18.揺れる気持ち
秋のやわらかくなった陽光が差し込む東條邸の庭園。
紅葉をはじめた木々がそよぐ静かな小径で、彩音は一人、花壇の傍らにしゃがみ込んでいた。
手にした竹の水差しから落ちる水滴が、花弁を瑞々しく濡らしていく。だが、彩音の瞳は花を見つめながらも、その奥では二つの強い感情が激しく渦巻いていた。
片方は、陸軍大学の訓練の合間を縫って駆けつけてくれた結城の、太陽のようにまっすぐで温かい感触。
『俺の残りの人生のすべてを懸けて、君を幸せにしたい』
命を賭す覚悟を持つ軍人でありながら、偽りのない情熱で自分を抱きしめてくれた結城の言葉。
そしてもう片方は——先日、軽井沢の別荘で自分に想いを告げた冬馬の姿だった。
『もう兄気取りはやめる。俺は、一人の男としてお前を愛しているんだ』
それまでの冷淡な仮面を脱ぎ捨て、一切の言い訳を排して自分と正面から向き合ってくれた、あの冬馬の静かで熱い眼差し。
(冬馬さん……私は、ずっと貴方の優しさに甘えていただけでした。……なのに、今になってそんな風に見つめられたら……)
彩音はそっと水差しを置き、胸元に手を当てて小さく息を吐いた。
幼い頃から冬馬から受け取ってきた庇護と愛情。それが嘘偽りのないものだったと知っているからこそ、一人の男として向けられる熱い情愛に、胸が激しく締め付けられるのだった。
「……彩音」
低く、落ち着いた声が頭上から降ってきた。
ハッとして振り返ると、そこに冬馬が立っていた。
スーツを隙なく着こなし、まっすぐに背筋を伸ばした冬馬は、静かに彩音を見つめていた。
「……冬馬さん」
「そんな風に思い詰めた顔をするな。お前を困らせたくて告白したわけではない」
冬馬は穏やかに目を細めると、迷いのない足取りで彩音との距離を詰めた。
かつてのように高圧的に押し付けることもなく、淡々と、けれど熱を孕んだ瞳で彩音を見据える。
「俺は今まで、甘えていたんだ。お前を『妹』という安全な立場に置くことで、傷つくことから逃げていた。……だが、藤枝殿が現れて、お前が離れていくのを感じた瞬間、文字通り目が覚めたよ。俺が心から欲しているのは、お前という一人の女性だ」
「冬馬……さん……」
冬馬は彩音の目の前で立ち止まると、その端正な顔立ちに揺るぎない眼差しを宿して言葉を重ねた。
「結城殿が素晴らしい男であることは認めよう。だが、俺はお前を諦めるつもりはない。過去の思い出に縋る気もない。これからは一人の男として、何度でもお前を振り向かせてみせる」
退路を断ち、真っ直ぐに自分へと向けられた熱量。
かつて憧れ続けた冬馬が、対等な一人の女性として自分に挑んできている。その真摯な言葉と色香に、彩音の胸はドクンと強く跳ね上がった。
「私……私は……っ」
彩音がその強い眼差しに圧倒されながら唇を開いた、まさにその瞬間だった。
——ゴゴゴゴゴゴゴッ……。
地の底深くから、地鳴りのような不気味な低音が響き渡った。
「……っ!?」
庭園の池の水面が激しく波打ち、花壇の花々が一斉に恐れをなしたように揺れ動く。
鳥たちが悲鳴を上げて青空へ飛散し、足元の大地がドスンと突き上げるような初期微震に見舞われた。
冬馬の表情が一瞬で鋭い警戒の色に変わる。
「彩音、離れるな!」
空が鈍い灰色に曇り始め、帝都の静寂を一瞬で打ち砕く未曾有の大災厄——大地震の予兆が、二人の頭上に重く覆いかぶさろうとしていた。




