた。しかし、その優し気な眼がキラリと光った時、熊五郎の背筋に怖気が走った。かつあげの相手を間違ったと気付いた時には遅かった。
「洗心洞はんは、手前どものお取引先の大事なお客様でおます。番頭の太助がたまたまご挨拶にお伺いしたんやけど」
と話は続いたが、熊五郎の耳には入っていなかった。身動きが取れず、言葉を返せなくなった。
「熊五郎さん、手前は米のあきんどだす。米以外の商いはしまへん。ましてや、やましい取引などいたしまへん」
冷や汗をぬぐい、ほうほうの体で帰らざるを得なかった。
「熊、この、どすかたん、ど阿呆!大店になるには、なるだけの訳がある。お前なんかが敵う相手やない。腕の一本へし折られんかっただけ、運が良かったと思うとけ」
見境もなく絡むのはチンピラの所以だ。まむしは今まで何度もその尻拭いをさせられてきた。
高津屋の件だけではない。目明しには目明しなりに、与力の栗林隼人には分からない苦労もあるのだ。そう片方で思いながら吾平は隼人に請け合った。
「へえ、もちろん癖にならんように用心してま。度が過ぎると、今度の赤子は博打場で生まれたんか、と睨みも利かせておりま」
「まあ、いい、だが吾平、銭に目がくらんで十手を無闇やたらにかざすなよ。十手を授けたわしの沽券に関わる」
「そんな阿呆なことはやりまへん。伝家の宝刀も、ふんだんに人目に晒せば錆びてしまいま」
手間賃を大事そうに腹巻に収めながら吾平はニヤリと笑った。隼人は念を押すのも忘れなかった。
「そうそう、それから、詮議の折、わしの名前を出していないだろうな」
隼人自身が表立って動く訳に行かない。隼人の名前が知れただけでも中斎は刺客を差し向けるだろう。想像しただに首筋が寒くなる。隼人の住いは洗心洞からさほど離れていない。近頃は帰宅するにも道すがら周りに気を配らねばならなくなった。
「へえ、それはもう、口が裂けても明かしまへん」
と吾平は請け合った。そうして
「殿様、その辺は百も承知、抜かりなくやっておりま」
と今度は不躾な笑いを口元に浮かべた。
「内内に調べ上げんとあきまへんし、殿様のお名前は出せまへんし、阿呆な手下どもにその辺を弁えささんとあきまへんし、ほんま、気苦労が絶えまへん」
と脂ぎった顔の目元を細め白い歯をのぞかせた。うちやっておけば手間賃の嵩上げを持ち出しかねない。金が絡んだ時のしつこさはキリがない。隼人も何度か辟易した。
「もういい、埒もないことをしゃべくり回すな。欲深いのもホドホドにしろよ。お奉行じきじきのお指図だ。それを一時たりとも忘れるな」
「お殿様、ひとつお伺いしても宜しおまっか?」
「何だ、改まって?」
「へえ、他でもない、手下共のことでおま」
「ふむ」
「奴らを銭以外で操る手立てがおまっしゃろか?」
「またその話か、いい加減にしろ、カネがないと動かんのは、あいつらでなくお前ではないか」
「銭もないのに博打好き、子作りだけは名人技、今日の恩をあしたは仇で返す下衆野郎。しかし、裏切り者めと三行半とも行きまへん、そんなことやったら手下が居なくなってしまいま」
「それにしても、一の子分の熊だが、どうも気に食わん。もう少しましな奴もいるだろうに、お前も変わり者だな」
「いやいや、熊だけが不出来ということはおまへん。わて等は皆、同じ穴の狢でおま」
吾平を退出させ、隼人は神経を名簿に集中させた。塾生や手伝いの数は住込みも含めて百名近い。出入り業者も四十店を下らない。それらを逐一調べあげるのは思いのほか手間がかかった。しかし、ついに名簿に纏め上げたのだ。
目で舐めるように字面を追った。
