第9話 昏迷からの覚醒
——覚醒というのは、時に境界の曖昧な混濁から始まるものだ。
竹宮夏美は、泥のような重さから裏返るようにして、辛うじて意識の端を手繰り寄せ、目を覚ました。
視界に映ったのは、見覚えのない無機質な天井であった。
凝固したような白さをただぼんやりと見つめ、鉛のような首を右へと巡らせていく。
その視線の先に、パイプ椅子に窮屈そうに腰を掛けたあの見知った小太りの人影——水川神社の宮司、高橋栄太郎の姿があった。
「あ……」
驚愕が脳髄を駆け巡り、夏美は反射的に上半身を起こそうとした。
しかし、内耳の奥で激しい眩暈が渦巻き、頭がふふらふらとして思うように肢体が動かない。
「夏美ちゃん、無理をして動かなくていい。そのまま横になっていなさい」
高橋は温和な、しかしどこか父親のような慈悲を帯びた手つきで、夏美の肩をそっと元の平床へと戻した。
「高橋、宮司……。私、どうしてここで寝ているのですか」
夏美は自らの声が、まるで他人のそれのように掠れていることに気づいた。
高橋は深く息を吐き出し、いつもの穏やかな調子で、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「夏美ちゃん。君が今日、三雲の京さんの元へあの茶封筒の資料を届けに行ったことは、覚えているかね」
「資料……。ええ、確か……」
夏美は、脳髄の奥底に散らばった記憶の断片を、まるで不揃いなパズルを嵌め合わせるようにして組み立てようと試みた。
「あ、そうだわ。三雲先生が、あの守衛さんのことを……。何かしら。私、何を……」
のの字を描くようにのたうち回る、あの不気味な記憶の残滓をどうにか繋ぎ合わせようとする娘を、高橋は制した。
「大丈夫だよ。無理をせず、ゆっくりと思い出せばいい。今ね、夏美ちゃんは大学の医務室のベッドを借りて休ませてもらっているんだ。京さんから私の携帯に連絡が入ってね。慌てて車を走らせて、ここまで迎えに来たというわけさ」
高橋が語り終えた、まさにその時であった。
カチャリ、と、静かな室内にドアの開く音が響いた。
部屋の境界を区切る白い衝立の向こうから、ひょっこりと顔を出したのは、あの丸眼鏡の男であった。
「どう、竹宮さんは。——あ、目を覚ましたか。良かった」
三雲は、いつもは冷淡に見えるその風貌に、現世の人間らしい明らかな安堵の色を浮かべてみせた。




