サンライトリゾート編 第3話
「誰よ! さっさと出てきなさい!」
メリーの打球は、落ちてくる途中で造園用の人工の松にぶつかり、勢いを失ってから、その木陰で休んでいたジェリリンの頭に落ちた。赤いゴルフウェアを着た、茶色いツインテールの少女。黙っていれば、余暇を楽しむ立派な淑女に見えたはずだが、今は声を限りに怒鳴っていた。近くにいた人々がひそひそ話し始める。見かねたボディーガードのルークが、ジェリリンの肩をつかんだ。
「お嬢様、皆様が見ておられます。このようなことでは、サンライト家の品位に関わります」
「だから何? 私がうるさいって言いたいわけ? ああ? あんた、自分の仕事がわかってないの?」
「申し訳ございません。私はただ、黎明グループとお嬢様の評判を思って……」
息の上がった声でも、ルークはへりくだるために語尾を濁すことを忘れなかった。両腕をばたつかせ、謝罪の美辞麗句をいくつも並べて機嫌を取ろうとする。聞き飽きたとばかりに一度舌打ちしたジェリリンは、取り合わずに問い詰めた。
「言ってみなさいよ。あんたは何をして給料をもらってるの?」
「……ボディーガードとして、お嬢様の身に危害を加えかねない人物を、事前に排除する任務を仰せつかっております」
「よくわかってるじゃない。それなのに、ボールを打った奴を捕まえてくるどころか、私に静かにしろって? 呆れるわ」
「ボールは木の上から落ちてきましたので、必ずしも、たった今打たれたものとは限らないのでは……?」
なぜ、そんなことを言ってしまったのか。ときには論理も理性も冬眠させるべきなのだろう。大柄な男が、口を動かしながら痛恨の失敗に気づいたときには、舌はすでに語尾を問いかける調子に上げていた。
「この馬鹿! そんな口答えばかりして、よくうちの会社の面接に受かったわね。あんたのことはパパに言いつけるわ。自分の仕事もできないくせに、人に口出しする貧乏人は嫌いなの。あんたの代わりなんて、いくらでもいるんだから」
ジェリリンは鋭い目つきで、頭一つ背の高いルークを見上げた。彼女がいつもこうなのはわかっている。それでもなだめようとするルークの目には、サングラスの奥で惨めさがにじんだ。頭を下げ、謝り続ける以外、彼にできることはなかった。
「申し訳ございません、ジェリリンお嬢様。身の程もわきまえず、余計なことを申しました。どうか、お許しください……」
「やっとわかったのね。やっぱり、あんたたちは金と恐怖で支配しなきゃ駄目。そうしないと、頭の中はつけ上がって裏切ることばかりなんだから」
ルークはもう何も言わなかった。短いようで、長くもある十秒。その沈黙の幕を開いたのは、誰だったか。
「あの! こちらにボールを打ってしまったんですが、当たりませんでしたか?」
はきはきした声が、地平線の向こうから聞こえる。「すみません」と繰り返す人影が、やがてメイドの姿となり、ついには右手をワイパーのように振って走ってくるメリーになった。ジェリリンは見覚えのあるメイド服の少女を指さし、呆れるほどの偶然に目を見張った。
「あんた、確か飛行機の……」
「すみません、ジェリリン様。こんな形でまたお会いするなんて。お怪我はありませんか?」
汗に濡れたメイド服姿で膝に手をつき、メリーはマラソンを走り終えた選手のように、大きく息を吸いながら言った。服装と行動がまるで噛み合っていないとは思うものの、今は息を整えることに必死だった。ジェリリンは、激しい呼吸に自分の声がかき消されなくなるまで待ってから口を開いた。
「地面に頭を擦りつけても足りないっていうのに、何を馴れ馴れしくしてるの?」
「そのご様子なら、大きなお怪我ではなさそうで安心しました。そうですよね? ええと……確か、お名前はルークさんでしたか?」
「はい。お嬢様に直接当たったわけではございません。松に飛び込んだボールが枝に引っかかり、落ちてきた際に当たったのです」
余計なことまで言うな、とジェリリンの目が鋭く光り、ルークはびくりとした。(これも失敗だったのだろうか)気が遠くなりかけたところで、メリーがひと言、安堵を漏らした。
「本当によかった」
「何がよかったよ! 私を不愉快にしたんだから、あんたは死刑ものよ! 何してるの? ちゃんと謝りなさいよ! ひざまずいて頼むなら、パパに言いつけるのは勘弁してあげる。本当に、どいつもこいつも気に入らないったら……ふん!」
