第三十一話
純白の空間に、二匹の羊が静かに佇んでいた。
先ほどの部屋と全く同じ光景――
床も壁も天井も眩しいほどの白さに包まれ、境界線すら曖昧な無限の広がり。
そしてその中央に、ふわふわとした純白の毛玉のような生き物が二匹。
ころんとした愛らしい形状で、小さな角がちょこんと突き出している。
そして――
横一文字の瞳が、俺たちのことを見つめていた。
「嘘……だろ?」
扉を血液で固着させた俺の手が、わずかに震えているのを感じた。
どうにか一匹の羊の攻撃から逃げ延びたというのに……
今度は二体!?
「うわぁ……ラトちゃん嫌な予感してきたぁ……」
そのラトの勘は当たっていた。
「めぇ~」「めぇ~」
二匹の羊が同時に鳴いた。
愛らしい鳴き声が重なり合い、不気味なハーモニーを奏でる。
そしてそれぞれの口元に、青白い光の線が浮かび上がった。
複雑な幾何学模様が空中に描かれ、魔力の収束音が二重奏となって純白の空間に響く。
「ちっ、ラト!俺の後ろに隠れろ!」
ここで躊躇しちゃだめだ。
一匹であの威力。二匹となればその威力は単純計算で倍。
それに多方向からの攻撃となれば、ラトも守る関係上もっと多くの守りうる面積が必要となる。
となれば――
俺は咄嗟に麻袋から大瓶を取り出し、コルクを勢いよく引き抜いた。
大量の深紅の血液が宙に踊り、意志に従って螺旋を描いた。
「血織!」
深紅の血液が螺旋状に回転しながら俺たちの頭上に立ち上がり、巨大な傘のような形状を形成した。
厚く密度の高い防護壁が、まるで血の繭のように俺とラトを包み込む。
それと同時に――
――!――!
二条の光の奔流が同時に血の傘に激突した。
先ほどとは比較にならない激しい閃光と轟音が空間を満たし、血液の表面で無数の光の粒子が爆発的に散っていく。
俺の頭上で血の防護壁が激しく軋み、圧縮された血液が少しずつ削られていくのが手に取るように分かった。
「リオちゃん、かっこいい!」
「何を言ってんだ。さっさと次の部屋に向かうぞ!」
「は~い」
この羊たちも、先ほどの部屋の羊と同じなのは明らか。
ならば魔法の一撃も、剣も銃も意味をなさないだろう。
そうなれば――やはり無視して、さっさと次の部屋行くべきだ。
レーザーの攻撃が止んだ瞬間、俺は血の傘を維持したまま部屋の奥へと目を向けた。
案の定、そこにも純白の扉が存在している。
二匹の羊が再び魔法陣の展開を始める前に――
俺とラトは一気に扉へと駆け出した。
血の傘が俺たちの頭上で揺れ、足音が床に響く。
そして扉の取っ手に手をかけ、勢いよく押し開いた。
またもや純白の空間。
しかし今度は――
「……げっ」「うわっと……」
部屋の中央に、三匹の白い羊が整然と並んで佇んでいたのである。
次は一匹増えてる……!?
