08.カサドゥス子爵家(1)
貧民街から比較的貧しい地域へ。ゆっくりと変化して庶民層、裕福な商人や下位貴族が混じり合う商業地区、そして上位貴族たちが集まるお屋敷街。
馬車から見える景色はどんどん変わっていき、1時間かけてカサドゥス子爵邸にたどり着いた。
「ようこそメルヴィン様。お待ちしておりました。執事のアーサー・ハミルトンと申します」
深々と頭を下げて迎え入れてくれたのはロマンスグレーの物腰柔らかなおじ様だった。
私の事情をどこまで知っているのだろう。
どんな姿勢で挨拶をすればいいか分からなくて、とりあえず日本式にこちらも頭を下げることにした。
「今日からお世話になります。よろしくお願いします」
「いけませんメルヴィン様。貴族子弟はそう簡単に使用人に頭を下げるものではありませんよ」
あ、これは知ってますね。意味ありげに笑うハミルトンさんに苦笑いで応える。
「すまない。貴族らしい生活から離れて久しくてね。今後気を付けるよ」
「旦那様は仕事で不在ですので、代りに私がご案内をさせていただきます。詳しい話は応接間でさせていただきます。私のことはアーサーとお呼びください。荷物はフットマンに運ばせますのでどうぞそのままで。」
私は黙って頷くとアーサーのあとに続き、生まれて初めて貴族のお屋敷へと足を踏み入れた。
応接室で引き合わされたのは2人の女性使用人だった。
一人は女中頭のジョアンナ。この家のメイドたちの監督責任者で、きつく結い上げた髪の毛や姿勢からするに、とても優秀で厳しそうな人だった。
もう一人は私の専属メイドになったレティシア。日本だったら高校生くらいだろうか。すごく落ち着いていて、お茶を淹れる手つきにもベテランの雰囲気が滲みでていた。
「メルヴィン様がここに来た本当の経緯を知っているのは、旦那様のほかに私を含めてこの3人だけでございます。どうか、エヴァン坊ちゃまのことをよろしくお願いいたします」
生まれた時からお世話していたアーサーとジョアンナにとって、エヴァンはあんなに横暴でも可愛い坊ちゃまなんだな。
2人の真剣な顔を見ていたら、どれだけエヴァンのことを大切に思っているか伝わってきた。だから平民を通り越して貧民だった私にも丁重に接してくれるんだ。
期待には、応えなくちゃね。私は立ち上がるとニッと笑った。
「うん。この家の後継者に選ばれるよう、彼には本気でぶつかっていくよ」
貴族でも男でもない。そんな私の二重の嘘を受け入れなければならないアーサー達に報いるためにも、私は初日から遠慮なくやらせてもらおうと決めた。
カサドゥス子爵が王宮での仕事を終えて帰ってくると一家そろっての晩餐となる。
その時に私を引き合わせて一緒に夕食をとろうということで、それまでは部屋でおとなしく待っていることになった。
ジョアンナとレティシアに案内された個室は、孤児院の6人部屋よりも広かった。事情を知っている2人とはいえ、ここで驚くそぶりを見せてはいけない。
「へぇ、なかなかいい部屋じゃないか」
私はゆっくりと足を踏み入れるとと余裕のある口ぶりで言ってみせた。
その時、苛立たしい様子で廊下を走る音が聞こえてきた。足音の主は、部屋の扉が開けられているとはいえ断りもなく室内に踏み入ってくる。
キャラメル色のサラサラの髪に青みがかった瞳。フンと鼻を鳴らして入ってきたのは、この屋敷の後継者になるはずのエヴァン・カサドゥスだった。
彼は私の容姿に一瞬ハッとしたのか、少し間を置いてから顔を歪めた。
「お前がお父様が慈善事業で連れてきたメルヴィンか。平民のわりにそれなりに見えるもんだな。まあ、お父様の社交辞令を真に受けてのこのこやってきた恥知らずに変わりはないが。いいか、この屋敷に住まわせてもらうならよく覚えておけ。俺は絶対にお前の存在を認めないからな」
ずいぶんと威勢のいい挨拶に思わず笑ってしまいそうになるのをこらえて変な顔になってしまった。
エヴァンはそれを、侮辱されて怒っていると勘違いしたらしく「出ていくなら今のうちだぞ」と満足そうに口元をゆるめた。
私は前髪を掻きあげながらため息をつくと、ゆっくりとエヴァンの前まで歩み寄った。こういうのは最初が肝心。先手必勝とばかりに、私は彼の胸元を掴むとニヤリと笑った。声は一番低いところで、腹から出す!
「何か勘違いしていない?いくつか訂正させてもらうけど、僕は平民じゃなくれっきとしたこのカサドゥス家の縁者だよ。社交辞令を真に受けたんじゃなくて、この屋敷の後継者候補として連れてこられた。君と僕を競わせて、どちらか優秀な方を跡取りに指名するって話、まさか聞いてないはずないよね?それと僕の存在を絶対に認めないというなら、わざわざそちらからやってこないはずだ。熱烈な挨拶をありがとう。これからよろしくね?」
「お前…。っふざけるな!」
バンっ!とドアをたたきつけるようにしてエヴァンは出て言った。こらえ性がないな。貴族ってもっと嫌味を笑顔で受け流すもんじゃないの?
これは根性叩き直しがいがありそうだと口元を緩めていると、ジョアンナが咳払いをした。
「メルヴィン様、悪いお顔になってございます」
「ごめんごめん。彼はいつもあんな感じ?」
「そうですね、今日は一段と激しい様子でしたが」
「ふぅん。そっか」
私はジョアンナとレティシアから普段のエヴァンの様子や生活リズムを詳しく聞くと、それらをすべてメモに書きとめた。
「明日から僕も彼と同じ授業を受けるから、しばらく荒れると思うけどよろしくね」
「承知いたしました。エヴァン坊ちゃまのこと、くれぐれもよろしくお願いいたします」
もちろん、とにっこり笑顔で答える私の顔は、ちゃんと悪役令息になっているかな。
明日の授業を楽しみにしながら、私は数少ない私物を机の引き出しに大切にしまいこんだ。




