サイドストーリー 伝説となる若者達 ⑦
ラグレ近くの岬の洞窟内、シャークゥによって生活するに困らぬ一式を揃えた場所でミューリは愛する男の帰りを今か今かと待っていた。
「早く帰って来ないかしら? ふふふ。帰って来た彼をキスで迎えてあげないとね」
元々の彼女ならば数年数十年単位でも瞬きの間程度に感じたのだが、今は半日程が幾星霜の年月にさえ感じられた。
我ながら変わった物だと微笑みながら安楽椅子にもたれ掛かって本を読む。ありふれた内容の陳腐な恋物語だが、今のミューリには胸躍らせる一冊だ。
何故人に恋をしたのか、そう訊ねられれば即答するだろう。あの出会いは運命だった、と。
この恋はこれからも続く、そんな確信さえ感じていた。人の心の移り変わりは理解しているのに。今の自分を唾棄すべきと断言するであろう嘗ての自分の事を回想しながらも。
「でも、問題が……」
懸念事項は二つ。目下の驚異は自分に邪恋を抱く海王レンドラス。だが、今のまま探知外の場所で隠れ続ければ諦めるかも知れない。
犠牲となる人々は哀れで、中には知己だった者も居るかと思えば気が滅入る。だが、優先すべきはシャークゥの安全だ。正直言って他の存在は比較するに値しない。
次の問題は一つ目を解決出来るかも知れない存在にして、役目を果たせばミューリとシャークゥに永久の別離を齎す存在。異世界より召喚されし勇者と仲間、示現達であった。
「理想はレンドラスとの相討ちね。生き残っても私が倒せる程に負傷していても良し。レンドラスが勝った場合は……」
レンドラスと同格の幹部で物分かりの良い知人を頼る。シャークゥだけなら見逃して一緒に保護して貰えるかも、と思う。
問題は示現達の勝利した場合のパターンで倒せそうな程に負傷していない場合。弱体化した自分ではどうすべきか分からない。
「いえ、諦めちゃ駄目よ、ミューリ。シャークゥとの愛の為にも……」
覚悟を決めて立ち上がり、取り敢えず食事の用意をしようと支配下に置いたレッサーシーリザードを呼ぼうとする。
この時、彼女は細心の注意を払っている積もりだった。だが、帰還を待ちわびる時間が疲れを呼んだのか足下がふらつき、数歩前につんのめる。転んで強かに顔を打ってしまうも水面は僅か先で触れずに済んだ。
「……少しショックね」
此処まで弱体化していたのかとヒリヒリ痛む鼻先を撫で、少し情けなく思いながら涙目で水面に映った自分を覗き込む。覗き込んでしまった。
本来の彼女なら不用心な真似はしないミューリは精神状況等の要因によって行い、髪の先が水面に触れる。
「拙いっ!」
収まる様子のない水面の波紋に慌てて逃げ出すも今の彼女の足は鈍い。一般人より少しマシ程度の速度で坂道を駆け上がる顔には焦りが見える。そして彼女が恐れる相手の登場は早かった。
突如として左右に分かれる水面。その狭間には水の階段が出来上がり、金属製のブーツを履いた男が威風堂々と上って来る。金色のマントをたなびかせ、赤い鎧と銀の三叉槍で武装した肌の白い男。貴族よりは軍人に見える屈強なる肉体と精悍な顔をした男の名はレンドラス。海を統べる禍人の最高幹部の一人である。
彼は坂道の上で自分を恐れた瞳で見詰めるミューリを目にし、何を思ったのか両手を左右に広げて歯を見せて笑みを浮かべた。
「良い、許そう」
「……え?」
何を言ったのかミューリには理解出来なかった。求婚された際に適当に誤魔化して逃亡し、身を隠していた自分とは一切の接点の無いレンドラスの言葉に当然戸惑う。其れをどう勘違いしたのか彼は歩み寄って来る。ミューリは動くことが出来なかった。
「偉大なる我が輩の寵愛に自分が相応しくないと思い、身を隠して居たのであろう事は理解している。だが、それは我が輩への侮辱だ。値するかどうかを決めるのはお前ではなく我が輩ではあるが……許すと言ったのだ。そうやって高い所から我が輩を見下ろすのも、即座に跪かぬのも許そう。何せお前は我が輩の妻なのだからな!」
(此奴、話が通じないタイプの馬鹿だ)
求婚された時も思ったが過剰なまでの自信で自らに都合の悪い事実は想像すらしないタイプだと、下手に賢いのより厄介だと思う中、身が竦んだ彼女の頬に手を当てたレンドラスは当然の様に唇を重ねてきた。
「んんっ!?」
