サンライトリゾート編 第13話
老人の変わった趣味としか思っていなかった石板に、三きょうだいは初めて死に物狂いで向き合っていた。父が世を去って、まだ二時間も経っていない。それでも、悲嘆に代わって権力への欲が、感情を覆い尽くしていた。
(くそ。娘が箱を開けたというのに、謎を解いてきたドナルドも、父さんと親しくしていた義弟も、その先はわからないとは。父さんはどうして、こんな形で……。そもそも、大切なものというのは、本当に会長の座なのか?)
うんざりする碑文に目をやるたび、社長の首が傾いた。ヒルダの弟であるアダムはハロルド側に立ってはいたが、漠然と考えを巡らせるだけの退屈な議論に、気のない顔をしていた。
(義兄さんが会長になったところで、俺に何か回ってくるわけでもないだろう。借金を返してくれと頼めば、返してくれるかな?)
ドナルドは推理の泥沼に沈んでいたが、出世欲の裏には、それなりに筋の通った使命感もあった。
(この問題を放置して島を出たら、どうにもすっきりしない。あとになって誰かが、謎をそれらしく解いたふりをして、会長の座に触れた祖父の手紙でも持ち出せば、本物だろうが偽物だろうが、経営権争いは必ず起きる。今、僕が解いて、不毛な議論の余地を根こそぎなくさなくては)
何十回も読み返した、正体不明の奇妙な文章。やはり一筋縄ではいかないと、皆が唇を噛んでいたときだった。
「やっぱり、ここにお集まりでしたね。皆さん、順調ですか?」
突然現れた、黒と白の服。財閥の人間に向けた言葉とは思えない堂々とした態度に、一族の目がメリーへ集まった。彼女はルークの隣にいる少女へ、にこりと手を振った。(メリーじゃない。あんなに怒ったのに、どうしてここへ……)。ジェリリンは目を逸らした。
ほかの者たちが何とも言えない顔をしている中、ドナルドが脅すように言った。
「君たちには関係ない。穏やかに言っているうちに、ここから消えてくれ。大人は今、冗談に付き合っているほど暇じゃないんだ」
「関係ないだなんて。謎を解いた人に会長の座が与えられるなら、私も興味がありますよ?」
メリーは落ち着いた敬語で答えた。先ほど知恵を競ったときとは、かなり違う口調だった。
「メリー、解けたの? 何だか、メリーなら解けそうな気がしてたんだあ」
カレンはメイド服の少女へ駆け寄り、ふわふわと頭を揺らして手を取った。メリーは、まだ馴染みのない、しなやかなその手を振り払わなかった。
「うん、解けたよ」
ドナルドは乾いた笑いを飲み込み、ズボンの両ポケットに手を突っ込むと、冷ややかにメリーの前へ歩み寄った。
「さっきの勝負を終わらせられなかったから、強がりに来たのはわかってる。君が会長の器になれるとでも思っているのか?」
「最初の言葉は冗談です。高校一年生の私が大企業の会長になっても、ついてくる人はいないでしょう。でも、解けたというのは本当です」
黙って聞いていた三きょうだいも、ざわめき始めた。ヘンリーが半信半疑で尋ねた。
「本当かい?」
「はい。ほかの皆さんには申し訳ありませんが、私はジェリリン様の代わりに謎を解いたので、正解だったら、ハロルド社長が解いたことにしてください」
「馬鹿な。君なんかに解けるはずがない」
「とりあえず聞いてみようよ、お兄ちゃあん。聞いてみようよお、ね?」
カレンは兄のズボンを掴み、ぱたぱたと揺らした。ハロルドとサニーも、メリーの自信を感じ取り、期待と好奇心から、ひと言ずつ口を添えた。
「私も信じ難いが、うちの娘と無関係とも言い切れないようだしな」
「そうね。そこまで言うなら、気になって仕方ないわ。聞かせてちょうだい」
メリーはフィリップとともに碑文へ向かった。富裕層と庶民という立場を離れ、謎の前では平等な十人が集まった。視線の集中に重圧を感じたが、かえってその注目が、緊張に固まった口を開かせた。
「本題に入る前に、この錠前の解き方から……」
アダムが言葉を遮った。
