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サンライトリゾート編 第4話

押し寄せる乱層雲から、霧雨が降り始めた。産毛のような水気が肌に触れても、誰も気には留めなかった。けれど、雨脚が少しずつ強くなると、メリーは手の甲を頭にかざして間に合わせの傘とし、屋内へ駆け込んだ。乾いていた人工芝のフィールドは、たちまち濡れていった。


「これだから島は嫌なのよ。天気まで気まぐれなんだから」


中へ入る直前、ひときわ大きな雨粒に打たれたジェリリンは、顔をしかめた。鳥の糞でも落ちてきたような顔だった。


「不思議ですね。二十分前まで晴れていたのに、急にこんな天気になるなんて」


メリーは、水色のハンカチで髪の水気を拭きながら言った。ゴルフ場でかいた汗がメイド服に残っていて、湿気と混ざり合う。気持ち悪そうに、ほんの少し顔をしかめた。


「戻る途中で降り出して、よかったね。もっとゴルフをしてたら、次のホールからここまでは遠いから、ずぶ濡れになってたよ。ところでメリー、服が透けてるけど?」


袖で額をさっと拭ったアダムに、まじまじと見つめられ、メリーは両腕を交差させて肩を抱いた。恥ずかしさのあまり、思わず声が喉を引っかいて飛び出した。


「ちょ、ちょっと! 見ないでください!」


男心を羽根でくすぐるような反応を楽しんでから、アダムは意地悪くからかった。


「冗談だよ。メリーは、こういう手に簡単に引っかかるんだね。可愛いじゃないか。ひょっとして誘ってる? わざとだったら、君はプロだ。今のは胸に、きゅんときたからね」


「変態。真面目な方なのかと思ったら、第一印象と変わりませんね」


「おお、怖い顔。メリーと一緒なら、いつでも楽しそうだな」


アダムが悪戯っぽい口調で、年甲斐もなくふざけていると、ジェリリンが両腕を広げ、メイドと大きな子供の間に割って入った。


「はい、おふざけはそこまで! おじさん、見せてくださるものがあるんでしょう」


「おっと、そうだった。皆さん、ついてきてください。リゾートの裏口の方です」


ついてくるように一度手招きし、廊下を半周すると、考古学者の収集品の展示会のような光景が現れた。変わった形の陶器や、中世で使われていそうな剣と鞘が飾られ、小さな博物館めいた趣も強い。ただ、文字を刻んだ石板が壁一面に並んで威容を誇っていたため、値の張りそうな品々も、洒落た背景に過ぎなかった。


「石板を読んでごらん。会長が作った問題が書いてある」


いつ見ても変わっているとでもいうように、アダムは話し始めに笑いを漏らした。庶民と富裕層の隔たりを感じながら歩いていたメリーは、びっしり並んだ石板に刻まれた名前に気づいた。


「問題の隣に書いてある名前は、正解した方の名前でしょうか。ドナルド・カルヴィン。この方は、どれにも書いてありますね」


「一問だけは別だけどね。あれだよ」


アダムが指さした一番奥では、見慣れた人影が石板をなぞっていた。


「この翼って、いったい何を意味するんだ? うーん、わからないな」


なんだかんだ言っても、メリーは彼に会えてたまらなく嬉しかった。取材陣さえいれば、離れ離れだった家族の再会だと言っても通じそうな勢いで、跳びついて抱きついた。


「坊ちゃま! ここにいらしたんですね」


メリーはベルトを巻くように両腕で腰をぎゅっと抱いたが、男は赤面しなかった。


「メリー、どこへ行ったのかと思ったら、やっと来たんだね。見てよ。面白いクイズがいっぱいあるんだ」


「それはこちらの台詞です。謎は解けたんですか?」


「苦戦してるよ。後ろから一緒に来たのは……はあ、顔も見たくないゴルフ講師に、飛行機のあの子か……」


フィリップが、クラス替えに失敗して残りの一年を案じる中学生のように深いため息をつくと、ジェリリンがつかつかと近づいてきた。


「文句でもあるの? 私に会うと困るわけ? 身の程も知らないくせに、誰に向かってため息をついてるのよ。あんたとは、初対面のはずだけど?」


顔を近づけ、石板のある壁へと追い詰める。後ずさったフィリップは背中が壁に触れると露骨に嫌な顔をし、眉間に皺を寄せた短気な少女を、さらに怒らせた。感情をむき出しにする富家のお嬢様は、確かに怖くもある。だが、その率直さは、彼女を子供扱いできる理由にもなった。