『随分百姓が多いものだな。己の分際も弁えず塾通いとは生意気な。それに奉行所の面面もどうしたことか。誰のお蔭で俸禄が食めると思っているのだ。藩士より数が多いではないか。まっ、せいぜい徒党を組んでご政道を非難しておれば良かろう。世の中それほど甘くはない、思い知らせてやる』
と意気込んだものの、どこから手を付けて良いのか、妙案がある訳でもなかった。
『うーむ、面倒なものだな』
隼人は文机から離れ仰向けなって改めて考えてみた。
『洗心洞塾頭、中斎こと大塩平八郎か。とんでもない奴だ。思い込みが激しく、頑迷そのもので、わしを毛嫌いしておる。よくも虫けら与力と面罵したな。あの時の遺恨は晴らさねばならん。しかも、あの目付きはどうだ、傲岸も傲岸、不遜も不遜、尋常ではない。あやつは狂れておる。塾頭が塾頭なら塾生たちも塾生たちだ。始末に負えぬ気違いぞろいだ。しかし、奴らの覚悟の程には、よくよく見れば、それぞれ強弱がある筈だ。公正無私など、口で言うほどた易くない。もはや具眼の士などどこにも居ない。ましてや、生きるか死ぬかという瀬戸際に臨めばどうだ。人の性として保身も働くだろう。そろそろ塾生になったのを後悔し始めている輩もいる筈だ』
隼人は思い直して文机に向かい名簿を改めなおした。と、最後の方に意外な名前を目にし、そこで釘付けとなった。
『平山助次郎?南無三、まさか!あやつが塾生というのか?信じられんな。確か三十そこそこで、引っ込み思案のおとなしい奴だ。温厚で争い事を好まぬし、意見が異なれば相手を立てる性質だ。それに微禄だ。家族もおれば暮しの遣り繰り算段も楽でなかろうに、よく洗心洞に入塾したものだ。よぉし、こやつだ。確か天満宮や天神橋界隈の番所見廻りが役目だったな』
栗林隼人は、東西両奉行所より何名の役人が洗心洞に入門しているかを慎重に探り、ようやく手がかりとなりそうな人物の目星を付けた。東町奉行所同心平山助次郎。与力、同心と言っても所詮は地侍で、うだつの上がる境遇ではない。中でも同心は十石三人扶持、内職でもやらないと家族を養うことすら難しい。ところが地位が低いと政治力も弱まり『役得』も少なくなる。商人や十手持ちも相手を値踏みするので、同心風情に遠慮はない。また、身分は世襲制であり、上下関係が先祖代代引き継がれている。相手が与力と言うだけで、同心の方は襟を正してへりくだる癖が付いていた。
『よぉし、こやつを押さえるか』
平山助次郎の頼りなげな面体を思い浮かべながら、隼人はニヤリと笑った。
それから間もない、ある日の夕刻だった。
平山助次郎は天満宮界隈の番所回りの帰途だった。
「おお、平山殿ではないか」
如何にも偶然出くわしたかのように、隼人の方から助次郎に呼び掛けた。
「栗林隼人様、お役目お疲れ様でございます」
すれ違い間際まで気付かなかった助次郎は慌てて道を譲り腰をかがめた。下城途上だろうか、隼人が裃姿で供揃いを従えていたので思わず頭も下げた。
「詰所見回りのお帰りか、ご苦労でござる。丁度よかった。貴公に会って一度ゆっくり話を聞きたいと思っていたところだ」
「それがしにございますか?」
通行人が途切れない夕暮れ時なので、周りを気にしつつ問い返した。
「さよう、貴公にここで会ったのも何かの縁だ。一つ相談に乗ってくれないか」
「それがしで宜しゅうございますれば、何なりと」
と助次郎は受け合わざるを得なかった。
「かたじけない、それでは出来るだけ早く、そうだな、何なら今からどうか?ご用の件で立ち話とも行かない、拙者の行きつけの茶屋が近くにある。宜しいかな?」
助次郎の目に戸惑いの色が走るのを無視して、有無を言わせぬ強引さで押し付けた。
