サンライトリゾート編 第6話
アダムは半信半疑だった。
「最後の謎が解けたっていうのかい?」
「すべての文を読み解けたわけではありませんが、答えはわかったと思います」
壁を見つめ、謎めいた言葉をそれぞれに解釈していたジェリリンとフィリップは、互いの説明が筋をなしていないと言い合っていた。だが、アダムの驚く声と、それに続くメリーの落ち着いた返答に、息をのんだ。解答者の名前が一つもない難攻不落の石板の前で、メリーは今度こそインクの出るペンを取った。
「坊ちゃま、もう一度ノートをお借りします」
「あ、うん」
「まず、サンライト家の家系図を描いてみます。アーノルド会長にはお子さんが三人。その下の三代目が、ジェリリン様と、先ほど会ったドナルドさんとカレンさん。これで合っていますか?」
メリーが目で問いかけると、ジェリリンは、誰でも知っていることをなぜ聞くのかとでもいうように、冷たく答えた。
「合ってるけど、それがどうしたの?」
「まず、『ドナルドとジェリリンの間は、小さな翼でも一息には結べず、三度歩いた』という文を見ましょう。この家系図の線を、歩かなければならない距離だとすると、ドナルドさんとジェリリン様の間は、本来四回歩く関係ですよね」
「そりゃ、いとこなんだから当たり前じゃない。ドナルドは嫌な奴で、つまらない最低男だけど、いとこはいとこよ……」
「はい。血縁上は明らかに四親等なのに、三回歩いたと書いてあります。つまり、小さな翼は、マイナス一を意味しているんです」
結びつきそうにない二つの言葉に、ジェリリンは戸惑った。
「小さな翼が、どうしてマイナス一と関係するの? まさか、親等が合わないから、そう考えるしかないっていうんじゃないでしょうね?」
「ドナルドさんからジェリリン様までの距離は四。これをゴルフに置き換えて、パー四のホールだと考えてみましょう。四打で入れれば基準どおり、というホールです。そこで、三打で目的地へ着いたとしたら、スコアは何と記録するでしょう?」
「それは……」
自分の口で答えを言い、メリーの推理を先へ進めるのは気が進まなかった。ジェリリンがためらっている間に、ゴルフ講師のアダムは、不意を突かれたように目を見開いた。
「そうか! ゴルフで、基準より一打少なくホールに入れると、バーディーと呼ぶ! 意味は小鳥だ! これに気づかないなんて……ゴルフ講師の面目丸つぶれだな。恥ずかしいよ」
アダムはばつが悪そうに後頭部をかいた。説明を聞いていたフィリップは、家系図に指を置き、文章と照らし合わせた。
(『ヘンリーとジェリリンの間は、小さな翼をつけて二度歩き、たどり着いた』も、叔父と姪の三親等を二回で進んだという意味なら、メリーの説明に合う。でも、次の文が引っかかるな)
そのとき、ジェリリンはアダムをかばうように、メリーへ反論した。それは、ほかの人々の胸にも染みのように残っていた、もっともな疑問だった。
「おかしいわ。小さな翼が、必ず小鳥につながるとは限らないじゃない。抽象的すぎる。それに、この間抜けな歩き方をする者って、何のこと? 道路の番号は?」
「『ジェリリンとカレンの間を一息に渡るには、間抜けな歩き方をする者の助けが必要だった』。ここで『一息に』と表しているので、一回でたどり着いたという意味だと考えられます。パー四でホールインワンをするには、スコアはマイナス三になります。つまり、間抜けな歩き方をする者とは、アルバトロスです」
説明が終わるやいなや、答えはわかっても腑に落ちていなかったフィリップが、疑問を口にした。
「メリー、アルバトロスって、大きくて速い鳥だよね。それなのに、どうしてこんな否定的な書き方をしたんだろう?」
「アルバトロス、つまりアホウドリは、空ではとても速いのですが、翼が大きすぎて、地上ではよたよた歩くんです。その姿を、愚かだとたとえたんでしょう。今日、ゴルフのガイドブックの注釈で読んだばかりでした。運がよかったです」
淀みない推理を聞きながら、フィリップは胸の隅がちくりと痛んだ。
「そこまで丁寧に読んでたんだね。それだけ準備してくれたのに、僕だけ勝手に飽きちゃって、ごめん」
「いいえ。坊ちゃまのおかげで、リゾートに来て謎を解く機会ができましたし。スポーツの知識も増えましたから、一石二鳥です」
前向きに言ってくれるメリーに、フィリップは歯茎が見えるほど笑った。ジェリリンは和やかな空気を破り、きつい調子で質問を続けた。
「じゃあ、道路の番号は? 二〇一とか四〇八とか、その数字の意味もわかったの?」
「……それは、わかりません。ただ、私にはマクガフィンのように見えます」
