逃げられぬ理由
「何をやっているっ! さっさと金目の物をありったけ持ち出せっ!」
スピリットハウスが町を直進する中、進路上に存在するフウ一家の屋敷では大慌てで逃走の準備が成されていた。
溜め込んだ金や美術品、嵐続きで困窮した弱みにつけ込んで買い叩いた店や土地の権利書や人身売買に関わる書類。少しでも多くの物を持ち出そうと部下を怒鳴りつけ急かしながらツゥは忌々しそうな顔をしながら金庫に仕舞っている剣を持って来たリーカの顔を思い浮かべていた。
「……嵐を呼ぶ剣? それが本当ならば……」
「正確には嵐を封印する剣なんだが、鞘が無い場合は封印していた嵐が噴き出し続けるんだぜ、すんげぇだろー!」
協力関係にあったメタ・ボリック伯爵の紹介で知り合うもヌイグルミを使った人形遊びでしか話さない彼女の言葉に半信半疑だったツゥ。取り敢えず代金は効果が出たら月々払うと契約を交わし、実際に長らくぶりの悪天候と海の荒れが町に被害を齎した。
これはのし上がるチャンスであるとツゥは思う。このまま嵐が続けば船乗りは船を、商家は店を手放しざるを得ない。それらを安く買って権利の大部分を掌握した後に剣を手放せば交易の要であるラグレを支配出来る、その筈だった。
只、注意事項として少しモンスターが引き寄せられるかもと忠告を受けていたが、それも周囲に被害を与える道具だと感じていたし、スレイブリングで数の調整も行っていた。
だが、今度ばかりは規模が違う。稼げるだけ稼いだ金を持って逃げるしかないと思わせる程に。幸い剣は手元にある。逃げ切った後で同じ事をすれば良いとするツゥであったが、突如ドアが外から吹っ飛ぶ。
「誰だっ!」
「……部下の方から事情は聞きました。剣を渡して下さい」
武器を持った住民を率いて乗り込んだエリーゼは淡々と要求を口にしながら手を差し出した。
(部下は……駄目だな)
この部屋に乗り込まれている時点で見張りに置いた者達は既にやられているだろうと判断する。実際、半開きになったドアの隙間から大の字になって気絶している部下達の姿が見えた。ツゥも暴力でのし上がって今の地位を築いた男ではあるが、それでも寄る年波には勝てない。ましてや多勢に無勢では尚更で、手間取っていてはスピリットハウスが屋敷にたどり着くかも知れない。
「……分かった」
観念したのか金庫から出して自ら持ち出そうとしていた剣をエリーゼへと差し出してみせるツゥ。だが、彼女が受け取ろうとした瞬間に彼女の腕を掴んで引き寄せると刃先を突き付けた。
ラグレを苦しめた天災が自分の仕業と知られたからには只では済まない。下手をすれば私刑を受けると判断した結果の行為であり、あわよくば何処かの娼館にでも売り払って当座の資金にしようと思ったのだが……エリーゼみたいな少女が先頭に立っていた意味を考えなかった所を見ると焦っていたらしい。
「……えい」
エリーゼは突き付けられた剣を持つツゥの腕を掴んで華奢な見た目からは想像出来ない握力で握りだした。悲鳴を上げて振り払おうとするもビクともせず、年老いて脆くなった骨からミシミシと嫌な音が鳴り響く。握られた場所から激痛を感じ、必死に引き剥がそうとするもエリーゼは動かず、痛みは増していくばかりだ。
「こ…降参だっ! 剣は離すから勘弁してくれっ!」
遂に限界を迎えて剣を持つ手を開けば床に落下して転がり、掴まれた腕に掛かる力が弱まる。助かったとホッとするのも束の間、ツゥの視界がグルリと回転、片腕だけで投げられ背中から床に叩き付けられた。
悶絶するツゥの姿を怒り未だ冷めやらぬと睨みながらも床に転がった剣と屋敷に迫るスピリットハウスへと視線を向ける。何をすべきか、それを一瞬で判別した彼女は剣を掴むとスピリットハウスへと向き直った。
「その人、色々と悪い事をしているみたいですし、この辺の領主様は信用出来ないので隣の領主様に預けて下さいね。……気持ちは分かりますが怒りに流されて売られた人の情報を失わない様に」