「ずいぶん気が荒いね。頭の中は喧嘩を売ることばかり? 飛行機で全部見てたよ。メリーは今まで君のご機嫌を取ってたみたいだけど、僕にはそういうのは向いてないんだ」


「あんたなんて、指を鳴らすだけで終わりにできるのよ。ちょうど島だし、魚の餌にしてあげてもいいけど?」


「君は暴力団か何かなの? 親に恵まれて、お姫様気分で暮らしてるみたいだけど、僕には、世の中が全部自分の思いどおりになると思ってるおちびちゃんにしか見えないな」


フィリップは負けずに言い返した。そのひと言が、場の空気を氷点下にする号砲となった。ルークはサングラスの奥で二人を交互に見ながら、爪を噛んでいた。


「おちびちゃんですって? 私、あんたと背だってそんなに変わらないんだけど!」


本人の言うとおり、ジェリリンは、メリーがつま先立ちをしても目の高さが合わないほど背が高かった。履く靴によっては、フィリップを上回ることもあるだろう。だが、話の筋とはずれたところで怒り出す少女には、おちびちゃんほど似合う呼び名もなかった。


アダムは手に負えないといった様子で眉間を押さえ、ルークを呼んだ。


「ボディーガードさん、あれ、止めなくていいんですか?」


「いつものことですので、どちらかが手を出さない限り、私は介入いたしません。今止めても、逆効果でしょう」


メリーは、本来の目的である謎解きに戻ろうと取りなしたかったが、割って入る隙を見つけられず、困り果てていた。そのとき、中年の男の声が、前半終了を告げる審判の笛のように響いた。


「騒がしいと思って来てみれば、やはりうちの娘か。そんなことをすれば、父親の顔に泥を塗るんだぞ。その声量があるなら、テニスなどやめて、市場で商売でもしたらどうだ?」


「パパ? どうして私の味方をしてくれないの?」


「もうすぐ傘寿のお祝いの席で、次の会長が決まるんだ。今日は行儀に気をつけろと、何度言ったと思っている! こんな姿をおじいさまが見たら、どう思う? ただでさえ気分屋なのに……。決めていた後継者だって、手のひらを返すように変えてしまうのが会長なんだぞ! あれほど念を押したのに、いったい誰に似て、こんなに言うことを聞かないんだ……」


金色のボタンを洒落たアクセントにした黒いトレンチコート。左手にはグレーのトートバッグ。誰が見ても金持ちとわかる風貌で近づいてきた五十代前半の男、黎明製菓社長のハロルド・サンライトは、フィリップの手を取った。


「申し訳ありません。娘がご迷惑をおかけしたようで」


「いえ。思春期ですし、そういうこともあると思います」


自分よりずっと年上の男性に丁寧に謝られると、フィリップの口論したい気持ちは、雪が解けるように消えた。


「あなた、ありもしないことを心配しないで」


「すまない。だが、どうにも不安でね。母体企業の社長がグループを継ぐのは、社員の間でも当然とされている。だが父は昔から、年を取ってからはなおさら、その場の気分で大事なことまで衝動的に決めてしまう。こんなつまらない出来事で、私が会長になれなくなるかもしれないんだ。私ではなく、姉さんか弟を選ぶかもしれない。それだけは防がなければ。それだけは……」


「あなたの不安がわからないわけじゃないわ。ジェリリン、今日くらいはレディーらしく静かに、その石板の謎でも解いていなさい。いいわね? 今、パパは神経質になっているの」


真っ赤なレザーの服を着こなしたヒルダ夫人が小声で言っていると、後ろから連れの人々が姿を見せた。食堂の方から来たことから、ジェリリンを除く親戚たちで、遅い昼食を取っていたのだと誰にもわかった。


「兄さん、それが娘さんの魅力じゃないか。あまり責めるなよ。なあ、ジェリリン? 叔父さんは、そんな君をいつでも応援しているよ」


しょげたジェリリンの肩を軽く叩き、不気味な笑みを浮かべる男。白いスーツがひときわ目立つ彼は、メリーたちに、黎明製薬社長のヘンリー・サンライトと名乗った。


「そうよ! ジェリリン、元気そうでいいじゃない。その性格は捨てずに、大事に持っていなさいね。伯母さんみたいにおとなしいだけじゃ、男に飽きられて、お嫁に行けないんだから。思いきり怒って暮らすくらいが、いいのよ。そうでしょう、息子よ?」


おとなしいとは到底思えない、恰幅のいい中年女性。いや、その深い皺なら、老婦人と呼んでもよさそうだった。名前はサニー・カルヴィン。黎明の名を冠する保険会社の責任者だが、夫を亡くして以来、酒や色恋、賭け事を好むようになり、社内の権限は息子に任せきりだった。


「ええ、母さんの言うとおりです。久しぶりにいとこの顔も見られて嬉しいですし、大人の皆さんは、お祝いが始まるまでお茶でもいかがですか。僕たちはここで遊んでいますから」