「マクガフィン?」
「重要ではない情報を、核心のように見せる仕掛けのことです。おそらく番号自体には意味がなくても、冒頭から出しておくことで、かえって本題から遠ざかるようにしているんでしょう」
「こじつけよ! 謎をちゃんと解けていないから、言い訳してるだけじゃない!」
メリーは少し間を置いてから、言葉を続けた。
「確かに、無理のある部分はあると思います。でも、解く人の目を巧みに別のものへ向けさせる文章を見て、アーノルド会長なら、マクガフィンも十分に使いそうだと感じました」
「どういうこと?」
「アルバトロスは、野球の完全試合にも比べられる名誉あるスコアです。なのに、否定的な描写で煙幕を張っています。意味のない道路番号と、引っかけのような表現が、ゴルフ講師のアダムさんにさえ、本質を気づかせなかったんです。このリゾートは大きなゴルフ場が売りでもありますから、マクガフィンを入れて難しくするのは、不自然ではないと思います」
「うっ……おじさん、それって、そんなに難しいことなんですか?」
表情を取り繕っても、一本取られたという声色までは隠せなかった。
「ああ。俺もプロだった頃、アルバトロスだけは出したことがない。君のおじいさまはすごいね。こんなふうに隠していたんだ」
メリーは碑文の下の方を指でたどり、謎の最後の部分を読み解いていった。
「『アーノルドは小さな翼をつけて、ジェリリンのもとへたどり着いた』は、二回で進む距離を、一回で着いたという意味です。それから、『鋭い目を借りて、ジェリリンはサニーのもとへたどり着いた』。最初に読んだときは、鷹の目のことかとも思いましたが、ゴルフだとはっきりした以上、ここでは鷹ではなく鷲。マイナス二に当たるイーグルです! ここも、一回で着いたことになります」
フィリップは、明快な占いで悟りでも開いたかのように、かすかな感嘆を漏らし、最後の一節を読み解いた。
「そうか。『その者の眼差しが気に入らなかったのか、サニーとハロルドの間は結べなかった』というのは、パー二でイーグルを出すのは不可能だから、残りの距離を歩いたって意味なんだ」
「そのとおりです。公式の競技にパー二のホールはありませんが、理屈のうえでは作れないこともありません。最後に歩いた距離を一桁ずつ入力すると、一、一、二になります」
メリーがダイヤルを回して数字をそろえると、やがてU字形に曲がった冷たい金具が外れた。箱の中には、三度折り畳まれた厚い画用紙が入っていた。ほかの人々は、正解を出したメリーに、最初に褒美を見る権利を譲るように、すぐには手を伸ばさなかった。メリーは妙に緊張して、深呼吸をした。
「では、確認しますね……。『最後には結局、雨が降る世界。濡れていない地の四つの光。逆行がその鍵。だが、どうしようもない。目的地に着いたというのに、道路の上のバスは、すでに通り過ぎてしまった』」
続きを待ちくたびれたフィリップが、紙を取った。
「それで終わり? 僕にも見せて。あれ。本当に、この先は何も書いてない……」
そんな拍子抜けする事実を信じられず、彼は紙を何度も裏返した。隠し文字がないかと、偽札を調べるように、天井の照明にかざしてもみた。だが、メリーが読んだ文以外、文字も模様も見つからなかった。
「何だよ、これ。紙だったから、口座の暗証番号でも書いてあるのかと思ったのに」
フィリップは、気の抜けたため息をついた。アダムもメリーに分け前をもらうつもりだったのか、がくりと肩を落としたが、ほどなく大人の顔に戻り、ほろ苦い調子で言った。
「箱を開けたのは間違いないから、メリーが解いたと会長には伝えておくよ。石板に名前が刻まれる人には、小さな願いくらい、聞いてくださるんだ」
紙の文面を見ながらじっと考えるメリーをよそに、フィリップが明るく反応した。
「聞いた、メリー? 願いを聞いてくれるんだって!」
「小さな、って言っただろう。限定のお菓子を一箱くれるとか、そういう些細なことだよ。ドナルドは、もともと暇つぶしだからいらないって言ってたけどね」
「ええ、会長ってけちだなあ。家の一軒くらい、建ててくれたっていいのに」
「どうかな。まあ、会長は気分屋だし、この謎を解いた人なら、大きな願いでも聞いてくださるかもしれない。家まで建ててくれるかは、疑問だけど」
「じゃあ、そのくらいで満足しておこうかな」
鼻歌を歌うフィリップをよそに、メリーは碑文を初めから慎重に読み返し、紙の意味を探ろうとしていた。
(この違和感は何だろう。箱を開けるまでは、険しい山を登っている感じだった。でも、ここから先は、足場のないコンクリートのダムを、自力で登れと言われているみたい。私、何かを見落としている)
