14話
佳耶さんはベッドの横の棚からボードゲームを取り出した。一つのボードで、たくさんのゲームを遊べるタイプのやつだ。
「それじゃ、やろうか。ただ、単にやるだけじゃ心苦しいって言うなら、やっぱり私は樹自身を賭けてほしい」
「でも、腕とか切られるの嫌ですよ、僕は」
「うん。だから代わりに、樹のことを教えてほしい」
チェスの駒を並べる手が一瞬だけ止まる。その隙に、佳耶さんが手早くすべての駒を並べてしまった。僕は最初の一手を先に指してから、小さく首を傾げた。
「何ですか、それ」
「樹の話をしてよ。噂だけじゃない話もあるだろ」
佳耶さんがそう言ってポーンを進めたので、僕は全然関係のない場所の駒を動かしてみる。
「……別に、普通ですよ。起伏のない生活です。普通に中学校に行って、普通に授業を受けて、ダルいなって思ってます」
「好きなものは? 嫌いなものなんかも」
佳耶さんが中央に取り残されていた僕の駒を取る。僕は端の駒を動かす。
「好きなもの……も、別にないです。ていうか、何かを好きになるとか嫌いになるとかも起伏だし、そんなものがそもそも新田町にはないです」
「なるほどねぇ」
佳耶さんがしたり顔で言う。何がなるほど、なのか分からない。
気づけば僕は、佳耶さんのポーンがクイーンに昇格するのを止められない位置まで追い込まれていた。佳耶さんのポーンは、さらさらと流れる水のように盤の端へと進んでいく。僕の駒による妨害をすり抜け、とうとうクイーンへと昇格した。
「逆に佳耶さんはあるんですか。好きなものとか、嫌いなものとか」
「たくさんあるよ。専攻に選ぶくらい史学が好きだし、あとはボードゲームも大抵大好きだよ。こんな状況だから病気は嫌い。病院自体は嫌いなわけでもないけど」
牽制しようと、僕は周りの駒を動かして、盤面を荒らすクイーンの行く手を阻んだ。
「あとは、樹」
けれど、佳耶さんのクイーンはほんの三手で包囲網を突破し、僕の駒を取った。
「はあ?」
「嘘じゃないよ。来てくれて嬉しい。君がいてくれて、本当に」
そうして笑う佳耶さんが、恐ろしいほど寂しそうで。そんな表情を浮かべる人間のことをほかに知らなかった僕は、息を詰まらせる。
「そんなこと言われなくても僕は……」
僕の言葉はそこで止まる。そんなこと言われなくても、何だろう? 僕はここに来ますよ、という意思表示だろうか? 何のために?
「……いや。さっき佳耶さんが言ったじゃないですか。十億円をふいにするはずないって。佳耶さんを退屈にさせないように、僕は来ます」
差し当たっては、そんな言葉を口にした。本当はこうじゃないのにな、と思う。でも、本当がどうなのか、僕自身も掴み切れない。
「じゃあやっぱり負けられないかもね」
「ゲームなんですから、一度くらい僕が勝つかもしれないじゃないですか」
「そうか、そうか」
佳耶さんが僕のキングを追い詰める。逃げ道は塞がれ、ほかの駒で守ることもできない。チェックメイト。これで僕の負けが決まった。
「何十年も付き合ってもらうことになるかもね」
「何千敗になってるんでしょうね、その時には」
僕はさっさと駒を並べ直す。何千回も負ける予定なら、さっさとこなしてしまった方がいい。流れるように始まる二局目。僕は中央にある駒を進める。
「ところで樹、好きな女の子いる?」
「そういうのを聞くの……いや、ノーコメントです」
僕の駒が迷走し、佳耶さんがそれをひょいと取る。
結局今日も僕は一勝もできず、そのまま帰ることになった。
用水路ルートは未だに開かれていて、そこから出れば監視カメラ以外に見られることは少なそうだった。
素知らぬ顔で帰り道を歩いていると、ポケットに入れたスマートフォンが震えた。
佳耶さんからのメッセージだった。
「最後の対局、私が樹の立場だったら勝ってたよ」
そんなにボードゲームが好きなのか、と一瞬だけ思う。そして、その裏にある言葉を考えてからメッセージを返した。
「またやりましょうね」
「精進しなよ」
その五文字を見ると、何故か胸が詰まった。
スマートフォンをバイブレーションまで切り、絶対に見つからない隠し場所のことを考えながら家に帰る。
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スマートフォンが震えた。
表示されている電話番号を確認してから電源を切った。特別病院を出てから二時間と少し。異変に気が付く頃合いとしては妥当だろう。ここから僕を確保しようという動きは激しくなるはずだ。僕は唇を噛んで、車椅子を押す。
この際だからスマートフォンなんて捨ててしまっていいのかもしれない。警察は電源を切ったスマホでもGPSで位置を特定できるんだろうか? でも、これは僕が初めて佳耶さんに貰ったものなのだ。それを思うとどうにも捨てられない。
これを渡した時、佳耶さんは自分との連絡専用だと言っていた。
それを考えると、もうこのスマートフォンには何の意味もないのかもしれない。佳耶さんがメッセージを送ってくることはもう無いからだ。
ただのモノでしかなくなったスマートフォンを未練がましく持っていることを、佳耶さんは笑うだろうか。
それとも、ただのモノでしかないものにも想いがあるのだと言ってくれるだろうか。
次回未定




