第三十九話
純白の空間に響く轟音の余韻が、まだ空気を震わせていた。
俺は腕の中にラトを抱えたまま、羊の化け物の膝を見上げている。
巨大な羊毛に覆われた太い足が、今まさに俺たちを蹴り飛ばそうと振り上げられている瞬間。
血のように赤く光る瞳が俺を見下ろし、殺意という名の重圧が肩に圧し掛かる。
空気が重く澱み、皮膚がぴりぴりと刺すような魔力の波動が全身を包み込んでいた。
腕の中のラトは疲労で身体を震わせ、兎耳がぐったりと垂れ下がっている。
琥珀色の瞳には力がなく、荒い呼吸が俺の胸に伝わっていた。
固有魔術の連続使用による魔力の枯渇が、彼女の小さな身体を蝕んでいる。
死が――眼前に迫っていた。
しかし――
俺がラトを掴むほど近い場所にいることが、奇跡的な幸いをもたらした。
その数ミリにも満たない刹那で、ラトが俺の前に躍り出たのだ。
疲労で足元がふらつきながらも、彼女は迷うことなく俺の盾となった。
小さな身体が俺を庇うように立ちはだかり、琥珀色の瞳に時計の針模様が再び浮かび上がる。
「大丈夫、リオちゃん。固有魔術――止針ノ兎刻!」
見えない壁が彼女の身体を包み込み、絶対防御の結界が展開された。
そして次の瞬間――
―――!!!
激しい轟音と共に、羊の化け物の蹴りがラトに直撃した。
轟音が空間を震わせ、魔力と魔力がぶつかり合う激突音が耳の奥で響く。
しかし傷一つつくことはない。
固有魔術の絶対防御が、あの破壊的な威力を完全に無効化している。
だが――勢いまでは殺せなかった。
「っ……!」
ラトの小さな身体が蹴り飛ばされ、後ろの俺も一緒に吹き飛ぶ。
風が頬を叩き、重力が感覚を狂わせる。
ラトの温かい身体が俺の胸に押し付けられ、蜂蜜色の髪が視界を覆った。
そして――
――!!
背中が石壁に激突した瞬間、もう一度世界が白く染まった。
先ほどの一撃で限界だったのに、更にこの一撃は――
激痛が全身を貫き、内臓が圧迫される。
ラトの体重が俺の上に重なり、二人分の衝撃が容赦なく俺の身体を襲った。
肺から空気が押し出され、呼吸ができない。
口の中に鉄のような血の味が広がり、胃の奥から込み上げてくる酸っぱい胃液が唾液と混じり合って口から溢れ出す。
「がはっ……」
やべぇ……滅茶苦茶痛ぇ……。
意識が再び飛びそうになり、自分が何をしていたのかも分からなくなってくる。
体が痙攣するように硬直し、筋肉という筋肉が全く言うことを聞いてくれない。
手足の感覚が曖昧になり、まるで自分の身体ではないような錯覚。
床に崩れ落ちた時には、記憶も時間感覚もどこか遠くへ行ってしまった。
「リオちゃん! リオちゃん! 大丈夫!? 返事して! お願い、返事して!」
ラトの必死な声が耳の奥で響く。
しかし視界がまとまらず、彼女の姿がぼやけて見えない。
二重に、三重に重なって見え、焦点が合わない。
平衡感覚が完全に狂い、自分が立っているのか座っているのか、どこを向いているのかさえ分からなかった。
「リオちゃん……ラトちゃんの下敷きになったせいでこんなことに……ごめんなさい、ラトちゃんが重いから! これからはもっと痩せるから! 食べる人参、一本減らすから! だから起きて! お願い……」
彼女の震え声が聞こえる。温かい涙が俺の頬に落ち、その温度だけが現実感を与えてくれていた。
しかし俺には答えることができない。
そこが問題じゃねぇだろ……
そう口を動かそうとしても、喉の奥で血が絡んで声にならない。
今の衝撃が体に響いたのもあるが、やはりこうなった一番の原因は魔力消費の蓄積にある。
魔力の――いや、血液の消費が限界を超えていた。
これまでの戦闘で大量の血を魔術に変換し、その蓄積がここにきて響いている。
身体強化のために体内の血液まで消費し続けた結果、貧血のような症状が全身を支配していた。
ラトの気配だけが分かる。
声だけが聞こえる。
