231話 「金煌の導く先」
「ふむ、さきほどまであれだけ騒いでいたのに、もう物思いにふけるだけの余裕が出てきたのですね」
景色が高速で過ぎ去っている。
「まあ、こういう状況に対する慣れみたいなものは、あなたがたの息子のおかげでだいぶ早くなりましたから」
視界がぐるぐると回っているわけではないのが救いだ。
〈土神〉クリア=リリスが作り出した巨大な尾に巻かれながらシャウは思った。
「それに、やはりなんだかんだ言っても、術式の操作がメレアよりも丁寧なので」
「あの子はほかの多くの秘術を覚える手前、あまり一つの術式を極めることに時間をかけていられませんでしたからね」
高速で街中を飛びながらも視界が回らないのは、おそろしく精緻な技術によって尾が自分の姿勢を常に一定に保っているからだ。
運び方は一見雑だが、そういった気遣いにはさすがに神号の片鱗を感じる。
「……東の方も穏やかじゃないですね」
遠く、東からいくつかの実体砲弾と術式砲弾が飛んできているのが見える。
「ちなみにあのあたり、別の化物がいますよね?」
サイサリスには一応国壁と呼ぶべき防御壁がある。
すでにそこにはいくつかの穴が開いているが、不思議なことに都市の内側にはあまり大きな被害がない。
「どうしてそう思うのですか?」
「だって……ほら……」
今、一発の実体砲弾と術式砲弾がサイサリス領内めがけて飛んできた。
ところが実体砲弾は着弾の間際にそこにいた『なにか』に殴り飛ばされるように上空へ弾かれ、術式砲弾はサイサリス領内から高速で放たれた謎の白い光線に迎撃され消滅した。
「あの品のない弾き方はタイラントあたりでしょうか」
「ああ、あの〈戦神〉……」
メレアから話は聞いている。
剣で斬っても、槌で打っても、槍で貫こうとしても、けっして体に傷がつかない剛体を生まれつき持っていたという人間。
いや、それはもはや人間ではなく、人の形をした別のなにかだ。
「どういう理屈ですか?」
「さあ? あの子はよくわかりませんからね。生まれつきそういう人体式を組まれていたのではないでしょうか」
なるほど、神がいるのならきっといい加減なやつだ。
まあ、一説には精霊が世界の綻びを補完する存在と言われているくらいだから、言わずもがな神はいい加減なのだろう。
「で、術式砲弾を対消滅させた光の方は……」
「あれは――フランダーでしょうね」
「……はあ」
予想はしていた。
この〈土神〉クリア=リリスが出てきた時点で、メレアと最も繋がりの強いあの英霊が出てこないわけがない。
だが、シャウとしては最も出てきてほしくないと思う英霊でもあった。
「世界最強の術士がすでにこの街にいると」
「正面を切って戦う術士としては、確かにあの子が一番でしょうね」
クリアの言い方には含みがある。
その理由もなんとなくシャウにはわかっていた。
「戦いもいろいろありますからね」
と、しばらくクリアに運ばれながらサイサリスの中流区画を進んでいくと、シャウの視界の端に奇妙な光がちらついた。
「――はあ、運命はかくも唐突に。我が生涯に金貨の煌めき消えずして」
「なんですか?」
方角は上流区画。
清貧のサイサリスから近年最も逸脱した発展を遂げている場所。
「クリア様、私をあのあたりに降ろしてはいただけませんか。――金貨が呼ぶ声が聞こえるのです」
天から湧き落つ空虚な黄金の煌めき。
野外歌劇場がある上流区の中央広場の上空から、無数の金貨が湧き出ていた。
◆◆◆
『金だッ‼ 金が降ってきたぞ!』
『マグネル金貨、アルスナート金貨、レイレネル白金貨まで‼』
『どけ‼ それは私のものだ‼』
サイサリス上級区画の中央広場は混乱の極みにあった。
突如として空から降り落ちてきた無数の金貨が、周囲を歩いていた華美な身なりの人々の目に留まり、瞬く間にそこは暴徒の集と化した。
「ハハ、ハハハハ‼ 見ろ! 人の心は百年前からなにも変わらない‼」
そんな激しい人ごみの中、中央広場の歌劇場の中央で哄笑をあげる男が一人。
身のいたるところに高価な宝石や金銀をまとい、地に落ちたさまざまな金貨を頭を垂れて拾う民衆を見下ろしている。
「金が欲しければ跪け! 我が名のもとに頭を垂れろ! ハハ、ハッハッハ!」
男の名を〈ガルド=リム=ウィンザー〉といった。
かつてウィンザー商国の王として君臨し、みずからの錬金術によって無数の『虚財』を生み出すことで、世界のすべてを手に入れようとした男である。
「ハッハ――ん? なんだお前、拾わないのか?」
そんなガルドの前に、一人の少女が立っていた。
地に転がる金貨を夢中で拾い上げる大人をよそめに、少女はガルドを不思議そうに見上げていた。
「……いらない」
「なぜだ? その金があれば家族も喜ぶぞ?」
少女は貧しい身なりをしていた。
襤褸のケープ、くたびれたスカートに、今にもつま先が抜けてしまいそうな擦り切れたブーツ。
