第11話 巫女の決意と茨の道
「三雲先生。高橋宮司。……大丈夫です。どうか、そのお話を聞かせてください」
夏美は、枕に沈んだ頭をゆっくりと振るい、しかしその瞳に確かな理性の光を宿して、しっかりと答えた。
三雲はその娘の覚悟を品定めするように見つめながら、指先で丸眼鏡の鼻梁を押し上げた。
「いいだろう。今回の件で、竹宮さん、貴女が現世の境界の向こうにいるモノたちを『引き寄せやすい体質』であることは、もはや疑いようのない事実として確定した。
これは多分に、貴女自身の血筋、すなわち水守の巫女という因縁の血脈が影響していることは明白だ。そこでだ——これに関して、我々は早急に、具体的な『対策』を講じなければならないということ。ここまでは、脳髄で理解できるかい?」
夏美は小さく、しかし深く首を縦に振った。
「対策は、大別して三つある。分かりやすい順番で開陳しよう」
三雲は細い指を一本、立ててみせた。
「まず、一つ目。お祖母さんやお母さんのいる故郷に戻り、向こうの厳かなる水守大社の領域で巫女を続けることだ。冬音さんの絶対的な庇護の下にいれば、再び強固な結界を張ってもらうことが可能だ。現世の日常を何事もなく送ることができるだろう」
続いて、二本目の指を立てる。
「それから、二つ目。なるべく高橋さんの水川神社から外へ出ず、その敷地内で巫女の勉強に専念すること。元来、神社として祀られている土地には、固有の強力な結界の要素が根を張っている。穢れや不浄は滅多に侵入しては来られない。活動領域が神社限定にはなるが、それでも普通の生活を送ることは担保される」
最後に、三雲は三本目の指を忌々しげに立て、その声を一段と神経質に尖らせた。
「そして——三つ目だ。これは、私としてはあまりお勧めしたくない。君自身が、結界の張り方を一から覚えること。いわゆる、防壁の術理を身につけるという方法だ。だが、それだけでは足りない。
それと同時に、結界を潜り抜けて襲いくる『穢れのモノ』に対し、自らの力で直接対処し、滅する術を身に付ける必要がある。今、私の脳内で導き出せる現実的な選択肢はこのくらいだが……高橋さん、他に何か妙案はあるかね?」
高橋宮司は、小太りの腕を胸の前で複雑に組みながら、眉間に深い皺を刻んで考え込んでいた。
「うむ……。大体その三つに集約されるだろうね。ただし、その中で最も現実的であり、かつ安全なのは、一番目の冬音さんやお母さんの近く、つまり故郷の地に戻ることなんじゃないかな。
……本当ならね、時間をかけて熟考してもらいたいところなのだが、夏美ちゃんのその肉体や精神に直接的な影響が及び始めている以上、一刻も早く決断を下した方がいい」
現世の論理が、夏美の周囲を包囲していく。
彼女は毛布の中で、きつく拳を握り締め、うつむきながら思考の糸を狂おしく巡らせていた。
排して——ひどく小さく、しかし凛とした吐息とともに呟いた。
「……三番目では、駄目でしょうか」
夏美はうつむいていた顔を、まっすぐに引き上げた。その視線は、もはや迷子のものではない。水守の血を引く一人の巫女としての、峻烈な覚悟がそこには漲っていた。
「三番目の、自分自身の力で、それらの怪異に対処できるようになりたいのです。私も、母や祖母のような、真に『判る』巫女になりたい。そのために、高橋宮司や三雲先生に、これから様々な術理や現世の裏側の知識を教わらなければならないと思うのですが……どうか、私にお貸しいただけないでしょうか」
直訴であった。
三雲と高橋は、互いの顔を見合わせ、言葉なき沈黙を交わし合った。
やがて、高橋宮司の薄い唇から、祈るような、あるいは呪うような低い呟きが漏れた。
「夏美ちゃん……君は、その茨の道を選択したことを、後で決して、後悔はしないかね?」
問いかけられた竹宮夏美は、一寸の歪みもない毅然とした態度で、ただ、強く、深く、首を縦に振ってみせた——。
◇
——記憶というのは、時に現世の肉体を苛む劇薬となる。
あの早慶大学での悍ましい怪異から、瞬く間に三週間の刻限が流れていた。竹宮夏美の肉体を侵していた泥のような陰気は、幸いにして霧散し、その体調は健常な現世のそれへと快復を遂げていた。
しかし、事態はそれだけで収束するほど生易しくはなかったのである。遥か西の地から、夏美の母親、そしてあのこちらの世界で知らぬ者のない名高き祖母・竹宮冬音が、ここ水川神社へと直々に選りすぐりの一族を率いて乗り込んできたのだ。社務所の奥、高橋宮司を交えて、夏美の今後の進退と宿業に関する重々しい談判がもたれた。
夏美の意志は、あの白々しい医務室のベッドの上で固められた時から、いささかも揺らいではいなかった。彼女の峻烈な決意の前に、肉親たちもついには首を縦に振らざるを得ず、夏美はしばらくの間、この水川神社に留まり、巫女の職務を続けながら、現世の裏側の術理を修得することに決まったのである。
三雲准教授は、この三週間の間、夏美の前には一切姿を現さなかった。その空白の期間、夏美は母親と祖母の厳しい監視の下、夜な夜な、結界の術理を叩き込まれていた。それは、太古より西の地の深淵で守り伝えられてきた竹宮家の完全なる一子相伝の秘術であり、その伝授の儀において、部外者たる高橋宮司が立ち入ることは、厳然として拒絶された。
そうして時間は流れ、あの因縁めいた不動産会社の黒沢社長から持ち込まれた、いわく付きの物件——ランク“松”の地鎮祭を三日後に控えた、ある日の午後四時頃のことである。