腕を組んで顔を背けたジェリリンのそばで、ルークは心配そうにメリーを見下ろした。これ以上お嬢様の逆鱗に触れれば、彼女の身が危ない。だがメリーは想定の範囲内とでもいうように、機内の騒ぎを収めたときと同じ、しれっとした芝居を始めた。
「ふん、ですか? ジェリリン様、もしかして鼻水が出るんですか? 最近は一日の気温差が大きいですから、外で活動なさるときはお気をつけください。免疫力が落ちると危ないですよ。ハンカチを持っていますけど、お使いになりますか?」
嫌味にさえ聞こえない無邪気な声で、ポケットから水色のハンカチを取り出し、差し出した。
「誰を馬鹿にしてるのよ! そんなもの、引っ込めなさい!」
ジェリリンは、ハンカチを差し出したメリーの手を、手の甲で払いのけた。以前と同じ手が通じなかったせいなのか、メリーは戸惑った顔で、地面に落ちたハンカチを拾う。(まずい)ルークは気が気でなく、足踏みでもしたい思いだった。そのとき、メリーの後ろから人工の松へ向かっていた男が、険悪なやり取りの聞こえる距離まで来ると、足を速めて声を上げた。救援投手の登場だった。
「ジェリリン! 久しぶりだね!」
「アダムおじさん?」
人工の松の木陰へ入ったアダムは、持ち前の人懐っこさで挨拶した。ルークは、嬉しそうな顔をすれば、お嬢様に「何がそんなに嬉しいの?」と刺されそうで、ただ頭だけを下げた。アダムは、ジェリリンが何に怒っているのかをさりげなく尋ねた。ジェリリンは大げさではあるが、嘘のない説明をした。うなずき、相槌を打つアダムの聞き方には、老若男女を問わず安心させる、穏やかな親切さがあった。
「そうか、ごめんごめん。実は、この松の方を狙って打ったのは俺なんだ。まさか人がいるとは思わなくてね。メリーが俺のフォームを見ながらできるよう、一緒に打ったら、こんなことになっちゃって。メリーのボールは川の方だよ」
「ちっ、わかりました。ルーク、荷物をまとめて。もう部屋へ戻るわ」
アダムがメリーをかばって嘘をついていることは、ジェリリンにもわかっていた。それでも(おじさんがそこまで言うなら、仕方ないか……)と、不満そうに松の木陰を出た。一人で先へ行く彼女の隣に、アダムが歩調を合わせる。
「ジェリリンは、このリゾートに来るの、どのくらいぶりだっけ?」
「十年ぶりです。おじいさまの七十歳のお祝いに一度来て、今日の八十歳のお祝いが二度目です」
「ああ、そうだったね。あの小さな可愛い子が、こんなに大きくなったのか。月日は残酷だねえ。俺、ずいぶん老けて見える?」
「十年前のおじさんの顔なんて、覚えてませんよ。それに、毎年祝日には会ってたでしょう。メールでもずっと連絡してたし。それより、あのメイド……メリーとは、どういう関係なんですか? まさか、ナンパ?」
「そんなわけないだろう。一人で困っていたから、手伝ってあげただけさ。何、妬いてるの?」
「馬鹿言わないでください。行き遅れのおじさんを、誰が好きになるんですか」
そう言いながらも、ジェリリンはアダムの冗談を楽しそうに受け止めて笑った。機嫌が直ったのを見て、アダムも微笑んだ。
「最近はどう? 少しよくなった? 学校の友達は、またできたかい?」
「学校のことは聞かないでください。怒鳴ることは増えたのに、中身は空っぽな感じがします」
「そうか。それはそうと、せっかく来たんだし、もうゴルフはしなくていいの? 一緒の人じゃつまらないなら、俺が相手をしてもいいけど」
「やる気になれません。ここまで来ても退屈だなんて、思いませんでした。ルークは私の言うことを聞くふりをして、機嫌を取るばっかり。ママもパパも出張で、一緒にいてくれないし……。いとこたちには仲間外れにされるから、顔も見たくない。私の周りには、どうして役立たずしかいないんだろう」
「あまり意地悪をするもんじゃないよ。君が怒鳴れば、みんなつらいって、君にもわかってるだろう。昔みたいに人に優しくすれば、自然と友達もできるんじゃないか?」
「嫌です! 優しく言えば言うほど、馬鹿にされるんです。それに、相手を見下さないと、もう、どう話せばいいのかも、よく……。みんな心の中では笑ってるんでしょうね。地獄に落ちろって」
