16.後悔
軽井沢の別荘、深夜——。
一階の庭の隅。名残惜しそうに額を重ね、夜の闇へと消えていった結城の背中。
そのすべてを二階の窓辺から見下ろしていた冬馬の手元で、シガレットの火が小さく揺れていた。
(……俺は、何をしていたんだ……)
胸を突いたのは、荒々しい嫉妬などではなく、血の気が引くような冷たい「後悔」だった。
これまで「妹」と呼び、「お前のために」と言い訳しながら、彩音を自らの庇護下に閉じ込めていた。
自分が差し出す閉ざされた世界の中で、彩音が従順に微笑むことだけを求めていた。
だが今、別の男の胸の中で、見たこともないほど生き生きと息づく彼女の姿を目の当たりにして、冬馬は己の醜さに打ちのめされていた。
(俺が……お前を苦しめていたんだな。お前を『白百合』だと閉じ込め、その根を腐らせていたのは、他の誰でもない、この俺だった……)
彩音を失う恐怖と同時に込み上げる、長年の己の無自覚な傲慢さへの深い後悔。
暗闇の中、冬馬は額を押さえ、痛む胸の奥で、自分がどれほど深く一人の女性として彩音を欲していたかに気づかされるのだった。
◇
翌朝。朝靄に包まれた庭園の隅。
静かに咲く白百合の手入れをしていた彩音の前に、冬馬がゆっくりと歩み寄ってきた。
いつもなら隙のないスリーピースの佇まい。だが今日の冬馬の瞳には、どこか痛々しいほどの翳りと揺らぎが浮かんでいた。
「……冬馬さん? おはようございます」
彩音が振り返ると、冬馬はいつもより少し離れた場所で足を止め、どこか切なげに目元を和らげた。
「……彩音。……昨夜、お前が庭にいたのを見たんだ」
「……っ!」
彩音の背筋が跳ね上がる。責められる、あるいは問い詰められると身構えた彩音に対し、冬馬は自嘲気味にフッと目を伏せた。
「怯えなくていい。……お前を責める権利なんて、俺には最初からないんだから」
低く、掠れた声。冬馬はゆっくりと彩音へ近づくと、触れることすら躊躇うように、そっと自分のシルクのハンカチを彼女の手元に差し出した。
「俺は……ずっと間違っていた。お前を『守ってやる』と言いながら、俺の都合の良い檻の中に縛り付けていただけだった。お前が本当は何を望み、誰に向かって微笑みたいのか……俺は目を背けていたんだ」
「冬馬さん……」
「だが、お前が他の男といるのを見て、初めて分かった。……俺はお前を失いたくない。兄としてではなく……一人の男として、ずっとお前を愛していたんだ」
冬馬の瞳から溢れるのは、過剰な情熱ではなく、己の過ちを悔いる静かな涙のような熱だった。
「身勝手な告白なのは分かっている。お前を傷つけてきた俺に、今さらそんなことを言う資格がないことも。……だが、これだけは言わせてくれ。俺の隣で、もう一度やり直してはくれないか」
高圧的な冷酷さも、計算された甘さもない。ただ自分の過去の過ちを認め、傷つきながら差し出された冬馬の切実な想い。
幼い頃からずっと見上げていた彼の悲痛な素顔に、彩音の胸はぎゅっと締め付けられた。
その会話を、テラスの柱の陰で密かに聞いていた須藤桜の顔からは、完全に血の気が引いていた。
(冬馬様が……あの冷徹な冬馬様が、あんな顔をして頭を下げている……妹だと言ったいのに……っ)
桜の胸の中で、傷つけられたプライドが音を立てて崩れていった。