しかし彼女の姿は霞んで見えず、触れているはずの手の感触も曖昧だった。
そして徐々に、繋ぎとめていた意識がどんどんと薄れていく……
その時――
重い足音が響いた。
ゆっくりと、確実に、俺たちに向かって近づいてくる音。
石床を踏みしめる巨大な足の音が、規則正しく空間に響いている。
そして金属の擦れる音――戦斧を引きずる音が、不吉な旋律を奏でていた。
羊の化け物が、斧を構え直していた。
「哀れですね~、人の最後というものは……。長い間よく頑張りました~。けれど、これで終わりです~」
「なんで……なんでこんな酷いことが出来るの! ベールちゃん本当に、最低だよ! ラトちゃんの1番大事な人を奪おうとするなんて……!」
「酷いですか〜? 酷くなんかありませんよ〜。この惨状を酷いことだなんて、随分と都合の良いことを仰いますね〜。ラトさんだって一回層の主として多くの人を殺してきたじゃないですか、私なんかよりずっと多くの人を〜。二階層に来る人より一階層に来る人の方が何百倍も多いんですから、罪深いのはむしろラトさんのほうです~。今になって人道だの正義だの……私と説いてくるだなんて、心外ですね〜」
「それは、それはまるで違うよ! だって悲しんでるのはラトちゃんで! こんな苦しい思いをするのも、ラトちゃんだもん! そして傷ついているのは、ラトちゃんの1番大事な人! それだけで他の有象無象の死とは訳が違うんだよ! リオちゃんを苦しませることは、他の誰を殺すよりも罪深いんだよ!」
「なんて自分勝手な意見なんでしよう〜、私もさすがに引きますよ。こんなクソ兎、さっさと死んだ方がマシですね〜」
足音が近づいてくる。
ゆっくりと、確実に……。
殺すために……。
ラトの震える手が俺の胸に触れ、荒い呼吸が耳元で響いていた。
琥珀色の瞳には疲労の影が色濃く宿り、魔力の消耗が限界に達していることが一目で分かる。
強気に振舞ってはいるが、普段の活発さは微塵も感じられなかった。
★
ラト自身も――
自分の限界を感じていた。
固有魔術『止針ノ兎刻』をこの短時間で二回連続使用し、既にこの階層に来てから四回使用した。
そのため体内の魔力を激しく消耗し、体の芯まで疲労が蓄積している。
あと一度、いや数秒でも発動すれば体は動かなくなり、最悪気を失ってしまう。
そんな状況で、且つリオちゃんが満足に動けないこの状況では……
この戦闘に勝機など皆無に等しい。
状況は絶望的だった。
でも……でも、諦めない。
ラトちゃんがここで死ぬとか、あり得ない!
やっと手にしたこの幸福を、手放すだなんて絶対に嫌だ~!
とにかくリオちゃんの意識が戻るまで……
時間を稼がないと――
けどラトちゃん一人で、リオちゃんを守りながら時間を稼ぐなんてできそうにない。
そしてもちろん自分一人で、ベールちゃんを倒すのは無理だ。
これは言い切れる、無理。
ラトちゃんだけでは、あの化け物に勝てない。
そもそもリオちゃんを狙わせないことが難しい。
この刹那に何度もシミュレーションしたが……無理だ。
そんな余裕も、魔力の残りも、銃弾の貯蔵も足りない。
けど諦めたくない。
ならどうすればいいのか。
どうやってこの窮地を――
「あ……」
その時、視界の端に映ったものがあった。
扉――この部屋に入って来た時の扉。
純白の石で作られた、重厚な扉。
次の攻撃から避けるにはあそこしかない。
絶望的な状況からの唯一の逃げ道。
「あそこしかない!」
ラトは迷うことなくリオの身体を抱え上げた。
魔力の乏しいラトにとって、その重みはかなりの負荷となる。
それでも……足元がふらつき、膝が震えていても……
歩みを止めない。
扉に向かって一直線に駆け出す。
後方から風を切る音が響き、巨大な戦斧が空気を裂いて迫ってくるのを肌で感じた。
背筋に氷のような恐怖が走るが、足を止めるわけにはいかない。
扉の取っ手に手をかけ、勢いよく押し開く。
そして――
―――!!!
