第10話 血脈の宿命と三つの対策
「三雲先生……。私に、一体何が起きたのですか」
横たわったまま問う夏美の視線を、三雲は正面から受け止め、椅子を引き寄せて座り直した。
「そうだね。これに関しては、原因を直接視ていた私が説明した方が筋が通るだろうな。……竹宮さん、貴女ね、この大学の敷地に入ってきたその瞬間から、すでに『変なモノ』に触られていたんだよ」
「え……?それって、あの案内をしてくれた、守衛さんのことですか……?」
「そう」
三雲は不愉快そうに自らの寝癖をガリガリと掻いた。どこか他者との間に明確な一線を引くような、低く神経質な声が室内に響く。
「私もね、防音の効いたドアの向こうにいたものだから、直前まで気づくことができなかった。というよりも、私の側が、少々気を緩めすぎていたようだ。済まなかったね」
男はひと呼吸置き、眼鏡の奥の瞳を僅かに細めて語り続ける。
「そもそもね、私はこの大学の敷地全体に、目に見えぬ緩やかな『結界』を張り巡らせてあるんだ。現世の理を脅かすだいたいの異形や不浄はね、この境界線で弾かれて中には入って来られない仕様になっている。だけど、今回貴女を狙ったモノには、それが全く効かなかった」
三雲の言葉の質量が、じわりと室内の温度を下げる。
「私の部屋で、貴女自身の血筋、つまり『水守の巫女』の血脈について話したのを覚えているかい?」
夏美は重い頭の芯をまさぐりながら、小さく答えた。
「……ええ、なんとなくは」
「竹宮さんはね、自覚がないようだけれど、現世の裏側に蟠る異形を、無意識に引き寄せる力が異常に強いんだろうな。今回はその血の香りに惹かれて、結界の隙間を潜り抜けるような、たちの悪い怪異が化けて出たというわけだ」
沈黙を守っていた高橋が、たまらず二人の会話に割って入ってきた。その温和な顔が、かつてないほど真剣に強張っている。
「夏美ちゃん、今までに、君の故郷にいた頃も含めて、こんな不可解な事態になったことは一度でもあったかね?」
夏美は枕に髪を擦れさせながら、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ……このようなこと、私の人生において、本当に初めてです……」
水守の異能の血を引きながらも"視えない"はずの娘。その現世の肉体が、今、怪異の深淵へと強制的に引きずり込まれようとしていた。
——宿命を背負う者というのは、時に己の血脈の重さを呪い、同時にそれを希求するものだ。
三雲は白々しい光を放つ天井の蛍光灯を見上げたまま、低く、しかし妙に確信を帯びた声調で言葉を紡ぎ始めた。
「……先ほどね、貴女のお祖母さんに直接、電話を掛けさせてもらったんだよ。今回の奇妙な顛末についてつぶさに訊ねてみたところ、やはり私の見立て通りだった。お祖母さんはね、君がまだ物心つかない子供の頃から、その身に幾重もの厳重な『結界』を張り巡らせていたらしい。現世の不浄から、その異能の苗床を守るためにね。
しかし——君が故郷を離れ、この大都会の混沌へと這い出てきてから、およそ二ヶ月ちょっと。距離の隔絶か、あるいは東京という街が孕む澱んだ因果の毒のせいか、その防壁の効果が完全に摩滅してしまったのだろう」
夏美はまだ泥のようにボンヤリと混濁する脳髄をどうにか稼働させ、怪訝そうに視線を彷徨わせた。
「あの……祖母の電話番号を、一体どこで……。どうやってお調べになったのですか」
三雲は丸眼鏡の奥の瞳を細め、その薄い唇の端をニヤリと不気味に歪めて応じた。
「君のお祖母さん——竹宮冬音という御仁はね、我々の属するこちらの世界においては、それこそ知らぬ者など一人もいないほど高名な方だからね。実を言うと、過去に何度か、私の『お仕事』を裏で手伝ってもらったこともある。番号を知っているのは、何ら不思議なことではないのさ」
夏美はぽかんと口を開けたまま、男の語る荒唐無荒な現実を受け止めきれずに立ち尽くしていた。
「そうだね、京さん」
それまで沈黙を守っていた高橋宮司が、重々しく、しかし静かに割り込んできた。
「私だってね、冬音さんのその隠された御高名はかねがね聞き及んでいたからね。……夏美ちゃん、ただね、これから話すことは、君のこれからの現世の命運を左右する、極めて重要な事柄なんだよ。
もし、まだ怪異の衝撃で頭の中の整理がつかないというのなら、明日にでも日を改めてお話しするが……どうするね?」
高橋はいつもの温和な相好を消し去り、厳然たる選択を突きつけるように、静かに問いかけた。