その光景を目の当たりにして、俺の喉が渇いていくのを感じた。
「めぇ~」「めぉ~」「めぇ~」
予想通り、三重奏となった愛らしい鳴き声が響くと同時に、それぞれの口元に青白い魔法陣が展開された。
三条の光線が俺たちを狙い、血の傘が激しい衝撃に軋む。
「羊が一匹、羊が二匹、次は羊が三匹ってこと……!?ラトちゃん、なんか予想出来たんだけど……」
「おいやめろ。俺もそんな気がするんだよ」
「えへへ、こっちも以心伝心だね~」
纏う血の繭を維持し続けたまま、再び扉へと駆け込んだ。
そしてそこには案の定、羊が四匹いた。
そこから……
五匹。
「うわぁ~やっぱりだぁ」
六匹。
「これ、どれだけ続くんだ!?」
七匹、八匹、九匹――
それからは――もう数えることすら諦めた。
部屋に入るたびに羊の数が増え続け、そのたびそのつぶらな瞳が俺らを捉えている。
加えて――通り過ぎた部屋から羊たちが追いかけてくる始末。
「めぇ~」「めぇ~」「めぇ~」「めぇ~」「めぇ~」……
背後を振り返ればまるで雪崩のように、白い毛玉の軍団が廊下を埋め尽くしている。
かといって前方には留まることを知らず増え続ける、羊たち。
無限に湧き続け、押し寄せてくる光景は――
まさに恐怖である。
「これ冗談じゃなく、やばい状況だよ~。リオちゃん、その血の盾どのくらい持ちそう?ラトちゃんの出番ある?」
「正直に言えば……もって数分だろうな。これだけ多方向から集中攻撃を受けては、いくら血液を圧縮しても限界がある。魔力の消費も多いし……最悪ラトに頼るとは思うが……これラトの固有魔術でどうにかなるか?」
「リオちゃんに覆いかぶされば何とかいける……かも?う~ん……一方向からの攻撃なら無効化できるけど、三百六十度全方向から光線が飛んできたら……ラトちゃんでも厳しそう。けど……いざとなったら任せて!」
ラトは両腕に握りこぶしを作ると、そう意気込んでいた。
ただ……出来ればラトに固有魔術は使わせたくない。
無敵だなんてこれほど使い勝手の良い魔法は……この世に無い。
この2階層がこの大軍の羊だけで終わるとは思えないし、まだ階層主にも金色の羊にも会っていない。
その時のために彼女の能力は温存させておくべきだ。
「また羊だ〜。もう何個の部屋を通ったか分かんないよ〜!なにこれ、無限?永遠に続く羊の牢獄?大鬼ごっこ大会だよ〜レーザービームのおまけ付きの!」
「おまけが重すぎるんだけど……。立ち止まったら直ぐにレーザービームで蜂の巣って、主催者は鬼畜だぞ。ここのダンジョンは親切だったんじゃなかったのか!?」
「ラトちゃんダンジョン審査委員会によると……ドュルルルルルル、バン!親切ポイント120点!」
「高!?百点超えてるじゃねぇか」
「ラトちゃん的には、1匹1匹増えてるって所が、親切ポイントの評価が高いって出てますね!ほら?こんだけ羊に囲まれても、前に進める部屋と扉の大きさ。そこもバリアフリー的観点から、評価ポイントで〜す」
「どこら辺がバリアフリーなんだよ……」
こんなふざけた光線の応酬が、バリアフリーとはあまりにもかけ離れている。
ちなみにバリアフリーってのは、高齢者や障がいのある人たちなど、さまざまな人の障害となるものを取り除くって考えた方。
走れない人間も、魔術が使えない人間も許さないこの空間など、親切ポイントマイナス五千兆点である。
「っつか、俺たちどんくらいの部屋を通り過ぎてんだ?いる羊の量が多すぎて、分からねぇ。そもそもダンジョンの構造的におかしくないか?個々のダンジョンってあの塔の中にあるんだろ?」
「ん~ダンジョンだから、空間は簡単に歪められるんだとは思うんだけど……確かにラトちゃんも考えてなかった~。わざわざ塔の外観を見せるってことは、その形になってないとおかしいよ、う~ん……」
「魔女リエルからはそこらへん、ちゃんと聞いてなかったのか!?」
「そんなの教えてくれないよ~。けどダンジョンって滅茶苦茶だから、全部曲がり通ってたりするのかな~?けど明らかに広すぎるよね!ここの層!」
ラトもそう思うのか……。
ダンジョンであるからこそ、物理法則が通じないのは当然。
しかしわざわざ一階層で塔の構造を見せるってことは……
そう言う造りだって魔女リエルは主張したかったってことだよな?
