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理想を追い求めた男

 緑豊かな草原を親子だけで構成された狼の群れが駆ける。長である父親の先導に従い若い子供達が進む中、不意に血の香りが漂い群れは疾走を止める。空を見上げれば風に弄ばれながら落下して来る物があった。


 それは黒い鱗を持つ竜の翼。鋭い牙で噛み付かれ、無理に引き剥がして負った怪我の状態で無理に飛んだ為に千切れたらしき跡が有る。翼の肉は硬いが翼膜は柔らかく顎の力が大人程でもない子供でも食べられる。


 狼にとって竜は遙か格上であり、得物として狙うには危険な存在。口にする事が出来るのは瀕死の状態や死体に運良く出会した時のみであり、栄養豊富なご馳走だ。此処暫くモンスターによって狩りが妨害され暫く何も食べていない子供達が尻尾を振って喜ぶ中、父親が先ず口にしようと顔を近付け、飛び跳ねて距離を取る。


「グルルルル!」


 唸り声で危険を知らせた父親は結局口を付けずに先に進み、子供達も名残惜しそうにしながらも後に続く。やがて一匹の蠅が血が凝固し始めた断面に止まり、息絶えて転がり地面に落ちた時、既に蠅の体は腐っていた。





「あと少し、もう直ぐだから頑張ってくれ、相棒」


 狼達が駆けていた草原の上空、翼の一部が欠損した竜の背に乗った教師、名をアイゼットは弱々しい声で龍の背を撫でる。喉の奥からこみ上げてくる物を吐き出せば腐敗が始まった血液であり、強く縛って止血した腕も既に腐っている。彼も龍も体中に牙や爪によって付けられた傷が多数存在し、内臓に届いている物も少なくない。


 欠損した翼で風を掴み飛ぶ度に竜の全身から血が滴り落ち、既に目には生命力が感じられない。次の瞬間にも死んでしまいそうな状態の彼らを奮い立たせ命を繋いで居るのは気力のみ。子供の投石一つで血に伏して二度と起きあがる事が無さそうな体で大空を駆けて目指す目的地が漸く視界に入った。


 此処までの時間は今にも意識を手放したい激痛から解放されたいという誘惑を振り払いながら悠久にさえ感じられた。目的地が見えた事で緊張の糸が切れてしまいそうなのを堪え、主従はアスモデウス学園が管理する寄宿舎の上空へと到着し、彼は此処で遂に力尽きた。


「……これで…良い。異変さえ知らせ…られれば…‥」


 意識が途絶える瞬間、今までの人生が走馬灯の様に蘇る。寝物語に聞かされた英雄に憧れた彼はアスモデウス学園に入学し、其処で現実の醜さに絶望した。其処で諦めて腐ってしまえば何処にでも存在する凡百になったのだろうが、彼は諦めず寧ろ熱意を燃やしたのだ。


 俺が教師になって学園を変えてやる! そんな決意を燃やした彼は権力に迎合して媚びへつらう多数の教師ではなく、スカー達の様な学園の誇りを取り戻そうとする教師になったのだ。


 そんな最中、今回の事件が起こった…‥。




「……おいおい、どうなってるんですかねぇ」


 サバイバル訓練という名目でありながら豪華なログハウスが用意され使用人を呼んで宴を開く事が許された生徒達に憤りを感じ理想達成までの道のりは遠いとうなだれていた時、ゾンビの大群と遭遇したアイゼットは今回の事態の異様さに気付く。


 此処までの数のアンデッドが誕生するには杜撰な管理がされた巨大墓地か大量の死体が弔われず放置される戦場位。この森の近くには戦場跡さえ存在しない。ならば何処から現れたのか?


「決まっている。誰かが連れて来たんだ。……誰かってのも想像出来るぜ」


 自問自答した結果、これによって多くの犠牲者が出るのを目論むのは学園の敵か…‥禍人だと予想が付く。これは森に居る教師では手が足りないと素早く相棒である竜に乗り込み空へと飛び立つ。


 直ぐに無数の追っ手に遭遇し、傷を負いながらも異変を報せるべく彼は命を繋いで、自らの死骸が異変の知らせとなる事を確信し、一刻も速い解決を願って地面へと落ちて行く。激突の寸前、竜の死骸が彼と地面の間に滑り込んだ事でアイゼットの死骸は地面に叩きつけられる事はなかった。


 かくして嘗て従竜の儀で出会い絆を深めて来た一人と一匹は多くの生徒の命を救おうと文字通り命懸けで辿り着く。警備の兵士達が何事かと慌てて近寄り、死骸が誰かを理解した事で残っていた教師に知らせに走った。これで彼の最後の願いは叶う……かに見えた。少なくとも彼はそれを信じて死んだのだ。


「お…おい、なんだアレは……」


 現場に残った警備兵の一人が空の彼方を指差した。最初は暗雲に見えたそれは急速に建物に接近する事で無数の生き物であると分かる。その正体は鳥の群れ……だったならばと彼らは願う。それは正確に言うならば生き物ではない。腐敗した体を動かし、触れた植物が枯れ果てる猛毒の体液を地面に撒き散らしながら進む竜の死骸、アイゼットと相棒の命を奪ったドラゴンゾンビの群れが食欲と殺戮本能の残滓によって今正に向かって来ていた……。



「ドラゴンゾンビ、ドラゴンゾンビだぁああああああっ!!」


「ひぃいいいいいいいいいっ!!」


 古代より竜は従える事が英雄の証となると同時に災害に近い存在だった。高き山脈や深い森の中で暮らし人の前には滅多に姿を現さない。野生の竜が姿を見せる時、それは見た者が英雄でない限りは命の終わりを意味する。そして、その様な存在が動く死体となり、本来ならば致命傷となる傷を負わせても平然と襲って来るドラゴンゾンビへの恐怖は計り知れない。


 幼い頃から心の奥に刻まれて来た恐怖は使命感など忘れさせ、守るべき場所を放置して逃走を選ばせる。事実、彼らが挑んだとしても武器が毒によって腐食し、アンデッド故に必要のないリミッターが外れた肉体による自損さえ気にしない一撃で肉の塊となって鎧の残骸にへばり付くだけだ。彼らはこの様な災厄を連れて来たアイゼットを心の中で罵倒しながら必死に駆ける。


 目の前で動く生物はアンデッドの意識を向けさせるには格好の囮であり、逃げ惑う彼らにドラゴンゾンビ達が襲い掛かった。




「嫌だ、嫌だ、嫌だぁあああああああああっ!!」


 家族や友人、恋人の顔を思い浮かべながら必死の形相で走る若い兵士は邪魔だと鎧や兜、武器さえも投げ捨て身軽になって逃げる。その程度の差はドラゴンと人の差の前には微量であり、大きな口を開き毒の含まれる悪臭を漂わせながらドラゴンゾンビの一体が僅か一メートルまで迫った。








 ……此処で死したアイゼットの名誉の為に記しておく。彼は森の異変も、追っ手のドラゴンゾンビも絶対に対処できる者達が居るから迷わず一直線に戻って来たのだと。




「ホーリーレイ!」


 地面から立ち上った光の柱は無数の光となってドラゴンゾンビ達に降り注ぐ。他には人も植物さえも傷付けずにドラゴンゾンビ達を殲滅した男は古くからの友と共にアイゼットが来た方向に視線を向けた。








「ちぃーっと面倒な事になってるみてぇだな、示現」


「少し所ではなさそうですよ、空也」


 アイゼットの最期の願い通り、世界を一度救った本物の英雄達が動き出そうとしていた。

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