17話
「何かあった? 流石に大丈夫?」
佳耶さんはおもむろにそう尋ねてきた。僕は、わざと不敵に尋ね返す。
「佳耶さんくらいになると、打ち筋で分かるってことですか?」
「いや、今日の君、目が据わってる」
「そんな一点を見つめてたら、流石に分かるでしょ。どうしたの?」
そう言いながら、佳耶さんは僕の頬を掴み、強引に上を向かせた。異常なほど冷たい手の感触よりも、こちらをじっと見つめてくる佳耶さんの目に、心臓が跳ねる。
こうなってしまっては、もう隠し事なんてできるはずがなかった。あとは、どこまで吐き出すかの違いだ。
「……しゅ、週刊誌の記者がそこにいて……」
「あー、大丈夫でしょ。新田特別病院の中には入れないようになってるから。ん? もしかして何か言われた? いじめられた?」
そこで一瞬、言葉に詰まった。
僕が最初に思い浮かべたのは、例の「証明」の話だったからだ。
佳耶さんと一緒にいる人間は、自分が金のために傍にいるのではないことを、証明し続けなければならない。そんな呪われた境遇の話。
でも、これは僕の中の問題だ。佳耶さんは相変わらず僕のことをじっと見つめていて、何か言わないと解放してくれそうもなかった。
しばらくして、僕は目を逸らしながら口を開いた。
「……佳耶さんが」
「私が何?」
「……佳耶さんの家族が、一家心中した、とか」
「あー、なるほど」
引っ掛かっていたことの一つを吐き出すと、佳耶さんは合点がいったと言わんばかりに頷いた。掴まれていた頬も解放され、反動でひっくり返りそうになる。
「それで樹は気にしてたってことか」
「別に気にしてたってわけじゃないですけど……。身内がいないって、まさかそういうことだとは思わないじゃないですか」
「ごめんごめん。先に言っておくべきだったね。でも、そんなに隠すことでもないんだよ。家族の不和っていうのはね、事件になっちゃうと、もう自分たちだけの話じゃなくなっちゃうから」
「……聞いてもいいですか? 事件のこと」
「大した話じゃないよ。父親の事業が上手くいってなかったとか、ありきたりなお金の話でさ。にっちもさっちもいかなくなって、家庭内の空気も酷いもんでさ。そんなときに父親が、みんなでドライブに行こうって言い出したんだ。それも、学校を休んで平日に」
佳耶さんは少しも表情を変えなかった。そのまま、淡々と話を続ける。
「おかしいと思うよね? 私はまだ九歳だったけど、その気持ち悪さに気付いてたんだ。あいつらが何を考えているか、ぜーんぶお見通しだった。だから、私は行かなかった。でも、弟は……まだ一年生で、学校を休んで出かけるなんて話に乗らないはずがなかったんだ」
「私は賢かった」
佳耶さんは、噛み締めるように呟いた。まるで、その日を遠い彼方から眺めているようだった。
「弟だけ連れて行かれたんだ」
そのときだけ、佳耶さんの声が少し低くなった。
「担任の先生に呼び出されたとき、私は驚かなかったよ。むしろ、安心したくらいだった。やっぱりそうだったんだって。それに、自分は、私だけは知恵を振り絞って生き延びたんだって思ったら、凄く嬉しかった。でも、弟は言っても聞かなかったから。ガードレールをぶち抜く車の中で、あの子がどんな気分でいたのかって、考えたよ」
「……そんな」
「私はそのまま養護施設で育つことになったけれど、それでも生き残ったんだ。親戚は誰も彼も冷たくてさ。自分で言うのもなんだけど、一人でよく頑張ったものだと思うよ。だから、うん。これは私の生存体験だった。私は自分の生きる道を、自分で切り拓いてきた」
佳耶さんの目が、静かに燃えていた。
どう言えばいいのか分からなかった。僕には、佳耶さんの壮絶な体験を想像することしかできない。
あのとき、佳耶さんが死ななくてよかったと思う。生き残ってくれていてよかったと。
けれど、佳耶さんの凄絶な目を見ていると、そんな言葉を軽々しく口にできる気がしなかった。
「だからさ、分かるだろ」
「何がですか?」
「そんな親戚どもに、『死んでくれてありがとう』なんて、絶対に言われたくないんだよ」
「……僕だって、そんなこと言いたくないですけど」
「そんな顔しないでよ。可愛いなあ」
佳耶さんは揶揄うようにそう言った。それが、何だか酷く気に食わなかった。
佳耶さんの両親は、お金さえあれば一家心中なんて選択肢を取らなかったのだろうか。
だから佳耶さんは、事情こそ違えど、お金に困っている僕に金を遺そうとしているのだろうか。
上手く言葉にはできない。けれど、そんなことを想像して、自分の境遇と重ね合わせるたびに、胸のざわつきは大きくなっていった。
何より、佳耶さんのそんな過去を知ったのが、あの記者を通してだったということが悔しかった。
胸の中のもやもやを吐き出すように、僕は口を開いた。
「……もう一つ聞きたかったんですけど、佳耶さんって凄く優秀な学生だったって本当ですか?」
「そうだよ。こんなことになる前は、私は凄く優秀だったんだ。学内で表彰されるくらいでね。何度か実地調査にも行ったよ。この病気にならなかったら、きっと私は大学院に進学して、史学を研究していた」
「もっと研究したかったですか?」
「そりゃそうだよ」
「例えばですけど、大学に例の十億を寄贈するっていう選択肢はないんですか?」
「あるわけないだろう? だって、私が研究できないのに、私が死んでくれたおかげで私——」
「……」
滔々と語る佳耶さんに向かって、僕は書類の束をばさりと放った。
あの長瀬とかいう記者が渡してきたものだった。そこには佳耶さんの写真とともに、経歴や専攻、在学中に受賞した賞などが記されていた。その経歴の中には、件の心中事件についても書かれている。
「これはまた、結構なことで」
ぺらりと資料を捲りながら、佳耶さんはそう呟いた。
「佳耶さんは、どんなことを研究してたんですか? 英語も中国語も堪能で、大学には返還不要の奨学金で行ったって本当ですか?」
佳耶さんには、新田特別病院に来るまでの人生があった。
やりたいことがあって、研究していたことがあって、今もなお、その中で培った知識がたくさん詰まっている。
僕はそれを、改めて知った。
そして、そのすべてを佳耶さん本人から聞けなかったことが悔しかった。
もう、こんな思いはしたくなかった。
「もっと知りたいです。佳耶さんのこと」
「いいよ。何でも答えてあげる」
佳耶さんは長瀬から渡された資料を屑籠に放り投げて、にっこりと笑った。
「話をしようよ。私も樹のことがもっと知りたいんだ」
次回未定