推測だけど……。
現にラトのいた一階層は、塔の中の構造をしていた。
そうなるとここまで広いのはおかしいような気がしてしまう。
しかし……ん~分からない。
「リオちゃん、金色の羊見つけた~?こんなにいるのに、ラトちゃん全然見つけられないよ~」
「いや、守りに集中してるのもあるが、全然見つからないな。金色ってのが本当ならこの真っ白な世界で相当目立ちそうなもんだが……」
「本当にこのフロアに居るの~?これだけ部屋を巡っても、白い羊ちゃんしか出てこないよ!そんなの見つけるまでに、羊たちに埋めつくされちゃうよ~って……ライラックショット!」
新しい部屋に入ると現れる無数の羊。
それをラトが蹴とばし、次の扉まで道を作り出す。
「助かった、ラト」
「えへへ~、ラトちゃんにこういうのは任せてよ~。羊ちゃんたちの攻撃から守れてるのは、リオちゃんのおかげだもん~。それに羊ちゃんたち、なんかリオちゃんの血の魔術嫌ってる感じがする~」
「嫌ってる感じ?」
「ん~だってタックルが全然飛んでこないよ~、こんだけいて一匹と二匹だけ。それなのに、盾に触れたら直ぐどっか行っちゃうし……血が嫌いなのかも!」
「そんな吸血鬼のニンニクみたいな話があるのか……」
そんな話、一階層にあった本に書いてあった気がする。
「汚れるのとか、多分嫌なんだよ~。ラトちゃんも気持ちわかるな~、自分の毛並みが穢れたり汚れたりするの嫌だも~ん。あ、けどラトちゃん。リオちゃんの血だったら、大歓迎だけど!」
「それはそれで怖いよ」
ラトはこんな危ない状況でも、呑気なものである。
いつも通りと言うべきか、いつも通り過ぎると言うべきか……
こんな危険な状況で以心伝心だの、親切ポイントだの、俺の血なら大歓迎だの……
凄まじい精神性である。
焦っている俺が馬鹿らしくなってくる。
いや……もしかしてラトは緊張しているのか?
それを隠すためにわざとテンションが高いのかもしれない。
もしかして俺が過度に緊張しないために……?
「ねえねえ、リオちゃん~!ラトちゃん、最高の案を思いついちゃった~!もしかしてあの羊ちゃんたち、人参とか好きだったりしないかな~?だって綺麗好きなとこも、可愛いとこも、一緒なんだよ!ならきっと好物だって一緒だよ~!人参投げてみたら、ラトちゃんたち逃がしてくれるかも!」
うん……そんなことないな。
ラトがただ緊張していないだけだな。
これぞ白金等級冒険者であり、百年このダンジョンを守り続けた者の胆力と言う訳か……末恐ろしい。
「んじゃあ、やってみたら?」
「うん!ってあれ?一匹も振り向いてくれないよ~」
やっぱりそうか。
いや、馬鹿にしているわけではない。
こういう何でも挑戦していく所、俺は評価したい。
「ラト、羊が綺麗好きなら、水の魔石とか好きかもしれないぞ!」
「わぁリオちゃん、天才!ってリオちゃん、盾が!」
その時、前方と後方から同時に十数条の光線が襲いかかってきた。
血の盾が激しく軋み、ついに貫通箇所が現れる。
「あ、やばい……。もう限界かも」
「うわぁ~、ラトちゃんなんとかするよ!」
「いやもうちょっと耐えれる!とにかくそこの扉まで……!」
そして何度目になるのか、もはや数えることすら諦めた扉を開けた瞬間――
「……え?」
俺の視界が一変した。