斧の衝撃が後方の壁を叩き、床が激しく揺れた。
石の破片が飛び散り、轟音が空間を震わせる。
それでも……
「よかった、間に合った……」
閉めた扉が盾になり、なんとかその一撃を免れた。
あの巨体となれば、この部屋に入ってくることはないだろう。
周囲を見渡せば、やはりあの霧の部屋だった。
薄い靄が立ち込め、視界を曖昧にしている不思議な空間。
「はぁ……はぁ……はぁ……リオちゃん……リオちゃん、お願い……目を開けて……」
自分にもほとんど魔力が残っていないことを悟りながらも、最後の力を振り絞って回復魔法を発動させた。
微かな緑色の光が手のひらから溢れ出し、リオの身体を優しく包み込む。
「リオちゃん、リオちゃん……ラトちゃんの声、聞こえる……?大丈夫だから、ゆっくりでいいから目を開けて……」
★
ラトの必死な声が耳の奥で響く。
震える手が俺の頬を撫で、温かい涙が肌に落ちた。
その温度と湿り気が、朦朧とした意識を現実へと引き戻していく。
「う……うぅ……」
かすれた声が喉から漏れた。
その自分の声で、飛んでいた意識が徐々に戻ってくる。
視界がゆっくりと鮮明になり、ラトの琥珀色の瞳が俺を見下ろしているのが見える。
涙で濡れた瞳には、安堵と心配が入り混じった光が宿っていた。
「あれ、ラト……?」
「リオちゃん!良かった……本当に良かった……もう、もうどうしようかと思ったよ……ラトちゃん、一人じゃ何もできないもん……リオちゃんがいなくちゃ、ラトちゃんダメなんだよ……」
「ラト……俺は……大丈夫だ……」
何とか声を絞り出し、状況を理解しようとする。
純白の部屋、背後から響く化け物の怒声、そして俺を支えるラトの小さな身体。
そこで意識がはっきりし状況を理解する。
なるほどこの霧の部屋に、逃げ込んだのか。
「ありがとう、ラト。この判断は正しいと思う、助かった」
「えへへ……褒められちゃった……でも、でも、これでどうしよう……あの化け物の倒し方、分かんないんだよね~ラトちゃんけっこう困ってます」
彼女の指摘は尤もだった。
自分自身、あの化け物に勝つ方法が思いつかない。
弱点となる部分こそ分かったが、あの驚異的な俊敏性と破壊力。
もう一度あの攻撃を受ければ、そこに待っているのは死だ。
対抗するには攻撃を避けつつ、的確な攻撃が求められる。
けれどそのためのリソースが、まるで足らない。
血液の貯蔵は既に無く、体内の血液も足らない。
体は疲労で重く、剣を持つだけで震えてしまう。
切り札として残してきたラトの無敵能力も、もう使えない。
こうなってしまったのは、全て俺が攻撃を食らいすぎてしまったからだ……。
「ごめんな俺が何度も、足を引っ張ってるばっかりに……。俺のせいで、無駄に多くの魔力をラトに使わせてしまった。ラトが一人なら……」
「そんなことない!」
その瞬間――
ラトの細い手が俺の胸ぐらを掴んだ。
「そんなこと二度と言わないでよ、リオちゃん!」
兎耳がぴんと立ち上がり、その表情には普段の愛らしさは微塵もなかった。
純白と深紅の衣装の袖が俺の視界を覆い、白い手袋に包まれた指が服の生地を強く握りしめる。
いつも以上に鋭い眼光で、俺のこと睨んで来た。
「ラトちゃんはリオちゃんのために何でもするって決めてるの! ラトちゃんにとって、リオちゃんだけが生きる理由なの! リオちゃんが死んじゃったら、ラトちゃんがここにいる意味なんて微塵もないの! だから助けるのは当然で、ラトちゃんは、自分でその道を選んでる! だからそんなこと言わないで! 勝手にラトちゃんが我儘でこうしてるんだから! 次にそんなこと言ったら、ぶん殴ってでも分からせるよ?」
「あ、はい、すいません」
こ、怖っ……。
今ラトから殺気に似た、怒りを感じた。
ここまで本気で他人に怒られたのは、初めてかもしれない。
なんか昔母親に竹槍を噛んでた時に、怒られたことを思い出した。
今のラトの怒り方は、なんだか母親に似てた気がする。
いや母親にぶん殴るとか言われた思いでないけど……。
と言うかなんで俺、竹槍噛んでたんだ?馬鹿じゃないのか?
