22.大火災
——ゴォォォォォッ……!
火の粉を撒き散らす凄まじい風切り音が、帝都の空を赤黒く染め上げていた。
地震直後に各所から発生した火災は、強風に煽られて瞬く間に巨大な火炎の壁となり、逃げ惑う群衆を呑み込もうとしていた。
「第二小隊! 水バケツと鳶口を回せ! 倒壊家屋の破壊を最優先! 火床を断ち切るぞ!」
赤黒い炎と黒煙が渦巻く日本橋付近の惨状の中、腹の底から響く鋭い声が飛んだ。
軍馬を降り、泥と煤に塗れながら陣頭指揮を執っていたのは、結城だった。
陸軍士官学校を卒業し、現場で2年以上経験を積んだ中尉や少尉たちの中でも一握りしか入学出来ない陸軍大学校.......。学生といえど、有事の際には現場の指揮をとっていた。
結城の制服は火の粉で焦げ、額からは血と汗が混じり合って流れている。だが、その瞳には一切の動揺も、私情による迷いもなかった。
「藤枝中尉! 前方の長屋から子どもと老人が取り残されているとの報が!」
「俺が入る。部隊は火線の食い止めに集中しろ!」
「危険です! あの火回りでは建物が保ちません!」
「軍人が怯んで誰が民を救う! 躊躇うな、動け!」
制止する部下の声を一蹴し、結城は濡らした手ぬぐいを口元に巻くと、激しく燃え盛る木造家屋の中へと躊躇なく飛び込んでいった。
常日頃から死線と隣り合わせの戦場に身を置く結城にとって、極限状態での判断に躊躇や飾りの言葉は不要だった。思ったことを素直に、そして率直に口にし、なすべき任務をただ愚直に遂行する。それが彼の生き様だった。
「ゴホッ……! どこだ、返事をしろ!」
猛烈な熱気と煙が視界を奪う中、梁が崩れ落ちる間一髪のところで、結城は伏していた幼い兄弟と老人を両腕に抱え上げた。
「しっかりしろ! 俺が引きずり出してやる!」
メキメキと音を立てて瓦解する家屋から、身体ひとつで飛び出してきた結城。
巻き込まれかけた部下の手を掴み上げて引き寄せ、間一髪で全員を安全な路地へと逃がし終えると、激しい息を吐きながら膝をついた。
「中尉! ご無事ですか!」
「無駄口を叩くな。怪我人を救護所へ運べ。……次だ、次の火床を潰すぞ!」
指示を出し終えた瞬間、結城の視線がふと、遠く西北の空へと向けられた。
そちらの方向には——東條邸がある。
(彩音……)
ふっと脳裏をよぎる、愛しい女性の面影。
無事だろうか。怯えて泣いてはいないだろうか。今すぐにでも馬を駆り、彼女の元へ飛んでいきたいという狂おしいほどの衝動が、胸の奥で渦を巻く。
だが、結城は固く口の端を結び、その情熱を強靭な意志の力で胸の奥底へ押し込めた。
(私情を挟むな、結城 。今、目の前で数多の民が炎に包まれている。……俺が守るべきは、この国の命だ)
自分の愛を優先して任務を捨てれば、彩音に胸を張って向き合える自分ではなくなってしまう。
彩音への想いがあるからこそ、彼は軍人として、一人の男として、逃げずに目の前の命を救い続ける道を選んでいた。
「中尉! 陸軍の救援部隊、到着いたしました!」
「よし、これより第三区画の火炎食い止めに入る!」
結城は血に濡れた拳を強く握り締め、激しい炎の渦の中へと再びその身を投じていった。
遠い空の下で待つ彩音を信じ、自らの課せられた責務を果たし抜くために——。