これまでの純白で狭い部屋とは打って変わって、そこは天井が遥か高くまで伸びる大広間だった。まるで大聖堂のような開放感に満ちた空間が、俺たちの前に広がっている。壁面は薄紫色の大理石で装飾され、所々に金の装飾が施された柱が優雅に立ち並んでいた。床には深い青色の絨毯が敷き詰められ、足音を優しく吸収している。
「わぁ~、やっと違う部屋に着いたね~!ラトちゃん、もうあの白い部屋飽きちゃってたんだよ~」
ラトの驚きの声が、高い天井に反響して響いた。
そして――最も驚くべきことが起こった。
「めぇ~」「めぇ~」「めぇ~」……
背後から押し寄せてくる羊たちの鳴き声は、相変わらず止むことがない。
俺は咄嗟に振り返り、血の盾を構え直そうとしたが――
羊たちが――止まっていた。
「……あれ?」
背後から迫っていた大軍の羊たちが、入口付近で急に立ち止まったのだ。
入口の手前で「めぇ~」「めぇ~」と鳴きながらひしめき合っている。しかし一匹として、この部屋の入ってこようとはしない。数十匹、いや数百匹にも及ぶ羊の大軍が、なぜか一斉に大人しくなり、入り口から先へは一歩も進んでこないのだ。
攻撃の気配も、殺気立った様子も感じない。
「どういうこと……だ?」
「ん~、なんか結界みたいなのがあるのかな~?ラトちゃんにはよく分からないけど、羊ちゃんたちにとってここはおいそれと入って来れない場所なのかな」
ラトの言葉に、俺は緊張していた肩の力を抜いた。
困惑しながらも、俺は改めて部屋の内部に視線を向けた。
広間の中央――
そこに、巨大なベッドが一つだけ置かれていた。
部屋の中央に、天蓋付きの大きなベッドが鎮座していた。
一回層のラトのベッドに比べて、一回り大きなベッド。
薄紫色の生地で作られた天蓋が、まるで雲のようにふわりと広がり、その下に白いレースのシーツが敷き詰められている。枕やクッションが山のように積まれ、まるで童話の世界から抜け出してきたような可愛らしさを醸し出していた。
そして――
そのベッドの上に、一人の少女が座っていた。
「ふわぁ、あれ~……もしかしてお客さんですか~?」
彼女の薄いピンク色の髪が、肩のあたりでふんわりとカールしている。頭には白いレースのリボンが結ばれ、大きな瞳は薄紫色に輝き、長いまつ毛が印象的だった。しかしまだ完全に覚醒していないような、ぼんやりとした光を宿している。
頬はほんのりと桃色に染まり、まるで今しがた夢の世界から引き戻されたかのような、あどけない表情を浮かべている。
身に纏うのは純白のドレス。
胸元から裾まで繊細なレースがあしらわれ、袖口にはフリルが可愛らしく揺れていた。膝下まで伸びる白い靴下が、少女らしい華奢な脚を優しく包んでいる。
そして――彼女の周りには、無数の羊のぬいぐるみが散らばっていた。
大小様々な白いぬいぐるみが、まるで彼女を守るように配置されている。
その光景は――
この階層で俺たちを襲い続けた羊たちと、妙な符合を見せていた。
「わぁ~本当にお客さんだ~。本当にいるんですね~、もう来なくなったのかと思ってましたよ~……」
少女は散らばったぬいぐるみを抱き寄せながら、僕らを見つめる。
そして数瞬の沈黙の後――
彼女はゆっくりと立ち上がった。
純白のフリルドレスが優雅に揺れ、足元の羊のぬいぐるみたちがふわりと舞い上がる。
「改めて……こんにちは。まさかここに到達できる方がいるだなんて、思いませんでした~。お客さん、いや挑戦者さんこんにちは~。私二階層の階層主、ベールって言います。よろしくで~す」
――コイツが階層主!?
