21.災害の中で
——ゴォォォ……ッ。
不気味な余震が地表を揺らすたび、東條邸の母屋からはメリメリと木材が軋む嫌な音が響いていた。
彩音の手によって応急処置を施された少女は、冬馬の手で母屋から遠く離れた庭園の中央、ひらかれた安全な芝生の上へと運ばれた。
「彩音、屋根のある場所には近づくな。揺れが収まるまで、ここで怪我人を集めて介抱するんだ」
スリーピースのジャケットを脱ぎ捨て、泥と煤にまみれたシャツ姿の冬馬が、呼吸を荒げながら東條家、楠木家の動ける使用人達に的確に指示を出す。肩口の裂け目からは未だに血が滲んでいたが、冬馬の瞳には楠木家の当主としての冷静さと、彩音を守り抜こうとする鋭い光が宿っていた。
「 冬馬さん、まずは傷口を拭わせてください」
彩音は震える手で自分の帯から手ぬぐいを取り出すと、冬馬の背中にそっと触れた。
「くっ……」
「痛みますか……? ごめんなさい、私、大した手当もできなくて……」
「いや……お前の手は温かいよ」
冬馬は痛みに眉をひそめながらも、かろうじて口元に小さな笑みを浮かべた。
かつてのように庇護するのではなく、同じ泥の中に立ち、互いの傷を庇い合う関係。その確かな手応えに、冬馬の胸には切なくも温かい情愛が満ちていた。
だが——。
手ぬぐいで冬馬の血を拭う彩音の視線は、ふと、東條邸の大きな門の向こう……帝都の中心部へと向けられていた。
黒煙が、まるで巨大な黒龍のように空を覆い尽くしていく。
風に乗って運ばれてくるのは、焦げ臭いにおいと、地獄の底から響くような大混乱の喧騒だった。
(結城様……っ)
彩音の胸が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
軍人である結城の身が今、どこにあるのか。
赤坂の陸軍施設や陸軍大学の付近も、この激震に無事でいられるはずがない。訓練中だったのか、あるいは部隊の召集を受けて崩落する街へ飛び出していったのか。
『俺の残りの人生のすべてを懸けて、君を幸せにしたい』
まっすぐな瞳で自分を見つめ、そう言い切ってくれた結城の言葉が、脳裏でリフレインする。
命を賭して国を守る軍人だからこそ、この未曾有の大災厄の渦中で、誰よりも危険な最前線へ身を投じているのではないか——。
「彩音?」
彩音の手がぴたりと止まっていることに気づき、冬馬が振り返る。
「……藤枝殿のことが、心配なのか」
冬馬の声は静かだった。責める色も、卑屈になる様子もない。ただ、彩音の瞳の奥にある切ない焦燥感を、まっすぐに見抜いていた。
「……はい。結城様は……お立場上、きっとご自身の身を省みず、人々の救助に向かわれているはずです……。ご無事でいらっしゃるでしょうか……っ」
彩音は手ぬぐいを握りしめ、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
目の前にいる冬馬への深い情と感謝、そして離れた場所にいる結城への、胸が引きちぎれるような恋着と心配。
冬馬はそんな彩音の横顔をじっと見つめた後、深く息を吐き、静かに空を見上げた。
「……彼ほどの軍人が、これしきの大震災で命を落とすはずがない。お前のもとへ戻ると誓ったのなら、どんな瓦礫を越えてでも、必ず生きてお前の前に現れるはずだ」
自分の恋敵である男の無事を、気高く言い切る冬馬。
彩音は驚いて冬馬を見つめ返し、滲む視界の中で小さく、けれど強く頷いた。
「はい……! はい……っ!」
二人の頭上を、不気味な黒煙がどこまでも広がっていく。
遠く離れた帝都のどこかで、いま必死に瓦礫を押し分け、戦っているであろう「光」の男の無事を彩音は泥の中で祈りつづけた。