少女は手にかごを持っていた。
中には穢れのない白の花がある。
「……貧民街から出稼ぎにきた花売りか。持つ者の傍らに持たざる者がいるのは世の常だな。だがまあ、オレ様と出会うことができたのは幸運だ。持つ者になりたくば拾え」
「……わたしは、いらない」
少女はかたくなに地に転がる金貨を拾おうとはしない。
その様子にガルドはやや表情をこわばらせた。
すると少女は続けざまに言った。
「これは、わたしがお花を売ってもらったお金じゃない。それに、たくさんのお金は身を滅ぼすって、いつもお父さんとお母さんが言ってる」
「……ちっ」
ガルドは明らかな悪態と共に舌打ちをした。
「貧しいやつの思考はよくわからねえな」
「あなたは、楽しいの?」
「あ? 楽しいに決まってるだろ。どいつもこいつも今この瞬間オレ様が生んだ金に魂を売ってる。今、オレ様はここに這いつくばって金を拾ってるやつらの尊厳を買い取った。見ろ、どいつもこいつも頭を垂れてる。この光景を見ることができるのは持つ者の特権だ。楽しくないわけがねえ」
「……お話は?」
「話?」
ガルドは少女の言葉の意味がわからずに首をかしげる。
「お話は、するの? わたしは、お父さんやお母さん、それに、お友達とお話してるとき、とても楽しいの。あなたはこの人たちとお話するの? 一緒に笑う?」
周囲で一心不乱に金貨を拾う者たちの表情には、無論喜色もある。
だが、次第にその金貨をめぐって誰かが誰かを打ち、やがて彼らの表情は怒りに変わっていく。
「――怖い」
少女はそんな大人たちの様子を見て、怯えた表情を見せた。
「あなたは、あの人たちとお話するの?」
「……」
そのとき、少女を見るガルドの目におそろしげな光が宿った。
人を人として見ることをやめたかのような、どこか無機質な目である。
「黙ってろ、なにもしらねえガキが」
「あの怒ってる人たちとは、誰がお話をするの?」
周囲の怒号が徐々にひどくなっていく。
そんな状況に恐ろしさを覚えたのか、少女はガルドに助けを求めるような視線を向けた。
「そんなの、オレ様の知ったことじゃねえ」
すると、ガルドは懐から一等きれいな金貨を取り出し、少女のかごに投げ入れた。
そして同時に、逆の手に錬金術式で金の剣を作り出す。
「今、お前の命を買った。そこで命令だ。お前はその煩わしい嘴ごとここで死ね」
一切の躊躇のない斬撃。
そして――
「あなたがそんなだから、私たちが苦労したんですよ――ご先祖様」
それを止めるもう一振りの金の剣が、少女とガルドの剣の間に差し込まれた。
〈シャウ=ジュール=シャーウッド〉。またの名を〈エヴァンス=リィン=ウィンザー〉。
その男こそ、このガルドが崩壊のきっかけを作ったウィンザー商国の最後の王族であり、今なおかつてのしがらみを背負って〈魔王〉と呼ばれる〈錬金王〉であった。
◆◆◆
「――やっと来たか、一族の面汚しが」
「おや、私が誰だかすでにお判りのようで」
狂喜と怒号のただなかで、その二人の間だけは不気味な静寂に包まれていた。
シャウはガルドの剣を弾き、後ろにいた少女にこの場から離れるよう声をかける。
「行きなさい。あなたにこの世界は早すぎる」
「おい、待て。その娘の命はオレ様が買ったんだ。勝手に逃がすんじゃ――」
するとガルドがすべてを言い終える前に、シャウは懐から二枚の金貨を取り出しさきほどのガルドと同じように少女の持っていたかごに投げ入れた。
「今、私が彼女を買いなおしました。なので私が彼女の処遇をどうするかも私次第です。……まさか同じやり方で競り落としたものに、不平は言わないですよね?」
「……ちっ」
シャウは少女が無事に広場から離れていく姿を横目に見ながら、ようやくガルドへ意識を集中させる。
「……はあ、まったく気品のかけらもありはしない。金の使い方を知らない富者ほど醜いものはありませんね」
「本当の金を使い方を知らないのはてめぇのほうじゃねえのか、『末裔』よ」
ガルドがふいに術式を展開する。
空から落ちてくる金貨の量がさらに増えていく。
「金の力は万能だ」
「万能? ハハ、なるほど、万能と来ましたか」
シャウはその狐目を見開いたあと、くっくっと押し殺した笑いを漏らした。
「金の力が万能であれば、ウィンザー商国は滅びなかったというのに」
シャウは金の剣を再び錬金術術式で金貨の形に戻し、それを親指で弾いた。
空から無数に落ちてくる金貨に混じって、『本物の金貨』がきらきらと夜光を反射する。
「やはりあなたごときに他の魔王たちの手を借りる必要はないようですね」
手元に落ちてきた金貨を手でつかみ、シャウはガルドを指さした。
「あなた、降りてきた英霊や魔王たちと比べて一人だけ格が低すぎるんですよ。一族の面汚しなので、さっさと天海へ還っていただけません?」
その不敵な笑みこそ、シャウ=ジュール=シャーウッドという役者に最も似合う表情だった。