急に行われたのはシャークゥと行った互いへの愛を確かめ合う為の物とは比較にならない乱雑で自分本位な物。身動ぎしても振り解けず、舌が強引に入ってきて口の中を蹂躙する。恐怖と嫌悪で固まる中、満足そうに笑ったレンドラスが漸く唇を離した。
「……中々だ。我が輩の妻になるのだから当然守ってきた一度目を差し出せて僥倖であろう?」
最近会ったばかりだし、本当に愛しい相手と何度も幸福なキスを行っていると、喉元まで出掛けた言葉を必死に飲み込む。この馬鹿は力は大きいからと警戒しているからだ。本心では股ぐらを蹴り上げてやりたいと思う中、レンドラスはミューリを眺め、海と繋がっている場所に目を向けた。
「我が愛しき妻よ、ミューリよ」
「……はっ! 如何致しましたか、レンドラス様?」
「ふはははは! そう畏まらずとも良いぞ、ミューリ。なに、少し気になってな。……何故弱体化してまで波と天候を抑えているのだ? まるで人の子に力を貸すかの様に」
拙いと焦るミューリ。愛しいシャークゥの為に海と天候を穏やかにする力を込めた剣を作り出したが、目の前の相手に何と説明すれば良いのかが分からない。まさに絶体絶命のピンチである。
本当に人の為と知られた瞬間、間違い無くレンドラスによってミューリの命は奪われるのだから。そして、それを知ればシャークゥは復讐の炎を燃やすだろう。レンドラスという圧倒的な力の前ではか細く容易にかき消される程度と分かっていてもだ。
(来世……そうね、来世で会えるかしら? この世界に人が残っていたら、きっと愛の力で巡り会って……)
「分かったぞ! 我が輩が諦めずにお前を見付けると分かっていたから、自らを貶めて諦めさせる気だったのだな。其れほど迄に我が輩が愛しいか、可愛い奴め」
「……あっ、はい。そうです」
自意識過剰な馬鹿で良かったと、自己中心的な考えを疑いもせずに口にするレンドラスを見ながら思うミューリ。何とか難を逃れたとホッと一息、胸をなで下ろす。
「では、もう必要有るまい?」
「……え?」
自らの力で抑え込んでいたからこそミューリは理解する。ラグレ周辺の海が元の様に荒れ、空も暗雲が広がりだした事を。半永久的に力を失ってまで行った封印が一瞬で塗り潰されてしまったと。
海王とまで称される存在の底の見えない力を否が応でも理解してしまった。
(……シャークゥ、戻って来ちゃ駄目! 勇者も絶対に勝てやしない。皆、殺されてしまうわ!)
海の様子から自らに起きた異変を察知して戻って来るであろう恋人に必死に祈りを捧げながらも分かっていた。この言葉が届いたとしても絶対に戻って来ると。そんな男だからこそ人への恨みを捨てて好きになったのだと、誰よりも理解していた。
「ふはははは! 我が輩との再会を魔王様に感謝して祈りでも捧げているのか? 良いぞ、非常に良い心掛けだっ! 褒美に今すぐ我が輩が子種を仕込んでやりたいが……」
レンドラスの言葉にミューリは嫌悪感を募らせ身を竦ませる。そんな事など気が付きもしないレンドラスの視線がベッドに向かい、手が無遠慮にミューリの腰に回った。
「……だが、正式に婚姻を果たした相手に処女を捧げたいと出会いの日に言っていたからな。許せ、ミューリ。今すぐ我が輩の子を孕むのは無理だ。この様な粗末な場所ではお前に相応しくないしな」
「お心遣い感謝いたします、レンドラス様」
「愛しの、を付ける事を許す」
「……愛し…の……レンドラス様」
屈辱だ、屈辱しかない。誰がお前などに、既に愛する相手に捧げている、そんな事を叫んで頬に一撃でもくれてやりたいと思いながらもミューリは耐え抜いた。此処で怒りに任せては全てが終わってしまうからと振るえる拳を握り締めながらも顔には愛想笑いを浮かべる。
「ふはははは! それでこそ我が輩の愛しき妻である。では、予定通りに挙式の余興として町を滅ぼそうではないか、盛大にな!」
(大丈夫、シャークゥと共に逃げ出す隙は有るはず。もしもの時は……)
高笑いを上げるレンドラスの傍らで顔を伏せたミューリは悲痛な覚悟を決める。この時、彼女の予想通りにシャークゥ達は異変を察知して戻って来ようとしていた。頼みの綱の勇者を置き去りにして……。
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