10話
自分の表情が一瞬で強張るのが分かった。
それに対して、佳耶さんは何でもないことのように、薄く笑っている。
喉の奥が痺れ、うまく言葉が出てこない。それでも、どうにか声を絞り出した。
「……何ですか、それ」
「家庭環境に言及されたのは意外だったかな。ここの職員は、新田町のことをあらかた知らされているんだ。職員は噂好きだしね。安心しなよ。君のことだけじゃなく、特別病院と関わりの深い人たちのことも知っているし、棚には新田町の地図もある。私はそういうものだと思ってくれればいい」
知られているのだ。
僕の置かれた状況も、これからどうなっていくのかも。
そう考えただけで、顔が熱くなった。今の佳耶さんは、以前にも増して人を惑わす悪魔のように見えた。
たっぷり時間をかけてから、どうにか言葉を返す。
「……だったら、僕がここに来るのに気が引けているのも分かるでしょう。人目も気になりますし、僕の母親は知っての通り、特別病院反対派ですし……」
「そんな些事、大金の前じゃ何の意味もないよ。母親がどうだって、樹には関係ない」
佳耶さんは、はっきりと言い切った。
「大金さえあれば、君の人生は変わる。本当だよ。嘘じゃない。大丈夫、私が火の粉は払っておいてあげる。そもそも、君は気づいているんじゃないかな? 大金っていうのは力なんだよ。巨人の肩に乗る君に、誰が手出しできるっていうんだい」
その言葉通りなのかもしれなかった。
十五歳の僕が十億円をまともに運用できるはずがないとか、そんな大金をもらったところでどうすればいいのか分からないとか、そういうことは全部、些事なのかもしれない。
言葉に詰まる僕を見て、佳耶さんはさらに続けた。
「それとも、父親の方を気にしているのかな。昴台ブランド確立計画。百貨店への地酒の出品。それについても私は知っているよ。むしろ、君が特別病院に来たくないのは、父親に気を遣っているからなのかな?」
「父さんのことまで知ってるんですか」
「ああ、そうだよ。今の彼が経済的なしこりでしかないことも、彼に樹を支援する気持ちなんて少しもないことも、ちゃんと調べたよ。……でも、数年前は随分頑張っていたみたいじゃないか」
部屋の中で身体を丸め、ただ日々を過ごしている父の姿が頭に浮かんだ。
佳耶さんにとって、父のことは単なる情報でしかないのだろう。けれど、僕は違う。僕は父のことを、ちゃんと知っている。
「私が言いたいのはね。君には十億円を受け取るだけの理由がある。そして、私はそれを手に入れられるだけの力を持っている。それなのに、ごちゃごちゃ言わないでほしいってことなんだ。君の気持ちがどうあれ、君の置かれた状況は大金で打破できるんだから」
その言葉通りなのかもしれなかった。
「私が望むものは話し相手だけだ。どうだろう、エト。いい話だと思わない?」
まるで、僕が断るはずなどないと言わんばかりの口調だった。
確かに、ここまでの話を踏まえれば、僕がそれを断る理由なんてまるでない。僕は実際に、大金を必要としている立場なのだから。
冷静に考えられる人間だったら、大人しく佳耶さんの言うことを聞いていただろう。
けれど、僕は馬鹿だった。それも、プライドの高い、どうしようもない方の馬鹿だった。
次回未定