その時――俺の視界の端に、薄い靄が立ち込み始めているのが見えた。
足元から徐々に白い霧が湧き上がり、周囲の視界を曖昧にしていく。
空気が湿り気を帯び、肌にまとわりつくような重さを感じた。
そうだ――この部屋は……
あの幻覚を見せる、霧の部屋だった。
「またあの霧だ。ラト、今度は離れないように……」
俺は慌ててラトの腕を掴んだ。
細い腕の感触が手のひらに伝わり、その温もりが現実の繋がりを感じさせてくれる。
同時に、ラトも俺の腕に抱きつくようにして身体を寄せてきた。
「うん……! 今度は絶対に離れないよ……!」
純白と深紅の衣装が俺の腕に擦れ、蜂蜜色の髪が頬に触れる。
ラトの小さな身体が俺に密着し、その体温と柔らかさが腕に伝わっていた。
ここまで密着されると男として色々と思うことはあるのだが……
今何かを苦言するのは、我慢しておこう。
はぐれないようにするのが最優先だ。
白い靄はどんどんと濃くなり、やがて俺たちの視界を完全に奪った。
数メートル先どころか、自分の足元さえ見えなくなるほどの濃密な霧。
しかし――ラトの腕の感触だけは確かにそこにあった。
しばらくそうして霧の中に佇んでいると――
前方から、ぼんやりとした人影が浮かび上がった。
「お兄ちゃん! よかった……戻ってきたんだね……!」
その声を聞いた瞬間、俺の心臓が激しく跳ね上がった。
霧の向こうに立つのは――やはり妹、リリィだった。
漆黒の髪を風に揺らし、純白のワンピースを纏った小さな影。
透明感のある瞳が俺を見つめ、薔薇色の唇に懐かしい微笑みを浮かべている。
先ほどと全く変わらない、記憶の中の妹そのものの姿。
「ってお兄ちゃん、どうしたのそのひどい怪我……! 血も出てるし、服もぼろぼろ……!一体何があったの!?」
妹は慌てたように俺の元へ駆け寄り、心配そうに俺の身体を見つめた。
華奢な手が俺の頬に触れ、その指先は震えている。
そういう仕草まで妹と一緒とは、恐れ入った。
「ちょっとリオちゃんに近づかないでよ!」
その手を払うラト。
すると妹が鋭い目つきで、ラトを睨んだ。
「近づかないで……? あ、あんた私を蹴り飛ばしたクソ兎……。お兄ちゃんをこんなんにしといて、何言ってんのよ! ねぇお兄ちゃんがこんなんになったの、あんたのせいでしょ! このビッチ! どうしてくれんのよ! どう責任を取るつもり!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ~! なんでラトちゃんが、偽物の妹さんにそんなこと言われないといけないの! リオちゃんを騙して、どこか別の場所に引きずり落そうとしてたのに、文句を言われる理由なんて、一つもないよ〜!」
「偽物じゃないわよ! 私はお兄ちゃんの妹のリリィ! 何度言ったら分かるの! それに今は私がどうこうじゃないでしょ! なんでお兄ちゃんがこんなことになってるの! それを説明して!あんたがしっかり守れないから、こんなことになってんでしょ!」
「……うっ、別にラトちゃんも頑張ったもん! けどけど……うぅ」
「お兄ちゃんのこと、さっきも好きだとかなんとか言ってたけど、やっぱり嘘じゃない! お兄ちゃんをこんな姿にしといて、好きな人なら命を張ってでも、どうにかするでしょ! 私だったらそうしてた! お兄ちゃんにこんな思いさせなかった! それが出来ないなら、やっぱり嘘よ!」
「り、リオちゃんのことは好きだもん! それは本当だもん! 確かに……ラトちゃんの実力不足でリオちゃんには無理させちゃったけど……それでもこの思いだけは本当だもん!」
「本当なら、こんなことにはなんないわよ! お兄ちゃん、速く正気を戻して! こんなヘンテコな兎と一緒に至っていいことないよ! そんな辛い思いをしなくていいし、いつかどうせお兄ちゃんを裏切って置いてくよ、その兎は!」
「しない! それはラトちゃん、絶対しないもん!」
