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第9話 おかえりを、三十一人に

白い旗は、広場の中央に立てられた。

 銀の紋章は、取り外してある。

 元の布に、どんな術式があったか、皆が見られるように。


 国王が、壇へ上がった。

 門の事故で三十一人が取り残されていたこと。

 辺境伯が、その人たちをコートの中に保護していたこと。

 官有物の虚偽の焼却記録が見つかり、事故報告にも再調査が必要になったこと。

 一つずつ、説明した。


 拍手はなかった。

 式典のために来た人たちは、戸惑っていた。

 当然だ。

 六年間、聞いていた話と違うのだから。


 その前の列には、別の人たちがいた。

 名簿を公表して呼びかけた、避難者の家族と知人。

 レオン様の以前の手紙を持って来た人もいた。

 六年間、会いたいと返事を書き続けた人も。

 名前だけでは、まだ家族を探せない人もいた。

 その名前は、故郷から避難してきた村長が受け止めることになった。


 帰る場所は、建物だけではない。

 それでも、誰でも代わりになれるわけではなかった。

 受け止めたいと思っている人へ、一人ずつ帰す。

 母親の術式に刻まれた手順を、私たちは技師と確かめていた。


 レオン様が、旗の前に立つ。

 私は、その隣に座った。

 彼のコートの裾を、白い布へ重ねる。


「始めます」


 元の術式を傷めない、最後の結び。

 灰色の糸を、鋏で切った。


 胸の霜が、落ちた。

 白い布に、光が流れる。

 いちばん端の名前が、青い裏地から浮かび上がった。


 ネリ・ノアン。


 光は、文字の形から、人の姿へ変わった。

 八歳の小さな女の子。

 左手には、お母さんの手。

 裸足だった。


 ロザさんが、前へ出た。


「ネリ。マルタ」


 女の子は、広場を見た。

 たくさんの人を見て、少し母親の後ろへ隠れた。

 それから、赤い靴を見た。


「おばあちゃん」


 ロザさんが、泣き出した。

 駆け寄りそうになって、足を止める。


「触っても、いいの?」


 技師が、うなずいた。

 白い布の上にいる間だけ、元の術式は姿と感触を支える。

 声を聞き、触れ、最後の別れをするための短い帰還。

 亡くなった身体が、生き返るわけではない。


 ロザさんが、孫を抱いた。

 その上から、娘が母親の肩を抱く。

 三人の手が、重なった。


「寒かったねえ」


 ロザさんの声に、女の子が首を振った。


「このひとが、あったかくしてくれた」


 レオン様を指す。

 彼は、口を開いた。

 声が、出なかった。


「毎日、おはようって、言ってくれた」


 マルタが、彼を見る。


「私たちのことを、忘れないでいてくださって、ありがとうございました」


 レオン様は、首を振った。


「遅くなった」


 やっと、それだけ言った。

 女の子が、彼の手に触れる。

 私は思わず、その手を見た。

 白い霜は、なかった。


「ただいま」


 レオン様が、しゃがんだ。


「おかえり」


 彼の肩が、震えた。

 私は、顔を見なかった。

 見せなければいけない涙ではない。


 二つの光が、白い布の上から、ゆっくり薄くなった。

 赤い靴が、残った。

 履く真似をしてみせた女の子は、最後に、もう寒くないよと言った。

 ロザさんは、その言葉を、自分の胸に抱くようにうなずいた。


 次の名前を呼ぶ。

 兵士ディム。

 弟が、財布を出して待っていた。

 兄が戦地から預けた、ひどく古い財布。


「捨ててよかったのに」

「金は使ったよ」

「それはよかった」


 二人が、泣きながら笑った。


 次の名前。

 次の、その人を待つ声。


 途中、白い布の端が、震えた。

 私はすぐ、針を取った。

 切れてはいない。

 流れる力に、修復した糸が引かれている。

 技師が流れを弱め、その間に私は横糸を調整した。

 無理に急がせない。

 ひとりずつ。


 レオン様は、私を見ていた。

 私は、うなずいた。

 続けられる。


 最後の名前は、アルト・ゼン。

 家族は、まだ見つかっていない。

 村長が、帽子を脱いだ。


「祭りの太鼓を、いつも叩いてくれたな」


 白い布の上に、年老いた男性が立った。


「お前は、踊りが下手だった」

「まだ、下手だ」


 男性は、笑った。

 レオン様に、軽く頭を下げる。

 そして、自分の名前が呼ばれた場所を見て、光になった。


 三十一番目の名前が、消えた。

 青いコートに、光はない。

 白い旗にも、霜はない。


 レオン様は、立ったまま動かなかった。


「脱いでも?」


 私が訊くと、彼は、ゆっくりうなずいた。

 技師が、保護の流れが終わったことを確認する。

 銀の留め具を、外した。


 重いコートを、肩から下ろす。

 彼の息が、深く入った。


 六年。


 その重みを、私は両手で受け取った。

 暖かな昼の風が、黒い裾を揺らした。


 レオン様が、私の名前を呼んだ。


「イネス」


 そのまま、手を差し出す。

 私は、握った。


 あたたかかった。


 それだけで、私は、もう何も言えなくなった。

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