230話 「持つ者の責務、滅びの形」
「エヴァンス、いずれこの国は滅びる」
あるとき父はそう言った。
「理由はわかるか?」
「……まあ、なんとなくは」
形あるものはいずれ滅びる――そんな極論を返すつもりはない。
ウィンザー商国は特殊な成り立ちをしている。
そして短い歴史の中で、あまりに多くのことを経験してきた。
そんな国の王族として生まれてきたからには、最も優秀な商人と呼ばれた初代の『王』のことも調べたし、やはり同じようにして、あの『魔王』についてもよく考えた。
「聡い子だな、お前は」
父はうれしそうに、それでいてどこかさみしそうに笑った。
「エヴァンス、力には責任が伴う」
「責任、ですか」
「問題はその責任の内訳が、考える者によって異なることだ」
父は書棚から一冊の本を取り出してその表紙に視線を落とした。
古びた皮の表紙の本だった。
「ウィンザー商国の成り立ちは、自分の財産を不条理から守りたい商人たちが集まったところからはじまる」
「バルドラ武装商人連合ですね」
「そうだ。相手が個人であれば、自分が武器や傭兵で武装すれば済んだ。しかし相手が国家という大きなものになってきたとき、彼らは同じ思いを持つ者同士で手を組むことにした。根っこは普通の国家の生まれとなにも変わらないな」
掲げる精神性が財産の保護により大きく傾いていた。
しかしそれはどの国家人も同じこと。
財産を守ることは、自分の生命を守ることに繋がる。
少なくとも貨幣経済が成り立ったあとは、そうであったに違いない。
「国によってその成り立ちの根っこになにがあったかは異なる。あるいは信じる神を守りたかった。あるいは単純に生命を脅かす者から命を守りたかった。はるか昔には、人を軽々と薙ぎ払う強大な力を持った古代の凶獣から身を守るために結託し、それが国家となった例もあると聞く」
「その凶獣は、まるで魔王のようですね」
「……そうだな」
こちらが混ぜた少々の皮肉を、父は抜かりなく察知したらしい。
書棚に本を戻しながら浮かべた表情は、やはり苦みの混じった力のない笑みだった。
「話を戻そう。さっきも言ったが力を持つ者には責任が伴う。本人が気づいていようがいまいが、周りがそれを規定する。持って生まれた者は、それだけで他者とは異なるのだ」
「父様は財を持って生まれた私の責任を問いたいのですか?」
「それもある。ちなみにお前は財を持って生まれた者の責務をなんと心得る?」
少し考える。
ふとサイサリス教の清貧の教えが脳裏をよぎった。
「財を持たぬ者に、必要なだけの財を分配すること」
「お前にしては当たり障りがないな。思っていることを言ってみろ」
「……財を分配するときは、『公平公正に』」
これは、自己責任論だ。
それも、ひどく不遜な。
「すべての民に、同じ量の財を分配することはできません」
「それは単純な財の量という意味で? それとも――」
「自分の信ずる正義の元に、です」
今の自分が聞いたら大笑いするだろう。
正義などという言葉を馬鹿正直に使ったのは、このときが最後だ。
「たとえば、生まれついて足が悪く、ほかの者と比べて達成できる仕事の量に限界がある者がいたとしましょう。その者が誠心誠意仕事に従事したうえで達成できた対価に対し、金貨を二枚、分け与える」
「……」
「また別な場所に、この者と同じ量の仕事しかしない者がいたとします。その者は生まれついて足が悪いわけでもなく、むしろみずから怠惰をむさぼり、仕事をおろそかにした。本当はもっと多くの仕事ができるのに、隣で足の悪い者が金貨二枚をもらっているのを見て、わざと仕事量を減らした者です」
「お前はその怠惰な者に何枚の金貨を支給する?」
「……一枚」
知っている。
これはエゴだ。
達成した仕事量は同じなのに、与えられる金貨の量は違う。
後者からすれば、公平公正とは呼べないかもしれない。
少なくとも、平等ではない。
「難しい問題だな、エヴァンス。これはとても、難しい問題だ」
父は書斎の椅子にゆっくりと腰かけて大きめの息を吐いた。
「お前が『平等』という言葉を使わなかったのもなんとなくわかるよ。お前はその行いが平等ではないことを自覚していて、それどころか後者から見たら公平公正ではないというのも自覚していて、なおもその意志を掲げたわけだ。持つ者として」
「父様はどうお考えなのですか?」
父に聞くと、父は飾るそぶりもなく答えた。
「わからない。私はその問いにまだ明確な答えを持っていないのだ」
自分が目を見開いたのを自分で感じた。
単純に、驚いたのだ。
「だからいつも考えている。私はこの考えるという行為こそが、持つ者の最低限の責任だと思っている」
「でも、それでなにも達成することができなかったら?」
「愚か者と呼ばれるべきだ。だから私は、お前よりずっと愚か者になる可能性を秘めているんだよ」
父のことは尊敬していた。
かつてこの血を持つ者が行った凶事のしがらみを一身に受け、それでもなお存続しているウィンザーという国を、どうにかよくしようといつもその聡明な頭で考え事をしている。
商人として特筆して優れていたわけではないが、ウィンザーの元首として恥じない程度の商才はあった。
ただ、どちらかというと父は政について考えていることのほうが多かった気がする。
どうすればこの国が良くなるのか。
どうすればこの国に残った民をよりよく生活させられるのか。
