命有る者の義務
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目の前で不気味に蠢く巨大な肉塊を眺めながらリシャーナは魔力を高める。最初は正気を疑った同僚の発言も、巨大な肩だの一部に吹き出物の様に存在するエンケーの顔を見れば信じられた。あれは間違いなくエンケーが変化した存在であると。
「ヒートバインド」
エンケーが僅かに跳ねた瞬間、真下に潜り込んだ鎖が肉に食い込んで動きを止める。身体を捩って抜け出そうとするも鎖は軋むばかりで切れる様子も無く、真っ赤に熱せられた鎖の熱で触れた部分から煙が上がって肉の焼ける匂いが立ち上った。
「ああ、臭い。相変わらずこの魔法は好きになれませんよ」
服の袖で鼻を覆ったリシャーナは一切の容赦をする事無く鎖での束縛を強め、肉に高熱の鎖が食い込んだエンケーの絶叫が響く。その声を聞いても彼女の瞳に慈悲は宿らず、追加の鎖が更に束縛し肉を焼き続けた。
「な…なんだ、あれはっ!?」
「化け物だっ! 新種のモンスターが襲って来たぞ!」
この頃になれば少し離れた宿舎に居る者達も騒ぎに気付き混乱が広がる。慌てて逃げ出そうとする者、事の成り行きを漠然と見守る者、立ち向かおうと戦闘の準備を進める者など対応は様々で、距離があるからか肉塊に存在するエンケーの顔には気が付いていない模様だが時間の問題だろう。
焦りを募らせるスカーに対してリシャーナはその様子を指差して、言い聞かせる様に呟いた。
「ほら、もう終わりです。例え元に戻ってもモンスターになって暴れたという事実は隠し通せない。彼の人生は既に致命傷を負いました」
「……まだだ、まだ生きていける」
「……はあ? 正気ですか? 例え誰か権威の有る方が再び変化しないと証言しても疑念は残ります。本当に大丈夫なのか、周囲に伝染しないのか、子に遺伝するんじゃないか。もう貴族としての価値は皆無を通り過ぎて負債状態。惨めに幽閉されて生きるか、秘密裏に処分されるか、此処で死んだ方が良いと私は思いますが?」
別段彼女は貴族が嫌いな訳でも、エンケーを殺したいと思っている訳でもない。本当に今死んだ方が良い、生かしても恨み言を言われるだけだ、本気でそう思い、憐れみさえ感じて殺そうとしているのだ。
その気持ちはスカーにも伝わっている。理屈も理解する。だが、それでも納得は出来ないとばかりに彼はリシャーナの肩を掴み、淀みない瞳で口を開いた。
「ならば何処かに逃げれば良い。逃げて逃げて、そうして生き続けるんだ」
「……彼、家の地位と財力に頼って生きてきた子ですよ? そんな彼が今更自力で見知らぬ地で、どの様に暮らす事になるのやら。生き地獄……だって有り得ますが?」
スカーの言葉にエンケーを過大評価していると告げ、だから今此処で殺すのが彼の為だと訴える。だが、それでもスカーは首を縦に振ろうとしなかった。
「惨めでも苦しくても、それでも生きるんだ。それが僕達生きている者の義務なんだから」
例え汚名を払拭し名誉を回復する機会が与えられないとしても生き続ける。それこそが生者の義務だと主張した時、エンケーの様子に変化が訪れる。膨らんだ肉は更に膨張し、元の姿を保っていた顔が大きく歪み始めた。何かを掴もうとする様に肉が隆起して腕へと変わり周囲へと伸びた。建物を、樹木を、大地を、無数の腕が掴んで握り潰す。束縛する魔法の鎖が激しく軋み激しく揺れて罅が徐々に、そして確実に全体に入った。
「……もう四の五の言っていられる状況では無いですね。此処は一気に……っ!?」
リシャーナが焦りを募らせ更なる束縛を施そうとした時、空に風の魔法陣、地に土の魔法陣が重なる様に出現する。
「これは……」
