09.カサドゥス子爵家(2)
予想通り、翌日の個人授業であたりまえのように入室した私を見て、エヴァンはまたも大激怒した。
どれだけ怒ったところで私に当たり散らすことしかできないのは、昨晩の食事の席で父親であるカサドゥス子爵から釘を刺されたからだ。
「エヴァン。私にはこの子爵家を正しく維持していく責任がある。現当主として、血の濃さに関わらずより優秀な後継を選ばなくてはならない。貴族だからアカデミーに入れる。実子だから家督を継げる。無条件にそれらがなせた時代はもう終わりだ。父親としてお前を大切に思っていることに変わりはない。だけどね、爵位を継がせるということは事業であることも理解してほしい。今日から君たちふたりがこの家の相続候補だ。優秀な方を選ぶから、2人ともそのつもりでいて欲しい」
深く落ち着いた声で晩餐室に響いた子爵の発言に、エヴァンは一言も反論しなかった。父親の本気を感じたのだろう。
食事に手をつけずに退出していったところを見ると、今まで甘やかされてきたから相当堪えたに違いない。これで外堀は埋めた。あとは私がエヴァンと同じフィールドに立つだけだ。
私はそんなエヴァンに気にせず先生に挨拶した。
この家で子どもたちの教育を一手に請け負っているのはアダム・シャペルというおじいちゃん先生だ。
昔は魔術学院の高等部で主任教師をしていたそうで、引退して今は個人教師をしているのだとか。おっとりおだやかだけど、その瞳は鋭い。滅多なことでは起こらないけど、怒らせたら一番怖いタイプだ。
「お初にお目にかかります。メルヴィン・キャトレットと申します。この度ご縁を賜りまして、シャペル先生の講義に参加させていただくことになりました。至らぬところばかりですが、ご指導のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます」
そう言って挨拶をすれば、シャペル先生は「これはこれは」と皺のある顔にさらに皺をよせて笑った。
「この老いぼれにそこまでかしこまって挨拶をいただくとは恐縮ですな。一人で受けるより、エヴァン坊ちゃまもご学友がいたほうが勉学に身も入るというものでしょう。メルヴィン様、こちらこそよろしくお願いいたします」
そこですかさずエヴァンが噛みついた。
「こんな平民野郎と学友になるわけないでしょう。隣で文字の書き取りや算数だなんて、こっちの気が散って仕方ない。逆に邪魔ですよ」
シャペル先生はそれを完全にスルーして私の経歴書に目を通した。
「メルヴィン様は、基本的な読み書きと四則計算は問題ないとうかがっておりますが」
「はい。隣国のイグルス語も独学で簡単な会話ができます。歴史については偏りがありますが、宗教史については周辺諸国との関連も踏まえた上で、旧教典・新教典の始祖聖人から第3次宗教戦争まで把握しています」
宗教についてはエクレール司祭に叩き込まれてるからね、即時難関私大受験対応レベルくらいまでの知識はあるつもりだ。
「ほう、その歳で旧教典まで目を通しているとは。では、本日はメルヴィン様の学力がどの程度まであるのか把握するために、私が用意してきた問題を解いてもらいましょう。少し簡単やもしれませんが、正しくメルヴィン様を理解するために必要なことですので」
入塾のクラス分けテストみたいなものだよね。前世では採点する側だったから、新鮮だ。ワクワクしながらテストを受け取る。
「ありがとうございます」
「もし時間があまるようでしたら、エヴァン坊ちゃまの講義を一緒に聞いていてください」
「時間が残ればの話だけどな」
エヴァンはそうくさしたけど、結果として私は授業時間の半分を聴講にあてることができた。
「なるほど、問題が簡単すぎたかもしれませんな」
授業を終えた先生は、私の解答に目を通しながら、手帳になにやら熱心に書き込んでいた。