「さぁどうだか? 絶対しないとか裏切らないとか、全部綺麗ごとにしか聞こえない。そこまで言うならお兄ちゃん好きならさ、お兄ちゃんがこんな怪我負ってたらどうにかしたいって思うのが普通じゃないの? もっと体張ってどうにかするのが普通でしょ!けど見なさいよ! あんたよりお兄ちゃんのほう疲弊してんじゃない!」
「……っ、うぅ……綺麗事じゃないもん……」
ラトがどんどん妹に押されているのが分かる。
例え偽物でもその論調は俺の妹がそこに居たら、そう言ってそうなものだ。
妹は特に過保護だったし、戦闘の苦手な俺を常に心配してた。
だからこそラトにとってもその言い分は、心に来るのだろう。
これほどまでに妹らしい存在に責め立てられると、ラトも言い返すのも憚られるに違いない。
しかしラトはなにも間違ってない。
寧ろ俺のことを思って、身の危険を顧みずに行動してくれていた。
妹にこんなことを言われる筋合いは、彼女にはない。
「ちょっと待て。ラトを責めるのは……」
俺が仲裁に入ろうとした瞬間――
「お兄ちゃんは黙ってて!今私は、ラトさんとお話してるの!」
妹の鋭い声に、俺の言葉が遮られた。
その迫力に圧倒され、思わず口をつぐんでしまう。
――妹、強し。
何故だろう……
偽物のはずなのに、これ以上言い返せない。
「ねぇラトさんだっけ? 兎さんさ~、お兄ちゃんのことそこまで好きって言うなら、ちゃんと守ってよ! 怪我させないくらい、こんな辛い思いをさせないくらい、全力で守んなさいよ! そんなことも出来ない癖に、お兄ちゃんを好きだなんて無責任なこと言わないで!」
「……ごめんなさい」
なぜラトが謝ってるのだろうか……。
実に不思議な状況である。
けれど――
俺は知ってる。
ラトは負けず嫌いなのだ。
「けど……けど……ラトちゃんはリオちゃんのこと、あなたのお兄ちゃんのこと、大好きだもん! 諦めてって言われても、諦められないくらい! だから守れるぐらい強くなる! ラトちゃんに任せられるって思うくらい強くなるもん!」
ラトは一歩踏み出して、妹に迫った。
白い手袋に包まれた手を強く握りしめる。
「だから妹ちゃん、リオちゃんのことラトちゃんに任せてよ! ラトちゃんを信じれないかもだけど、信じて欲しい! リオちゃんの命、死んでも守るから!」
その声には、先ほどまでの萎縮した様子は微塵も感じられなかった。
妹は一瞬、その迫力に後ずさりする。
透明感のある瞳が動揺に揺れ、薔薇色の唇が小さく開かれた。
「そ、そんな本気で……いや、何でもない。けど私が……私がいれば、お兄ちゃんはこんな辛い思いをしなくて済むのに……こんな危険な目に遭わなくても、平穏に暮らせるのに……」
妹の声は次第に小さくなり、最後は囁くような音量になっていた。
細い肩が小さく震え、漆黒の髪が俯いた顔を隠している。
偽物の妹なら、ここで意地でも俺を連れてくと主張すると思ったけど……
意外と本当に俺のことを、思ってくれているのかもしれない。
確かに偽物かもしれないけど……妹は妹だ。
彼女もまた妹なのかもしれない。
不思議とそう思えた。
その時――
霧の奥から、ラトに向けて声が響いた。
「ラト……」
その優しく、懐かしい響きに、ラトの全身が硬直した。
兎耳がぴくりと反応し、琥珀色の瞳が音の方向を見つめる。
霧の向こうから現れたのは――兎人族の大人の女性だった。
蜂蜜色の髪はラトと同じ色合いで、大きな兎の耳がゆっくりと揺れている。
目鼻立ちの全てがラトに似ており、その優雅な雰囲気までもが瓜二つ。
その身体は痩せ細っており、頬は不健康なまでに白く、唇には血色がなかったが儚げで見とれるほどに美しい女性。
その女性は細い腕をラトに向けて伸ばし、慈愛に満ちた表情を浮かべている。
「あら、ラト。こんなとこに居たのね。良かった、元気そうで……」
「マ……ママ……?」
「え? ママ!?」
そこにはあまりに衝撃的な女性が姿を現していた。
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生存確認になりますので。