メリーの引っかかっていたことを、口にした者がいた。少し気後れしたような声の、ジェリリンだった。
「この文章、うやむやにしていいの? どう見ても、怪しいじゃない」
フィリップとアダムが「それは確かに」とうなずくと、黙って謎解きを見守っていたボディーガードのルークが、重い口を開いた。
「お嬢様。差し出がましいようですが、私の考えを申し上げてもよろしいでしょうか」
「な、何よ。生意気だけど、聞くだけなら聞いてあげる」
自分には思いつかなかったことを、ほかの人たちが次々に見抜いていく。ジェリリンの足元から、自己嫌悪がじわじわと湧き上がった。
「石板の冒頭にあった大切なものとは、若さや時間のことではないでしょうか。バスが通り過ぎたというのは、解いた人に若さを与えたくても、すでに老いてしまい、そうできないことのたとえではないかと。会長が、ご自身の老いを自嘲するつもりでこの文を書かれたのであれば、ある程度は合うように思いますが……。『最後には結局、雨が降る世界』も、人生の終わりは虚しいというメッセージではないでしょうか。四つの光は春夏秋冬、逆行は、人生を逆向きに生きたいという願いを表しているのかもしれません……」
ルークの説明を聞きながら、ジェリリンは唇を尖らせたり、噛んだりした。納得できないわけではない。それでも、同意の言葉は口にしたくなかった。返事をしない彼女を見て、アダムはルークの尻をぴしゃりと叩き、親しみを示した。
「お兄さんも、なかなかいい推理をするじゃないですか。これで疑問は解決だね。そうだろ、ジェリリン?」
「……はい」
気乗りしない声が漏れたが、フィリップは気にしない様子で、楽天的に言った。
「じゃあ、何とか解決ってことで」
アダムは晴れ晴れした顔で、大きく伸びをした。
「ああ、そうだね。ずいぶん複雑にひねってあるな。でも、答えがわかったらすっきりしたよ」
メリーは紙を箱の上に置き、心の中で独り言を続けた。
(本当に、これで終わりなのかな。ずっと見ていても、答えが出る気はしない。雨と汗で、身体もべたべたするし。ひとまず部屋に戻って、お風呂に入りたい……)
そのあと三、四度言葉を交わすと、メリーはフィリップとともに背を向けた。
「それでは、私たちはこれで。またお会いしましょう」
謎解きは、それで幕を閉じるはずだった。
「待って」
メイド服のレースをつかみ、低い声で呼び止めたのは、ジェリリンだった。床を見つめたまま、つかんだ裾をひたすら引っ張っている。難癖をつけるつもりだろうか。メリーは、考えられる展開ごとにどう応じるかを思案し始めた。けれど、そんな用意を無駄にするように、ジェリリンは困り果てた顔で、語尾を濁しながら頼んだ。
「この謎なんだけど、私が解いたことにしてもらえないかな……。厚かましいのは、わかってるんだけど……」
ほんのわずかな沈黙。最後の一音を発した口の形さえ、まだ崩れていない一瞬が、ジェリリンには永遠のように感じられた。
「構いませんよ。あんな大きな石板のコレクションに自分の名前が載るのは、少し気が引けますし。どうせなら、お孫さんが解いた方が、お誕生日のアーノルド会長も喜ばれるでしょう」
「あんた……」
舌を失ったように、ジェリリンは何も言えなかった。けれどメリーには、下がった眉の気まずさも、まっすぐこちらを見られない瞳の焦りも、震える唇の痛ましさも、ぎこちない声に染み込んだ孤独も、読み取れた。返事を待たず、彼女はひと言ささやいた。
「ジェリリン様は、怒っている顔より、その素直な表情の方が、ずっとお綺麗です」
メリーは、フィリップと階段を上っていった。
ジェリリンは、長い間その場に立っていた。足をつけている床が浮き上がり、遠のいていくようだった。魂と身体が離れてしまうような、奇妙な感覚すらある。テニス大会で優勝してから鎖につないでいた、懐かしく切実な願いが、心から飛び出そうと、あちこちでもがいていた。
(何なの、このざわめき。気持ち悪い……)
認めたくない。鼓動によく似た本音の叫びから、必死に目をそらした。けれど、一度目覚めてしまった願いの咆哮を聞こえないふりするたび、孤独は倍に膨らむばかりだった。
「ジェリリン?」
足に接着剤でもついたような彼女に、アダムが声をかけた。ジェリリンは彼の胸へ近づき、残像のように残る少女の姿を消そうと、その胸元に顔を押しつけた。アダムは何度かまばたきをしてから、黙って茶色い髪を撫でた。
ジェリリンは、アダムの背中を、張り裂けそうなほど強く抱き締めた。
私には、おじさんだけいればいい。