二つが同期する様に間に電流を思わせる光が走った次の瞬間、凄まじい砂嵐が周囲を包み込んだ。否が応でも目や口、鼻に侵入し身体に打ち付けられる砂。それでもリシャーナが魔法での拘束を維持しようとした瞬間、スカーが盾を構えて彼女の前に飛び出した。
「かはっ……」
エンケーの強化された攻撃でさえ防ぎきった頑強な盾。猛攻によって表面に凹凸が出来ていても防御力は健在。だが、その盾を易々と貫いた腕の指先が高レベルによって丈夫さを増したスカーの体に突き刺さっていた。傷口を抉る様に指先が曲げて引き抜かれ、続いて放たれた足が盾を完全に破壊して二人を蹴り飛ばす。二人纏めて宙を舞い砂嵐の外まで叩き出されて転がった時、エンケーの束縛が解けた。
「ぐっ…くっ……もう一度……きゃっ!? ぎゃぁあああああああああっ!?」
地面を転がって苦痛に顔を歪ませながらもリシャーナは手を伸ばして魔法を再び発動しようとした時、その手が踏み砕かれた。骨が砕け肉が潰れる音が鳴り、それを掻き消す絶叫が響き渡った。
「おやおや、お二人共方向性は違いますが教師として生徒を想っている様子。ああ、私も随分と感動してしまいました。おっと、ご挨拶が遅れましたね。私はネペンテス商会の従業員でシアバーンと……くくく、あひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
リシャーナの手を踏みにじりながら丁重な口調で挨拶をするシアバーンだが、途中で堪えきれなくなって腹を抱えて大笑い。普段は隠している首の口を開いて唾を飛ばした後、彼女の顔を覗き込んだ。
「彼を止められると私も困るのですよ。大暴れして犠牲者を出した後で元に戻って頂くのです。さてさて、どんな人生を送るのやら。勿論ああなったのは私の仕業ですし、中途半端な所で死なない様にアフターケアの準備はバッチリですともぉ! あひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
再び腹を抱えて笑い出したシアバーンは頭を下げ、数瞬遅れてスカーの蹴りが頭があった場所を通り過ぎる。腹の傷を強く縛って強引に止血し、激痛に耐えながらも彼は拳を握り締めて怒りをシアバーンに向けていた。
「……お前か。お前が彼をモンスターに変えたのかっ!」
「ええっ! ええっ! そうですとも、そうですともっ! この件は私が黒幕なのですっ! ですがモンスター等という無粋な呼び名はご勘弁をぉっ! 憎魔と呼んで下さいませぇ!」
「……今すぐ彼女から離れて彼を元に戻せ」
「ちゃんと戻しますよ? 全てが手遅れになった後ですが。……貴方は面白くない方ですね」
オーバーリアクションでの挑発にも動じず反応もしないスカーに表情は分からないが不服そうにするシアバーン。彼が片手を頭上に掲げれば無手だったその手に歪な刃の剣が出現した。刃零れした鋸を思わせる刃全体に赤茶色の錆が浮かんでおり、切れ味よりも相手に与える苦痛の度合いを優先した姿。それをスカー目掛けて振り下ろす。彼は反応すら出来ず……。
「ぐへっ!?」
その身に刃が突き刺さる寸前、黒い疾風が走って折れた刃が宙を舞う。疾風の正体は小柄な黒子。ナイフを構えて止まった彼は停止した瞬間に折り返しシアバーンの脇腹に蹴りを叩き込んだ。くの字に身体を折り曲げて吹っ飛んだ体は地面に激突、数度バウンドして宙で体勢を立て直し地面に降り立った。
「……むぅ。貴方、一体何者ですか?」
「……」
「無視……ですか。貴方、かなり不愉快ですね」
無言で漆黒のナイフを構える黒子に対してシアバーンは先程と同じ様に無手の腕を構えれば彼よりも巨大な戦斧が出現する。スカーに使ったのとは違う、娯楽ではなく戦いの為の武器であった。