「それなら、みんな知っている。俺とジェリリンが説明したからね。それくらいなら、話しても構わないだろうと思ってさ」
「わかりました。では、この謎の本当の意味を読み解くには、『バスに乗った』『バスが見つからない』『バスが行ってしまった』という言葉が、鍵になることを覚えておいてください」
「鍵?」
ハロルドは結論を先に聞きたい欲求を抑え、相槌を打った。せかせば機嫌を損ね、さっさと帰ってしまいそうだったので、今だけはメリーを主役にしておく。ゆっくりと、欲望が目を覚ましていた。(私が黎明を手に入れる)。馬鹿げた方法で後継者を決めると思っていたが、もうすぐ自分が得をするとなれば、これほど公平で合理的な方法がほかにあるだろうか、という考えがよぎった。
「はい。まず、二つ目の段落の最後、『見つからない』を英語にすると、何でしょう?」
「Can not found だろう」
メリーの問いにハロルドが答えた。皆、頭の中のメモ帳にアルファベットを書き留めた。
「その言葉を覚えて、よく聞いてください。二つ目の段落にある四〇八番の道を、ゴルフの基準となる打数と考えて、ここに書かれたスコアで計算すると、この段落での結果は何打になりますか?」
「バーディーとアルバトロス。合わせてマイナス四だから、四〇四……」
アダムが呟いた。そろばんを弾くまでもなく出たその数を聞き、それまで黙っていたルークが口元へ手をやり、声を漏らした。
「ああ! あれか!」
「何? 何かわかったの? その数字がどうかしたの?」
ジェリリンはびくりとしてルークを見た。ボディーガードだけでなく、男たちはほかにも気づいたようだった。
「も、申し訳ありません。私が口を出す場ではないのに……」
ためらう大男に代わり、ドナルドが苛立った声で口を開いた。
「HTTPコードだ。インターネットの通信状態には、種類に応じて、それを表す名前がついている。エラーコード404は、Not Found。ウェブページが見つからないときのものだ。くそ、バスが見つからないというのは、そういうことか」
息子の説明に、サニーがゆっくり頷いた。ジェリリンも記憶を辿ると、画面の中のアラビア数字が、薄く目を開くように蘇ってきた。三つ目の段落に手のひらを当て、口を開いた。
「確かに、何か数字が出たことはあったわ。だったら、その下も?」
メリーは説明を続けた。
「そうです。三つ目の段落の四一三という打数に、バーディーとイーグルを反映させると、結果は四一〇打。その数に対応するコードの名前は……」
続きを残し、ドナルドを見上げた。青い髪の美青年は、回らなかった歯車に油を差したように、すべてを噛み合わせて動かすメリーの思考を認めたくなかった。だが、ほかの人々が答えを待っていたので、口にするしかなかった。
「410は、よく見るものではないが、僕は知っている。Goneだ。紙に書かれた『目的地に着いたが、バスは行ってしまった』と同じだよ……」
メリーは片方の眉を上げ、少し憎たらしい口調で満足そうに言った。
「さすが、物知りですね。ドナルドさん?」
「……」
ドナルドは前歯を噛み合わせ、何も言えなかった。兄の顎が震える様子が面白くて仕方ないカレンは、火事を見物するように、きらきらした目を何度も瞬かせた。
「お兄ちゃんはもともと頭がいいから、わかるけどお。メリーは私と同い年なのに、ずいぶん役に立たないことまで知ってるんだねえ。本当に女子高生なの? どうして知ってるの?」
「……たまたま、知る機会があっただけ」
その瞬間、ためらいなのか、何かを悔いているのか、感情の出どころが読めない声が漏れた。カレンは首を傾げた。いつも落ち着いていそうなメリーが、よりによってこのタイミングで、自信のない姿を見せるとは。
「どうして深刻ぶってるの?」
カレンは無神経に言い返した。メリーがどんな傷を思い出したのか知るフィリップは、その言葉を覆うように口を挟んだ。
