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大坂燃ゆ  作者: ジャックジャパン
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第十三章 遺恨

第十三章 遺恨


 一挙両得とはこのことだった。『とうとう俺にも千載一遇の運が巡ってきたか』と栗林隼人は小躍りしたくなった。一つは破格の出世の可能性が出て来たことだ。もう一つは十年来の意趣返しである。与力と言っても大坂町奉行所勤めだ。地付の身分である。将来の夢などない。一生転勤もなく、毎日、型にはまった役目をこなすだけの味気ない生活である。隼人は昨年来立入与力になり、大坂城代土井利位の用向きを賜る任に就いた。要職に見えるが、これは殆ど与力として「上がり」に近い役職だった。


 本性がそうであったのか、役人根性が染みついたのか、原因は定かではない。隼人が三十路を過ぎたころ、既に人一倍世慣れた役人になっていた。つまり、金の匂いがしない役目は手抜きと決まっている。賂次第で匙加減や目溢しは当たり前である。縄張りに儲け口がないかと、虎視眈眈、さらには目明しを放って金の匂いを嗅ぎ回らせるのが習い性となっていた。結果、知行八十石だが、実質の収入はその三倍にもなっていた。いつしか、『虫けらめ』と不正を働いた町人を呼び捨てるのが口癖になっていた。不正を憎んでいるのではない。場合によっては後押ししてやりたい位だ。問題は、俺に『挨拶』もしないで不正を働くなど、とんでもない輩だ、虫けらめ、となるのである。


 ところがそこで隼人の一生を左右するような事柄が発生した。ある時上役に呼ばれ、米取引の新しい徴税制度の素案を練るように命じられたのだった。

「隼人、本来、江戸表にもお伺いを立て、ご意向に沿った形で念には念を入れて素案を練り上げ、触れを出すものだ。しかし、米取引は大坂で生まれ育った制度だ。実情も分からず頭の中で絵を描いても実際にはなかなかうまく働かぬ。そこで今回はそこもとに白羽の矢が立ったのだ。奉行所内で経済を語らせばそこもとの右に出るものはおらぬ。米あきんどからの税収が確りと増え、しかも、経済に役立つ制度の改革を考えよ。頼んだぞ」

これぞ、隼人が若かりし頃思い描いていた、侍たるものの使命だった。

「はっ、はぁ。掛かるお役目を賜るとは、この隼人、一生一世の冥利に尽きる感激でございます、必ずや」

と感極まって、あとは言葉を詰まらせた。約一か月、寝食も忘れる勢いで熟考を重ねた。所内の先輩の意見はもとより、同輩や若手の考えも取り入れ素案作成に没頭した。へとへとに疲れたが、とうとう素案の骨子を纏め上げた。


一つ、全国の米商人にも大坂での米取引に参入させる。

一つ、江戸への廻米を目的とした取引は免許制とする。

一つ、免許授与は奉行所が管理統括する。授与は公明正大を旨とし、判定基準は明文化する。

一つ、免許の有効期限を定め、奉行所が適宜監査する。


米取引は群を抜いて巨大な商いである。役所が主導的に管理監督することにより、取引の効率化と徴税の安定且つ拡大を図るのが骨子であった。米取引で上手く運用出来れば他の農産品にも適用すればよい。だいたい綱紀がゆるみ、役人が不正に関与するのも、元を正せば知行が低いのが原因である。同心に至っては僅か十石三人扶持、公務で必要な経費もある。扶持米だけでは家族も養えない。奉行所自体が『足らず米は他所で稼げ』と命じているようなものだった。許認可料を安定収入とし、その一部を役職手当名目で役人に還元すれば生計が潤う。不本意ながら手を染めている不正も減るだろう。今の大坂町奉行の役人は『恒産なくして恒心なし』を地で行ったものだ。『ここで改革しないと我らの暮らし向きも変わらない』と、隼人なりに心血を注いだのだった。


 と、ちょうど素案が完成した頃だった。同僚の大塩平八郎が気色ばんで御用部屋にやって来た。隼人を見つけ出すや目を外さず近付き、彼の前に仁王立ちした。

「栗林殿、この度ご奉行の命を賜って、米取引の制度改革の素案を作っておられるらしいな」

上から目線でそう尋ねると、断りも入れず文机の傍に座り込んだ。平八郎と隼人の住まいは共に天満の与力町で、武家屋敷が連なっていた。すれ違えば挨拶するが、特に親しく付き合っている訳ではなかった。

「はい、素案は出来ており、お奉行にもあらましご報告申し上げました」

現に目の前の文机にあるのは最終校正したものだった。一字一句懇切丁寧に書き上げている。

「素案のあらましを先ほど知り申したが、あれは受け入れがたい」

平八郎は細く鋭い目差しを、まるで罪人に投げかけるように隼人に注いだ。

「と、今ご奉行に申し上げて来たところだ」

これには隼人も頭に血が逆流しそうだった。顔面が火照り耳まで紅潮したのが自分でもわかった。年長と言え、座り込むなりひとの労作を否定するとは、無礼極まりない。また同じ与力の身分でありながら、本人を差し置き、奉行に直談判するのも信じがたい暴挙だった。一方で、平八郎の気迫に怯んでたじたじとなるのを感じた。