ただの商人の集合体が欲を加速させて得てしまった多くの物の後処理を、どうにか一人で精算しようとしているかのようだった。
「お前にとっての公平公正が、誰かにとっては公平でも公正でもない可能性が常にある。それを忘れてはならないよ、エヴァンス」
「わかっている――つもりです」
「そうだな。お前は私と違ってよく出来た子だ」
父は優しかった。
それに対し自分は、やや過激な思想を持っていたと思う。
というか、今でもたぶん過激さは持っている。
思想の違いはどこにでもある。
現に国家が乱立している現状がそれを証明している。
人には欲があった。
欲が競合すれば争いが起こる。
だからすべてを救うことはできない。
それでもせめて――自分が持って生まれたウィンザーの跡取りとしての責任は、果たしたいと思っていた。
「さて、それじゃあそろそろエルメルのところへ行こうか。……私にとっての幸運は、こうして政について共に語り合う友がいたことだ」
『お互いの主義主張が決定的に食い違っていても?』という言葉をぐっと飲みこむ。
「そういえばアリシア嬢とはうまくやっているか? エルメルがずいぶん気にしていた。あれも我が子のことになるとだいぶそそっかしくなる」
「まあ……たぶん……そこそこには」
「はは、お前は嘘をつくのが下手だな。到底役者にはなれそうもない」
「役者については『芸術王女』がいるので、私が目指さなくとも世に弊害は起こらないでしょう」
「まったくだな。しかし両手に花とはまさにこのことだ。そこもまた私とはおおいに異なるところだな」
父はからかうように笑って、それから優しく自分の肩を叩いた。
◆◆◆
「やっぱりさ、人は芸術を糧として生きるべきだと思うんだ。そうは思わない? エヴァンス」
「芸術で腹は膨れません」
「でも芸術には種類がある。君の信仰する金よりは、競合性を排除できると思うんだけど。演劇が好きな人は演劇を楽しむ。歌が好きな人は歌を。物語だって、自分の好むものをみんなで好き勝手嗜めば争いは起こらない」
「名作が生まれなければ、そうかもしれないですね」
「名作が生まれなければ?」
ウィンザーが滅びるほんの少し前。
星の綺麗なあの丘で、二人の王女と話をしていた。
「名作は往々にして権威性を孕むものだ。そして権威性が生まれると、ほかの権威と競合する。その名作を信奉する者が、ほかの名作を攻撃するのです」
「作者が止めればいいんじゃない? 作者がその権威の頂点にいるわけだし」
「その作者が死んでいたら?」
「……」
死んで作品が名作になる例は少なくない。
あるいは作者の口から真意が語れないからこそ、考察の余地が生まれ、語り継がれる名作となるのかもしれない。
いずれにせよそうなったらひどいものだ。
下手をすれば同じ作品を信奉する者同士でいさかいが起こる。
「仮に作者が生きていようが、その言葉をよしとしない輩が現れるものです。芸術の持つ魔性はそれくらい手に負えないものだと私は思いますけどね」
芸術のすばらしさを否定はしない。
だからこそそう思う。
「他分野の芸術を尊重する。口でいうほどみながみなそれを守ることができるわけじゃありません。あなたの国だってそれで何度か内紛を経験してるじゃないですか」
「ぐぬぅ……」
彼女が美しい横顔を悔しげにゆがめてうめいたので、これくらいにしておこうと思った。
「じゃあ、やっぱり必要以上に物や趣味のものを持たないようにすれば?」
すると逆側に座っていたもう一人の王女が言った。
「……まあ、それが達成できるのであれば、あるいはそれこそ最も安全な集団になるのかもしれませんね」
「じゃあ――」
「内部的には、ですが」
「……」
清貧を守り切る国家があったとしよう。
内部で公平公正は保たれるかもしれない。
人の欲を制限できれば、少なくともそうでない国よりは争いを少なくできる。
だが、果たしてこの世界に存在するすべての人間が、同じように清貧を信仰できるだろうか。
――そんなことができるのなら〈魔王〉は生まれなかった。
「必ず外部には欲を制御できない獣がいます。その獣に対して、清貧を貫く者が対抗できるでしょうか。私は獣に蹂躙され、跡形も残らない未来が想像できますが」
「……エヴァンスのいじわる。脳内金貨畑」
ひどい言われようだ。
だがまあ、事実だ。
「……これを考え続けるのって、苦行以外のなにものでもありませんよね?」
ふと考えるのに疲れて、大きく息を吐きながら宙に問いを投げかける。
「まあそうだね。なに? また父君に難題でも出されたの?」
耳に派手なイヤリングをつけた金髪の王女が楽しげに聞いてきた。
「出された、というほどではありませんが――」
きっかけは作られた。
そしてこの問いを考え続けることこそが、連綿と続くウィンザーの王族としての責務なのだと、頭の隅ではわかっていた。
でも、まだ答えは見つかりそうにない。
「……私もまた、父様と同じように政を共に語らう友に恵まれたと言うべきなのでしょうか」
「はー、早くスピアーノの新作悲劇が読みたいなぁ」
「あ、お祈りの時間だ」
「……はあ」
ウィンザーはいつか滅びる。
それだけの種を蒔いてしまった。
だが、滅び方にも種類がある。
――せめて私がウィンザーとして生まれた者の責務に気づくときまで、この国が健やかでいられることを願おう。
数日後、父がとある暴徒たちの凶刃に倒れることを知らないまま、空に流れた一筋の星にそう願った。