「今は、ちゃんと話せてるじゃないか。この機会に、メリーと友達になってみたら? 君と同じくらいの年に見えたけど」
「無理です。おじさんとじゃなきゃ、こんなふうには話せません……」
ジェリリンの眉尻が下がった。その顔を見なくても悲しさを読み取ったアダムは、記憶の引き出しから話題を探した。ふさわしいかどうかは、口にしてから考えることにした。
「急に思い出したんだけど、ゴルフと子供は似ているって言うんだ。どうしてだか、当ててみない?」
ジェリリンは空へ目を向けた。(ゴルフ? 子供? どこに共通点があるのよ?)ルークやメリーが同じことを言ったなら、その刺々しい考えをそのまま口にしただろう。けれど、アダムが自分のために急に話を変えようとしていることは、彼女にもわかっていた。
「何が似てるんだろう」
軽くぼやきながらも、当てたい気持ちはあるらしく、考え続けるうちに足取りが遅くなった。後ろを歩いていた人たちとも肩が並ぶ。
「……わからない。降参」
考え抜いたジェリリンが謎かけに白旗を上げた。後ろで聞いていたメリーは、ガイドブックにも載っていた有名な冗談を楽しむ機会を彼女に譲ろうと、そっと尋ねた。
「ジェリリン様、ゴルフではなく、テニスが子供に似ていると言われたら、何か思いつきませんか?」
「いったい、何の話なの……」
「例えば、デュースが続くと勝敗が決まらないところは、親子喧嘩がいつまでも収まらないとき、親か子供のどちらかが折れないといけないことに似ていると思います。そんなふうに考えたら、ほかには何があるでしょう?」
「うーん……。サービスゲームは必ず取らなきゃいけないところと、子供をわがままにさせないため、小さいうちから厳しくしつけなきゃいけないところ、とか? どういうクイズか、わかったわ」
半ば独り言のようにつぶやくジェリリン。「私に教えるつもり? 知ったかぶりしないで黙ってなさい」といった言葉が返ってこなかったことに、メリーは少し驚いた。コツをつかんだジェリリンは、しばらく考え込むと、話す気力とともに、目にも生気を取り戻した。こういうとき、メリーは報われた気がする。
「おじさん、ゴルフと子供の共通点なら、二つ思いつきました。ボールでも子供でも、脇道にそれず、まっすぐ進んでほしいこと。それから、人に自慢するときは、ちょっと話を大きくすることです」
「正解。そんなにゴルフをしたこともないのに当てるなんて、大したものだね。ほかには、叩き方を間違えると、曲がった方向へ行く、なんて答えもあるよ」
アダムが照れたように笑って締めくくると、ルークとメリーは拍手して褒めた。連れでもなく、怒鳴られまでしたのに、気まぐれなお嬢様の機嫌を取ってくれる。ルークはメリーに、尊敬すら覚えた。ジェリリンは予想していなかった反応に、得意なのか嬉しいのか、それとも両方なのか、よくわからない顔になった。
「基本よ、基本。スポーツをする人なら、誰でもわかるわ。おじさん、ほかにはありませんか? ゴルフよりクイズの方が面白いみたいです」
「それなら、みんなで会長の謎かけに挑戦してみるのはどうかな?」
「謎かけ?」
「うん。会長、つまり君のおじいさまのアーノルド・サンライトは、俺にゴルフを習っていたんだ。話し相手をしながら、今みたいなクイズを出すと喜んでね。そうしたらある日、自分で問題を作り始めた。このリゾートでは結構有名な話なんだけど、そのうち一問だけ、今も誰も解いていない問題がある。見に行く? あれが解けたと知ったら、会長もきっと喜ぶよ」
「解きたいです。私が解いたら、親戚にも教えてください。ジェリリン・サンライトが解いたって……」
「会長に伝えるだけで、今夜の傘寿のお祝いの席で話してくださるさ。それにしても、気が早いんじゃないか? まだ誰も解いてない問題なのに、もう自慢するつもり?」
「ち、違います! 早く問題を見に行きましょう!」
ジェリリンは両肘を直角に振り、歩幅を大きくした。追い抜かれた人々は、突然始まった競歩大会に否応なく参加することになったが、先頭だけは、林檎色の顔を隠して歩く少女に譲ることにした。
雲の隙間から差す陽光も、いつしか薄れていた。広がる暗がりの下には、傘を持っていないことを心配する人、飛行機が飛ばなくなるのを案じる人、旅行気分が台無しになると落胆する人がいた。そして、殺戮にふさわしい舞台を手にした人もいた。