本心を言えばエリーゼだってツゥを殴りたいし、長らく苦しめられて来たラグレの住民ならば尚更との思う。だが、それでは救えるのに救えなかった人が出るかも知れない。多彩な悪事を働いた事が皮肉にも私刑を免れる理由となったツゥではあるが、助けてくれる貴族のメタは既にこの世に居らず、後継者争いで優勢なのは良識派の青年なので今後の展望も暗い。
この日、子悪党から町を支配しそうになるまでのし上がった老人が奈落の底へと転がり始めた。
「お…おい、嬢ちゃん、何をする気だ……?」
「何って…町を救う気です」
入り口から逃げるのではなく、迫り来るスピリットハウスが居る方向の窓へと歩み寄るエリーゼに只ならぬ様子を感じ取った男が声を掛ければ彼女は笑顔で振り返る。この時、エリーゼの顔は可憐な少女ではなく、聖なる女神に見えたと後々語られるが今は別の話だ。
モンスター達を引き寄せている剣を掴んだまま窓から飛び出したエリーゼは雨に滑って着地失敗。お尻を強打した後で仰向けに倒れれば下を覗き込んだ者達と目が合った。
「何って…町を救う気です」
「……あっ、うん」
無かった事にして仕切り直したエリーゼはスピリットハウスに正面から向かい、その姿に(色々な意味で)居たたまれない気持ちになるラグレの住民であった。
「あの子、強いな」
「ああ、強い」
「俺達は……弱いな」
「……ああ」
エリーゼが剣を持って近寄った瞬間、先程まで緩慢な動きをしていたスピリットハウスが俄かに活気付いて速度を上げる。見上げる程の巨大が迫る様は途方もない圧迫感を与え足を竦ませそうになるもエリーゼは止まらない。
彼女の体ごと剣を掴もうと伸ばしたハサミに捕まれば潰されミンチにされるだろう。前方に飛び込んで真下を潜り抜け、勢いを殺さず転がってから跳ね上がる。足の隙間を駆け抜ければ激しく足踏みをして踏みつけ様とするが臆さず進み、遂に後方に躍り出た。そのまま進んで振り向けば方向転換して追跡してくる。
被害が拡大しない様にと既に破壊された場所をなぞって駆け抜けるエリーゼだが、散乱した瓦礫が行く手を遮る。足下に転がった小さな物を蹴り飛ばし、大きな物は飛び越えるか横を通って進むと当然の如くロスが生まれる。一歩の歩幅の差も相まって稼いだ距離は確実に狭まり、更に殻の中に未だ潜んでいたウォーターレイス達が飛び出して襲い掛かって来たではないか。
元々は剣に宿るミューリの力に惹かれてやって来たものの、死霊の性として生者を襲い生命力を喰らおうとしていたのが先程までの戦闘だ。だが、今は高いレベルの質の良い生命力を持つエリーゼが剣を持って目前に存在する。当然群がり、呪詛の籠もった吐息を吐きかけ纏わり付いた。
助けて、俺は死んだのにお前は生きてるなんてズルい、一緒に逝こう、エリーゼの頭に死者の言葉が直接語りかけられ気が散り足が乱れる。強引に振り払うも次々に現れ駆ける邪魔となり、遂にスピリットハウスがエリーゼへと追い付いた。
チョコチョコと逃げ続けるならば先に動けなくしよう、そんな風に低い知能で考えたかは疑問だが乱暴に巨大なハサミが振るわれる。範囲内の建物を更に破壊して飛び散った瓦礫がエリーゼの肩に命中、跳んで避けようとした彼女の体勢が空中で崩れ僅かだが掠ってしまう。見上げる程に巨大なスピリットハウスのハサミならば僅かでも十分だ。エリーゼは吹き飛ばされ、半壊した建物に突っ込んだ。
「がはっ!?」
一瞬自分でも何があったか理解出来ないエリーゼ。服の掠った背中側は破れて酷い痣となった肌からは血が滲み、だす。肺の空気が衝撃で押し出されて息が詰まる中、崩壊寸前だった建物は今の一撃が切欠となって崩壊を始める。気を失ったエリーゼを中に残したまま……。
「っ!? な…何が……」
気を失ったのは一瞬、直ぐに激痛で覚醒させられたエリーゼは身にのし掛かる瓦礫の山に視線を向け、見失ったのかキョロキョロと目を動かしながらエリーゼを探すスピリットハウスの姿を瓦礫の隙間から目にする。大切に持っていた剣は吹き飛ばされた際に手から離れて視界の先に瓦礫に隠れて転がっており、近過ぎて反応が分かり難くなっているが見付かるのは時間の問題だ。