「後学のために、その理由をお聞きしたく存じます」

どっと出た汗をぬぐいながら、隼人は必死に体制を立て直そうとした。

「ご政道とは一体何であろうか?何はさておき、天下万民の為のまつりごとであろう。古来、その一言に尽きるではないか。ところが、おぬしの素案にはその肝心な視点が見当たらぬ。あれでは豪商を益益儲けさせ、米の買い占め売り惜しみもやりたい放題、そのご利益に与ろうという下賤な役人の下心が透けて見えそうだ。江戸への廻米を許可制にすれば、またぞろ不正が横行しかねない。大坂のあきんどと言っても豪商ばかりでない。多数の小規模なあきんどが商いを支えているが、彼等を取引から締め出そうと言う魂胆ではないか。このような仕組みを作れば、喜ぶのは一部の豪商と利権に敏い役人だけだろう。而して泣きを見るのはまたぞろ庶民と言うことになりかねぬ」

ここまでなら、まだ我慢も出来た。先輩与力の言うことだ。多少の理も確かに認められる。しかし、経済の知見は自分の方が優っているという自負もあった。今回ばかりは、精魂を傾けて提案書を作成したのだ。が、平八郎の次の言葉が恨みに拍車をかけた。

「栗林殿、武士たるもの、一生に一度は滅私奉公すべきではないか。おぬしに常時私心を捨て去るべし、と申すつもりはない。『虫けら』相手にご苦労もあろうからな」

どこで耳に挟んだのだろう?平八郎が隼人の口癖を先刻承知していて、意図的に揶揄したのは明らかだった。御用部屋には同僚が十名ほどいた。が、平八郎の勢いに押されたのか、誰も一言も発しない。耳をそばだて聞いているばかりだ。隼人の行状に批判的な面面の中には、冷笑を漂わせる者もいた。そこで止めておけばよかったのだが、平八郎はユックリと席を立ちながら平然と付け加えた。

「だが、今回は特別のお役の儀、武士の本分を全うされるがよかろう。そうそう、誰が言い出したのであろうか。確かにこの世には、『虫けら町人』も棲みついているが、『虫けら侍』も後を絶たないのは情けない限りだ。虫けら呼ばわりされた町人の方が、陰で『虫けら与力』と揶揄しているのにも気付かず、私利を求めるのに夢中になっておる。呆れた御仁が僚輩の中にいるものだ。同じ武士として忸怩たる思いを拭い切れない」

平八郎が立ち上がるのと、隼人が脇差の鯉口を緩めたのがほぼ同時だった。隼人は顔面蒼白で怒りの余り震えが止まらなかった。『虫けら侍』ならまだしも、『虫けら与力』と面罵されては、話の筋から誰をさしているのか明白だった。平八郎も帰宅前で帯刀していた。そこで刀を抜けば抜き差しならなくなる。言わずと知れた、奉行所内の抜刀は禁じられている。更に喧嘩両成敗、所内での私闘は忌み嫌われている。下手すれば当事者は切腹となる。だが、ここまで侮辱を受けて黙過する訳にも行かない。と、立ち去ろうとした平八郎が振り向いた。そうして嘲笑うように隼人の手元に目を止めた。

「栗林隼人殿、なにかご異存がおありか?お望みなら時と場所を改めて決着をつけられるか?拙者、逃げも隠れもせん。また、前言を取り消すつもりもない」

刺すような目を隼人に送ったが、その声は落ち着いていた。目線を外さず応答を待っている。だが、隼人に平八郎ほどの胆力はなかった。情けないことに、握り締めた拳の震えが押さえられなかった。平衡感覚がおかしくなり、御用部屋がぐるぐる回っているように感じた。怒りと恐怖で腰回りが痛くなり、胃液が喉元までせり上がってきた。

尋常でない空気に耐えかねて、力なく視線を逸らして俯いたのは隼人の方だった。ここは所内だ、狼藉はまかりならぬと、理屈をつけて恥辱を甘んじて受けた。

後になって何度思い出しても自分自身が情けなく、その分私怨が濃く残った。初めて純粋な気持ちで作成した施策だった。これ以上のものは誰も作れまいという自負もあった。それを平八郎は頭ごなしに粉々に潰してしまったのだ。


 結局、隼人の素案は取り下げを上役から強要された。

「なあ、隼人、この素案を受け取っても採用しないのだ。とすれば、受け取ってしまえば採用しない理由、つまり、そこもとの不見識をおおやけの記録として残さねばならぬ。それでは奉行所としても不都合だ。そこもとも不本意だろう。一番良いのは自ら取り下げることだ。さすれば斯様なことは元元なかったこととして一件落着だ」

実際、素案は思慮不足であると、口頭で細かな点まで指摘を受けた。平八郎の異議申し立てが裏で作用していたようだった。それ以降今に至るまで、いわゆる『日常業務』以外に、重要案件の立案と言った類の役割は回って来なくなった。役人の世界らしい結末だった。それ自体は別に平八郎のせいではない。矛先を平八郎に向けるのは逆恨みというものだ。しかし、あの事件以来、平八郎の後姿を見ても吐き気を催すようになった。以降、面と向かい合うのを恐れるようになった。そうして全てのわだかまりが平八郎に対する恨みに凝縮された。他方、現実社会では、典型的な『虫けら与力』として過ごす日日が続いた。


 今回の下知は又とない機会だ。しかも一石二鳥だ。『隼人、お国のためだ、存分に調べあげよ。天下に弓引く狂犬を野放しに出来ぬ』と大坂東町奉行直直のお墨付きを賜ったのだ。城代という後ろ盾もある。積年の私怨を晴らし、平八郎を牢に送り込めるのだ。奉行の覚えもよくなる。破格の褒賞も期待できる。公儀に歯向かうとは、常軌を逸している。だが、奴ならやりかねない。『さあ、平八郎、早く立ち上がれ、もたもたしないで武士なら乱を起こせ!わしが完膚なきまでに叩きのめしてやる。お前一人の咎で済むと思うなよ』隼人はにやりと笑い、これからの策に考えを巡らせた。先ずは子飼いの目明し、人呼んで『まむしの吾平』に会うことにした。




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