天満宮から大川に向かい、突き当たりを天満橋の方に折れると、川に面して五、六軒の料理茶屋が並んでいた。川辺に沿って柳と桜の並木が二列に連なっている。川向うには船着き場の八軒屋が見える。春から夏にかけては人気の場所である。浪花茶屋はそのなかでも活気のある料理茶屋だった。
「まあ、栗林のお殿はん、ようお越しやす」
上がりかまちで客を待ち受けていた女将が驚いたように振り向いた。挨拶とは裏腹に目は笑っていない。
「女将、御用の儀で突然立ち寄ることになった。悪かったな。小部屋でいい。こちらは同心の平山助次郎殿だ。この御仁と二人で話ができればよい」
「へえ、すぐに奥の方に準備しま。改めてようお越しやす」
助次郎にも目で挨拶し、すぐに隼人に向かうと女将は問われる前に答えた。
「今日は跡部の大殿様もお越しになっていまへん」
隼人は上司である東町奉行がうっとおしいのか、先約と分かると逃げるように場所を変えるのだった。ご奉行はお出ましか、と先ず問うのが隼人の口癖だった。
「勘違いするな、跡部様のご命で話をすることになったのだ」
隼人は向きになって強弁した。
「へえ、先走ってすんまへん。御用の筋でもお奉行様には遠慮がおありと思いまして」
傍で聞いていた助次郎には、女将が皮肉ったのか謝ったのか、判じかねた。
「ここはな、まあ料理茶屋だが、中にはあちらの用で使いおる輩もいる。夏場に障子を閉めておれば、ほぼ間違いなくあれだな。お蔭でわしなど大迷惑じゃ。御用の向きでここを使っても奥方殿は疑いの目を向けおる。平山殿、見回りの際、たまにはここにも立ち寄って、ややこしい使い方をやりおる者を二、三人番所にしょっ引いて欲しい。目溢しも必要だが、余りにも野放図になっては庶民が迷惑する。この茶屋は、大川に臨んで、真夏の夜など涼風がこたえられん、春は無論桜の季節だ。是非とも御新造とも来られてはどうか。その暁には、わしの恐れ多くも奥方殿に、『怪しい場所でなかった』と受け合って欲しい。わっはっはっ、わしの信用がないのは無論、浪花茶屋のせいではない、わし自身の不徳のいたすところだ」
助次郎が浪花茶屋を利用するのは初めてだった。話を聞きながら落ち着きなく周りを見回していた。この場所も会合の趣旨も不案内だった。どうしても浮き足立ってしまう。
「それとも平山殿が受け合ってくれぬなら、小菊に頼もうか。なっ、小菊、お前なら安心だ。ひょっとこと、おかめの町に生まれた小野小町のような器量だな。掃き溜めの鶴とはお前のことだ。お前がここで働いているから奥方殿も妬いてしまうのだ」
と褒めそやしながら、両手で酌婦の肩を包み込もうとした。小菊は身のこなし一つで素早くかわすと、大袈裟なそぶりで栗林隼人を睨み付けた。
「まあ、殿様、そんな悪さしやはると、あの晩のことを奥方様に告げ口しますよ、それでもよろしゅうございますか」
切れ長の艶がある目でぞくっとしないでもない。姿態は艶めかしく、きめ細やかな白い肌が灯に透けるようだった。
「まあまあ、そうわしを苛めるな。あの晩のことを覚えているとは怖いおなごだな。こりゃ、話を聞かれると不味い。小菊、いまから平山殿と、ちと込み入った相談がある。しばらく外してくれんか」
小菊は心得たもので、ねとっとした視線を隼人に送りながら座を外した。
「いやあ、女は怖いな。あることないことを言い触らしかねない。わしも変な噂が立たぬよう、気をつけねばならぬ。そうそう噂といえば、平山殿、信じられないような話を聞いたのだ」
「と申されますと、どのような噂でございましょうか?」