それをエヴァンが面白くなさそうに睨みつけている。この顔が見られただけでも、初回の収穫としては上出来だ。
私はシャペル先生にむかってにっこりと笑いかけた。
*
全体的な学力と知識の確認が終わると、私はすぐにエヴァンと同じ講義を受講しはじめた。
エヴァンの機嫌は日を追うごとに悪くなっていった。反対に、優秀でやる気のある生徒が増えたシャペル先生の機嫌はすこぶる良い。
そう、この世界では比較する機会がなかったけど、私ってばお勉強ができちゃうんだよね。
そりゃ前世であれだけ勉強して、家庭教師3人かけもちしてたんだから勉強のノウハウはそれなりにあるつもりだ。
思いっきり下にみていた相手が優秀だった場合、人はどうするか。
エヴァンは私の粗を探しはじめた。でも残念。私のマナーは結婚式場仕込みだ。
貧しさゆえに外食経験がほとんどなかった前世では、独学に加えて式場社員のお局様に頼み込んで徹底的にテーブルマナーと立ち居振る舞いを指導してもらった。
容姿はご覧の通りで、言葉遣いもエヴァンより丁寧。こちらの出自がバレない限り、メルヴィンのほころびはそう簡単には見つからないはずだ。
10日も過ぎる頃には、エヴァンはようやく自分の危機を自覚しはじめた。ここまできたら、次は飴を差し出す番だ。
講義が終わって無言で部屋を出ていくエヴァンを捕まえて、私は廊下の隅で彼に話しかけた。
「ねぇ、君ってなんでそんないつもキレてんの?地頭がいいんだからもうちょっと有効活用しないともったいないよ」
「思ってもないこと言うな」
「思ってるよ。だって君、計算も早いし予習なしで授業であれだけ受け答えできてるんだから。僕なんか予習と復習欠かさずやってようやくあの授業についていってるんだから」
「お前それ本気で言ってるのか?」
ちらりとエヴァンがこちらを見て、私は内心ほくそ笑む。
そろそろ褒めが欲しくなってきた頃でしょう?いいよ、君の望む通りの言葉をあげよう。
「本気に決まってんだろ。脆い地盤の上に家を建てたってすぐ崩れる。僕はこれまでろくな教育をうけてこなかったからさ、独学の知識には偏りがあるんだよ。その点君の地盤は盤石だ。こないだ学校の過入学選抜試験の過去の問題を見てきたけど、君なら真面目にやれば主席に近い成績を取れるんじゃないかな。まあ、主席取るのは僕だけど」
ふふんっと笑って見せると、エヴァンはすぐに食いついてきた。
「はぁ、お前いつのまにそんなことしてたんだ。っていうか卑怯だろそんなの」
「過去問は王立図書館で手続きをすれば誰でも見られる。卑怯だって?キミは隣国が攻め入ってきたら、敵国の戦力や地理、風土を徹底的に調べて戦うことを卑怯だというのか?戦うために最善の準備をして何が悪い。そんなんだからポッと出の遠縁貴族のクソガキに家督を奪われるんだよ」
「なっ…!まだ奪われると決まったわけじゃないだろ。」
「へぇ、ヤバいかもって自覚はあるんだ」
エヴァンは黙った。ここでもう一押ししておこう。
「過去5年分の出題を見てきたけど、どの年にも宗教改革史と租税の分類について出ていたよ。特に租税に関しては歴史もふまえてマニアックな問題が出る。君は計算が早くて正確だから、算術は最速で解答を出して、他の問題に取り組む時間にまわすんだ。どう?まだ僕の話を聞く気があるなら、夕食のあとに部屋にくるといい。過去の出題傾向は徹底的に分析してあるから対策を教えてあげることができると思うけど」
エヴァンは黙ってその場を立ち去った。でも、絶対に来るという自信はあった。
承認されることに飢えている人間は、自信のある人間に褒められるとその後厳しいことを言われてもついてくる。リターンをより価値あるものに感じるからだ。
ここまでくれば一山超えて、あとは信頼を深めていくだけ。
私はすぐに部屋に戻ると、夕食の時間まで対エヴァン用のレジュメ作成に取りかかった。