一刻も早く抜け出して回収しなければ駄目だと直感が告げているが瓦礫は重く、折れているのか左手が痛い上に動かない。このまま隠れていれば安全だと、心に誰かが囁いた。
「……でしょうね。でも、私は逃げる訳には行かない! 戦う必要の無い人達を戦いの渦中に引きずり込んだ私が我が身可愛さに逃げる訳にはいかないんです! あ…あぁあああああああああっ!!」
瓦礫の中から無理矢理這い出せば体が裂ける様に痛い。実際に体中から血が流れ、釘などの尖った物が刺さってさえいた。叫び声に反応してかスピリットハウス達の視線がエリーゼに向く。だが、不運な事に剣を隠していた瓦礫が風で倒れて剣が見付かってしまった。
駆け出すエリーゼだが、向こうの方が数手早く剣へと辿り着く。ならばどうすべきか? 何が何でも数手稼ぐのみだ。
「ホーリーバインド!」
聖なる力を宿した鎖が虚空より出現して我先にと剣に殺到せんとしたウォーターレイスを縛る。続いてスピリットハウスが向かって来るも鎖が立ち塞がっていた。
邪魔だとウォーターレイスごと鎖を砕こうとするも大きく破損させ、物理攻撃に強いウォーターレイスに僅かにダメージを与えただけ。もう鎖に彼らを縛る力は残らず、解放されたウォーターレイス達は一斉に襲い掛かる。
……エリーゼではなく、自分を攻撃したスピリットハウスにだ。直ぐに何度も殴られ粉砕されるもエリーゼの手が剣を掴んで再び走り出すには十分な時間を稼げた。
だが、遅い。ダメージを受けた足では先程までと同じ速度は出せない。そして、いよいよ我慢の限界に達したのかスピリットハウスが跳んだ。あの巨体で、あれ程の重量で、自分の全長の数倍の高度まで飛び上がり真下を走るエリーゼを圧殺せんとする。この巨体が落下すれば衝撃で周囲一体が確実に崩壊するだろう。
「終わった……」
ラグレの住民達が絶望に顔を手で覆った時、町の地面に溢れていた水が一カ所に集まり、水の腕となって宙に居たスピリットハウスを掴み取る。どれだけ暴れようとも手から抜け出せないスピリットハウスを呆然と見るエリーゼの真横には大胆不敵に笑みを浮かべるウンディーネの姿があった。
「いやー! 目立つと示現が五月蠅いからって自分を召喚したっすけど……久々の熱い人の生き様を称えて本気を見せてやろう」
「ウンディーネ様……」
水の精霊王である彼女を崇拝するエリーゼにとってウンディーネの登場は祈りに対して啓示があったに等しい。港町故にラグレの住民も体も服も全て水で構成された彼女が何者かを悟って祈りを捧げ、前半のオフモードと違って後半の仕事時の口調は町に響き渡る。
「さらばだ、哀れな亡霊と魔に生まれし命よ。汝達の来世に祝福が有らん事を」
粛々と告げるウンディーネは巨大な腕を操ってスピリットハウスを高く放り投げ、雨や海水も怒濤の勢いで集めて凝縮させた水の球を創り出し、放つ。
宙で命中した瞬間、頑強な甲殻も、怨霊の住処である殻も宿る者達ごと粉々に砕かれ包み込んだ水の水流で更に細かくした上で海へと飲み込まれた。
「これにて解決だな。我が愛しき人の子らよ、安心するが良い!」
再び響き渡るウンディーネの声に歓声が上がり、張り詰めた糸が切れたのか倒れ込んだエリーゼをウンディーネが受け止める。傷を癒しながら覗き込んだ時、エリーゼは安堵した顔で安らかに寝息を立てていた。
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第一回 グレー兎
灰色のウサギのキグルミを着た僕の友人だよ! 昔、メロリンクィーンって名前で黒歴史ポエムを書いてたから歌にして船乗りに広めちゃった。真面目な子で、実は結婚してて子供も居るんだ。旦那さんとは偶にエロ本の隠し場所を彼女に密告する仲だよ!