青い髪の背の高い美青年は、礼儀正しくそう言い、妹の手を取った。兄妹の年がかなり離れているため、若く見える父親と娘だと言われても、うなずく人はいるだろう。


「あら、いいことを言うわね。さあ、さっきの話の続きをしましょう」


「ジェリリン、ママとパパは、親戚の皆さんと大事なお話をしているの。だから、ここでいとこたちと一緒にいなさい。いいわね?」


ヒルダが言うと、ハロルドは心配を顔いっぱいに浮かべて背を向けた。


「ジェリリン、おじいさまの謎かけコーナーは初めてだろ? 残念だけど、頭を使う遊びは君には向いてないんじゃないかな。外でゴルフでもしてきたら?」


会長の長女の息子、満二十五歳のドナルド・カルヴィンは、本性を現すように、窓の向こうの雨景色を指さした。紺色のセーラーシャツを着た高校生のカレンが、意地の悪い顔で追い打ちをかける。


「ふふっ、ドナルドお兄ちゃん、やめてあげてえ。そんなこと言ったら、お姉ちゃん、また泣いちゃうよ。ジェリリンお姉ちゃんって、強がってても、勉強できないことは気にしてるんだからあ」


「そうだったね。何かあると怒るばかりで、論理的に考えることなんて、ちっともできないんだもの。だったらなおさら、クイズみたいな高尚な趣味じゃなくて、身体を使うことをした方がいい。その体力で、将来は熱烈に相手をしてあげれば、男も喜ぶんじゃない?」


こんな侮辱は一度や二度ではないと言うように、ジェリリンは目を閉じ、首を振った。


「そんな下品な悪口を言うために、大人たちを追い払ったの? 相変わらず、つまらない奴ね。退屈であくびが出るわ。言っておくけど、全然こたえてないから。テニスのことなら、この国で私が一番よく知っていると胸を張れるもの」


「一番よく知ってる? あのインチキ優勝のことを持ち出すつもりかい? 僕の口からは言いたくなかったけど、自分で言い出すんだからなあ」


「何ですって! 言いたいことはそれで終わり?」


神経がぷつりと切れたように、ジェリリンが叫んだ。昂ぶった声は、どこまでも濁って暗い。余裕を失ったまま、彼女はドナルドの前へ大股で進んだ。固く握った拳とともに、瞳まで震えている。


(何だ? ちょっと、まずそうだな)


フィリップは、その怒りが、自分に向けられたものとは質を異にすると感じた。ルークにも、目を剥くジェリリンと鼻で笑うドナルドの間に入る隙が見つからなかった。


「冗談だよ、冗談。何をそんなに本気になってるのさ。やっぱり君とは話が通じないね。こんな冗談もわからないなんて、疲れるよ」


「嫌な奴。あんたなんか、うちの……」


「どうしたの? パパに言いつける? どこまで馬鹿なんだ。君の両親の頭にあるのは、遺産相続と会長の椅子だけだよ。さっき見ただろう? 高校二年にもなって、ちょっと気分を害されたからって、いちいち駆け込んでくる君を、どう思うだろうね。自分の娘でも、嫌気が差すだろうな」


「もういい! 消えて! 今すぐ、私の前からいなくなって!」


「ああ、また始まった。行こう、カレン。下でボウリングでもしよう。ジェリリンと話してると、僕まで頭が空っぽになりそうで、とてもここにはいられないや」


「うん、お兄ちゃん。お姉ちゃん、バイバーイ。ふふっ」


「せいぜい身の丈に合った問題を頑張って解くんだね。解けたところで、僕が先に解いたものだけど」


ドナルドはポケットに手を突っ込んだまま、十歳年下の実の妹と階段を下りていった。


騒々しいラジオを切ったあとのように、静寂が顔を出す。この広い階に残ったものといえば、窓を叩く雨音だけ。メリーはそんな今の空気に吐き気を覚え、何でもいいから言葉を発し、沈黙を壊したいという渇きに全身を包まれた。


「あの、大丈夫ですか?」


「大丈夫かって? 余計な同情はしないで。私がこんなことで冷静さを失うと思ったら、大間違いよ。おじいさまの問題を解いてみるわ……」


ジェリリンは震える唇を噛み、暗くなった顔を上げなかった。鉛のように重い息を整え、激しく脈打つ心臓を落ち着かせるのは容易ではなさそうだ。何があって、あんなにも嫌われているのだろう。メリーは気になったものの、まずはこの居心地の悪い空気を変えたかった。それに、謎そのものへの興味もある。彼女は、誰も解けていない碑文を読み始めた。


「わしの大切なものを隠した場所。禁じられた道路の空にあるだろう……」

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