「うむ、その噂というか、ご懸念の出処は何とご城代、土井利位様だ。貴公も知っておろうが、わしは立入与力の役目も賜っておる。それで今日も登城したのだ。するとご城代土井利位様より巷の噂だと前置きされた上で、『大坂の役人で、大公儀の廻米のご意向を批判している輩がいる。大坂や京の庶民にへつらいたいのか?江戸表に廻米するのは不公正である、と煽っておる。騒動の種を庶民に撒き散らしたいのであろうか?大公儀の裁量に不服を持つとは役人にもあるまじき振る舞いだ。火のないところに煙をたたせるごとき奸計である。出所を明らかにし、然るべき手を打つように奉行に伝えよ』との仰せだった」
「そのような噂がご城代のお耳に届いたのでございましょうか!」
「そういうことだな。それでわしは下城後、その足で跡部良弼様にご報告申し上げたのだ」
「既にご奉行にご報告と!それで、ご奉行は何か下知せられましたでございましょうか?」
「無論だ、跡部さまは殊の外ご立腹だった。『栗林、このような噂をたてられるだけでも極めて不名誉なことだ。役人が公儀のご意向を批判するなど以ての外、出処をただし、不逞な輩を厳罰に処すべし』との命を賜った」
そこまで聞くと助次郎の顔に狼狽の色が走った。隼人は素知らぬ顔で続けた。
「ところが、ご下命を受けても、頭の痛い話だ。わし自身、そのような噂は今日初めて承った。巷の噂に疎く、ましてやその出処を調べる術がない。噂を立てた輩は、頭だけで物事をこねくり回す学者か、道理を弁えぬ偏狂者と推量するが、調べたくとも手足がない。頭を抱えたくなった時に、ばったり貴公に会ったのだ」
「それがしに何か出来ることがございましょうか?」
「いや、恥ずかしながら何を頼むべきかさえ分からぬ。わしの話を聞いて何か思い当たる節はなかろうか?」
「そのような噂を耳にしたことがございません」
「そうだろうな、お互い手の打ちようがないと言うのが実情だが、何もせん訳には行かんだろう。そこでまず、塾を順次調べてみようかと考えておる。それも役人が出入りしている塾から調べるのはどうであろうか?」
みるみる助次郎の顔に狼狽の色が浮かび、隼人から目を逸らした。『まあ、今日はこの辺でよかろう』と隼人はほくそ笑んだ。が、助次郎に相手の空気を読む余裕などなかった。考え込む助次郎を見つめながら、問い詰めるのは次の機会に持ち越すことにした。
「いやいや、わしは何か手がかりが掴めて申しているのではない。先ほども言うた通り、お奉行から拝命して困っておる。貴公のように番所詰めの経験もないからな。何から手を付けるべきか分からぬ。ただただ戸惑うばかりだ。おや?助次郎殿、顔色が悪いな。仕事でご多忙な折に、突然誘ったもので体調を崩されたか?無理は禁物だ。またの機会に改めて相談したい。さあ、一献どうだ。わしも今日はちと疲れた。おーい、小菊、徳利が空になっておるぞ」
隼人は、パンパンと両手を打ち鳴らし小菊を呼んだ。それから半刻ほど二人で呑んだが、助次郎の方は酒肴に箸をつける気も失せていた。
いつも通り、浪花茶屋に駕籠かきを呼んだ。女将、小菊、それに助次郎が見送っている。
「寒いな」
隼人は寒風に顔を顰めた。
「今からこれじゃ、今年も駄目か」
と呟いたのは作柄のことだった。
「まっ、豊作に越したことは無い。が、ご政道のせいではない、天気はな」
と口をついて出た。ましてや隼人のせいではない。駕籠に入り込み、別れ際だった。
「おお、そうそう、肝要なことを言い忘れるところだった」
と隼人は思い出したように助次郎を手招きし、耳元で囁いた。
「今宵の話は他言無用とされたい。これはご城代並びにご奉行跡部様からの、じきじき、且つ、内密のお指図だ。貴公以外には誰にも相談しておらん」
と念押しした。平山助次郎は頷き、かろうじて追従笑いを浮かべた。その鬢や着物を横殴りの氷雨が叩いた。