階層主にしては……
ラトと違いすぎる。
その様子はあまりにも平和的で、敵意の欠片も感じられない。
余りにも柔和で温和な雰囲気。
華奢な見た目で、武器を持っている様子もない。
ラトも確かに最初こそ案内役として親しみやすく振る舞っていた。
しかしこの時でさえ、ラトからは何か不気味さを感じ取ることが出来た。
けれどこの少女からは……
そうした緊張感が全く感じられない。
ラトも同様に困惑しているようで、兎耳をぴょこんと立てながら首を傾げている。
「え~っと~……あなた方の名前は、何と言うのですか~?やっぱり貴重な挑戦者様ですから、お名前くらいは憶えておきたいな~なんて思ってるんです。前に挑戦者様された方は、えっと……確か百年前くらいでしたから~」
ベールは羊のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら、そんなことを聞いてくる。
その仕草は無邪気で、純真で――
だからこそ、俺の警戒心は逆に高まっていく。
一階層のラトがそうだったように……
先ほど会った羊がそうだったように……
逆に俺の油断を誘っているようにしか見えない。
だからこそ緊張感が全身を走る。
しかしそれを悟られてもいけない。
横にいるラトが無邪気な笑みを浮かべているように、警戒はしていないと言う姿勢を示す方が大事だ。その方が相手の油断を引けるかもしれない。相手の術中にはまっているように見せて、こちらの罠にはめる。
戦闘の基本だろう。
そのためには……自己紹介を断る必要はない。
「俺はリオ。リオ・ルースだ。そして隣にいるのがラト」
「は~い、ラトちゃんだよ~。よろしくね〜、ベールちゃん!」
ラトは相変わらず人懐っこい調子で手を振った。
しかしいつでも銃を抜けるようにしているのは、気のせいではないのだろう。
「ありがとうございます~、快く自己紹介して頂いて嬉しいです。リオさんとラトさんですね~、覚えておこうと思います。前回来て下さった方は、自己紹介もしてくれませんでしたから~」
二コリと優しい笑みを浮かべる少女――ベール。
しかしその薄紫色の瞳はゆったりとラトの方へと向いた。
「そう言えばあなた、ラトさんでしたっけ~?前にいらっしゃった挑戦者さんとそっくりですね~。特にその兎の耳や、蜂蜜色の髪の色、それから琥珀色の瞳……もしかして、血縁の方がこのダンジョンに挑まれてたりしますか~?百年前くらいに……」
その瞬間――
ラトの表情が、微かに変わった。
兎耳がぴくりと動き、白い手袋に包まれた手が、無意識に胸元を押さえていた。
「やっぱりラトちゃん、昔ここに来てたんだ……」
ラトの声が、小さく漏れた。
百年前――それはラトが一階層の主になっときと同じ年。
つまりラトが仲間の死を背負い、二階層に挑んだ年である。
詰まる所その頃以降、ラトは一階層を突破させてはいない。
つまりベールの言う前の挑戦者とは……
「ベールちゃん、それラトちゃんだよ」
「……?」
「ラトちゃんはね〜、一階層の階層主だったんだよ!百年間、リエルちゃんと契約して、ずっとダンジョンを守ってたの!けどね~こうして運命の相手に会って、こうしてもう一度挑んでる……だからね、それラトちゃんなんだ」
「えぇ!?」
ラトの自信に満ちた宣言を聞いた瞬間――
ベールの表情が困惑した物になる。
それまでの穏やかで困惑気味な様子が嘘のように消え失せ、薄紫色の瞳が大きく見開かれる。手に持っていた羊のぬいぐるみが、か細い指から滑り落ちてベッドの上にぽとりと転がった。小さな口がぽかんと開き、頬の血の気が引いていくのが見て取れる。
「お、同じ人……ですか?えっ?ちょ、ちょっと、待ってください……」