「メリー、最初の段落を打数に直すと二〇〇になるね。ネットを見ていて、200というエラーは見たことがないけど、何を意味するかわかる?」
「見ることはありません。HTTPコードの200は、OK。通信のエラーではなく、成功を意味するんです」
フィリップが口を挟んだことで、自分の声が変わっていたと気づいたメリーは、喉を整えて答えた。
「なるほど。だから、バスに乗ったと表現したんだね」
「この謎は、共通点を見つけて番号を推測するゲームだったんです。これまで出てきた三つの段落が、大きなヒントでした。大切なものが隠されている『禁じられた道路の空』というのは、Forbiddenに対応する403。つまり、このリゾートの四〇三号室の天井にある、ということです」
異を唱える者はいなかった。戸惑った表情の片隅には、正解だという確信が生まれていた。無念の思いを飲み込む者もいれば、血が熱くなる幸福の瞬間を味わう者もいた。ハロルドを先頭に、一行は階段を上った。
三階の廊下を歩きながら、フィリップがメリーに訊いた。今度は先ほどとは違い、純粋な疑問だった。
「メリー、さっきウェブページのエラー表示を見て閃いたのはわかるけど、廊下を走って、何かを確信しただろう? どう繋がっていたの?」
「この謎の見せ場、と言えばいいでしょうか。アーノルド会長には感心しています。本当の答えである四〇三の気配を、どうやって隠し、同時に、どれほど鮮やかに示していたのか」
フィリップは呆気に取られた。その開いた口を返事と受け取ったメリーは、各部屋の番号を指し示しながら、ゆっくりと目的地へ向かった。
「二階には三〇〇番台の部屋番号、三階には四〇〇番台の部屋番号。おかしくありませんか?」
「それは、妙だとは思っていたけど……」
「もともとは階数と番号が合っていたのに、改装にかこつけた暇つぶしの際、百の位を一つずつ増やしたんだと思います」
「そのとおりだ。どうしてわかった?」
アダムだった。彼は次の一歩をためらった。力なく歩いていたほかの者たちも、その推測にぎくりとした。
「このリゾートは三階までしかないからです。四〇三号室に宝物を隠したいのに、四階がない。なら、番号を書き換えればいい。それを実行した時期は、会長がこの謎を作った時期と重なっていると、アダムさんがおっしゃっていました」
アダムの目の前に、数時間前の出来事が浮かんだ。(誰よりも、俺が知っていることじゃないか。みすみす他人に手柄を渡したな。もっと考えていれば、俺一人で正解に辿り着けたんじゃないか? そうしたら、俺が会長になることもあったんじゃ……。いや、それはないか)
メリーは説明を続けた。
「周りが三〇〇番台なのに、一部屋だけ四〇三号室なら、誰でもおかしいと思います。だから、全部屋の百の位を上げて紛れ込ませたんです。さらに、番号だけを変えるのが目的だと思われないように、事務室をオフィスと呼び替えるなどして、謎とは無関係な印象を与えた。でも、心の中では叫んでいらしたでしょうね。『部屋番号が階数と合っていないのは、おかしいと思わないか?』と。会長は演説で、インターネットのエラーは複雑だとおっしゃっていました。あれも、解き手が現れるのを願って投げかけた、手がかりだったんです」
「覚えているよ。急に話題を変えられたから、どう相槌を打てばいいのかわからなかったが、そういう意味だったのか。長いこと解かれないままの謎だったから、何としても解いてほしかったんだな」
アダムが、よからぬ考えを抱いたことなどおくびにも出さずに答えているうちに、意味ありげな顔で堂々と鎮座する扉の前へ着いた。いつの間にかハロルドを追い越し、先頭に立って一行を導いていたメリーは、ノックも忘れてドアノブを回した。
扉に鍵はかかっていなかった。
次回「サンライトリゾート編 第14話」は、2026年10月7日(水)21:00(日本時間)に公開予定です。