ベールは慌てたように両手を前に出し、まるで現実を否定するかのような仕草を見せた。薄桃色の髪が小刻みに震え、視線が空を向く。
「あれれ~確かに前の挑戦者さんは、一階層の階層主になっているはずです……。そんな仕組みってリエルさんが言ってた気がします。となると前の挑戦者さんに瓜二つの方が一階層の主ってのは、信ぴょう性が高いですよね~。けれど、あれ?二階層に挑戦者さんがいるってことは、一階層は突破されたということになりますよね~、となると一階層の主は死んでいるはず……ではこの目の前の人は?あれ?あれあれあれ?」
ベールは頭を抱え込んだ。
白いドレスの袖が、彼女の顔を覆い隠す。
「全部嘘?いや嘘の気配には見えません。けれど階層主が、違う階層に来るなんておかしいこと、普通起こりませんよね。階層を守らないと階層主になってる意味がありませんから……そういうことなら生きているのは、おかしいですよね~……もしかして死体のまま来ているとか?となると……」
その時、ベールの視線が俺に向けられた。
「もしかしてリオさん!あなた――ネクロマンサーか何かの魔術師ですか?」
なるほど誤解しているらしい。
確かにベールの立場からすれば、そう考えるのも無理はない。
百年前に会った挑戦者が、再度挑戦者として現れた。
普通に考えれば、死者蘇生か何かを疑うだろう。
けれどその困惑ぶりは、純真で可愛らしい。
本気でそう思っているなら結構。
誤解していた方が、戦闘になるなら有利となるかもしれない。
「ああ、そんな所だ」
「えぇ!?やっぱりですか?本当にいらっしゃるんですね……ネクロマンサーは。となると本当にラトさんは、死体!?」
「そうだよ~ラトちゃん死体だよ~」
ラトも乗ってくる。
「やっぱり!?ってことは……ひぃ、死体が動いてます!?」
「そうだよ~死体もいいよ~ってラトちゃん教えてあげるよ~」
「ひぇ……」
「ああ。お前のことも俺の忠実な死にしてやる」
「ぎゃああああああ……って、ん?もしかしてお二人とも、嘘ついてますね。お二人とも魔力の波長が乱れてますよ。バレバレです」
「あれ、ばれたか……」
そういえば魔力の腕があると、相手の波長から嘘も気付けるって話聞いたことあるな……。
ラトも前に似たようなこと言ってた気がする……。
「え~リオちゃんの嘘、面白いと思ったんだけどな~」
「もう少しで俺をネクロマンサーだと思わせることが出来たんだが……」
「ほんと、残念~」
「残念じゃないです~!何ですか~お二人とも私のことからかって……。けど嘘なのだとしたら、本当にあなたは何なんですか……?」
「だから俺がネクロマンサーで……」
「その話はもういいですから!真実を教えてください!」
「ん~えーっとねぇ、ラトちゃん降参したんだよ~。だから一緒にこのダンジョンに再挑戦することを決めたんだ〜。どう分かりやすいでしょ~?また挑戦者として、リエルちゃんに会いに行くんだよ〜」
「こ、降参!?降参したんですか~?」
しかし――ベールの困惑は深まるばかりだった。
薄紫色の瞳が大きく見開かれ、小さな眉がきゅっと寄せられる。
「降参なんて手段が通るんですね~驚きました。けど降参したら、願いが叶わなくなってしまいますよね~。千年守り抜けば願いが叶うって、ラトさんも知っているはずですよね~。なのに降参したんですか~?希望を捨てて降参だなんて、意味がわからないです~……」
「意味が分からないよね~。けどラトちゃんはそうしたの、そう決断したんだよ。だってラトちゃんにとっては、そっちの方が正しいんだもん」
「正しい……ですか~?理解が追いつきません……」
ベールは少し考えるように、顎を軽い握りこぶしに乗せる。
そして数秒の沈黙の後……
ラトと俺を交互に見つめた。
薄紫色の瞳が、何かを理解しようとするように細められる。
そして――まるで謎が解けたかのように小さく息を漏らした。
「理解は出来ないですが、納得しました~。そのリオさんこそが~ラトさんが願いを諦める理由になり得た……そういうことなんですね~」
「あれれ〜、バレちゃった。ベールちゃん、鋭いね」
ラトが両手で頬を押さえ、恥ずかしそうに身をくねらせる。
兎耳が恥ずかしそうにぺたんと寝そべり、いつもの元気な様子とは違う可愛らしさを醸し出している。
ベールはようやく納得したような表情を浮かべ、緊張していた肩の力を抜いた。
「はい~ありがとうございます~。けど、同一人物ですか~驚きました~。百年前とはずいぶんと雰囲気が変わってるんですね~」
「そんなに変わってたのか?」
俺の問いかけに、ベールは遠い目をしながら頷いた。
薄桃色の髪が肩で揺れ、記憶を辿るように視線を宙に向ける。
「はい~前回いらっしゃった時のラトさんは、それはもう恐ろしい殺気に満ちてましたから~。名前を尋ねても答えて頂けませんでしたし、瞳には復讐心のような暗い炎が燃えていて……まるで全世界を敵に回しているような、そんな険しい表情をしてたんですよ~。まるで別人です~」
「そんなんだったのか……」
俺は驚いて、隣にいるラトを見つめた。
今の愛らしく無邪気な彼女からは、そのような殺伐とした雰囲気など微塵も感じられない。
「あはは〜、記憶はないけど、きっとそんな感じだったんだろうね〜。ラトちゃん、恥ずかしい!」
ラトは頬を染めながら、俺の腕にそっと寄りかかった。
ここに挑んだ時のラトは、仲間を失った直後。
さらに今の俺たちみたいに、まともに休憩も挟まずここに挑んでる。
そのくらい殺伐としていてもおかしくはないだろう。
「そうですか~やはり記憶はないんですね」
ベールの小さな呟きが、静寂の広間に響いた。
その言葉は、まるで独り言のように空気に溶けていく。
しかしそれを俺は聞き逃さなかった。
「記憶がない理由、ベールは知っているのか?」
俺はベールに向き直り、その薄紫色の瞳を見据えた。
彼女の表情には相変わらず柔和な笑みが浮かんでいるが……
そこに裏がるのは確かだった。
「あ~いえ……知らないですよ~。前回来られたことを覚えていないようでしたので~、そう思っただけですから~。きっと階層主になる時に、何か特別なことが起こったりするのかもしれませんね~」
ベールは愛らしく首を傾げ、まるで純真な疑問を口にしただけのような仕草を見せた。しかしその不自然さを、ラトが見逃すはずがなかった。
「ベールちゃん、嘘ついてるのバレバレだよ~。ベールちゃんが嘘を見抜けるように、ラトちゃんもリオちゃんも、その嘘に気付かない訳ないじゃ~ん。教えてよ~ラトちゃん不思議でしょうがないんだから……」
その時――
ベールの表情に、微かな変化が生まれた。
「そうですか~バレましたか。けれどいえ、言うつもりは残念だけどないですよ~。もしかしたら、そのラトさんと同じように降参したら、教えるかもしれませんね~」
その瞬間――俺は確信した。
階層主に不自然なまでの温和で柔和な様子。
しかし、やっと本性が垣間見えた気がした。
よどみ。
ほんの僅かな、微細な――
けれど確実に存在するよどみ。
まるで澄んだ水面に、一滴の墨汁が落とされたような。
そんな違和感が、ベールの笑みの奥に潜んでいた。
見た目は変わらない。声も、仕草も、雰囲気も――
全て穏やかで優しいままだ。
けれど何かが――何かが違う。
ラトと初めて会った時と同じような、表層の下に隠された別の何かを感じ取った。
やはり――
この少女は敵なのだ。
不思議と生まれた仄かな緊張に……
俺は自然と血液の瓶が入った麻袋の重みを確認していた。




